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『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

『尼僧の告白(テーリーガーター)』中村 元訳 岩波文庫

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『尼僧の告白(テーリーガーター)』中村 元訳 岩波文庫

■ あらゆる生きとし生ける者どもの最上者よ。雄々しき人よ。ブッダよ。わたしと他の多くの人人を、苦しみから解き放つあなたに、敬礼します。

□ わたしは、あらゆる苦しみをあまねく知って断ち、〔その苦しみの〕原因である妄執を涸らしつくして、8つの実践法よりなる尊い道(八正道)〔を修め〕、妄執の止滅を体得しました。

□ 前世において、わたしは、母子や父兄や祖母として生まれました。わたしは〔事物の真相を〕ありのままに知ることなく、〔さとりの境地を〕見出さないで、輪廻しました。

□〔しかるに〕、わたしは、かの尊き師にお目にかかりました。これは、〔わたしの〕最後の身であります。わたしは、生まれを繰り返す輪廻を滅ぼし尽くしました。いまは、もはや再び迷いの生存をつづけることはありません。

□ 努力を起し、専念して、つねにしっかりと精励し、和合している〔ブッダの〕弟子たちを見よ。この〔ありさま〕こそ、もろもろのブッダを敬礼していることなのです。

□ 実に、多くの人々のために、マーヤー夫人は、ゴータマ〔・ブッダ〕を生んだ。〔マーヤー夫人は〕病と死とにとりつかれた人々のために、幾多の苦しみを取り除いたのです。

マハーパジャーパティー(注)・ゴータミー尼(37~38頁)

(注)マハーパジャーパティーは、最初の尼僧である。釈尊の叔母で義母であるマハーパジャーパティーが出家して教団に入ることを希望したときに、釈尊は躊躇したが、かれの斡旋(あっせん)によって初めて許可され、そこで、ビクニーの教団が成立する基となった。マハーパジャーパティーは多くの漢訳仏典に釈尊の「姨母(いぼ)」であり、釈尊を養育したとなっている。「姨母」というのは母と同腹の叔母である。さらにマーヤーとマハーパジャーパティーとは、浄飯王の王妃であった。釈尊は、浄飯王とマーヤー夫人との間の子であった。そうしてマハーパジャーパティー夫人は釈尊にとっては「継母」「義母」にあたる。ただ当時「義母」「継母」という観念があったかどうか解らない。また当時浄飯王が右の姉妹二人を同時に妻としていたかもしれないから、そうだとすると「継母」とは少しく異る。ともかく伝説によると、かの女はマーヤー夫人の妹で、ブッダを養育した義母であり、ナンダ長老の実母であった。のちにはアーナンダ長老のとりなしで、教団における最初の尼僧となった。(106~107頁)

■「世の人々のことについて、聖者〔ブッダ〕は、良き友と交わることをほめたたえられました。善き友だちに親しむならば、愚者でも、賢者となるでありましょう。

□ 立派な善人たちに親しむべきである。そのような〔立派な〕人たちに親しむ人々の智慧は、増大します。立派な人たちに親しむならば、かれは、あらゆる苦しみから脱れるでありましょう。

□ ひとは、四つの尊い真理、すなわち――苦しみと、苦しみの生起と、〔苦しみの〕終滅と、そして八つの実践法よりなる道(八正道)とを識知すべきである。

□『婦女の身であることは、苦しみである』と、丈夫をも御する御者(ブッダ)はお説きになりました。(他の婦人と)夫をともにすることもまた、苦しみである。また、ひとたび、子を産んだ人々も〔そのとおりで〕あります。

□ か弱い身で、みずから首をはねた者もあり、毒を仰いだ者もいます。死児が胎内にあれば両者(母子)ともに滅びます。

□ わたし(注)は、分娩の時が近づいたので、歩いて行く途中で、わたしの夫が路上に死んでいるのを見つけました。わたしは、子どもを産んだので、わが家に達することができませんた。

□ 貧者なる女(わたし)にとっては二人の子どもは死に、夫もまた路上に死に、母も父も兄弟も同じ火葬の薪で焼かれました。

□ 一族が滅びた憐れな女よ。そなたは限り無い苦しみを受けた。さらに、幾千〔の苦しみの〕生涯にわたって、そなたは涙を流した。

□ さらにまた、わたしは、それを墓場のなかで見ました。――子どもの肉が食われているのを。わたしは、一族が滅び、夫が死んで、世のあらゆる人々には嘲笑されながら、不死〔の道〕を体得しました。

