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『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

『正法眼蔵(1)』増谷文雄 全訳注 講談社学術文庫

投稿日:2020-12-02 更新日:

『正法眼蔵(1)増谷文雄 全訳注 講談社学術文庫

摩訶般若波羅蜜(まかはんにゃはらみつ)

■開題

この「摩訶般若波羅蜜」の巻が制作され、かつ衆に示されたのは、天福(てんぷく)元年(1233)の夏安居の日のことであったと記されてある。天福元年といえば、その春、興聖寺が成立したばかりの年であることが、まず思い浮んでくる。『建撕記(けんぜいき)』によれば、「大法挙揚(こよう)の為に、宇治郡深草の極楽寺の旧跡に就れ、興聖寺を建立の発願あり。天福元年癸巳(みずのとみ)の春に落成して、興聖宝林寺と号す」とある。しかるに、この巻の奥書によれば、ただ「観音導利院にありて、衆に示す」とある。その院号はさきの極楽寺の院号をそのままに用いたもの。つまり、そこには、その院号のみが記されて、興聖寺もしくは興聖宝林寺なる寺号はなお記されていない。その事情はなお審(つまび)らかにすることをえないが、そんなところにも、なんとなく、草創のみぎりの風情が偲ばれるのである。(20頁)

■さて「摩訶般若波羅蜜」とは“――”の音写である。古来それは音写をもって語るのが習いであるが、いまもし、それを現代語をもって意訳をこころみるならば、摩訶とは大の意、般若とは智慧であり、そして、波羅蜜(新訳では波羅蜜多、旧約では波羅蜜)とは、成就・完成・到達・建立等の意のことばである。よって、「摩訶般若波羅蜜」とは、「大いなる智慧の成就」と訳したならばどうであろうかと思う。(21頁)

■あるいは、智慧の成就に十二の名目がある。六根(六つの感官)と六境(六つの対象)がそれである。また、十八の智慧がある。眼・耳・鼻・舌・身・意の六根、色・声・香・味・触・法の六境、および、それぞれの交渉によってなる眼識(げんしき)・耳識・鼻識・舌識・身識・意識がそれである。また、四つの智慧がある。苦・集(じゅ)・滅・道の四諦(したい)がそれである。また、六つの智慧がある。布施・持戒・忍辱(にんにく)・精進・静慮・智慧の六波羅蜜がそれである。また、ただ一つの智慧の成就があって、いま現に成就しておる。比すべきものもなき等正覚がそれである。また、智慧の成立に三つがある。過去・現在・未来がそれである。また、六つの智慧がある。世の常に行なわれる行・住・坐・臥がそれである。(23頁)

■阿耨多羅三藐三菩提 意訳すれば、無上等正覚となる。仏陀の正覚(さとり)の内容をなすものである。最高(阿耨多羅=無上)なる、普遍(三藐=等)にして妥当(三=正)なる智慧(菩提=覚)というほどのことばである。(24~25頁)

【岡野記、参考文献; 「また一枚の般若波羅蜜、而今現成せり、阿耨多羅三藐三菩提なり」――いままでこういうふうに般若波羅蜜を説明してまいりました、全部般若ですね。これもみな、どれもこれもが前の章を受けてのことですよ。

それから今度は「一枚の般若波羅蜜」――これ「一枚の般若波羅蜜」と申しますと、今まで六枚あった、あるいは四枚あった、十八枚あった、十二枚あった、とどういう関係だ?これは別です。そうして、ここでは「一枚の般若」――一枚というと全体のことを言っています。これより他ない。二枚目がないんだ。つまり「一枚の般若」と申しますと、尽十法界全部を一枚としたつまり尽十法界の真実をつかまえて般若波羅蜜。

「而今現成せり」――而今というは現在です。今そこにあるじゃないか。「現成」というのは、現成の「現」ということは、いままでなかったものがそこに姿を現わす意味の現ではないと、「現成公案」の巻で説明しました。つまり言うと、ありのままだ。それから「成」というのは、成仏の成で完成の意味だ。ありのまま、完成している。ありのままが完全な姿。

つまり「而今現成せり」で、今現在のこのままだ。今現在が、そのものが、これが般若波羅蜜じゃないか、こういうことですね。現実そのもの。これが般若波羅蜜じゃないか。般若波羅蜜以外何ものもない。これが阿耨多羅三藐三菩提である。

「阿耨多羅三藐三菩提」というのは、『金剛経』なんかになりますと、「法の阿耨多羅三藐三菩提を得ること有ることなし」とあるものね。「これが阿耨多羅三藐三菩提ですよ」と、つかみ取ることのできるものではない。そうでしょ、「これが本当の阿耨多羅三藐三菩提だよ」と、つかんで、みんなに見せられるようなものじゃない。つかめないよ。そのはずだ、この而今現成のもの、現実全部ですよ、これが、これ全体、つまみ食いじゃあありません、全体が阿耨多羅三藐三菩提だと、こういうことになる。それから、そこで一つ切りますよ。この言葉は特別のものですね。(『正法眼蔵』真実の求め 般若波羅蜜の巻 酒井得元 大法輪閣(87~88頁))】

現成公案

●自己をはこびて万法を修証(しゅしょう)するを迷とす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり。迷を大悟(だいご)するは諸仏なり、悟に大迷(だいめい)なるは衆生なり。さらに悟上に得悟する漢あり、迷中又迷(うめい)の漢あり。(42頁)

■自己をおしてよろずのことどもを計(はか)らうのは迷いである。よろずのことどもの来って自己を証(あか)しするのが悟りである。迷いを転じて大悟(だいご)するのが諸仏であり、悟りに執して迷いに迷うのが衆生である。さらにいえば、悟りのうえに悟りをかさねる者があり、迷いのなかにあってまた迷う者もある。

諸仏がまさしくまさしく諸仏となるときには、かならずしも自己は仏であると自覚するの必要はない。それでも仏を証するのである。仏とはこれかと悟りつつゆくのである。身心(しんじん)を傾けて物を見る。あるいは身心をそばだてて声を聞く。それが自分ではよく解るのであるが、鏡に物を映すようにはまいらぬ。水に映る月のようににはゆかない。一方がわかれば他方はわからないのである。(42~43頁)

■色 もと「形あるもの」の意であって、眼識によってそれと認識することのできる物的存在(色法という)をいうことばである。ただし、それにはまた「壊(え)するもの」すなはち「へんかするもの」の意があるので、現代の用語をもってするならば、「物質」ではなくて、「物象」または「現象」が適当である。(43頁)

●自己をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証さるるなり。万法に証さるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。悟迹(ごせき、悟りのあと)の休歇(きゅうかつ、休はやむ、やすむ。歇はやむ)なるあり、休歇なる悟迹を長長出(ちょうちょうしゅつ、ぐんと抜け出るというほどの意)ならしむ。

人はじめて法をもとむるとき、はるかに法の辺際を離却(りきゃく)せり。法すでにおのれに正伝するとき、すみやかに本分人(自己の本来の面目に出会える人というほどの意)なり。

人、舟にのりてゆくに、めをめぐらして岸を見れば、きしのうつるとあやまる、目をしたしく舟につくれば、ふねのすすむをしるがごとく、身心を乱想して万法を弁肯(べんこう、弁はわきまえる、肯はがえんずる)するには、自心自性は常住なるかとあやまる。もし行李(あんり、行履である。仏祖たちの踏みきたった跡)をしたしくして箇裏(こり)に帰すれば、万法のわれにあらぬ道理あきらけし。(44頁)

■仏道をならうとは、自己をならうことである。自己をならうとは、自己を忘れることである。自己を忘れるとは、よろずのことどもに教えられることである。よろずのことどもに教えられるとは、自己の身心をも他己の身心をも脱ぎ捨てることである。悟りにいたったならば、そこでしばらく休むもよい。だが、やがてまたそこを大きく抜け出てゆかねばならない。

人がはじめて法を求める頃には、はるかに法のありかを離れている。すでに法がまさしく伝えられた時には、たちまち本来の人となる。

人が舟に乗って行くとき、眼をめぐらして岸を見れば、岸が移りゆくかにみえる。目を親しく舟をつければ、はじめて舟の進むのがわかる。それと同じく、わが身心をあれこれと思いめぐらしてよろずのことどもを計らう時には、わが心、わが本性は変らぬものかと思い誤る。もし仏祖先徳の足跡をつぶさに踏んでそこに到れば、よろずのことの我にあらぬ道理が明らかとなる。(44~45頁)

●たき木はひとなる、さらにかへりてたき木になるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪(たきぎ)はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位(ほうい、物のありよう)に住して、さきありのちあり。前後ありといへども、前後際断せり。灰は灰の法位にありて、のちありさきあり。かのたき木、はひとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬるのち、さらに生とならず。

しかあるを、生(しょう)の死になるといはざるは、仏法のさだまれるならひなり、このゆゑに不生(ふしょう)といふ。死の生にならざる、法輪のさだまれる仏転なり、このゆえに不滅といふ。

生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。たとへば冬と春とのごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。(46頁)

■薪は灰となる。だが、灰はもう一度もとに戻って薪とはなれむ。それなのに、灰はのち、薪はさきと見るべきではなかろう。知るがよい、薪は薪として先があり後がある。前後はあるけれども、その前後は断ち切れている。灰もまたはいとしてあり、後があり先がある。だが、かの薪は灰となったのち、もう一度薪とはならない。

それと同じく、人は死せるのち、もう一度生きることはできぬ。だからして、生が死になるといわないのが、仏法のさだまれる習いである。このゆえに不滅という。

生は一時のありようであり、死もまた一時のありようである。たとえば、冬と春とのごとくである。冬が春となるとも思わず、春が夏となるともいわないのである。(47頁)

●人のさとりをうる、水に月のやどるがごとし。月ぬれず、水やぶれず。ひろきおほきなるひかりにてあれど、尺寸の水にやどり、全月も弥天(注1)も、くさの露にもやどり、一滴の水にもやどる。さとりの人をやぶらざること、月の水をうがたざるがごとし。人のさとりを罣礙(注2)せざること、滴露の天月を罣礙せざるがごとし。ふかきことはたかき分量なるべし。時節の長短は、大水小水を撿点し、天月の広狭を弁取すべし(注3)。(48頁)

注1;弥天(みてん)ー弥はあまねし。全天というほどの意である。

注2;罣礙(けいげ)ー罣はひっかかる、礙はさまたげる。障害をなすという意である。

注3;時節の長短は……ー余情陰々として解しがたい一節であるが、おそらくは、修行の年月を云々する輩(やから)を却(しりぞ)けるの文であろう。それは、水の大小によって、映ずる月天の広狭はないと知るがよいというのであろう。(49頁)

■いまだ身心(しんじん)に法のゆきわたらぬ時には、すでに法は満てりと思う。もし法がしんしんに満ちた時には、どこかまだ足らないように思われる。

たとえば、船に乗って、陸のみえない海にいで四方を眺めると、ただ円いばかりで、どこにも違った景色はみえない。だが、大海は円いわけでもなく、四角いわけでもない。それ以上の海のさまは見えないだけのことである。海の徳は宮殿のごとく、瓔珞(ようらく)(注1)のごとしという。ただ、わが視界のおよぶところが、いちおう円く見えるのみである。

