岡野岬石の資料蔵

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『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

『メルロ=ポンティ・コレクション』 中山元編訳 ちくま学芸文庫

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『メルロ=ポンティ・コレクション』 中山元編訳 ちくま学芸文庫

■1906年9月、死を1ヶ月後に控えた67歳のセザンヌは、こう述べている。「頭の状態があまりにひどいので、私のか弱い理性では、耐えられないのではないかと心配だった時もあったほどです……。今は良くなっているようだし、私の研究も正しい方向に進んでいると思います。これほど模作し、長い間探求して来た目標に、果して到達できるでしょうか。私はいつも自然を研究してきましたが、私の歩みは遅々たるもののようです」。絵画はセザンヌの世界であり、存在の仕方であった。弟子ももたず、家族からの賛辞も受けず、審査員たちから激励されることもなく、孤独のうちに制作した。セザンヌは、母親が亡くなった日の午後にも絵を描いていた。1870年、憲兵たちが徴兵忌避者として捜索している間にも、エスタックで絵を描いていた。(240~241頁)(セザンヌの疑い)

■セザンヌは1852年の時点、すなわちエクス・アン・プロヴァンスのブルボン中学に入学したばかりの頃からその怒りと気鬱によって、友人たちを心配させていた。(241頁)(セザンヌの疑い)

■42歳の頃に、早死にすると思って、遺書を書いた。46歳の頃、半年間にわたって苦しく、耐えがたい恋愛の情熱に襲われたが、その結末については知られていないし、彼も決して語ろうとしなかった。51歳でエクスに引退。そして自分の天才にもっともふさわしい自然を見いだした。しかしそれは自分の幼年時代に、母親と妹への愛着に回帰することだった。母親が亡くなると、こんどは息子を頼りにするようになる。「おそろしいものだ、生きるということは」とよく言っていた。(242頁)(セザンヌの疑い)

■要するにセザンヌは、自然をモデルとする印象派の美学から離れずに、立ち戻ろうとしたというべきだろう。エミール・ベルナールはセザンヌに、古典派の画家たちのタブローでは、輪郭でオブジェをくまどりし、光を構成し、配分する必要があったことを指摘した。するとセザンヌは、「彼らはタブローを作ろうとしていた。私は自然の断片を作ろうとしている」と応じる。巨匠たちについて、「彼らは現実を想像力と、想像力に伴う抽象で置き換えようとする」が、自然とは「その前に膝をおるべきものなのだ」と指摘する。「すべては自然の方から訪れてくる。そしてわたしたちは自然によって生きているのだ。ほかのことはすべて忘れよう」と。彼は印象主義を「なにか博物館の芸術のように確固としたもの」にしたかったと宣言する。セザンヌの絵は、1つの矛盾だろう。感覚を捨てずに、自然の導きの糸をじかにえられた印象以外に求めず、輪郭を限らず、デッサンによって色に枠組みをつけようとせず、遠近法も、タブローも構成しようとせずに、現実を模索するのである。(247頁)(セザンヌの疑い)

■遠近法に関するセザンヌの模索は、その現術への忠実さによって、最近の心理学定式化しようとした事柄をあらわにしている。わたしたちの知覚の遠近法は、生きられた遠近法なのであって、幾何学的な遠近法でもないし、写真の遠近法でもない。知覚では、写真の遠近法と比較すると、近くの事物は小さく見え、遠くの事物は大きく見える。これは映画と比較して考えてみればよくわかる。同じ条件の現実の汽車と比較すると、映画の汽車ははるかに急速に近づき、大きくなる。円を斜めから見ると楕円に見えるということは、実際の知覚の代わりに、わたしたちが写真を撮影する装置だったら見えるような図式を採用することである。現実にはわたしたちは、楕円の周囲を振動する形を見るのであり、その形が楕円になることはないのである。(250頁)(セザンヌの疑い)