□ わたしは、八つの実践法よりなる尊い道、不死に至る〔道〕を実修しました。わたしは、安らぎを現にさとって、真理の鏡を見ました。

□ すでに、わたしは、〔煩悩の〕矢を折り、重い荷をおろし、なすべきことをなしおえました」と、キサー・ゴータミー長老尼は、心がすっかり解脱して、この詩句を唱えた。

キサー・ゴータミ尼(49~50頁)

(注)キサー・ゴータミ尼の告白は人生の悲惨をものがたっている。彼女は、サーヴァッティー市(舎衛城)の貧しい家に生れ、やせていたから、キサー(やせた)・ゴータミーと言われていた。嫁して男子を産んだが、死なれ、その亡骸を抱いて「わたしの子に薬をください」といって町中を歩き廻った。これをあわれんだブッダは「いまだかつて死人を出したことのない家から、芥子の粒をもらって来なさい」と教えた。しかし彼女はこれを得ることができなかった。彼女は、ハッと人生の無常に気付いて出家した。尼僧のうちでは、尼僧のうちでは、粗衣第一といわれた。以上のことは一般の人々の経験する〈死〉についての反省であるにとどまるが、その告白は痛烈である。(108頁)

■ わたしたち、母と娘の両人は、同一の夫を共にしていました。そのわたしに、未だかつてない、身の毛もよだつ、ぞっとする思いが起りました。――

□ 厭わしいかな! 愛欲は不浄で、悪臭を放ち、苦難が多い。――われら、母と娘とが同じ夫を共にするとは!

□ もろもろの欲望には患(わずら)いのあることを見て、また世を捨てて出離することがしっかりとした安穏であると見て、わたしは王舎城において出家して、家に在る生活から出て、家無き生活に入りました。

□ わたしは、前世のありさまを知り、すぐれた眼(天眼)を浄めました。他人の心の中を見通す知慧が起り、聴力が浄められました。

□ わたしは神通力を現に体得し、わたしは煩悩の消滅に達しました。わたしは、六つの神通を現に体得しました。ブッダの教え(の実行)がなしとげられました。

□ わたしは、神通力によって四頭立ての馬車をつくり出し、〈栄光あるこの世の主・ブッダ〉の両足に〔頭をつけて〕敬礼して〔一方に立ちました。〕

□〔悪魔は言った、――〕「頂きに花が咲き満ちている樹に近づいて、あなたは独りで、樹の根もとに立っておられる。そうして、あなたには、伴侶(とも)がだれもいない。若い女よ。そなたは、悪者どもを恐れないのか?」

□〔ウッパラヴァンナー尼いわく、――〕「たといこのような悪者が百・千人(十万人)も集まって来ようとも、わたしに何をしようとするのですか?

□ このわたしは、姿をかくすこともできます。あるいは、そなたの腹のなかに入ることもできます。また、わたしは〔そなたの〕眉と眉の間に立つこともできます。そなたは、わたしが立っているのを、見ることはできないでしょう。

□ けだし、わたしは心を克服しました。超自然力をよく修めました。わたしは六つの神通を現に体得しました。ブッダの教え〔の実行〕をなしとげました。

□ もろもろの欲望は、刀と串に譬えられる。それらは、〔個人存在の五つの〕構成要素の集まりの断頭台である。そなたが〈欲楽〉と呼んでいるものは、いまや、わたしにとっては〈楽しませないもの〉である。

□ 快楽の喜びは、いたるところで壊滅され、〔無明の〕闇黒の塊りは、破り砕かれた。悪魔よ。このように知れ、――そなたは打ち敗(ま)かされたのだ。滅ぼす者よ。」(52頁)

ウッパラヴァンナー尼(注)

(注)ウッパラヴァンナーは漢訳仏典では「優鉢羅色」「蓮華色」などと呼ばれている。かの女は舎衛城の長者の娘であった。出家してのち尼僧中、神通第一といわれる。

■〔前夫のウパカ(注1)いわく、――〕「わたしは杖を手にした(修行者で)あったが、いまでは猟師である。わたしは、欲望の恐ろしい泥沼から脱れて彼岸におもむくことができない。

□ チャーパー(注2)は、わたしが〔彼女に〕すっかり惚れ込んでいるとばかり思って、子をあやしていた。わたしは、チャーパーとの〔恩愛の〕きずなを断って、再び出家しようと思う。」