よろずのことどももまた同じである。それはこの世の内外にわたり、さまざまの様相を成しているが、人はその力量・眼力のおよぶかぎりをもって見かつ解するのである。よくよろずのことどものさまを学ぶには、ただ円い四角いと見えるところのみでなく、見えざる山海のありようのなお際限なく、さまざまの世界のあることを知らねばならぬ。自己のまわりがそうというのみではない。脚下も、一滴の水も、またそうだと知らねばならぬ。

注1;珠玉・金銀などを編んで作った装身の具である。経の説くところによれば、龍魚は水をみること、瓔珞のごとしとなし、また宮殿のごとしという。いま、海をそのようにみるものもあるというのである。(50~51頁)

●うを水をゆくに、ゆけども水のきはなく、鳥そらをとぶに、とぶといへどもそらのきはなし。しかあれども、うをとり、いまだむかしよりみづそらをはなれず。只用大のときは使大なり、要小のときは使小なり。かくのごとくして、頭頭(注1)に辺際をつくさずといふことなく、処処に蹈翻(注2)せずといふことなしといへども、鳥もしそらをいづれば、たちまちに死す、魚もし水をいづれば、たちまちに死す。以水為命いりぬべし、以空為命しりぬべし。以鳥為命あり、以魚為命あり。以命為鳥なるべし、以命為魚なるべし。このほかさらに進歩あるべし。修証あり、その寿者命者あることかくのごとし。

しかあるを、水をきはめ、そらをきはめたのち、水そらをゆかんと擬する鳥魚あらんは、水にもそらにも、みちをうべからず、ところをうべからず。このところをうれば、この行李(あんり)したがひて現成公案す。このみちをうれば、この行李したがひて現成公案なり。このみち、このところ、大にあらず小にあらず、自にあらず他にあらず、さきよりあるにあらず、いま現ずるにあらざるがゆゑに、かくのごとくあるなり。

しかあるがごとく、人もし仏道を修証するに、得一法通一法なり、遇一行修一行なり。これにところあり、みち通達(つうだつ)せるによりて、しらるるきはのしるからざるは、このしることの、仏法の究尽(ぐうじん)と同生し同参するゆゑにしかあるなり。

得処かならず自己の知見となりて、慮知にしられんずるとならふことなかれ。証究すみやかに現成すといへども、密有(注3)かならずしも見成にあらず。見成これ何必(注4)なり。(51~52頁)

注1;頭頭(ずず)ー弥はあまねし。それぞれにというところである。

注2;蹈翻(とうほん)ー蹈はふむ、足をもって地を踏むのである。翻はひるがえる、翼をもって空を飛ぶのである。。

注3;密有(みつう)ー密には、精密の意と内容の意の両方の意味がある。ここでは、内証すなわちわが証し得たる内なる所有というほどの意であろう。

注;何必ーなんぞ必ずしも必要ならんや、というほどの意である。(54~55頁)

■魚が水のなかをゆく。どこまで行っても水の際限はない。鳥が空を飛ぶ。どこまで飛んでも空に限りはない。だが、魚も鳥も、いまだかって水を離れず、空を出ない。ただ大を用うるときは大を使い、小を要するときは小を使う。そのようにして、それぞれどこまでも水をゆき、ところとして飛ばざるはない。鳥がもし空を出ずればたちまちに死に、魚がもし水を出でなばたちどころに死ぬ。水をもって命(いのち)となし、空をもって命となすとはそのことである。鳥をもって命となし、魚をもって命となすのである。いや、命をもって鳥となし、命をもって魚となすのであろう。そのほは、さらにいろいろといえようが、われらの修証(しゅしょう)といい、寿命というも、またそのようなのである。

それなのに、水を究めてのち水を行かんとする魚があり、空をきわめてのちそらをゆかんとする鳥があらば、彼らは水にも空にもその道を得ず、その処を得ることはできまい。その処を得れば、その行くところにしたがってさとりは実現し、その道を得れば、その履(ふ)むところおのずからにさとりは顕現する。その道、その処は、大にあらず小にあらず、自にあらず他にあらず、前よりあるにあらず、いま新たに現ずるにもあらず、おのずからにしてかくのごとくなるのである。

それと同じく、人の仏道をおさめんとするにも、一法を得れば一法に通ずるのであり、一行にあえば一行を修するのである。そこにもまた処があり、道が通じているのであるが、それがはっきりとは判らない。それは、仏法を究めるとともに生じ、ともに関わるからなのである。

自己の得たるところは、必ずしも、自己の知見となって自覚せられるものと思ってはならぬ。悟りはすみやかに実現しても、わが内なる所有(しょう)はかならずしも明らかではない。それを明らかにすることはかならずしも必要ではないのである。(53~54頁)

■麻谷山(まよくざん)の宝徹禅師が扇を使っていた。そこに一人の僧が来って問うていった。

「風性は常住にして、処として周(あまね)からぬはないという。それなのに、和尚はなぜまた扇を使うのであるか」

師はいった。

「なんじはただ風性は常住であるということを知っているが、まだ、、処として周(あまね)からぬはないという道理はわかっていないらしい」

僧がいった。

「でが、処として周(あまね)からぬはないというのは、どういうことでありましょうか」

その時、師はただ扇を使うのみであった。それを見て、僧は礼拝した。

仏法のあかし、正伝の自由自在なることは、かくのごとしである。つねにあるから扇を使うべきではない、扇を用いぬ時にも風はあるのだというのは、常住ということも知らず、風性というものも解っていないのである。風性は常住であるからこそ、仏教の風は、大地の黄金なることも顕現し、長河の水を乳酪たらしめる妙用をも実現することを得るのである。(56~57頁)

 

一顆明珠

■この「尽十法世界は、これ一顆の明珠である」という表現は、玄沙の初めて吐いたことばである。その大旨をいわば、尽十法世界とは、広大というにもあらず、微小というにもあらず、まるい四角いというにもあらず、中正なりというにもあらず、活潑潑地(かつはつはつち)というにもあらず、炯々(けいけい)として明らかというにもあらず。あるいは、生死(しょうじ)にもあらず去来(こらい)にもあらぬがゆえに、生死・去来である。そのゆえに、昨日は去り、今日は来る。つまるところ、あれだこれだと見ることもできないし、これだあれだと挙げていうこともできない。

つまるところ、尽十法というのは、客体を追うて主体となし、主体を追うて客体となし、その尽くるところを知らぬのである。情が生ずれば智は遠ざかる。これを「隔(かく)」と表現する。頭(こうべ)をめぐらして面(おもて)をかえる。その時、事を展(の)べ、機に投ずるのである。主体を追うて客体となすがゆえに、尽くるところを知らぬ尽十法なのである。いまだ機の発せざる前(さき)の道理を得れば、機のかなめを支配するにあまりあるのである。(68~69頁)

■玄沙はいった。「なんじは、とんでもないところに抜け道を知っておったぞ」と。

知るがよい。日も月も、往古(むかし)よりいまだ変わらぬ、日は日としてして出で、月は月として出ずる。それなのに、いまは六月であるから、わが名は「熱(あつし)」であるといったら不可であろう。だから、この明珠には始めがあるか無いかといえば、それはどうともいえない。ただ尽十方世界は一顆の明珠である。二顆ともいわず、三顆ともいわぬ。すべてがただ一つの正法の眼である。その全体が一つの真実体である。全身が一句であり、全身が光明であり、全身が全身なのである。全身が全身であるから、どこにも差し障るところがなく、まことに円(まろ)やかにして、円転自在である。

明珠のありようは、そのように顕然たるものであるから、現に物を見、声を聞きたもう観音・弥勒があり、現身をもって法を説きたもう古仏・新仏があって、まさに時がいたれば、あるいはそれを虚空にかかげ、あるいはそれを衣の裏につつみ、あるいは頷(おとがい)の下にひそめ、あるいは髻(もとどり)の中におさめたもう。そのすべてが尽十方世界、一顆明珠である。それを、衣の裏につつみたもうのが仏のすがたであって、表にかけるといってはならない。髻の中、頷(あざと)の下におさめつつみたもうの御姿であって、その表面にかけるものと思ってはならぬ。(74~75頁)

注1;観音・弥勒ー旧訳(くやく)に「観世音」(略して観音)といい、新訳に「観自在」となす。弥勒は未来仏として下生(げしょう)し説法する時をまっている菩薩である。いずれも、この世の衆生の姿を見、その声を聞いているのだとする。。

注2;正当麼時ーまさにこの時にあたってというほどのことば。現在、現時である。

注3;酔酒の時節……ー『法華経』巻四、五百弟子授記品(じゅきぼん)に、「譬(たと)えば人あり、親友の家にいたり、酒の酔いて臥す。この時、親友官事まさに行かんとして、無価の宝珠を以てその衣裏に繋げ、これを与えて去る。その人酔臥して都(すべて覚知せず……」とあるによる。

注3;転不転ー『大般(はつ)涅槃経』第二、寿命品(ぼん)に、人酒に酔いて、その眼のくらんだ時、山河草木、日月星辰がすべて廻転するようにみえるを譬えとして、衆生もまた、煩悩無明のゆえに顚倒心(てんどうしん)を生じ、まことは転にあらぬを転なりとの思いの生ずるを説いた一節がある。転不転の文字はそれによるものであろう。(76頁)

■すでにかくの如くであるのに、なお、われは明珠ではあるまいと思い迷うには、けっして珠ではないからではない。思い迷い、疑いをいだき、取捨にとまどうのも、ただしばらくの小さな計らいというもの。それは心せまきに似ているけれども、また愛すべきものである。明珠とは、そのように光彩きわまりないものである。その彩(いろどり)と光の一片一片がすべて尽十方界の功徳であって、何びともこれを奪うことはできない。市場で瓦石を投ずる人はない。六道の因果に落ちるか落ちないかと思い煩う必要はない。因果はもともと徹頭徹尾明らかである。それが明珠の面目であり、それが明珠の眼晴(がんぜい)である。

そうではあっても、われもなんじも、いかなるが明珠であらぬかは知らない。それをあれこれと思い煩うのは、草を結んで罠(わな)をかけるようなもの。そこを玄沙の教えにより、この身心(しんじん)の明珠なるありようを、聞き知って明らかにしたうえは、もはやこの心はわがものではあるまい。とすれば、事の起こりまた滅するは誰のことであるか。いまや、明珠であるか明珠でないかと思い煩う要はないはず。たとい思い煩ったとて、明珠でないわけではない。また、たとい明珠ならぬものがあって、それでなにか事が起こったとしても、それはわが心の関わるところではあるまい。それはまさに黒山鬼窟(ここざんきくつ)の関わるところ。それもまた一顆の明珠なるのみである。(78頁)

即心是仏

■開題

さて、この一巻のこうせいは、まずこの一句の誤れる解釈の批判から始められている。道元はまず、ブッダ在世のころの外道、セーニャ(先尼、勝軍外道)なるものの所説を挙げて詳述する。そこでは、たとい肉体は滅びても、なお肉体より抜けいでて永遠に存する霊知なるものが措定されている。もし「即心」の句をもってそのような独存の心の存在を指すものと思い誤るならば、それはすなわち「外道に零落す」るものであるという。しかも、仏教者のなかにもそのような謬見(びゅうけん)におかされているものが、今も昔もけっして少なくないことが道元の歎きであった。