■精神はまなざしのうちに自らを見るし、自らを読み取る。しかし視線は色どられた総体にすぎないのである。他人の精神は、顔や身振りに受肉し、付着しない限り、わたしたちに示されることはない。ここで魂と身体、思考と視覚を対立させても意味がない。セザンヌはこうした対立する観念が生まれる原初的な経験、わたしたちにこうした観念を分離できないものとして与える原初的な経験にたち戻っているのである。まず思考し、次に表現しようとする画家には神秘というものがない――わたしたちがだれかを眺めるたびに、だれかが自然のうちに現れるたびによみがえる神秘が。バルザックは『あら皮』で、「降ったばかりの雪のようなテーブルクロスの上に、左右の釣り合いのとれた食器がそびえ、その上をブロンド色の小さなパンが飾る』と表現していた。セザンヌは、「青年時代を通じて、私はこれを、すなわち降ったばかりの雪のようなテーブルクロスを描きたいと思っていた……。しかし今では、左右の釣り合いのとれた食器がそびえているところや、ブロンド色の小さなパンしか描こうとしてはならないことがわかっている。もしも『飾る』を描いたら、私の絵は1巻の終りだ。おわかりかな。ほんとうに食器やパンの色調を自然のニュアンスのままに描きだし、バランスをとれば『飾る』も雪もすべてのふるえも、みんなそこに現れるだろう」と語っている。(254頁)(セザンヌの疑い)

■しかしこのようなまなざしでものを見ることができるのは、まさに人間だけなのでであり、構成された人間性の手前で、根の部分にまで視線が届くのである。動物は眺めるということができないこと、真理だけを求めて事物の中に入り込むことができないことは、あらゆる事実から明らかである。エミール・ベルナールは、実在を描く画家はサルだと言ったが、これは真実とは逆である。セザンヌは、芸術についての古典的な定義、すなわち芸術とは自然プラス人間であるという定義を述べることができたはずだ。(255~256頁)(セザンヌの疑い)

■画家の動作を動機づけるものは遠近法だけではないし、幾何学だけでもない。あるいは色彩の分解の法則でもないし、何らかの知識でもない。絵を少しづつ作り上げていくすべての動作には、たった1つしか動機(モチーフ)がない――全体としての風景であり、絶対的に充湓した風景である。セザンヌはまさにこれを「モチーフ」と呼んでいたのである。(256頁)(セザンヌの疑い)

■すべての部分的な光景をつなぎあわせ、目の移りやすさのために拡散しようとするこうけいをまとめ、「自然のばらばらな手を結び合せる」必要があったとギャスケは語っている。「世界の1分間が過ぎ去る。その実在において、これを描きだすことだ」。そして瞑想はある時点で一挙に完成する。セザンヌは、「私はモチーフをつかんだ」と言い、自然には帯を締める必要があるが、その場所が高すぎても、低すぎてもならないと説明していた。あるいは、なにも漏れない網にいれて、自然を生きたまま持ち帰らなければならないと。セザンヌはあらゆる方角から一挙に風景を絵に描こうとする。地質の骨格を描く木炭の最初の一筆に、色斑で陰影をつける。イメージは次第に飽和し、たがいに結びつけられ、形態を作り出し、バランスを取り、そして一挙に成熟にいたる。セザンヌは、「風景が私の中で考える。私は風景の意識なのだ」と語っていた。(256~257頁)(セザンヌの疑い)

■画家がいなければ、それぞれの人の分離された意識の生のうちに閉じ込められたままだったはずのもの、すなわち事物の揺籃である外見の震えを、画家は捉え、これをみえるものにするのである。(257~258頁)(セザンヌの疑い)

■人間がはじめての言葉を発した時のように、芸術家は作品を〈発する〉のである。そして作品が〈叫び〉以外のものとなるかどうか、作品が生まれた個別の生の流れから独立したものとなりうるかどうか、そして同じ生の未来において、あるいはこの生と共存するモナドにおいて、将来のモナドの開かれた共同体において、確認可能な1つの意味の独立した実存を提示することができるかどうかは、芸術家にもわからないのである。芸術家が語ろうとする意味は、どこにも存在しない。まだ意味になっていない事物においても、芸術家自身においても、その無定形な生においても存在していないのである。芸術家はすでに構成されている理聖から――「教養のある人々」はこの理性のうちに閉じこもっている――、本来の起源を含むはずの理性へと呼びかける。ベルナールがセザンヌを「人間の知性」の場に連れ戻そうとすると、セザンヌは「私は全能の父の知性に頼る」と答える。いかなる場合にもは、無限なる〈ロゴス〉の観念や企てに頼るのである。(260頁)(セザンヌの疑い)

■生涯が作品を説明しないのはたしかであるが、生涯と作品が互いに交流しあうのもたしかである。創作すべき作品が、その生涯を要求したと表現するのがただしいだろう。最初から、まだ未来にある作品を支えとしなければ、セザンヌの生活はバランスをみいだすことができなかった。生活は作品の〈企て〉であり、作品は予兆によって生活の中に自らを告知していた。(263頁)(セザンヌの疑い)

