『旅する巨人』 佐野眞一著 文春文庫
■「小さいときに美しい思い出をたくさんつくっておくことだ。それが生きる力になる。学校を出てどこかへ勤めるようになると、もうこんなに歩いたり遊んだりできなくなる。いそがしく働いてひといきいれるとき、ふっと、青い空や夕日のあって山が心にうかんでくると、それが元気を出させるもとになる」(57~58頁)
■いくつもの文章や歌が宮本の心をうったが、とりわけ慰めをおぼえたのは、松尾芭蕉の「奥の細道」とファーブルの「昆虫記」だった。
〈……遥かな生末をかかえて、斯かる病覚束なしといへど、羈旅(きりょ)辺土の行脚、捨身無常の観念、道路にしなば、是天の命なりと、気力聊(いささか)とり直し、路縦横に踏で、伊達の大木戸をこす……〉
旅に生き旅に死んだ芭蕉に、宮本は強い感動と憧れをもった。もし万が一、生を得ることができたなら、芭蕉のように生きてみたい。寝返りひととできない身体で、宮本は切実にそう思った。
1日百ページと決めて読んだ「昆虫記」で心うたれたのは、驚異に値する昆虫の世界ではなく、その昆虫をじっと観察するファーブルの老いた孤独な姿だった。(62頁)
■平山は民族調査の旅に同行したことがある。平山はそのつど、宮本の聞きとりのうまさにうならされた。
「田んぼのあぜ道を歩きながら、野良仕事をしている人に気安く声をかける。『ようできてますなあ。草はどれくらいいれましたか』と宮本さんがいうと、のらしごとをしていた人が手を休め『まあ、一服するか』とこっちへやってくる。
あとのやりとりは、蚕に糸を吐かせるように実にみごとなものでした。まったく無駄なく話がつづいていく。宮本さんは学校の先生をやりながら、学校休みには島に帰って百姓仕事を手伝っていた。それだけに、相手も宮本さんを、民俗学者でなく、同じ百姓仲間として扱ってくれた。あんな聞きとりのうまい人はあとにも先にもみたことがありません」(67~68頁)
2009年5月10日