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『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

『劉生日記』岸田劉生著 岩波文庫

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『劉生日記』岸田劉生著 岩波文庫

■宮田の話にて、先日の江川という男50円位なら余の水彩を買わんといいしと。不快に感じて断る。金のない人ならとにかく、金を持ちながら安くなら買おうと言ういう如きものに余の画を渡す必要なし。(大正9年2月)(21頁)

■よりよく出来るのに仕ないのは一生の仕事のためによくない事だと思う。描ける処まで描き切り、全力を尽くさなくてはならぬ。芸術の神の前にのみ自からの画を見せる事を思え。とにかく今日仕上げてしまわずに、いつまでかかってもいいから描き出したのは余にとっていい事であった。(大正9年3月)(26~27頁)

■武者(武者小路実篤)の妻君の或るうわさ聞きちょっと驚く。(大正9年3月)(30頁)

■リーチの本が出来て来た。リーチの素描に感心する。トンも線も生きていて美しい。村山〔槐多〕という男の遺稿が本になったのを送って来たが醜い感じがするものでいやになる。故人でも好意は持てない。カンタンに見える事は恐れる必要はない。カンタンに見えても正しい事を愛して生きる事がただ一つの本当の道だ。近代主義にジャスチファイされて盲目なものにこびるものが近頃多い。若い人はもっと強く、つよい力に頼らなくては危い。(大正9年7月)(47頁)

■今日は頭が悪くて昼過ぎまで仕事に気がむかず、しかし12時過ぎから麗子の肖像にかかったがどうもむつかしくてよわった。無形の美、生きた感じをじかに画布の上にいやが上にも露骨に出したい。美術の本領はこの無形の「美」にあって物を如実に再現する方の仕事は客にある。写実はこの二つの最も有機的な合一にあるが、しかし美術には写実以上のものがなくてはならない。物に即した美の中に、あるいは上に宿る「深さ」「無形」である。美術が写実的技法の進まぬ太初に当たって自然的に装飾(美)が露骨であり、手が進むにつれて写実が出来て来てその堕落時代にはいつも必ず写実に捕われすぎるのを見るとこの間の消息が明らかになると思う。(大正9年8月)(52頁)

■帰ったら上京中の山本顧弥太君から電報でゴッホの画が武者の本宅にあるから見に来てくれとの事、中島と二人で急に上京。藤沢で雨が降り出す。1時49分の汽車に乗り、雨にふられて4時前に武者の家につく。ゴッホの向日葵30号ほどのもの、外にセザンヌの小さいペンに水彩したエスキース、外にロダンの素描もあった。ゴッホは恐ろしいとは思わないが尊敬はする。へんに内から生きている。やはり造りものという気はしない。生きている。及ばぬ人よは思わぬが友として尊敬する。セザンヌは小品だがいいものではある。ロダンはつまらない。(大正9年12月)(69頁)

■金と赤の林檎五つほどと梨を二つ、みかんの半分青いのを二つにリーチの茶碗一つ。4時少し前まで仕事して、よき労れを覚えた。本当に久しぶりで製作のシンミリしたいい経験をした。静に林檎にぶつかって刷毛を動かしていると、静な心に外の音が時々きこえる。あの気持ちは本当にいい。(大正9年12月)(71頁)

■昨夜おそかったので今日は9時半におきる。床の中で新聞みたら『読売』に加藤だろうと思う男が余が如才なくなったとかいやみな事をかいていたのでいやな気持ちがした。しかし、結局他人に何と思われても自分は自分の仕事をこれ以上の誇りはない。人から感謝こそされ憎まれたりいやと思われたりする事は決してない自信があるから一時的な不快ですんでしまう。ヤクザな奴はヤクザなのだ。(大正10年10月)(137頁)

■余はこういう社交にはなれず、いつも余を尊敬する人たちの上にばかりいるので、その方がわりに感じられないこういう交りへ行くと一方へんにさみしいが、しかしそれは彼らに尊敬と帰依を強いる事で、そんなことは出来ない相談だと思う。つまり、彼らに尊敬と帰依を強いる事で、そんなことは出来ない相談だと思う。つまり、彼らに尊敬されてもどうでも、ただ画家として今の社会に仲よく会うという気持で余はこの会に入っているのだ。帰ってから、自分としてはただ一人の道が何となくなつかしくなった。自分を尊敬し切らぬものとの交わりは不満であったが一方そんな事はつまらぬ事だとも思った。彼らと交わりつつ彼らの残し得ない仕事をのこすのも面白い。ただ一人の道はここに入っていても得られる。(大正11年1月)(163頁)

■帰路博物館の能面の事を思い、それを所有したい慾望の事を思い、これはつまり人類がよき芸術品を所有したい慾望のあらわれだからわるいものでない事を思い、引いて天才は人類の宝である事を思い、自分もその宝の一つの小さきものなるを思って、先日来の暗い気持に一道の光明を覚え感謝に耐えなかった。勉強勉強と思う。(大正11年11月)(231頁)