■哲学とは、問いを提起し、この問いに答えることで、欠けていた空白部分が少しずつ埋まっていくという性質のものではない。問いとは、人間の生と人間の歴史の内側に属するものであり、ここで生まれ、ここで死ぬ。問いに解答が見つかると、問いそのものが姿を変えてしまうことも多い。いずれにせよ、空虚な欠落部分に到達するのは、経験と知の1つの過去である。哲学は文脈を所与のものとして受け取ることはない。哲学は問いの起源と意味を探るために、答えの意味、問い掛ける者の身分を探るために、文脈に立ち戻る。そしてここから、すべての知識への問いを活気づけている〈問い掛け〉へと至るのである。〈問い掛け〉は、問いとは異なるものなのである。(70頁)(問い掛けと直観)

■哲学がすべての存在者から自己を解放することができるのは、懐疑の道によってではなく、「……とは何か」という問いによってである。これによって哲学は存在者をその意味に変えるからである。すでに科学が同じやり方をしていた。イエスとノーの間で逡巡してるにすぎない生活の問いに答えるために、科学はすでに受け入れていたカテゴリーを問い直し、新しい種類の「存在」、新しい本質の〈天空〉を作り出した。しかし科学は、この仕事を最後までやり遂げない。科学はこうした本質を世界から完全に分離させることはなく、事実の管轄のもとに置き続ける。そして事実は明日にでも、作り直すことを求めるかもしれないのである。(76頁)(問い掛けと直観)

■哲学とは、この意味の読解を極限にまで推し進める営みであり、厳密な学となるだろう。そして哲学だけが厳密な学である。自然とは何か、歴史とは何か、世界とは何か、存在とは何かを知ろうとする営みを最後まで進めるのは、哲学だけだからである。哲学では物理学の実験や計算を通じて、または歴史的な分析を通じて、これらのものと部分的および抽象的に接するだけではない。世界と存在のうちに生きながら、自分の生を十全に眺めようとする主体、世界に住みながら、世界における自己について思考し、自らのうちにおける世界について考え、その混乱した本質を解明し、最後に「存在」の意味を形成しようとする主体による全体的な接触が行われるのである。(77頁)(問い掛けと直観)

■すべてのイデア化は、それがイデア化であるということから、実在の空間の内部で、わたしという持続の保証のもとで発生する。そしてこのわたしという持続は、自らに立ち戻らなければ、一瞬前にわたしが考えていた観念すらふたたび見いだすことができず、この観念を他者において見いだすためには、他者に移行しなければならないのである。すべてのイデア化は、このわたしの持続と複数の他者の持続という〈ツリー〉によって支えられている。そしてこの樹木(ツリー)から染みだす知られざる樹液が、観念の透明性をはぐくむのである。観念の背後には、すべての現実的な観念と可能的な観念の同時性と統一性があり、ただ1つの「存在」のすみずみまで浸透している一貫性が存在している。本質と観念の堅固さの背後には、経験の織物、この時間の〈肉〉がある。そしてわたしが存在の堅い〈核〉の内部にまで入り込めたかどうかを疑問に感じるのはそのためである。(82~83頁)(問い掛けと直観)

■というのは、可視的で現前するものは、時間と空間の内部にあるのではなく、もちろんその外部にあるのでもない。この可視性に対抗することができるのは、その前にも、その後にも、その周囲にもないからである。しかしそれは単独ではなく、それですべてでもない。正確には、それはわたしの視線をふさぐ。時間と空間がその彼方にまで広がっていると同時に、その背後にあり、奥行きとして、隠れているということである。このように可視的なものはわたしを満たし、わたしを〈占める〉が、それが可能であるのは、見ているわたしが、無の背景の上にそれを見るのではなく、それ自体の場において見ているからである。それを見る者であるわたしそのものも〈見えるもの〉である。それぞれの色、それぞれの音、それぞれの手触りの肌理(きめ)、現在と世界の重さ、厚み、〈肉〉が生まれるのは、それを感受する者が、ある種の〈捲き込み〉や〈二重化〉によって、それらのもののうちから自分が生まれると感じるからであり、自分がそれらと必然的に同じ質でできていると感じるからである。それを感受する者は、自らに到来した感受的なものそのものと感じ、逆に感受的なものは、自分の〈肉〉を2重にし、延長したものと感じられるからである。事物の空間と時間、これらはそれを感受するものの断片であり、自らの空間化であり時間化である。【岡野注;ここの内容は、内と外を、フラクタルなマンデルブロー集合のパターン構造にあてはめると分かりやすい】(86頁)(問い掛けと直観)