――(中略)――

かくして最後に、道元は、初めて「仏祖の正伝しきたれる即心是仏」に語りいたる。「正伝しきたれる心とふは、一心一切法、一切法一心なり」と語り、「即心是仏とは、発心・修行・菩提・涅槃の諸仏なり」と語る。

それらの説示は、第一には、仏教はけっして唯心論みはあらざることを示している。「一心一切法」といい、「一切法一心」というのはそのことである。けだし、一切の存在を離れて心はなく、心をほかにして一切の存在はないからである。かくて道元はいう。

「あきらかにしりぬ。心とは、山河大地なり、日月星辰なり」

と。

その第二には、仏教はけっして自然のままにして即心是仏なりとはいわないとするのである。「即心是仏とは、発心・修行・菩提・涅槃の諸仏なり」とはそのことである。けだし、発心もなく修行もなくして、なお迷妄の雲にとざされている輩には、けっして即心是仏ということはできないのである。かくて道元はまた、いまの句を裏返していう。

「いまだ発心・修行・菩提・涅槃せざるは、即心是仏にあらず」

と。(82~83頁)

■それが外道のたぐいというのはこうである。西の方インドにセーニヤ(先尼)という外道があった。彼は説いていった。――大道(だいどう)はわれらのこの現身にある。そのありようはたやすく判るであろう。われらは苦と楽とを分別することができる。冷と煖(だん)とをおのずからにして知り、痛いかゆいをもよく知っている。何物にもさまたげられず、何物にもかかずらわぬ。存在は去来(こらい)し、対象は生滅するけれども、霊知は常恒にして変わることがない。この霊知はあまねくして、凡夫と聖者を択(えら)ばず、一切の衆生を隔てることがない。なかには、しばし虚妄(こもう)のことに迷うこともあろうが、一たび真実の智慧にぴたりと帰するにいたれば、そんざいもなく対象も滅して、ただ本性の霊知のみが瞭然としてとこしなえに存するにいたる。たといこの身は死んでも、霊知は死せずしてこの身を出ずる。たとえば、家は焼けても、その家主はいで去るがごとくである。この昭々として明らかに、霊妙にして不思議なるもの、それが覚者・知者の本性というもの。これを仏といい、悟りとも称する。それは自他の同じく具するところ、迷える者にも悟れる者にもひとしく周(あまね)きもの。一切の存在、もろもろの対象はともかくもあれ、霊知は対象と同じからず、万物とも異なって、とこしえに変わることがない。いま現存するもろもろの対象も、霊知のかかわるかぎりは、真実といってよろしい。本性に関連して存するがゆえに虚妄ではないのである。だがしかし、それも霊知のごとく不変にして存するわけではない。生じてはまた滅するからである。しかるに、霊知は生滅にかかわらず、霊妙のいとなみをなすがゆえに、霊知とはいうのである。それをまた真我(しんが)といい、覚元といい、本性といい、本体と称する。そのような本性をさとるを、また永遠に帰するといい、帰真の大士なりともいう。そして、それより後は、もはや生死を繰り返すこともなく、不生不滅の本性の大海に悟入する。そのほかに真実はない。そこに到らざるかぎりは三界・六道の流転は尽くることなしという。

――これがセーニヤ外道の所説である。(86~87頁)

〈注解〉先尼;セーニヤ」の音写。南伝『中部経典』五七、「狗行者経」に、「裸形にして狗行者(くぎょうじゃ)なるセーニヤ」として登場する。また、漢訳『雑阿含経』「先尼出家」には、先尼外道なる者あり、ブッダを訪れて、五蘊と如来の関係について問うたとある。さらに大乗の経論においては、しばしば勝軍梵志(しょうぐんぼんし、セーニヤの意訳)として登場し、本文にみるがごとき説をなしている。

三界・六道;三界とは、欲界・色界・無色界をいう。凡夫が生死往来する世界の三つの様式をあらわす。また、六道とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天界の六趣をいう。人がその所業によって趣(おもむ)き生まれるであろう世界の六つのありようを示したものである。いずれも輪廻の思想にもとづくものである。(88~89頁)

■唐の大証国師慧忠和尚が僧に問うていった。

「どちらの方からおいでたか」

僧がいった。

「南の方からまいりました」

和尚がいった。

「南の方にはどんな善知識があられるか」

僧がいった。

「たくさんの善知識がおられます」

和尚がいった。

「どんなことを説いておられるか」

僧がいった。

「あちらの方の知識は、ずばりと学人に即心是仏と示されます。仏とは覚の意であるが、汝らはすべて見聞覚知の性をそなえている。その性は善である。よく眉をあげてまばたき、過去と未来をかけめぐり、また身中にあまねくして、頭にふるれば頭が知り、脚にいたれば脚が知る。その故に正徧知と名づける。これを離れてほかにまた別の仏はない。この身に生滅があるが、この心性ははじめなき古(いにしえ)よりこのかたいまだかって生滅がない。この身の生滅は、龍の骨を換えるがごとく、蛇の皮を脱ぐに似ており、また人も古き家を出(い)ずると同じである。つまり、この身は無常であるけれども、その性は常恒なのであると、南方の善知識の所説はおおよそかようであります」

和尚がいった。

「もしそうだとすれば、かのセーニヤ外道と異なるところはない。かの外道はいう。―わがこの身中に一つの霊妙な性がある。この性はよく痛いかゆいを知る。この身の壊れる時には、この霊妙な性は出でて去る。家が焼ければ家の主は出でて去ると同じである。家は無常であるが、家の主には変わりがないのである――と。そのような所説は、よくよく倹(しら)べてみると、正と邪を区別せず、いずれを正、いずれを邪ともなさぬ。わたしが遊学したころにも、そのような様子がいろいろと見えていたが、近頃はいよいよ盛んであるらしい。三百五百といった人々を集め、それをずらりと見渡して、これが南方の宗のおもむきであるという。かの『六祖壇経』をとって恣(ほしい)ままに改変し、鄙(いや)しい物語をまぜ合わせ、仏祖の聖意をけずりなどして、後進の徒をまどわせている。それがどうして仏者の教えといえようか。悲しいかな、わが宗は亡びてしまったのだ。もしも見聞覚知をもって、それが仏性だというならば、かの維摩居士が――法は見聞覚知を離る。もし見聞覚知を行ずるも、そはただ見聞覚知であって、別に法を求むるにはあらず――といった言葉は成立しないではないか」(90~92頁)

〈注解〉直下;「じきげ」と読む。そのまま、ただちにの意。(93頁)

■大証国師は曹古仏の高弟である。人天の大知識である。この国師の教示のおもむきをよくよく理解して、仏道修行のかがみとするがよい。セーニヤ外道などの所説に従ってはならぬ。近代の大宋国のもろもろの禅院の主たる輩(やから)どもには、国師のような人物はない。昔から国師に肩をならべるほどの知識は一人もないのえある。それなのに、世人はあやまって、臨済・徳山は国師に比肩するであろうと思っている。そのような輩どもばかりが多い。名眼(げん)の人なきことが嘆かわしい。

いうところの仏祖の保ちきたれる即心是仏は、外道や小乗の徒の夢にも知らざるところである。ただ仏祖と仏祖のみ、即心是仏と正伝しきたり、聞きたり、行じきたり、証しきたって究め尽くすところである。

仏は百草である。それを摘みきたり、また捨て去る。だが、それが丈六の金身(こんじん)だというのではない。即は公案である。だが、その理解をもまたず、その失敗をも避けない。是(ぜ)は三界(がい)である。だが、そこを出ずるにもあらず、唯心というにもあらぬ。心(しん)は牆壁(しょうへき)である。だが、土を捏ねるにもあらず、形を造るでもない。ただ即心是仏と究明し、あるいは心即仏是と究めいたり、あるいは仏即是心と訪ねいたり、即心仏是と問いいたり、また是仏心即と参究するのである。

かくのごとく究め到るのが、まさしき即心是仏であって、そのことごとくを挙げ、それを即心是仏の句にこめて正伝するのであり、そのように正伝して今日にいたっておる。(94~95頁)

〈注解〉曹古仏;六祖慧能のこと。彼は広東省韶州府の双峯山下、曹候なる流れのほとりに曹叔良(そうしゅくりょう)なるものが建立した宝林寺に住し、そこにあって南宗禅を弘め、中国禅を大成した。よって六祖をまた曹候をもって呼ぶのである。また、古仏とは、道元がまことの師家を称するに好んで用いた最高の尊称である。(95頁)

     百仏草……;道元はそこに特色のある行文をもって、即・心・是・仏の四つの文字の説明を試ている。すなわち、仏を語るに百草をもってし、即を語るに公案をもってし、是を説くに三界をもってし、そして、心を説くに牆壁(しょうへき)をもってしている。それをさきのセーニヤ外道の霊知の独存をとく所説と比べてみるがよい。ここでは、物を離れ対象を離れて、仏もなく心もないのである。詮ずるところは、一切の法(存在)に即して一心があるのであり、一心に即して一切の法があるのである。かくて、この説示を背景として、やがて「いはゆる正伝しきたれる心といふは、一心一切法、一切法一心なり」と説かれる。そこにこの巻の圧巻の文字があるといってよろしい。(96頁)

■〔一心一切法、一切法一心〕

そこにいうところの正伝しきたれる心とは、一心一切法、一切法一心である。だから、古人はいっておる。

「もし人が心を識(し)りうれば、大地には寸土もない」

つまり、心のなんたるかを知りえた時には、この世を覆う天も落ち、大地もことごとく裂け破れる。あるいは、その時、大地はさらに厚さ三寸を増すといってもよい。また古徳はいう。

「妙浄明(みょう)心とはいったい何か。山(せん)河大地であり、日月星辰である」

それによっても、心とは、山(せん)河大地であり、日月星辰であると、明らかに知られる。だが、その表現は、一歩を進むれば不足があり、一歩を退けば余りがあろう。山河大地という心は、ただ山河大地なるのみである。別に波浪もなく、風煙もないのである。日月星辰であるという心は、ただ日月星辰なるのみである。さらに霧があるのでもなく、霞みがかかっているでもない。生死去(こ)来の心は、ただ生死去来のみであって、別に迷いもなく悟りもない。牆壁瓦礫(しょうへきがりゃく)の心はただ牆壁瓦礫であって、さらに泥もなければ水もない。四大・五蘊にして、ほかに意馬も心猿もあるわけではない。あるいは椅子払子(ほっす)の心は椅子払子のみであって、ほかに竹があり木があるわけではない。