□〔チャーパーいわく、――〕「偉大な雄々しき人よ。わたしを怒らないでください。偉大な聖者よ。わたしを怒らないでください。怒りにとらわれた人には、清らかさがありません。況んや、修養(苦行)が無いのは、なおさらです。」

 □〔ウパカが言った、――〕「しかし、わたしは、ナーラー〔村〕から去ろう。だれが、このナーラーに住むのであろうか?〔ナーラー村では〕女人たちは、その容姿によって、真理の教えに従って生きる〈道の人〉たちを束縛する。」

□〔チャーパーいわく、――〕「カーラ(黒い色のウパカ)よ。さあ、戻ってください。以前と同じように、楽しみをわかち合いましょう。わたしや、わたしの親族の者たちは、あなたに服従します。」

□〔ウパカいわく、――〕「チャーパーよ。〔そなたがいまわたしに語る〕四分の一だけでも、そなたの語るとおりであるならば、そなたを愛する男にとって、それは実にすばらしいことであろう。」

□〔チャーパーいわく、――〕「カーラよ。山の頂にある、枝繁り花をつけたアカシアの木のように、花咲く柘榴の蔓草のように、洲のなかに立つパータリー樹のように、

□ 手足に黄色の栴檀香(せんだんこう)の粉末を塗り、カーシー産の最上の衣服をまとった、この容姿うるわしいわたしを、どうして、あなたは見捨てて行かれるのですか?

□ あたかも、捕鳥者が鳥を捕らえようと欲するように、あなたは魅惑的な姿をとって、わたし〔の心〕をとらえようとなさらないのですね。

□ カーラよ。〔愛の〕果実としての、わたしのこの子は、あなたがわたしに生ませたものです。子を産んだこのわたしを、どうして、あなたは見捨てて行くのですか?」

□〔ウパカいわく、――〕「智慧ある人々は、〔まず〕子を捨て、それから親族を、次いで財宝を捨てる。偉大な雄々しき人々は、象が縛(いまし)めの綱を断つように、出家する。」

□〔チャーパーいわく、――〕「いま、あなたのこの子を、杖をもって、あるいは刃をもって、地上に打ち倒しましょう。〔そうすれば〕、子を案じて、あなたは立ち去らないでしょう。」

□〔ウパカいわく、――〕「あわれな女よ。たとい、そなたが子を野狐や犬どもに与えるようなことをしても、そなたは、子のゆえにわたしを呼びもどすことはできないであろう。」

□〔チャーパーいわく、――〕「では、お幸せに。カーラーよ。あなたは、どこに行かれますか? どの村、町、市、都市に向って?」

□〔ウパカいわく、――〕「むかし、わたしたちは、宗教者の群れの長であったが、〈真の〉(道の人)ではないのに、〈道の人〉であると思いこんでいた。村から村へとめぐり、市や首都をめぐった。

□〔しかしながら、今は異なっている。〕いま、この尊き師・ブッダは、ネーランジャラー河のほとりで、人々のあらゆる苦しみをのぞくために、人々に真理の教えを説き示しておられる。わたしは、かれのもとに行こう。かれは、わたしの師となってくださるであろう。」

□〔チャーパーいわく、――〕「それでは、この世の無上の主(ブッダ)にたいして、〔わたしの〕敬礼を伝えてください。〔ブッダに〕右廻りの礼をなして、〔わたしの〕奉納するものを捧げてください。」

□〔ウパカが言った、――〕「チャーパーよ。そなたが語るこのことは、わたしたちにとって適切である。この世の無上の主にたいして、〔そなたの〕敬礼を伝えよう。〔ブッダに〕右廻りの礼をして、〔そなたの〕奉納のものを捧げよう。」

□ それからカーラは、ネーランジャラー河のほとりに去って行った。かれは、覚った人(ブッダ)が不死の境地を説き示しているのを見た。

□ すなわち(1)苦しみと、(2)苦しみの超克と、(3)苦しみの終滅(静止)におもむく八つの実践法よりなる尊い道(八正道)とである。

□ かれは、ブッダの両足に〔頭をつけて〕敬礼し、かれに右廻りの礼をして、そしてチャーパーのために〔敬礼を〕捧げて、出家して、家無き生活に入った。かれは、三種の明知に通達し、ブッダの教え〔の実行〕をなしとげた。(63~66頁)