■それでは、本質はどこにあるのか。実存はどこにあるのか。「このようにある存在」(Sosein)はどこに、「存在」(Sein)はどこにあるのか。わたしたちが目の前に見るのは、純粋な個体ではなく、分割できない存在の〈氷河〉でもない。場所も日付ももたない本質ではない。ましてや、こうした本質が別の場所に、わたしたちが把握できない場所に存在するのでもない。それは、わたしたちが経験であり、すなわち思考だからである。わたしたちは、自ら思考する空間、時間、「存在」そのものの重みを、自己の背後に感じている思考だからである。この思考は、そのまなざしのもとに、直線的な時間と空間や、系列の純粋な観念を所有する思考ではない。。積層、増殖、侵食、混沌といった性格をもつ時間と空間に囲まれている思考である。この時間と空間は、絶えず繰り返される受胎、絶えず繰り返される分娩、生殖性と一般性、なまの本質となまの実存であり、これが同じ存在論的な振動の腹部であり、結び目なのである。【岡野注;ここの内容は、内と外を、フラクタなマンデルブロー集合のパターン構造にあてはめると分かりやすい】(89頁)(問い掛けと直観)

■フッサール自身、本質直観という概念を獲得した後も、つねにこれを取り上げ、修正しているのは明らかだろう。それは本質直観を否定するためではなく、最初にまだ完全に言い尽くしていなかった事柄を語らせるためである。だから感覚の基底や観念の〈天空〉に、堅固さを探すのは、素朴(ナイーブ)なことと言えるだろう。堅固さとは、現れの上にでも、その下にでもなく、その結び目に存在する。(90頁)(問い掛けと直観)

■心理学、文化人類学、社会学が何かを教えてくれたのは、病的な経験や古代的な経験、要するに〈他なる経験〉をわたしたちの経験に接触させることによって、言い換えれば、わたしたちの経験と〈他なる経験〉が互いに照らし出し、相互貫入を組織し、最後に形相的な変様を実行することによってであるのは明らかである。フッサールの唯一の過ちは、この形相的な変様とは、科学という名前で呼ばれる「共通の意見」の支えであり、場そのものであるにもかかわらずこれを最初は哲学者の孤独なまなざしと想像力だけのものと考えたことにある。少なくともこの道筋においては、客観性に到達することができるのは、「即自」とかいうものに入り込むことによってではなく、外的な所与とこの外的な所与についてわたしたちがわたしたちが獲得している内的な複製を互いにあばきだし、互いに吟味することによってであるのはたしかだ。そしてこれが可能なのは、人間は感じる者であると同時に感じられる者であり、人間性と生の原型であると同時に、その変様であるから、すなはち人間は生と人間存在と「存在」そのものに内在する者であると同時に、これらのものが人間において内在するものだからである。(91頁)(問い掛けと直観)

■事実と本質はいずれも抽象されたものだ。実際にあるもの、それはさまざまな世界、1つの世界と1つの「存在」であり、事実の合計でも、理念の体系でもない。無=意味とか、実在論的な空虚というものは、不可能だということだ。それは空間と時間が、個々の場所と時間の総計ではなく、こうした個々の場所や時間の背後に、他のすべての場所や時間が現存し、あるいは潜在的に存在しているということ、そしてわたしたちはそれが何であるか知らないが、少なくとも原理的にはそれが規定可能なものであることを知っているということである。この世界、この「存在」は、分割できない事実性であり、理念性である。これは世界が含む個体と同じ意味で「1つ」であるのではなく、ましてや「2つ」であるのでも、「多数」であるのでもないが、なんら神秘的なものでもない。わたしたちがこれについて何を語ろうとも、わたしたちの生、わたしたちの科学、わたしたちの哲学が棲みついているのは、この世界なのである。(92頁)(問い掛けと直観)