かくのごとくである故に、即心是仏とは世の常情に染まぬ即心是仏であり、諸仏とは人の煩悩に汚れぬ諸仏である。詮ずるところ、即心是仏とは発心・修行・菩提・涅槃の諸仏にほかならない。いまだ発心・修行・菩提・涅槃せざるには、即心是仏ではない。たとい一微塵のなかに発心・修行しても、それが即心是仏である。たといただ一度でも発心・修行すれば、それも即心是仏である。あるいは、たとい片手ほどでも発心・修行すれば、それも即心是仏である。だからといって、長い長い間にわたって修行して仏となるのは即心是仏ではないなどというのは、いまだ即心是仏を見ざるものであり、知らざるものであり、学ばざるものである。即心是仏を説く正師にめぐり遇うことをえないのである。

いうところの諸仏とは、釈迦牟尼仏である。釈迦牟尼仏はまさに即心是仏である。過去と現在と未来の諸仏はすべて、その仏となりたまう時には、かならず釈迦牟尼仏となるのである。それが即心是仏である。(98~100頁)

〈注解〉一心一切法、一切法一心;ここに法というは存在である。物であり、対象である。それを離れて別に独存する一心が存するわけではない。それをかく表現するのである。(100頁)

     不染汙;「ふぜんま」と読む。「ふぜんな」ともいう。清浄の意。

刹那;「きわめて短い時間の単位。

     極微;分割しつくされた最小の物質をいう。(101頁)

洗浄

■開題

この「洗浄」の巻が、宇治県の興聖寺において衆のために説かれたのは、延応元年(1239)の冬10月23日のことであった。現存の『正法眼蔵』の巻々によって知られるかぎりでは、衆に示されたものの第5晩目にあたるようである。

この巻の説くところは、いうまでもないが、僧たちがその身心(しんじん)を清浄(しょうじょう)に保つこと、もっと具体的にいえば、なによりも大小便に関することである。。それを道元はここに、まことに事細かに整々として語っているのである。わたしはひそかに想像してみるのであるが、さきには「大いなる智慧」について語り、あるいは「この世界は一顆の明珠」であると説き、あるいはまた、「即心是仏」とはこのことにこそと示してきた若き道元が、いまここに「大小便を洗い、十指の爪をきる」ことを具(つぶ)さに説きいずるに接して、あるいは思いもかけぬ思いをなした僧たちもあったのではないかと思う。もしあったとしても、それは少しも不思議なことではあるまい。さらにいうなれば、今日にしてこの『正法眼蔵』の巻々に読みいたる人々もまた、「現成公案」の巻、「一顆明珠」の巻、あるいは「即心是仏」の巻等々と読み進んで、ついにこの「洗浄」の巻に読みいたった時、いったい、どのような思いをなすことであろうか。それもまた、かならずしも想像に難からぬところであろう。

もしも、この一巻に読みいたって、いささか意想外の思いをなす方々があるならば、わたしはまず、二つのことを指摘して、そこに深い思いをいたされんことを促したいと思うのである。

その一つは、この『正法眼蔵』のなかにもう一つ、「洗面」と題せられる巻が存することである。その巻は、いまの『正法眼蔵』では、寛元元年(1243)10月20日、越前吉田県の吉峯寺にあって衆に示された際の草稿をもって集録せられているが、その初稿は、延応元年10月23日、観音導利院興聖宝林寺にあって衆に示されたものと知られる。つまり、道元は、その日、この「洗浄」の巻、ならびに、かの「洗面」の巻を相ついで示されて、僧たちのためにつぶさに「浄身の法」を説かれたものと知られる。まず、そのことに思いをいたされたいのである。

その二つには、それらの巻々において道元の説くところは、詮ずるところ、かの「洗面」の巻のことばをもっていうなれば、「内外倶淨(ないげぐじょう)」にして仏法ははじめて現成するのだということであり、あるいは、この「洗浄」の巻に繰り返される一句をもっていうなれば、まず「仏法の身心(しんじん)」が成るのでなかったならば、仏道の現成というわけにはゆかないということである。それらのことばを、じっと味わってみていただきたいのである。

いったい、仏教とは、単なる抽象的な思惟のいとなみをもって了(おわ)るものでなく、それが現実の人間の生活のうえに具体的に実現されて、それではじめて成就するものなのである。道元がいう「仏法の身心(しんじん)」ということばは、そのような重い意味をになって語られているのである。そして、その故にこそ、ここに、またかしこに、威儀作法のことが事細かに説き示されているのであり、そのことの整々といとなまれることが、まさに得道にほかならないとするのである。そのことを道元は、ここに「身心に修行を威儀せしむる正当恁麼時、すなはち久遠の本行を具足円成せり」と語り、あるいは、もっと端的には、「作法これ宗旨(そうし)なり、得道これ作法なり」と語っている。そこに深い思いをいたしていただきたいと思うのである。(104~106頁)

■仏祖のまもり来った修行がある。いわゆる清浄がそれである。

南嶽山観音院の大慧(だいえ)禅師に、ある時、慧能が問うていった。

「振り返って、なお修行によらねばならぬことがあるだろうか」

大慧がいった。

「ないわけでもありません。汚(よご)れてはいけません」

六祖がいった。

「その汚(けが)れないということだけが、もろもろの仏の心したまうところである。なんじもそうだ。わたしもそうだ。あるいは、天竺の祖師がたもそうであった」

また、『大比丘三千威儀経』にいう。

「身を浄めるとは、大小便を洗い、十指の爪を剪(き)ることである」

そういうことで、清浄とは身心にわたることであるけれども、身を浄めるの法があり、また心を浄めるの法がある。いや、ただ身心を浄めるのみではなく、国土を浄めるのである。たとい国土に塵穢(じんえ)なくとも、それを浄からしめるのが諸仏の念じたまうところである。仏の境涯にいたっても、なお怠らざるところである。その意味するところは、容易に測りつくしがたい。作法とはそのことである。得道とは作法にほかならない。

『華厳経』淨行品(じょうぎょうぼん)にいわく、

「大便小便にあたっては、まさに願わくは衆生、よく汚穢(おえ)を除いて、婬・努(ぬ)・痴をなからしめよと。すでにして水に就(つ)かば、まさに願わくは衆生、無上道に向って、出世の法を得しめよと。水をこって穢(え)をすすがば、まさに願わくは衆生、淨忍(じょうにん)を身にそなえて、あくまでも無垢ならんことをと」

水はかならずしももと浄なるにあらず、また、もと不浄なるにもあらず。この身もかならずしももと浄なのではなく、またもと不浄なのでもない。もろもろの事どももまた同じである。水に情(こころ)があるわけでもなく、また情がないわけでもない。この身が有(う)情なわけでもなく、非常なわけでもない。よろずの事もまた同じである。それが仏世尊の説きたまうところである。そうであるから、水をもって身を浄めるわけではなく、ただ、仏法によって仏法を保つためにこのことがある。それを洗浄という。それを、仏祖がしたしくその身心をもって正伝するところであり、仏祖がじきじきにそのことばをもって見聞せしめるところであり、また、仏祖がその光明をもって明らかに示したまうところである。すべて無量無辺の功徳を実現したまうところであって、身心にその作法がぴたりと具わるその瞬間に、たちまちにして久遠の修行が完全に成るのであり、そのゆえに修行の身心が現ずるのである。(108~109頁)

〈注解〉婬・怒・痴;貧(とん)・瞋(じん)・痴の三毒の旧訳(くやく)である。(110頁)

礼拝得髄

■釈尊のおおせには、――最高の智慧を説く師にめぐり遇うには、その血統をたずねてはならぬ、その顔容(かたち)をみてはならぬ、その欠点をきらうてはならぬ、またその行為を案じてはならない。ただ智慧を尊重するのゆえをもって、日々に百千両の金(こがね)をたてまつるがよく、最上の食をもって供養するがよく、天より花をふらせて尊重するがよく、日々朝・昼・夕に礼拝し恭敬(くぎょう)して、いささかも憂悩の心をあらしめてはならない。そのようにすれば、智慧の道はかならず開けてくるものである。われもまた、発心よりこのかた、そのように修行して、いまは最高の智慧を得ることができたのである――とある。

されば、樹も石もわがために説き、田も里もわがために説かんことを願うがよい。円柱にも法を問うてみるがよく、牆壁(しょうへき)にも真理を聞いてみるがよい。むかし帝釈天は、野狐を師として礼拝し、法を問うたことがあるという。よって、大菩薩の称が伝わっているが、それはその手段の尊卑によるものではない。

それなのに、世のなかの仏法を知らざる愚か者たちは、われは大比丘であるから、年少の得法者を拝するわけにはゆかぬと思う。われは久しく修行してきたのだから、後進の得法者を拝するわけにはゆかぬといい、われは法務を司(つかさど)るものであるから、ほかの得法の僧を拝してはならぬといい、われは僧正の官にあるあるのだから、俗男俗女の得法者を拝してはならぬといい、われは三賢である十聖(じっしょう)であるから、たとい得法したからとて比丘尼などを拝するわけにゆかないといい、あるいはまた、われは皇族の血筋をひくものであるから、たとい得法者であっても臣下の僧を拝することはできないという。そのような愚か者たちは、いたずらに父の許(もと)を離れて他国に流浪し、ついに仏道を見ることはできないであろう。(141~142頁)

■またもし、かって淫の犯したことがあるとて嫌うのであるならば、すべての菩薩をも嫌わねばならない。もしまた、今後罪を犯すことがあろうとて嫌うのであるならば、すべて発心の修行者も嫌わねばならぬ。そのように嫌うならば、結局はすべてみな捨てねばならない。仏法はいったい、何により誰によって実現するのであるか。そんなことばは、まだ仏法をしらぬ痴人(ちにん)の狂言である。悲しいことである。

もしなんじの願のごとくならば、釈尊およびその在世のころの諸菩薩は、みな罪を犯したことになるのか。また、彼らはなんじよりも智慧を求める心が浅かったというのか。静かに考えてみるがよい。釈尊が教法の伝統を委ねた祖師ならびに当時の菩薩たちは、その願がなかったならば、仏法を学ぶことができなかったであろうか。そう考えてみるがよいのである。また、もしその願のごとくであったならば、女人を済度することができぬのみならず、得法の女人が現われて世の人々のために法を説いても、到って聞くことができないではないか。もし到って聞かなかったならば菩薩ではない。つまり外道である。

いまの大宋国をみると、ながらく修行を続けてきたらしい僧たちが、むなしく海の砂を数えて、いつまでも迷いの海に流浪しているものがある。また、女人ではあるけれども、善知識に参じて修行し、人天(にんでん)の導師たるにいたっているものがある。餅を売らずして捨てた老婆もある。男子の僧でありながら、空しく仏海のいさごを数えて、仏法はいまだ夢にも知らぬなどというのは、まったく可哀そうなことだ。

およそ、対象に対してはそれを明晰にすることを学ぶがよい。怖じて逃げることのみ学ぶのは、小乗の聖者たちの行き方である。東を捨てて西に隠れようとすれば、そこにもまた対象がないわけではない。たとい遁げおおせたと思っても、なお明晰にしないかぎりは、遠ざけたからとてなお対象はある。それはまだ解脱というものではない。遠ざけた対象には、かえって関心がいよいよ深いというものである。(166~167頁)

谿声山色(けいせいさんしょく)

■開題

この「谿声山色」の巻が制作され、そして衆に示されたのは、延応二年(1240)の夏安居が始まって五日目のことであった。むろん宇治県の興聖宝林寺においてのことである。巻末の奥書にいうところである。