■中川はどうもいやな奴也。万は一番党派的でいけなかった。秋田のものをどうかしてとろうとしたがとうとう皆で落としてしまった。(大正12年5月)(293頁)

■他の人々の分らないのは仕方ないとして中川はどうも不正直でいやな男だ。(大正12年5月)(295頁)

■何となく淋しい。今後の生活の心配がある。今度の地震は実際美術家にはいろいろの不安を与えた。美術のはかなさも考えさせられる。しかし、美術というものの価値をそれで動かす事は出来ない。余はやはりいい画をかきいい画を愛してくらしたい。(大正12年9月)(319頁)

■10時過におきる。朝食後かれこれしていたら12時のポーがなる。それから麗子立像の仕事にかかる。――中略――扇を持つ手を挙げるため蓁と二人がかりで天上から麻糸をたらしたりする。(大正13年2月)(363~364頁)

■朝新聞の武者の春陽会の評に余の童女像の評あり見当ちがいの評にて少々片腹いたし。大体ほめてはおれど余の画を評するのは大胆也。少々不快の気持す。(大正13年4月)(372頁)

■武者よりハカキあり上京の由、先日の評を気にして来ていたが、それでこっちも別に不快でなくなった。今度気持よく会えるのをうれしく思う。(大正13年5月)(380頁)

■高嶋屋での展覧会の事につき、高嶋屋の方では大分のり気にて大きくやりたい、それについては日本画25点、120円平均として3千5百円その利益を折半という事にしたいがそれでは金額が少ないからせめて総額5千円にしたく、油絵を10枚(2百円平均)でかいてくれぬかという。それで結局牡丹を6百円、田に2百円ずつで8号5枚かくとして千6百で高嶋屋で買いとってくれという事をたのむ。相談して返事するとて11時過赤見君帰る。(大正13年6月)(383頁)

■小出楢重同伴也この男下人也。(大正13年7月)(389頁)

■昨夜はまた木村君に引っぱられて茶屋にいってしまったがどうもいやだ。あんな遊びは全く自分をひくいものにする外何の楽しみもない。しかしつい好奇心と女との興味から予覚をしながらつい木村へ行ったりしたのだがもうもう決していやだと思う。別に女と深入りする訳ではなく酒のんでさわぐだけだが自分にはどうもやはり女を弄んだような感じがして罪の感がのこる。のみならず、つまらぬみえや嘘がどうしても入るのがいやだ。俗人でなくては出来ぬ事、俗人との交を深める事だ。すっぱりやめようと思う。神よしもべの罪を希はゆるし、しもべの心に力をそそぎ清め給え。自分はそんなに弱い人間ではなく、またいつでもやめられるつもりではいる。しかしやはり神の力にたのまねばならぬ、仕事仕事と思う。俗人とのつき合いをすっかり止めよう。神よ罪をゆるし守り給え。(大正13年11月)(420~421頁)

■11時頃かおきる。昨夜また茶屋に行き朝酔いさめるとともに悔いしきり也。昨夜は大して不快の事もなかったがしかし、よくよく自分の意力の足りぬのをみて不快になる。しかし、もう止められると思う。大した事ではないのでかえっていけないのだ。(大正14年2月)(430頁)

■村田が蓁に、花菊を余が好きに思っているという事を話したので蓁が早速余にその事をいう。少々困った。夜はそんな気持から少し、この頃呑み過ぎの体ではあるが、また酒を呑み大分酔う。(大正14年6月)(451頁)

■木喰上人はちょっとしたものなれど、一種のカリカチュールとして面白きのみ也。深きものなし。描写のないものは本当の造形芸術とはいえない。(大正14年6月)(453頁)

■ひろのやにとまり、朝おきる。昨夜はウィスキーをひどくのみひどく酔いつぶれてしまったらしい。花菊にたおれかかり、鼻血を出さしたとか花菊もひどく酔って帰ったとか聞く。家へ帰るのが気が引けていけないのでままよと、お福さんと、菊勇つれて瓢亭へ行く事になる。花菊をよんだがまだ枕が上がらぬという。瓢亭へ村田もよぶ。そしたら花菊ももう気分がいいとて、でぼちんつれて来る。6人になる。4時頃ひろのやに帰りでぼちんと花菊を相手にうたをうたったりして遊ぶ。「何故に今夜はこんなにおそいのか」といううたをおそわる。夜食に洋食をたべ、9時半頃ひろの屋を出、四条を少しあるいて帰宅、蓁大におこり、夜なかなかねかさず。もう遊びも大がいにせんと思う。払いも大へんだ。何とか都合よく行く事希うものだ。(大正14年7月)(454頁)

2010年6月26日

-『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

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