岡野岬石の資料蔵

岡野岬石の作品とテキスト等の情報ボックスとしてブログ形式で随時発信します。

『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

『明治 大正の詩』日本の詩 ほるぷ出版

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■沖の小島(国木田独歩)

沖の小島に雲雀があがる

雲雀すむなら畑がある

畑があるなら人がすむ

人がすむなら恋がある(24㌻)

■希望(土井晩翠)

・・・略

港入江の春告げて

流るる川に言葉あり、

燃ゆる焔に思想(おもひ)あり、

空行く雲に啓示(さとし)あり、

夜半の嵐に諫誡(いさめ)あり、

人の心に希望(のぞみ)あり。(26/27㌻)

■街頭初夏(木下杢太郎)

紺の背広の初燕

地をするように飛びゆけり。

まづはいよいよ夏の曲、

西(ざい)―東西の簾(みす)巻けば、

濃いお納戸の肩衣の、

花の「昇菊,昇之助」

義太夫節のびら札の

藍の匹田(しつた)もすずしげに

街は五月に入りにけり

赤の襟飾(ねくたい)、初燕

心も軽くまひ行けり。(150㌻)

■塩鮭(中勘助)

ああこよひわ我は富みたり

五勺の酒あり

塩鮭は皿のうへに高き薫りをあげ

湯気たつ麦飯はわが飢えをみたすにたる

思えば昔

家を棄て

世を棄て

人を棄て

親はらからを棄て

瞋恚(しんい)や

狂乱や

懐疑や

絶望や

骨を噛む心身の病苦に悩み

生死の境をさまよひつつ

慰むる者とてもなく息づきくらし

または薬買ふ場末の町の魚屋の店にならぶ

塩鮭のこのひときれにかつえしこともありしかな

見よや珊瑚の色美しく

脂にぬめるあま塩の鮭のきれは

われにその遠き昔をしのばせ

しぞろに箸をおきて涙ぐましむ(176、177㌻)

■負数(川路柳虹)

零(ゼロ)よ。おまえは何もないのか。

いや、いや、おまえは虚無の扉にすぎぬ。

おまえを一つおすと、そこから

冷たい道がひらける。マイナスよ、-1-2-3…

ああ限りもない富よ、失恋の歌反古(ほご)よ。

何にもならぬが、もしか、

「生活」を拒否して生きるとしたら、

おまへのやうな性質のものが

吾らの友とならう。(209㌻)

■鳥影(生田春月)

晴れた空のもと、

光る風の中を、

瞬間の鳥が過ぎる

ただ一列なして。

とらへたや、とらへたや、

あれはみなわがもの、

わが身の後光、

美しく失はれて……

身にひそむもの

身を編むもの、

あまりに早く放ち、

悔いてみる、鳥影。

とまれ、とまれ、鳥よ、

わたしの生の水晶を

切り出して生んだ鳥、

飛び去るな、今より。

わが裡(うち)なる谷窪、

晶石のうつろに

一体の光としづめ、

永遠の相(そう)を現じて。(256、257㌻)

■エレオノーレ(尾崎喜八)

椋鳥がどんなお饒舌(しゃべり)をするか、あんた知ってる?

寒い夜ぢゆう凍った地面へ立つたまゝ、

朝を待つ雪割草のくるしみをしってる?

それから、今、

三月の昼間の空へ出ている星があんたに見えて?

天ノ河の岸でWになってるカシオペイヤの星座が。

神様のおぼしめしが無くつては

一羽の小鳥だつて死にはしないわ。

だけど、今朝、あたし

市場で死んでる鳥を見つけたわ。

あんたはなんにも知らないのね。

それでもどこか善いところがあるわ。

あたしなんでも知っているの。

何かを知るといふ事は、

生まれる前から知ってる事を思い出すことなのよ。

大人は思慮が無くつて残酷なものね。

互いに憎み合つてる内にだんだん自分を磨り減らしてしまふんだわ。

ほら、そとで電線が鳴つてるでしよ。

ほそい、柔らかい、きれいな銅(あかがね)。

人間が電話で蔭口や悪口を云ひ合ふと、

美しい銅がなくわ……

ありがたう、エレオノーレ、

氷を溶かす春風のやうな

するどくて温かなお前の叡智(えいち)は

僕の心から人間の銹(さび)を落としてくれた。

ありがたう、悲しく賢いインドラの娘、

「復活祭」のエレオノーレ!(275、276,277㌻)