チャーパー尼

(注1)ウパカ;もとアージーヴィカ教の行者であった。釈尊がブッダガヤーでさとりを開いて、ベナレスへ行く途中でこのウパカ道士に会って対談したことが聖典の中に伝えられている。そののち、かれは Vankahara 国へ行き、猟師の村に住み、猟師の娘チャーパーを妻として、猟師の生活をしていたが、のち釈尊がサーヴァッティー国の祇園精舎にいたとき、出家した。のちチャーパーも出家した。ここではかれの追想を述べているのである。

(注2)チャーパー;チャーパー尼はヴァンカハーラ国の猟師の長の娘であったが、執杖道士のウパカの妻となり、夫婦ともにブッダのもとで出家した。(111頁)

■〔名医〕ジーヴァカの楽しいマンゴー林に向って歩いて行く尼僧スパー(注)を、一人の悪者がさえぎった。スパー尼は、かれに対して言った、――

□「あなたは、わたしの行く手をさえぎって立っていますが、わたしはあなたに何か過(あやま)ったことをしたのでしょうか? 友よ。男子が尼僧に触れることは、宜しくありません。

□ わたしの師の厳重な教えのうちには、幸せな人(ブッダ)が説き示された(学ぶべきことがら)があります。全く清らかな境地にあり、汚点のないわたしを、あなたは、なぜさえぎって立っているのですか?

□ わたしは濁りなく、塵垢(じんこう)を離れ、汚点もなく、心はあらゆる点で解脱しているのに、あなたは、濁った心で、塵垢にまつわられて、なぜわたしをさえぎって立っているのですか?」

□〔誘惑する男いわく、――〕「あなたは、若くて、美しい。あなたは、出家したとて、なんになるのです? さあ、黄衣を投げすてなさい。花咲く林のなかで、一緒に遊びましょう。

□ 高くそびえる木々は、花粉を撒き散らして、四方に甘い香りを放っています。初春は、楽しい季節です。さあ、花咲く林のなかで、一緒に遊びましょう。

□ また木々は頂きに花を咲かせ、そして、風にゆられて音を立て、叫んでいるかのごとくす。もしも、あなたが一人で林のなかに入って行ったならば、あなたに、なんの楽しみがあるのでしょう。

□ 猛獣の群れが出没し、牡(おす)象に刺激されて恋に狂う牝(めす)象が騒がしく音を立てる、人気が無くて淋しい大きな林のなかに、あなたは、伴(つれ)の人もなく、ひとりで入ろうと望むのですか?

□ あなたは、ピカピカ光る黄金でつくられた人形のように、またチッタラタ園の天女のように、歩きまわっておられる。たぐいなき美女よ。カーシー産の優雅・美麗な衣服を着たならば、あなたは美しく映(は)えて見えます。

□ もしも、あなたが叢林のなかに住もうとなさるならば、わたしはあなたの御意のままになりましょう。柔和な眼をした女(ひと)よ! 妖精キンナリーよ! あなたよりも愛しい人は、わたしにはいないからです。

□ もしも、あなたがわたしのことばのとおりになさるならば、あなたは幸せとなって、――さあ、在家の生活を営んでください。風の吹き込まぬ静かな宮殿に住んで、あなたは、侍女たちにかしずかれよ。

□ カーシー産の優美な衣服を着てください。花飾りや香料・塗油を身につけてください。黄金・宝石・真珠といった多くのさまざまな装飾品を、あなたのためにつくりましょう。

□ よくよごれを洗い去った覆いがあり、毛布を敷いた、梅檀の香木で作られ、その木の髄の香りがにおう、美しく新しく、高価な臥床に、のぼって寝てください。

□ 水の上にのびて出て来る青蓮華が人に非ざるものども(水の精たち)にまつわれているように、それと同様に――行いの清らかな女人よ! あなたは、肢体が自分のものであるうちに(男に触れられないうちに)、老いてしまうでしょう。」

□〔スパー尼いわく――〕「死骸に充ち、死骸の棄て場所を増大させるものであり、壊滅する性質のものであるこの身体のうちで、なにをあなたは本質と認めるのですか?――その(本質)を見て、あなたは呆然自失して(わたしを)見つめておられるが――。」 

□〔誘惑する男いわく、――〕「あなたの眼は、山の中の牝鹿や、妖精キンナリーの眼のようです。あなたの眼を見たので、わたしの愛欲を楽しみたい気持ちは、ますますつのりました。

□ 蓮の花の蕾に似た顔、黄金に似た汚れ無き顔のうちにあるあなたの眼を見てから、わたしの愛欲の真相はいよいよつのりました。

□ たとい、あなたが遠くへ去っても、わたしは〔あなたを〕憶(おも)っているでしょう。長い睫毛の女(ひと)よ! 眼(まなこ)の清く澄んだ女(ひと)よ! 妖精キンナリーよ!」

□〔スパー尼いわく――〕「あなたは、邪道を行こうと望んでいます。あなたは、月を玩具にしようと求めています。あなたはメール山(須弥山、しゅみせん)を一またぎにしとうと望んでいます。――ブッダの子(仏弟子)を獲得しようと企(たくら)むあなたは!