ちなみに、この年の制作は七巻、そして、そのなかから、この「谿声山色」の巻をはじめとして四巻が衆に示されている。制作と示衆(じしゅ)とは、いまや、ようやく軌道に乗って動き始めたというところであろう。

さて、この巻題の「谿声山色」なる句の出ずるところは、この巻のなかにいうがごとく、かの蘇東坡(そとうば)が常総照覚禅師(じょうそうしょうがくぜんじ)に呈した詩の一句であるが、それによっていま道元がここに語らんとするところは、つまり仏教における悟りの成るその決定的瞬間の消息についてである。

思うに、その決定的瞬間は、けっして、ただ熱心に経疏(きょうしょ)を披見(ひけん)し、あるいはその言句を解釈することに専(もっぱ)らなる者を訪れるものではない。むしろ、よくその身心(しんじん)をととのえて、渓声に仏の説法を聞き、山色に清浄身(しょうじょうしん)を見ることのできるがごとき心境をととのえる。そのとき、かの決定的瞬間がその人を訪れる。それが、道元のこの一巻をもって説くところである。

思い起こせば、道元は、さきに、かの「現成公案」の巻において、

「自己をはこびて万法を修証(しゅしょう)するを迷とす、万法ししみて自己を修証するはさとりなり」

と語った。それは、悟りの消息が具象的にして受動的なる直観によってなるものなることを道破した千古の名言であるといってよろしい。しかるに、いまここに、道元は、その間の消息をさらに具体的に、仏祖先徳の踏みきたれる足跡をもって語ろうとするのである。

かくて、道元は、まず、さきにいう蘇東坡の詩をあげて、それに釈しそれを讃えたるのち、よく知られた二人の先徳の故事を物語る。その一人は香厳智閑(きょうげんしかん)禅師であって、竹にあたった石の音を聞いた瞬間に悟ったという。もう一人は、霊雲志勤禅師であって、時春にして梅花の咲きほこるをみて、ふっとその決定的瞬間を迎えることを得たという。

だが、そのような瞬間は、花を見、竹の音を聞く誰でもを訪れるものではない。いったい、谿(たに)の声を聞き、山の色をみる心境というものは、いかにして成るのであろうか。それがこの巻の後半に語るところである。

そこで道元が強調して語るところは、まず発菩提心のすすめである。最高の智慧を欣(よろこ)び求める心を発(おこ)すことである。ついで、名利を追究する心を離れることである。しかるに、今日では、仏教者にしてなおかつ名利に心を奪われるものが少なくない。そのことを歎き論ずるくだりには、まことに辛辣きわまることばが連ねられている。

「しかあるを、おろかなる人は、たとひ道心ありといへども、はやく本志をわすれて、あやまりて人天(にんでん)の供養をまちて、仏法の功徳いたれりとよろこぶ。国王大臣の帰依しきりなれば、わがみちの現成とおもへり。これは学道の一魔なり」

わたしは、その一節が忘れられない。では、わたしどもは、いかにしてその「学道の一魔」より遁(のが)れることを得るであろうか。そこで道元が力をこめて語ることは、ここでもまた「仏祖先徳の行履」を踏むということであった。

「およそ初心の情量は、仏道をはからふことあたはず。測量(しきりょう)すといへども、あたらざるなり。初心に測量せずといへども、究竟(くきょう)に究尽(ぐうじん)なきにあらず。徹地(てつち)の堂奥(おう)は初心の浅識にあらず。ただまさに先聖(しょう)の道をふまんことを行履すべし」

それもまた、わたしにとっては、銘記して忘れがたい一節である。(180~182頁)

■また、香厳智閑(きょうげんしかん)禅師が大潙大円禅師の門に学んだころのこと、大潙(だいい)がいった。

「なんじは聡明にして博学であるが、ひとつ、注釈のなかから憶(おぼ)えたものでなく、父母のまだ生まれぬ以前(さき)から得きった一句をわがために語ってみるがよい」

そこで香厳は、いくたびもそれを試みたが、どうしてもできなかった。彼は深くわが身を恨み、年来たくわえる書籍を披見(ひけん)してみたが、なお見当もつかない。かくて彼はついに年頃集めきたった書籍を焚(や)いていった。

「画に描いた餅は飢えをいやすに足りぬ。われは誓う。この生涯において仏法を理解することは望むまい。ただ行粥飯僧(ぎょうしゅくはんそう)となろう」

かくて、粥飯を行じて幾年も経った。行粥飯僧(ぎょうしゅくはんそう)とは、衆(しゅ)僧のために飯焚きをして奉仕する僧のことであった、わが国でいう台所方のようなものである。かくして彼は大潙にいった。

「わたしは身も心も昏(くら)く、なお、道(い)うことができません。願わくは和尚、わがために教えたまえ」

だが、大潙はいった。

「わたしは汝のために説くことを辞するものではない。しかし、そうしたならば、きっと汝はのちになってわたしを恨むこととなるであろう」

そのようにして年月を経るうち、やがて大証国師の跡を訪ね、武当山に入って、国師のいおりのあとに草庵をむすんで住んだ。そこには竹を植えて友としていたが、ある日のこと、路を掃いているとき、石が跳んで竹に当たり、かっと音を立てた。それを聞いたとき、彼は豁然として大悟(だいご)した。そこで、沐浴斎戒し、大潙山に向って焼香礼拝して、はるかに大潙に向っていった。

「大潙大和尚、かってあなたがわたしのために説いたならば、どうしてこのことがありえましょう。和尚の恩の深きことは、父母よりもすぐれております」

そして最後に、一偈を賦(ぶ)した。いわく。

「一撃所知(しょち)を亡(ぼう)ず

さらに自ら修治(しゅうち)せず

道容(どうよう)を古路(ころ)に揚(あ)ぐ、

悄然の機に堕せず

処々に蹤跡(しょうせき)なし

声色(しょうしき)のほかの威儀なり

諸法の達道の者

みな上々の機といわん」

その偈を大潙に呈した時、大潙はいった。「こやつ徹底しよったわい」と。(191~192頁)

〈注解〉一撃亡所知……;漢詩であるから、一応訓読しておいたが、さらに意訳を試ておく。

「あの音ひとつで知識はふっとんだ

もはやあれこれ思い煩うことはない

ありのままの姿で仏道をあゆみ

行ないすました者にはなり申さぬ

ただ自由自在にこそ振る舞いたい

言語文字のほかに当為はある

無礙自在の道に達する者こそ

まさに上々の機というべきなり」(192~193頁)

■また、霊雲志勤(しきん)禅師は、三十年このかた修行してきた人であるが、ある時、山に遊び、山麓に休息して、はるかに人里を眺めた。時春にして桃花の盛りなるを見て、忽然として悟った。そこで一詩を賦して、大潙に呈していった。

「三十年このかた知識を訪ねて

葉落ち芽を生ずることすでに幾回ぞ

ひとたび桃花を見てよりのちは

たちまち疑いを超えて今にいたる」

大潙は、「縁より入る者は、長く退失せず」といって、ただちに印可を与えたという。だが、誰か縁より入らぬ者があろうか。また入りてはまた退失する者があろうか。それはひとり志勤のことのみではないが、彼はやがて大潙の法を嗣いだ。もしも山色が清浄(しょうじょう)身でなかったならば、どうしてこのようなことがありえようか。(194頁)

〈注解〉三十年来尋剣客;剣客は善知識を意味する。(194頁)

■かくて知らねばならぬ。山色谿声によらずんば、拈華微笑の舞台も開かれず、二祖が得髄もありえないであろう。渓声山色の功徳によって、大地と人間が同時に成道するのであり、明星のきらめくを見て悟る仏たちもありうるのである。求法(ぐほう)の志の深かった先哲たちも、われらと同じ人間であった。その先例をいまの人はかならず参考とするがよい。今日でも、名利を離れて真実に仏法を学ばんとする者は、そのような志を立てるがよい。

しかるに、近来のわが国においては、ほんとうに仏法を求める人は稀である。ないわけではないが、その縁に遇いがたいのである。たまたま僧となって俗を離れたようでも、仏道をもって名利への手段とするもののみが多い。気の毒なことであり、口惜しいことである。この月日を惜しまず、むなしく暗闇のわざに偓促(あくせく)として、いつになったらこの俗世をはなれ、悟りを開く時があろうか。たといよき師に遇うても、本物を愛することはできまい。先師はそのような人を「かわいそうな者だ」といった。さきの世の悪因によってそうなのだからである。この世に生を受けても、法のために法を求める志がないから、本物をみても本物を疑い、正法(しょうぼう)に遇うても正法に嫌われるのである。この身心(しんじん)骨肉が、かって法によって生じたものでないから、法と相応しないのであり、法を受用することができないのである。その由は、仏祖よりこのかた師資相承(ししそうじょう)してすでに久しい。いまや菩提心は昔の夢を説くに等しいものとなった。かわいそうに、宝の山に生れながら、宝をしらず、宝を見ず、いわんや法の宝を得ることをやである。

もしも菩提心を発(おこ)しさえすれば、そののちなお六道(ろくどう)・四生(ししょう)を経(へ)めぐろうとも、その輪廻のえにしがすべて菩提のいとなみとなる。であるから、たといこれまでの年月はむなしく過しても、今生の間には急ぎ願を発(おこ)すがよい。その願のありようは、われも衆生もみなともに、今生よりこのかた生々(しょうじょう)を尽くして、正法を聞くことができますようにということ。また、聞くことを得たならば、正法を疑わず、不信の念を抱かじということ。まさに正法に遇うことを得たときには、世法を疑てて仏法をたもち、ついに大地有(う)情とともに成道することを得るようにということ。そのように発願(ほつがん)すれば、おのずから正しい発心(ほっしん)の条件がととのうのである。この心映えをおろそかにしてはならぬ。(199~200頁)

〈注解〉拈華;せそんが拈華微笑し、迦葉がそれに相応じて、その時両者の間に以心伝心のことが成ったという有名な故事をいう。

     得髄;二祖慧可が初祖達磨の骨髄を得てその法嗣(はつす)となった故事を指さす。(200頁)

■いったい、菩提心を行ずるには、その発心(ほつしん)や実践を世の人々に知られたいと思ってはならない。むしろ知られまいとするがよい。ましてや、みずから口に称(とな)えるようなことは不可である。いまの人は実をもとめることが稀であるから、身に行ずることもなく、心に悟るところもなくとも、ただ他人がほめたりすると、それが学解(がくげ)・実践の具足した人だと思う。迷いの中に迷いを重ねるとはそのことである。そのような間違った考えはすみやかに捨てるがよい。

仏法を学ぶにあたり、もっとも見聞しがたいのは正法の心術というものである。その心術は仏より仏へと相伝してきたもので、これを仏の光明といい、また仏心ともいい伝えておる。世尊在世の時から今日までには、名利をもとめることを学道の目的とするかに思われる人も少なくなかったが、それでもなお、正師(しょうし)の教えにめぐり遇うて、心を翻して正法を求むれば、おのずからに道を得ることができる。