■雨(三野混沌)

むぎのくろはな

ひらけてとじない

そのまま雨にぬれた

暗闇にふる雨

しかたのない雨だから

ないもののように

ただいきるばかりだ

むぎのくろはなないように

ないもののようおれににて

雨にぬれ

ひばりよそうではないか(336,337㌻)

■夕暮れに(片山敏彦)

雨がやんで

ぬれた樹々は夕暮れの蒼ざめた光の中で

身ぶるひしている。

霧と灯とを持つ秋の夜の影は

それらの樹々を包まうとしている。

不思議な時間よ。

紙を照らす灯(ひ)の黄色さは

親しさを以つて私のこころを呼んでいる。

遠い者が近くなり

過ぎ去った日々の明るさが心によみがへる

静かな時よ。

私は君の中で自身を一つの中心と感じる。

はるかなところで生まれた波が

私をつらぬいて、はるかなところへ行こうとするのだ。

私は潮の先端に立っている。

私はどこへ行くのか?いつかは行くところへ――大きな海の中へ行くのだ。

私は消え去った日々を悲しんで見ている。

然し、決して亡びない日を

私は歓喜して見ている。(377,378㌻)

■新しい空間(片山敏彦)

ものの内部に沈み込んで

暗がりに黙ってすわって

君はあたりを見まはした。

君は自分の、いひがたい苦しみを畳んでつかんで

その手の平から新しい空間を投げた。

そこで、冬のあかつきの

ほのぼの白い光のやうに

ものが、君の前でひろがつた。

お父さんから、おぢいさんから、

いや、もつともつと前のお父さんから

君が最後に今、受ついだばかりの

古い親しい物たちのやうに

雑然と匂はしくならんで、

ものが君の前でひろがつた。

そこで、君が事物に与へた

その新しい空間が、

君をふかぶかと事物につなぐ。

さうしてそのつながりの血が

世界へ今生まれたばかりの光なのだ。(378,379,380㌻)

■一九三九年の詩(片山敏彦)

父よ ひとびとが大事(だいじ)と呼ぶものも

その殆んどが むなしい灰のやうに

あなたを隠して立ち迷ひ

或る晴れた夕ぐれに あなたの岸辺で

音もなく沈んで 跡かたが無い。

父よ ともすれば忘れがちな

遥かな日の空の奥に

名の無い喜びのなかに浮んでいた

ささやかな ほのかな薫りに似た

あのものを 心のすべてで今宵呼びます。

今はまだ無いものが、この夕暮れの

夢の思ひのなかに 確かに生きて

それが 心に充ちて息づくと

まだ知らないものの大きな横顔を

わたしは見ます。

不安な手で 習はしのやうに

握りつづけていたもの達を

わたしはそのとき手ばなすのです

弱っている蛍を放すときのように。

すると 心に新しく生まれ出た 呼吸するひろがりを

渡り鳥のやうに 充たしに来るものがある。

眠っていた遠い日の空の にはかに見ひらいた眼ざしや

麓の路の まがり角で あのときのわたしのために

歌ふ啓示だった 一本の明るい樫の木や

そして わたしが死に近づいていたときに

心を照らした白い花や

そして 明けがたに書いた手紙の中に

羽ばたいていた 自分の心のわななきや

そんなものらが 時の奥から渡つて来て

この心に 新しい巣をかけます。

すると 父よ、あの大きなものの遥かな横顔は

青い海です。歌っている 深い海です。

それで わが心の渡り鳥らは羽ばたいて

わたしの鈍い現実をかいくぐり

屈折する弧を描いて飛んで

あの海の きらめく波の穂を慕って行く……

おお 渡り鳥、あの波の穂の兄弟たち……(380,381,382,383㌻)

■詩の心(片山敏彦)

われわれ人間は神の眠りである――リルケ

どこから来てどこへ行くかを

知ることのできない人生の

短くて長く 長くて短い道程で

人間の詩の心は

或る一つの純粋さの重みを

不思議な預りものとして荷ひ

この重さを

めぐまれたことばによつて

美の炎の

軽さに変へる。

その炎の中から 新しい

不死鳥が飛び立つと

その鳥のつばさのそよぎが

永くこだまして

そのこだまから 星々の

円天井が生れ出る。(388,389㌻)

『明治 大正の詩』日本の詩 ほるぷ出版 2007年5月27日

-『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

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