□ けだし、神々と人間の世の中において、いまや、わたしが貪りを起す〔対象〕は、どこにもありません。また、わたしは〔貪りが〕いかなるものであるかも知りません。それは、〔聖者の〕道によって根絶されているのです。

□ それは、灼熱している炭の坑(あな)から出て来た(火花)のように撒き散らされています。それは、毒を盛った器のように、価をつけられました。また、わたしは〔貪りが〕いかなるものであるかも知りません。それは、〔聖者の〕道によって根絶されているのです。

□〔世には〕まだ〔真理を〕洞察せず、あるいは、師に仕えたことのない女(ひと)がいますが、あなたは、そのような女を誘惑なさい。あなたは、すでに識見を得たこの女を〔誘惑しとうとするならば〕、悩むことになるでしょう。

□ 罵(ののし)られても、敬礼されても、苦しいときにも、楽しいときにも、わたしの慎しんだ気づかいは確立しています。〈形成された事物は不浄である〉と知って、〔わたしの〕心は、いかなるものにも汚されません。

□ だから、わたしは、幸せな人(ブッダ)の尼弟子であり、〔正しい〕道の八つの実践法よりなる乗物に乗って行く者です。わたしは、〔煩悩の〕矢を抜き去って汚れ無く、人のいない家に入って行って、(ひとりで)楽しみます。

□ わたくしは、美しく彩色した、新たな木製の霊妙なあやつり人形を見ました。それは、紐と釘とでしっかりと固められていますが、いろいろな踊りを見せてくれます。

□ そのあやつり人形が、紐と釘とを抜き取られ、ばらばらにほごされて、欠けたものとなり、もとの姿をとどめず、部分だけの切れ切れなものになってしまうと、そこで人は、どこに心をとどめるでしょう。

□〔われわれの〕この小さな身体は、そのように〔あやつり人形に〕譬えられるが、これらの事象がなければ、存在しない。これらの事象がなければ、存在しない〔のであるから、〕ひとは、そこで、いかなるものに意をとどめるでしょうか?

□ あなたが、黄色絵具で塗られた壁画を見たように、あなたは、その〔身体〕に、顛倒(てんとう)した見解をいだいたのです。人間の知慧とは、無益なものです。

□ 盲(めしい)たる(愚かな)人よ。目の前につくり出された幻術によるすがたのごとく、夢の終りに見る黄金の樹のごとく、人々の中で見せる影絵のごとく、うつろなるものに向って、あなたは走って行きます。

□〔眼は〕空洞の中に置かれた小さな球であり、〔眼の〕中央には泡状のものがあり、涙を出し、目やにもそくに生じます。多種多様の眼が球体としてつくられます。」

□ 眉目(みめ)うるわしく、心に執著のない〔スパー尼〕は、眼をえぐり出して、執著しなかった。「さあ、この眼をあなたのために、持ち去ってください」と言って、即座にそれをその男に与えた。

□ かれの愛欲の念は即座に消え失せた。そうして、かの女に恕(ゆる)しを乞うた。――「行いの清らかな女(ひと)よ。健やかであれ。このようなことは、もはや致しますまい」と。

□〔また〕「燃え立つ火を抱くように、わたしは、このような人を害なった。わたしは、謂わば、毒蛇をつかんだ。どうぞ、お健やかに! さあ、〔わたしを〕お恕しください。」

□ その尼僧は、その男から脱れて、妙なるブッダのみもとに行った。〔ブッダの〕妙なる功徳の相を見て、〔かの女の〕眼は、もとどおりになった。

ジーヴァカのマンゴー林に住むスパー尼(75~80頁)

(注)〈ジーヴァカのマンゴー林に住むスパー尼〉は、もとは王舎城の富裕なバラモンの娘であったが、ブッダを見て信心を起し、在俗信女となった。のちマハーパジャーパティー尼のもとで出家した。一青年の誘惑を受けたが、彼女の眼をくり抜いて与えたので、驚いた青年は謝罪したという。(113頁)

(2021年6月25日了)

-『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

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