いま仏道を学ぶ人々にも、またそのような病いがあることを知らねばならない。たとえば、初心にして学び始めたばかりの者でも、久しく修行して練りに練った者でも、なお伝授の時機を得ることがあり、得ぬこともある。また、古(いにしえ)を慕うてならう者もあれば、古人をそしって学ばぬ輩(やから)もあろうが、そのいずれをも愛してはならぬ、恨んでもならぬ。どうして憂えぬわけにゆこう、恨まぬわけにはまいらぬというか。それは、貧(とん)・瞋(じん)・痴を三毒と知っている者は稀なのだから、恨んではならないというのである。(202~203頁)

■大事なことは、初めて仏道を求めた時の志を忘れぬことである。けだし、初めて発心する時には、他人のために法をもとめず、名利をなげすてて到るのだから、名利を求めず、ただ一途に道を得んことを志すのであって、国王・大臣などの尊敬や供養を受けたいなどとは思ってもみないことであった。それなのに、いまもいうような事となるのは、もともと期するところではなく、求めるところではない。世人との面倒な関わりをもつことも期するところではないのである。

しかるに、愚かなる者は、たとい道心はあっても、たちまちもとの志を忘れ、あやまって世人の供養を待ち、それを仏法の功徳なりと喜ぶ。あるいは、国王・大臣の帰依を得れば、それでわが道は成れりと思う。それは仏道を学ぶ者にとっての魔障であると知らねばならなぬ。見るがよい、仏ののたまえる言葉にも、「如来の現在にもなお怨み嫉(ねた)みあり」とあるではないか。愚は賢を知らず、小人は大聖(だいしょう)を怨むというのはこのことである。

また、西の方インドの祖師がたは、しばしば外道や小乗の徒や国王などのために悩まされたことがある。それは外道たちがすぐれていたからでもなく、祖師がたに深い慮(おもんばか)りがなかったからではない。

初祖達磨はインドより渡来してのち嵩山(すうざん)にあったが、梁の武帝も魏の王も知らなかった。そのころ二匹の犬があった。菩提流支(るし)と光統律師(こうずりっし)である。虚名(こみょう)と邪利が正しき人によって妨げられることを恐れて、天日をくらまそうとするような振る舞いをしたのである。その悪業(ごう)は世尊在世のころの提婆達多にもすぎるものであった。だが、あわれむべし、彼らが深く愛する名利は、祖師が糞(くそ)よりも厭(いと)うところであった。

そのようなことは仏法の力量がまだいたらなかったからではない。よき人を吠える犬もあるということである。吠える犬を煩(わずら)うことはない。恨むこともない。それもまた導いてやらねばならぬと思うがよい。たとえば、「汝は畜生なりといえども、菩提心を発(おこ)すがよい」といってやるがよい。先哲は「人間の畜生」といったことがある。また帰依し供養する魔類もあろうというもの。だから経のことばにも、「国王・王子・大臣・宦官・婆羅門・居士に親近(しんごん)せざれ」とみえる。真に仏道を学ばんとする者の忘れてならぬ心得である。さすれば、初学の修行者の功徳も、進むにしたがって増すであろう。

また、昔から天神がきたって行者の志をためし、あるいは悪魔がきたって行者の修行を妨げるということもあった。それらはみな、名利の思いを離れない時に、そのような事が起こるのである。慈悲の思い深く、衆生済度の願い大なる時には、そんな障(さまた)げはないものである。また、修行の力によって自然に国土を得ることがあり、あるいは世運の栄えに似たようなこともある。そんな時には、さらにその人を吟味してみるがよい。目をつぶって眠っていてはならぬ。愚人はそのような栄えを喜ぶ。あたかも愚かな犬の骨をしゃぶるがごとくである。だが、賢聖(けんじょう)はこれを厭う。たとえば世人の糞穢(ふんえ)を厭うがごとくにである。(206~208頁)

〈注解〉菩提流支;北インドの人。、508年洛陽にいたって訳経のことに従事した。

     光統律師;慧忠、四分律宗の祖。彼は菩提流支と相謀って、達磨を亡きものにしようとしたという。道元がここにいうのはそのことである。(208頁)

■おおよそ初心のはからいは、仏道をはからうことはできない。測ってみてもけっして当たらないのである。だが、初心で測れないからとて、究極の境地をきわめえないわけではないのである。つきつめた境地の奥深いところは、初心の浅い知識では測れないだけのこと。ただ、すべからく仏祖先徳のあるいた道を踏もうと心掛けるがよい。その時、師を訪ね道を問えば、山に攀(よ)じ、海を渡ることもできるのである。導師を訪ね、教えを乞うには、まさに天より降下し、地より湧出(ゆしゅつ)するの趣きがあって然るべきである。かくして師に相見(まみ)える時には、あるいは人が物いい、あるいは自然が物いう。それを身体(からだ)で聞き、また心で聞く。

いったい、耳をもって聴くは日常茶飯のことであるが、眼をもって聞くことは、必ずしも誰にでもできることではない。仏を見るにしても、自仏を見るものがあり、他仏を見るものがあり、また、大仏を見、小仏をも見る。だが、大仏を見ても驚くことはなく、小仏を見てもあやしむことはない。その大仏・小仏を、いまかりに山色・谿声と考えてみるもよい。そこには広長舌(こうちょうぜつ)があり、八万偈があり、それを挙げて示せばはるかに俗を脱し、それを徹見すれば独り抜きんでるのである。それが俗言にいう「いといよ高く、いよいよ堅し」というところ。また先仏は、「天にみち地にみつ」ともいった。春松に操があり、秋菊に秀気がある。すべてよきかなである。

善知識がこの境地にいたった時には、まさにこの世の大師である。いまだその境地にいたらずして、みだりに人のために説くは世の大賊である。春松も見ずして、なにをもって説かんとするか。いかにして根源を裁断せんとするのであるか。(210~211頁)

〈注解〉何必不必;「なんぞ必ずしも必せんや」というほどの句である。

     自仏・他仏;自仏とは、自心に仏を見るのであり、他仏とは、他者に仏を見るのである。(211頁)

■またもし身心に懈怠(けたい)があり、不信の念が生ずるようなことがあったならば、まごころを専(もっぱ)らにして仏の前に懺悔(さんげするがよい。そうすれば、懺悔の功徳の力がわれを救い、清浄(しょうじょう)にしてくれるであろう。その功徳は自由自在に浄信を生み、精進を育てる力をもっているからである。一たび浄信が生ずれば、自他ひとしく一転して、その利益(りやく)はあまねく人間と自然の上に及ぶ。

その懺悔の大旨をいえば、――たといわが悪業(あくごう)が積もり重なって、修道の障(さまた)げとなりましょうしょうとも、もろもろの得道の仏祖に願わくは、われを愍(あわ)れんで業のわざわいを免れしめたまえ、学道のさわりをなからしめたまえ。その教えの功徳を限りなき法界にあまねからしめたまえ。その愍れみをわが上にも布(し)かせたまえ――と。思うに、仏祖もむかしはわれらにひとしく、われらも未来は仏祖となるであろう。いま仏祖を仰ぎみれば一箇の仏祖にまします。だが、その発心の時を思えばやはり一つの発心であったはずである。それは、あまねく愍れみをかけるに、結局のところ好都合というものであろう。

そこのところを龍牙(りゅうが)は、

「過去の生(しょう)においていまだ了得せずんば今すべからく了得するがよい。

この生において生々(しょうじょう)の身を度し終わるがよい。

古(いにしえ)の仏もいまだ悟らなかったならば今の人に同じ、

悟り了すれば今の人もすなわち古人である」

といっておる。静かにその道理を思い究めるがよい。それはわれらもまた仏となりうる保証である。

そのように懺悔すれば、かならず仏祖の冥々の助けがあるものである。心に思い、身にいとなみ、口にいいあらわして、仏に白(もう)すがよい。口にいいあらわすことの力が、罪悪の根元を溶かしてしまうのである。これも一種の正しい修行であり、正しい信心であり、正しい信身である。それを正しく修するときには、谿(たに)の声も谿の色も、山の色も山の声も、みな八万四千偈(げ)を惜しみはしない。自己がもし名利の身心(しんじん)を惜しまないならば、谿も山もまたそれらを惜しまないのである。たとい谿声山色が八万四千偈を実現しようと実現しまいと、あるいはそれが夜であってもなくても、谿山の谿山たることを挙げて示す力が具(そな)わらなければ、誰か谿の声を聞き、山の色を見ることを得るであろうか。(213~214頁)

〈注解〉龍牙;湖南の龍牙山にありし居遁(ことん、923寂、寿89)である。洞山良价の発嗣(ほっす)。(215頁)

諸悪莫作

■開題

この「諸悪莫作」の巻が、宇治県の興聖宝林寺において衆に示されたのは、延応庚子月夕との記されている。それは延応二年(1240)の秋もようやく酣(たけ)た八月十五日、つまり、中秋の名月の夕であったと知られる。きっと、その夜の月は殊さらにあざやかであったにちがいあるまいと思いしのばれる。

その冒頭には、まず、人のよく知るところの「七仏通戒偈」が挙げられている。この巻の題目とするところは、いうまでもなく、その偈の第一句によるものである。また、道元が、この一巻においていわんとするところも、当然、その偈のこころとするところに他ならない。

いうところの「七仏通戒偈」なるものが、過去七仏に通ずる仏教の大意の表現であることは、また人々の広く知るところである。いや、道元の口吻(こうふん)をかりていうなれば、それはまた「ただに七仏のみにあらず、まさしくこれもろもろの仏のおしえ」にほかならない。だからして、その偈の結句にも「是諸仏教(ぜしょぶっきょう)」とあるのだと知られる。

しかるに、いま道元がこの「七仏通戒偈」について釈するところに読みいたってみると、それはもはや人々のよく知るところとは遥かに遠いものであることに一驚するのである。つまり、道元がこの偈について語るところは、遠く平板の常識的所見をはるかに超えているのである。

かって、わたし自身もまた、この一巻に読みいたって間もなく、「あっ」とばかりに声をあげて、わが浅解浅慮を恥じ入ったことがある。そのことを、わたしはまず告白しておかなければならない。それは、開巻まもなくして、つぎのような一節に読みいたった時のことであった。

「この無上菩提を或従(わくじゅう)知識(あるいは知識に従い)してきき、或従経巻(あるいは経巻に従い)してきく。はじめは、諸悪莫作ときこゆるなり。諸悪莫作ときこえざるは、仏正法(ぼう)にあらず、真説なるべし。しるべし、諸悪莫作ときこゆる、これ仏正法なり」

そういわれてみると、なるほどそのとおりであろうと思う。いや、そうでなければならぬはずだと思う。それなのに、それまでのわたしは、露ほどもそうとは気がつくことができなかった。わたしは、ひそかに、わが浅解浅慮を恥じ入るとともに、また道元の思索のいかに深くしてかつ精緻なるかに、もう一度思いを新たにせざるをえなかったのである。

そして、その精にしてかつ深なる道元の思索は、むろんその一節にのみとどまるものではない。この全巻のいたるところに溢れていってよろしい。したがって、その精にしてかつ深なる思索をもってするその表現は、はなはだ微妙にして、時にはいささか晦渋のあとさえも感じせしめる。なかでも、莫作について語るくだり、ならびに、奉行について説くくだりは、なかなか難解であるといわねばならない。その思索と表現とが相俟(あいま)ってそうなのである。