■事実についても本質についても重要なのは、問題としている存在を外部から眺めるのではなく、その内側に身を置くことであり、結局は同じことだが、その存在をわたしたちの生の織り目のうちに置き直し、その〈開け〉に内側から立ち会うことである。これはわたしの身体の〈開け〉に似たものであり、存在を自らに開き、わたしたちを存在に開くものである。本質にかかわりながら、話すことと思考することの〈開け〉なのである。見えるものの1つであるわたしの身体は、同時に自らを見るものであり、これによって、自らの内部を見えるものに開きながら、自らを自然の〈光〉とする。そしてわたしの身体はわたしの〈見え〉となり、いわゆる「存在」から「意識」への奇跡的な昇格、わたしたちの用語では「内側」と「外側」の分離が可能となるのである。(93頁)(問い掛けと直観)

■懐疑の否定主義と同じように、本質の肯定主義は、あからさまに主張していることとは逆のことをこっそりと語っているのである。絶対に確かな存在に到達しようとする本質の賭けは、自己が何ものでもないという偽りの主張を隠している。【岡野注;私は自己は何ものでもないという主張は偽りではではないと思う】(98頁)(問い掛けと直観)

■こうした情報によってわたしたちは、ある空間の背後にはまた別の空間があり、ある時間の後には別の時間があるというわけのわからぬ法則を示されるのだが、わたしたちの事実の問いが目指しているのは、この法則そのものなのである。この法則の究極の動機とでもいうものを調べることができるとすれば、わたしたちはどこにいるのか、いま何時かという問いの背後に、問い掛けるべき存在者としての空間と時間についての秘められた知を発見することになるだろう。これは、「存在」への究極の関係としての問い、存在論的な〈器官〉としての問いについての秘められた知である。事実と同様に、本質の必然性も、哲学が求める「答え」ではないだろう。哲学が求める「答え」は、「事実」よりも高い場所にあり、野生の「存在」の「本質」よりも低い場所にある。この野生の「存在」においては、事実と本質がまだ未分化である。わたしたちの文化が獲得した分割線の下あるいは背後において、事実と本質は未分化であり続けるのである。(99~100頁)(問い掛けと直観)

■また、現在のそれぞれの一瞬が、わたしのうちに自らを刻印しながら、その〈肉〉を失うのとすると、そして現在の一瞬は純粋な記憶と変化し、不可視なものになるのだとすると、たしかに過去は存在するだろうが、過去との合致は存在しない。わたしと過去の間には、わたしの現在の厚みがあり、これがわたしと過去を隔てている。過去がわたしのものとなるためには、どうにかしてこの厚みに過去の場所を見つけ、そこで新たな現在となるしかない。事物と事物についての意識が同時に存在することはありえないし、過去と過去についての意識が同時に存在することもありえない。(9101~102頁)(問い掛けと直観)

■言語もまた生きている状態、生まれつつある状態において、その参照するすべてのものとともに捉えればよいのである――言語の背後にあるもの、言語をそれが解釈する無言の事実に結びつけるもの、言語が自分の前に送り出すもの、語られた事物の世界を作りだすもの、その運動、その微細さ顚倒、その生とともに、裸の事物の生を表現し、これを幾重にもするものとともに。言語は1つの生である。人間の生であるとともに、事物の生である。言語が生を奪い、それを自らのために保存するのではない。語られた事物しかなかったならば、言語は何を語る必要があるのだろうか。言語が自己についてしか語らないかのように、言語の世界を閉じてしまうのは、意味論的な哲学の誤謬である。(108頁)(問い掛けと直観)

■純粋な本質というものを、世界に位置を占めないものが眺めるように、すなわち無の根底から眺めようとすることも、事物が存在するその場所と時間において、その実在する事物と解け合おうとすることも、事物そのものに対する同じ関係を表現しているのである。前者の無限の距離と後者の絶対的な近さは、朝刊と融合という2つの仕方で、同じ関係を表現するのである、どちらも実定的な見かたである。これは自分の位置を、本質の固有の秩序である発語の水準に撰ぶか、物の沈黙のうちに撰ぶかのちがいであり、すなわち言葉を絶対的に信用するか、逆に言葉を絶対に信用しないかであり、いずれも言葉の問題に無知であることを示すものであり、いかなる媒介も知らないことを意味する。(問い掛けと直観)(90頁)

■わたしたちのかだいは、その沈黙のうちにこれを忘却することや、わたしたちの饒舌のうちにこれを閉じ込めることではない。哲学とは、沈黙と言葉を互いに転換することだから。「この……まだ沈黙している経験を、その固有の意味において、純粋な表現にもたらすことが重要だ」。(問い掛けと直観)(90頁)

