■ 1925年第一回の渡欧でヨーロッパ近代絵画から大きな刺激を受け、1928年の第二回渡欧でユトリロやスーチンの作品に深い感銘を受けた国吉は、やがて第二期に向う新しい傾向を見せはじめた。1922年にパリに戻っていたパスキンとの再開、また彼の手引きによるヨーロッパの近代絵画やエコール・ド・パリの作家たちとの接触は、国吉にとって教えられるところが多かった。それは国吉自身の後年の回想によって明らかである。
「私はフランスの近代作家から、とくに彼らのメディアムに対する理解の鋭さに感銘を受けた。あちらではほとんどの作家が対象から直接に描いている。それは当時の私の方法とは異るものであった。私はそれまではほとんど想像と過去の記憶から描いていたので、その方法を変えるのに苦心した」と、国吉は述べている。この頃より彼の作品に写実性が加わり、好んで女をモチーフにして描くようになった。(みづえ1975年10月号26頁)
ヤスオ・クニヨシ 祖国喪失と望郷 村木明 2008年8月14日