だが、よくその晦渋と難解とを越えて、この一巻に味わいいたることができるならば、かの「七仏通戒偈」は、おそらく、まったく新しい面目をもって、わたしどもの前に再現するであろうことが期待せられる。(218~220頁)

■古仏いわく、「諸悪莫作、衆(しゅ)善奉行、自浄其(ご)意、是諸仏教」(もろもろの悪を作すことなく、もろもろの善を奉行して、みずからその意を浄む、これがもろもろの仏の教えなり)と。

これは七仏に通ずる教誡(きょうかい)として、前仏より後仏へと正伝し、後仏は前仏より相嗣ぎきたったものである。だが、それは、ひとり七仏のみならず、また、もろもろの仏の教えである。その道理をよく思い究めるがよい。いうところの七仏の教えは、かならずそれぞれの七仏のそれと同じである。相伝し相嗣(そうし)するがゆえにかくなるのである。だが、すでに「これもろもろの仏のおしえなり」とある。また百千万の仏たちの教(きょう)であり、行(ぎょう)であり、証なのである。

さて、ここにいうところの諸悪とは、善・悪・無記の三つの性(しょう)のなかの悪性(あくしょう)である。だが、その性にはなんの実体もない。善性・無記性もまた同じであって、また無漏(むろ)である、実相であるともいうが、この三性については、なおいろいろのことがある。

いまはまず諸悪についていえば、この世界の悪とかの世界の悪とはかならずしも同じではない。さきの時とあとの時でも違うことがある。また天上界の悪と人間界の悪も同じからず、いわんや仏道と世間とでは、悪といい、善といい、無記というも、はるかに異なるのである。つまり、善悪は時によるが、時が善悪なのではない。善悪は事によるが、事が善悪なのでもない。事がひとしければ、善がひとしく、事がひとしければ、悪がひとしいだけである。

しかるに、仏の最高の智慧を学ぼうとして、教えを聞き、修行を重ね、証(さとり)にいたることは、まことに深(じん)にして遠(おん)、かつ妙である。その最高の智慧を、あるいは善知識にしたがって聞き、あるいは経巻によって学ぶに、はじめはただ諸悪莫作、つまり、もろもろの悪を作(な)すことなかれとのみ聞こえるものである。そう聞こえないのは、仏の正法(しょうぼう)ではなく、魔説なのであろう。されば、諸悪莫作と聞こえるのが、それが仏の正法であると知るがよいのである。

その諸悪を作(な)すことなかれというのは、凡夫がみずから思いめぐらして、そのように思うのではない。仏の知慧の説かれるのを聞いていると、自然にそのように聞こえるのである。そのように聞こえるのが、最高の智慧をことばにいいあらわした表現である。すでに智慧の力にひかれて諸悪莫作と願い、諸悪莫作とおこなっているうちに、いつしか諸悪が作られないようになる。それが修行の力の表現というものである。その力の表現は、あらゆる処、あらゆる世界、あらゆる時、あらゆる事にわたって成るのであるが、その基本はいつも莫作である。

その時その人は、たとい諸悪をつくるべきところに住し、あるいは到り、あるいは諸悪をつくる条件の下におかれ、あるいは諸悪をつくる友に交わっているように見えても、けっして諸悪をつくることがないのである。莫作の力が現われるがゆえに、諸悪が諸悪とならないである。諸悪には一定の道具立てというものはない。自由自在なのである。まさにそこに到れば、悪が来って人を犯すのではない道理が解り、また人が悪を破るわけでもないことが解ってくる。(222~224頁)

〈注解〉無漏;漏(ろ)とは漏注(ろちゅう)の意。なにものかが人の感官などを通して沁み込んでくることをいう。特に煩悩を指していうことが多い。ただ、いまここでは、善悪のことを語って、それらはそのように外より漏れ注いでくるものではないとするのである。けだし、それらはなんの実体もないものであるからである。

     実相;諸法実相とて存在の真相をいうことばである。しかるに、仏教の説くところによれば、一切の存在は縁起すなわち関係性のものであって、なんら、固定的な実体あるものではないとする。いまその実相のことばをもって、善悪の真相を語ることもできるとするのである。(224頁)

■しかるに、もろもろの仏祖はいまだかって教をも行をも証をも汚すことがないのであるあるから、教・行・証はまたもろもろの仏祖をはばむことがない。そのゆえ、仏祖の修行においては、過去・現在・未来を通じて、後にも先にも、その教・行・証を避けて通る仏もなく祖もない。また、衆生が仏となり祖となる時には、これまでの仏祖が邪魔になるわけではないのであるから、いまの人もよく仏となり祖となりうる道理を、四六時中の行住坐臥のうちにもよくよく考えてみるがよい。衆生が仏となり、祖となる時には、衆生を破るのでもなく、奪うのでもなく、また失うわけでもない。ただ身心を脱落するのみである。

つまり、善悪の因果そのままに修行するのであって、なにも因果を動かすでもなく、なんぞ手段を講ずるでもない。かえって因果が時に及んでわれらを修行せしめるのである。かくして、その因果の真相が明らかとなってみると、それはただ莫作である、無生であり、無常である、また不眛であり、不落である。ただ身心脱落であるからである。

そのように学んでゆくと、諸悪は一にかかって莫作であったのかと解ってくる。その理解に助けられて、さらに諸悪は莫作だとの考えが徹底し、実践もまた定まる。まさにそこに到れば、初・中・終のことごとくが諸悪莫作となってくるのであるから、そこではもはや、諸悪はなんぞ条件があって生ずるというものではなく、ただ莫作であるだけである。もし諸悪がひとしければ、諸事もまたひとしい。しかるを、諸悪は条件があって生ずるものとのみ考えて、その条件はおのずから莫作であることに気がつかないのは、あわれむべき輩(やから)たちではある。

いったい、「仏種(ぶっしゅ)は縁より起こる」というから、また、縁は仏種より起こるのであろう。諸悪はないわけではない、ただ莫作である。諸悪があるわけでもない、ただ莫作である。諸悪は空でもない、ただ莫作である。諸悪は色(現象)でもない、ただ莫作である。諸悪は「作(な)すなかれ」でもない、ただ莫作である。たとうれば春松は、無でもなく有(う)でもない、人の造ったものではない。秋菊も有(う)でもなく無でもない、人の作(な)したものではない。諸仏も有にあらず無にあらず、ただ莫作である。露柱・燈籠・払子(ほっす)・拄杖(しゅじょう)なども、あるにあらず、なきにあらず、ただ莫作である。有にあらず無にあらず、ただ莫作である。自己もまたそのように学ぶのが、あきらめられたる公案であり、また公案をあきらめるというものである。主体の側から考究し、また客体の側から工夫するのである。

ではそのようであったのに、今までは、作られえないものを作っていたのかと後悔するのも、それはほかならぬ莫作の考える力というものである。しかるに、どうせ作られえない諸悪ならば、作ってもよいではないかと考えたりするのは、北にむいて南にゆこうとするに同じである。

詮ずるところ、諸悪莫作は、驢馬(ろば)が井戸をのぞけば、井戸が驢馬をみるというのみでなく、井戸が井戸をみ、驢馬が驢馬をみるのである。人が人を見るのであり、山が山を見るのである。その相対的関係をつき破った道理を説くところが諸悪莫作なのである。

「仏のまことの法身(ほっしん)は、なお虚空のごとし。物に応じて形を現ずること、水中の月のごとし」

という、物に応じての莫作であるから、さまざまの形を現ずる莫作であって、その無礙自在なることは、なお虚空のごとくであるが、また水中の月のごとく、疑いもなく水が月を宿しているのである。そこまでゆけば、もはや莫作のありようは疑いもなく明らかであろう。(228~230頁)

〈注解〉ここでは、莫作についての深い思索が展開せられる。「莫作」といえば「作(な)すなかれ」である。だが、それは仏の強要でもなく、わが身心を強いるものでもない。ただ、最高の智慧の説かれるところ、自然にそう聞えてくるのである。その莫作のふしぎなありようが諄々(じゅんじゅん)として説かれるのである。(230頁)

■さて、もろもろの善は、なにか条件があって生ずるというものでもなく、またなにか条件があって滅するというものでもない。

また、もろもろの善はもろもろの事ではあるけれども、もろもろの事がもろもろの善なのではない。条件と生滅ともろもろの善とは、それぞれ初めがあり終わりがある。

そのもろもろの善を奉行するというが、ここでもそれは、自にあらず他にあらず、また自他のしるところでもない。自他の知見といえば、知に自があり他があり、また見(けん)に自があり他があるのであるから、おのおのの開かれた眼が、ここにあり、またかしこにある。それが奉行である。だが、そのときの奉行は、たとい悟りが実現したとしても、その悟りはその時はじめて成るのでもなく、また、それがいつまでも続くものでもない。ましてやそれを根本の行ということはできまい。

善を作(な)すことは奉行であるからとて、人の測り知るところではない。いまの奉行は、たとい開かれたる眼があってのこととしても、測らうべきことではない。事を測ろうがために眼を開いたのではない。開かれたる眼の測度(しきど)は、余の事の測度(しきど)と同じであってはならない。

つまるところ、もろもろの善は、有(う)でも無でもない、空でも色でもない。ただ奉行である。その奉行にはかならず衆善の実現がある。その衆善の実現こそが仏者の課題であるが、だからとて、それもまた生滅のことではなく、なにかの条件によることでもない。奉行のはじめも、中ごろも、終りもまた同じである。すでに諸善のなかの一善が奉行せられるところには、一切世界の善がことごとく奉行せられる。(234~235頁)

〈注解〉ここでは、奉行について深い思索が展開せられる。奉行とは、教えを奉じて行ずることであるが、だが、ここでもまた、衆禅がそれを強要するのでもなく、自己が強いてこれを行ずるでもない。その奉行のふしぎなありようが、また懇々と説かれるのである。

     自にあらず、自にしられず、他にあらず、他にしられず;善を奉行するといえば、それを行ずる人と、行ぜられる善があるように思われる。その二者を自と他のことばで表現して、この句をなしているものと知られる。だが、その自も他も、努めているのでもなく、自覚しているのでもなく、おのずからにして衆善奉行はなるのだとするのである。(236頁)

■ただ、莫作と奉行とは、驢(ろ)いまだ去らざるに、馬(ば)すでにいたるというところである。(238頁)

〈注解〉驢事未去、馬事到来;「驢事(ろじ)いまだ去らず、馬事到来す」と読む。前者の事のいまだ終らないうちに、すでに後者の事がはじまっているというほどの意の句である。それを莫作と奉行とにあてていえば、莫作のことが完了してから、それから奉行のことが始まるのではないといっておるのである。(238頁)

■たとい諸悪が幾重にも全世界を覆い、一切を呑みつくしていようとも、それは莫作で解脱できる。衆善はもともと初・中・終の善の善であるから、それは奉行でその性(しょう)も相も体も力(りき)もそのまま実現される。居易はまだその境地を踏んだことがないから、三歳の童子もいいうるであろうなどといった。いうべきことをいう力がないのに、そういったのである。(244頁)