■自然哲学とは、精神、歴史、人間を純粋な否定性として考えることを、自らに認めるという態度である。逆にいうと、自然哲学に立ち戻ると、こうした主要な問題を回避するように見えるとしても、それは見掛けだけのことである。わたしたちは自然哲学において、これらの問題を非唯物論的でない解決策を見いだそうとする。すべての自然主義は別として、自然について口をとざすすべての存在論は、身体を欠いたもののうちに閉じこもることであり、まさにこの理由から、人間、精神、歴史について、幻想的なイメージを与えるものである。自然の問題を強調するのは、自然の問題はそれだけでは存在論的な問題を解決できないと確信すると同時に、自然の問題がこの解決策の2次的な要素でも、従属的な要素でもないと確信するからである。(168~169頁)(自然の概念)

■じつのところ、この問題に少しでも取り組み始めると、主体、精神、歴史、さらにすべての哲学がまきこまれる謎に直面することになる。というのは、自然とはたんなる対象ではなく、認識のうちで意識という相手と対面する存在ではないからである。自然という対象は、人間がたち現れた場であり、人間が生まれるための条件が少しずつ形成され、やがてある瞬間にこれが1つの実存として結ばれた場であり、人間を支え続け、人間に素材を与え続けてきたものである。誕生という個人的な事実にせよ、制度と社会の誕生にせよ、人間と存在との根源的な関係は、対自と即自の関係ではない。これは、知覚するすべての人間のうちで維持されている関係である。(170~171頁)(自然の概念)

■自然とはつねにわたしたちに先立って存在していたものであり、しかもわたしたちのまなざしにおいてつねに新しいものとして登場する。自然においては、現在のうちに存在する太古のものが示され、現前する太古のもののうちに新しいものが呼び出されるのであり、これが反省的な思考をとまどわせる。この思考の前では、それぞれの空間の断片は自立的なものとして存在する。これらが共存するのは、この思考のまなざしのもとで、このまなざしを通じてだけである。世界のそれぞれの瞬間は、それが現在であるのをやめると、存在するのをやめてしまう。そして反省的な思考によってのみ、瞬間は過ぎ去った存在のうちで支えられるのである。(171頁)(自然の概念)

■人間という複合的なものの生を、それにふさわしく理解するのは、やはり生である。しかし純粋な知性には、事実として存在する世界を認識するための根拠が欠けているとしたらその純粋な知性に、存在するものと真なるものの定義をまかせておくことはできるのだろうか。また、たとえば空間を定義するのに、わたしたちに実体として結びついている身体の空間の定義を考慮にいれるとすれば、空間を〈延長するもの〉と呼ぶ知性の定義を維持できるのだろうか。(177頁)(自然の概念)

■出来事としての自然、あるいは出来事の総体としての自然は、対象としての自然、対象の総体としての自然とは異なるものである。(177頁)(自然の概念)

■客観的な存在を構成する哲学者も1人の人間であり、身体を持つ者であり、この身体は自然の中にあるものである。そのために哲学そのものも、その時間とその場所において、「実在的なものの宇宙」に位置を占めるのである。(187~188頁)(自然の概念)

■他者の身体もまた、別の「わたしは考える」なしでは不可能であることを考えると、この知覚は同時に、他なる〈わたしは考える〉を担う身体についての知覚でもある。その瞬間からわたしは、独我論のあの〈比較するもののない怪物〉などではなくなる。わたしはわたしを見る。わたしはわたしの経験から、わたしの身体だけに結びついているものを差し引く。わたしの目の前にある事物は、本当の意味ですべての人々にとっての事物である。(190頁)(自然の概念)

■フッサールは地球を、前客観性の空間性と時間性のすみかであり、まだ解放された観察者になっていない〈肉的な〉主体の祖国であり、歴史生であるもの、真理の土壌であり、知と文化の種子を未来へと運ぶ方舟(アルケー)として描くことを試みる。真理が明らかになり、「客観的なもの」となる前は、複数の〈肉的な〉主体のひそかな秩序に住みついているのである。デカルト的な自然の源泉と深みにおいて、別の自然が存在している。これは「根源的な現前」の領域であり、これが1つの〈肉的な〉主体の全体的な反応を呼び求めるという事実によって、原則として他のすべての主体にも現前しているのである。(191頁)(自然の概念)

(2011年2月28日)

-『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

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