〈注解〉性・相・体・力;この四つの語は、仏教においてよく用いられる述語であるので、ならべて注しておきたい。性(しょう)は不易の義にして、変化することのない本質をいう。相は存在の相状であって、その本質のあらわれた姿である。また、体は本体というほどの義であって、力はその顕現した力用(はたらき)をいう。(247頁)

■童子のことばは汝に一任する。だが、童子に一任するというのではないぞということである。老翁の行じえないことも汝に一任する。だが、老翁に一任するというのではないぞというのである。仏法のことはすべて、そのように考え、そのように説き、そのように受領するのが道理というものである。(246頁)

有事(うじ)

■古仏はいった。

「ある時は高々たる峰頂(ほうちょう)に立ち、ある時は深々(しんしん)たる海底を行く。ある時は三面・八臂(はっぴ)、ある時は丈六(じょうろく)・八尺。ある時は拄杖(しゅじょう)・払子(ほっす)、ある時は露柱・燈籠。またある時は張三(ちょうさん)・李四、ある時は大地・虚空」

ここに「ある時」という。それはすでに時があるもの(有)であることを語っている。あるものはすべて時なのである。一丈六尺の金身の仏の時である。時であるがゆえに、時の装(よそお)いとしての光明がある。いまの十二時について学ぶがよい。三面八臂の仏も時である。時であるからして、いまの十二時と異なるところはなかろう。十二時の長さ短さはまだ量ってみなくても、やはり十二という。その去りかつ来ることが明らかであるから、誰もそれを疑わないのである。疑わないからとて、知っているわけではない。人はもともと、知らないことをただあれこれと疑ってみるだけで、それもいっこう定まるところがない。だから、以前の疑問がかならずしもいまの疑問と同じわけでもない。つまり、疑うこともまたしばらく時であるということである。

いったい、この世界は、自己をおしひろげて全世界となすのである。その全世界の人々(にんにん)物々(ぶつぶつ)をかりに時々(じじ)であると考えてみるがよい。すると、物と物とがたがいに相礙(あいさまた)げることがないように、時と時が相ぶつかることもない。だから、同じ時に別の発心があることもあれば、同じ発心が別の時にあるということもある。そして、修行や成道(じょうどう)についてもまた同じである。自己をおし並べて自己がそれを見るのであるから、自己もまた時だというのは、このような道理をいうのである。

そのような道理であるから、大地のいたるところに、さまざまの現象があり、いろいろの草木があるが、その現象の草木の一つ一つがそれぞれ全世界をもっていることを学ばねばならない。そのように思いめぐらしてみるのが、修行の第一歩である。そして、かの境地に到達してみると、そこにもまたさまざまの現象があり、いろいろ草木がある。そのなかには、わかる現象もわからぬ現象もあるし、また、わからぬ草木もわかる草木もある。だが、どこまでいっても、そのような時ばかりであるのだから、ある時はまたすべての時である。ある草木も、ある現象も、みな時である。そして、それぞれの時に、すべての存在、すべての世界がこめられているのである。ときには、いまの時にもれる存在や世界があるかないかと考えてみるのもよかろう。(254~255頁)

〈注解〉まず、薬山惟儼の(やくざんいげん)の句をあげて、それを手掛りとして、存在と時間の問題に語りいたる。すべての存在は時間であり、また、すべての時間は存在である。したがって、時をほかにして一本の草木も一つの現象も考えることはできない。かくて、「時々の時に尽有(う)尽界あるなり」であって、「有時」の重さを思うべきだとするのである。(255頁)

■それなのに、まだ仏法を学ばぬ凡夫のころには、たいてい、ある時ということばを聞けば、ある時には三面・八臂であったとか、ある時には一丈六尺、もしくは八尺であったといった工合に思う。それは、たとうれば、河を過ぎ、山を過ぎたというようなものである。たとい、その山河はあったとしても、いまはもうその山河を超えきたって、われはすでに玉殿朱楼のなかにあり、山河とわれとは天と地ほどの隔たりがあると思う。だがしかし、事の道理はけっしてただそれだけではないのである。

いまもいうとおり、山を登り、河を渡った時に、われがあったのである。そのわれには時があるのであろう。そのわれはすでにここに存する。とするならば、その時は去ることはできない。もしも時に去来(こらい)する作用がなかったならば、山を登った時のある時は「いま」であろう。もしも時が去来する作用を保っているとしても、なおわれにある時の「いま」がある。そえが有時というものである。かの山を登り河を渡った時は、この玉殿朱楼の時を呑み去り、また吐き出すのであろうか。

三面・八臂はきのうの時であった。丈六・八尺は今日の時であった。だが、その昨日のことも今日のことも、真一文字に山のなかに入りきたって、いま千峰万峰を見渡している。その時はすでに去ったわけではないのである。三面・八臂もわがある時として過ぎ去った。だが、それは彼方にあるようであるが、また「いま」なのである。丈六・八尺もまたわがある時として経過した、だが、それも彼方に過ぎ去ったようであるが、また「いま」なのである。

とするなれば、松も時であり、竹も時である。時は飛び去るとのみ心得てはならない。飛び去るのが時の性質とのみ学んではならない。もし時は飛び去るものとのみすれば、そこに隙間が出てくるであろう。「ある時」ということばの道理にまだめぐり遇えないのは、時はただ過ぎゆくものとのみ学んでいるからである。(257~258頁)

〈注解〉而今;いま。今というほどの意であろう。したがって、「有時の而今」といえば、ある時にしてしてしかも「いま」なる時というほどの意であった、いま道元がここに語りいでる時間論の最大の急処がそこにあるといってよいであろう。(259頁)

■これを要約していえば、あらゆる世界のあらゆる存在は、連続する時々(じじ)である。だが、それはまたある時であるから、またわがある時である。そのある時には経めぐる作用がある。いうところの今日から明日に経めぐる。今日から今日に経めぐる。昨日から今日に経めぐる。また、今日から今日に経めぐり、明日から明日に経めぐる。その経めぐることは時のはたらきであるから、古今の時が相重なることもなく、積もるわけでもなく、ただ、青原(せいげん)も時であり、黄檗も時であり、江西(こうぜい)も石頭(せきとう)も時である。自他それぞれがすでに時であるから、また修行も時、証得(しょうとく)も時であり、泥に入り水をわたって人々のために法を説くのも、また同じく時である。

いったい、いまの一般の人々の考え方とその由来するところは、凡夫の見るところではあるけれども、かならずしもすべて凡夫の法というもののみではない。時には法が凡夫のうえに作用していることもある。ただ凡夫は、その時にもこれが法であろうなどとは露思わないから、自分が丈六の金身(こんしん)の仏であろうなどとは思ってもみないのである。だが、われは丈六の金身などとは滅想もないと思うのも、またある時の一つであって、まさに、初心にしていまだ証(さと)らざる者も「看(み)よ、看よ」というところである。

たとえば、いまこの世の中で、時に配して午(うま)・未(ひつじ)などというのも、また物のありようをもって時の上り下りにあてている。子(ねずみ)も時であり、寅も時である。そして、衆生も時であり、仏もまた時である。衆生が仏となる時には、三面・八臂にして全世界を証(さと)り、あるいは、丈六の金身となって全世界を究め尽くすのである。そもそも、全世界をもって全世界を究め尽くすのが究尽(ぐうじん)ということであり、丈六の金身となって丈六の金身を証(あか)しするのが、発心・修行・正覚(しょうがく)・涅槃というものである。そこには存在があり、また時間がある。ただ、あらゆる時間をあらゆる存在として究め尽くすだけであって、もはや剰(あま)すところはない。剰すところがあっては、まだ存在についても時間についても、究め尽くしたとはいえないのである。さらに存在の道理にうちまかせてゆけば、その間違いに気がついた前後をもふくまて、それもまたある時のありようと知られる。事のありようの活撥撥地(かつぱつぱつち)としているのが、つまりある時なのである。それを有(う)だ無だと騒ぎ立てることはいらぬことである。

また、時はただ一向に過ぎゆくものとのみ考えて、そのいまだ到らざるを理解しないものがある。理解もまた時ではあるけれども、時を待てば理解が生まれてくるわけでもない。そこで、時はただ去来(こらい)するものとのみ心得て、ある時とは物のありよう事のありようだと見透(みとお)す人はない。それではとても悟りの難関を突破する時はありえない。

また、たとい存在のありように気がついても、誰がその所得を表現することができようか。たとい「これだ」というところを得てすでに久しくとも、なお、まだ、いかにしてその面目を現すべきかを模索している者ばかりである。だからといって、凡夫のいうある時に打ちまかせていえば、正覚も涅槃も、わずかに去来のすがたのある時のこととなってしまう。(261~262頁)

〈注解〉究尽;『法華経』巻一、方便品に、「唯仏与仏、乃能究尽、諸法実相」(ただ仏と仏、すなわち能く諸法の実相を究尽す)というよく知られた一句がある。それを踏まえて、諸法の実相を究尽するというのは、「全世界をもって全世界を究め尽くすことだ」といい、それが仏にほかならないと語るのである。(264頁)

■いったい、時は鳥あみ鳥かごをもって捕らえることはできない。ただある時が成るのみである。いま彼方にあり此方にあり天界の眷族(けんぞく)たちも、いまわが力を尽くすある時である。そのほか、もろもろの衆(しゅ)たちの存在も、わがいま力を尽くして顕現するある時である。あるいはまた、あの世この世にあるいろいろの類(たぐい)の者の存在も、すべてわが尽力(じんりき)の形成するある時であり、わが尽力の経めぐるところである。わが尽力の到りおよぶにあらずしては、一物一事も実現することなく、経めぐりきたることはないと学ぶがよい。

思うに、経めぐり来るといえば、風の吹き来り、雨の降り去るように思うであろうが、そんなふうに考えるべきではない。この世界はすべて、変転せぬものはなく、去来(こらい)せざるものはなく、みな経めぐり来るのである。そのありようは、たとえば春のようなものである。春にはいろいろの様相がある。それを経めぐるというのである。春のほかには何物もないのに、ただ春がめぐり来るというのである。たとえていえば、春の推移はかならず春を経きたるのである。春の移りゆきが春ではないが、それは春の推移であるから、経めぐり来って、いま春の時にあたって、春が実現するのである。つまびらかに思いいたり、思い去るがよい。その推移経過を語るにあたって、外界の対象はこれを外にして、別になにか経めぐるものがあり、それが幾世界を過ぎゆき、幾年月を経めぐり渡るように思うのは、なお仏道をまなぶに専一ならぬからである。(265~266頁)

袈裟功徳

■開題

では、「身をもって得る」というは、どういうことであるか。起きるにも寝るにも、顔を洗うにも、食事をするにも、そのほか行住坐臥のすべてにおいて、仏のさだめたまえる律儀のままにする。その時、その身の威儀をさきとして、心もまた随うて改まるのである。道元がしきりと「仏祖の行履に随ふべし」と語るのも、結局、同じ心であるといってよいであろう。

(2015年5月8日)

-『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

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