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『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

『アントニオーニ 存在の証明』西村安弘訳 フィルムアート社

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『アントニオーニ 存在の証明西村安弘訳 フィルムアート社

■――あなたの映画を見ると、人物が特別な状況の中に打ちひしがれて現われるだけという傾向があり、彼らにはあまり過去がないような印象を受けます。例えば、私たちはニコルソンが孤立した場所にいて、自分のバック・グラウンドに根を持たないことを知ります。あの娘も同じです。彼女はそこにいるだけです。あたかも、人々がたった今、姿を現したかのようです。言わば、彼らには背景がありません。

それは世界を見る別の方法だと思います。もう一つの方法は、もっと古い方法です。今日、過去の人の比べると、誰もが少ない背景しか持っていません。私たちは自由なのです。現代の娘は、映画の中の娘がそうしたように、家族や過去のことを考えもしないで、鞄一つでどこにでも行くことができます。彼女は鞄を持って行く必要さえないのです。

――道徳という鞄のことを意味しているのですか?

その通りです。道徳、心理学的な旅行鞄です。けれども、古い映画の中では、人々は家庭を持ち、私たちはその家庭を、彼らのいる家庭を見ることになります。ニコルソンの家を見せはしますが、彼はそこに縛られずに、世界中を駆け回るのに慣れています。(167頁)

■『さすらいの二人』この映画の最後から2番目のショットは、約7分間の長さがありカナダ人の考案した特別なカメラを使用する必要がありました。私は同じアイディアを演出するために他の方法も試しましたが、試みの多くはあまり実践的でなかったり、込み入り過ぎていたりするのが明らかでした。問題は窓から外へ出ることだけではなく、同じ窓の前に戻るまでに、正面の広場の中で大きな半円を描いて進むことでした。上述した通り、一式の回転機(ジャイロシコープ)に装着したカメラを使用することで、これは可能になりました。

(中略)

画面は、最終的な結果に到達するために、私たちがなし遂げた仕事の成果をよく示しています。

とても数多くの人々が、私たちの努力を日常的に助けてくれました。ついに11日目に初めて、2回のOKショットを撮ることができた時には、競技場で選手がゴールした時のように、長い拍手が沸き起こりました。(170~171頁)

■――自分と人間のことを表現するという根本的な欲求にとって、電子工学(エレクトロニクス)が有益な補助になる、とあなたは確信していますか?あるいは反対に、機械が人間に取って代わり、人間と敵対して自己表現を行う、『2001年宇宙の旅』や『ウォー・ゲーム』のようになるとは考えませんか?

私はそうは考えません。問題がほかにあるように思います。映画におけるエレクトロニクスの出現は、絵画の世界における抽象絵画の出現に似た状況を私たちに突きつけたと思います。絶えざる自己表現の欲求のお陰で、数千万の人々が絵の具を塗り始めた時、どんな芸術家にもなれると確信しながら、円と線しか描きませんでした。数年経った今、こうした類の芸術に何かしら本当の意味を持たせることができる者は、よく知られているほんの5人か10人であることを、私たちは理解しています。自分の正当な表現方法を本当に編み出すことのできた者だけが、生き残ったのです。同じようなことがエレクトロニクスでも起こるでしょう。私たちは巷の人が作った映画を見るでしょう。道路清掃夫がゴミ袋を拾い上げ、それで自分の映画を作るのです。けれども、抽象絵画の場合と同じように、エレクトロニクスは明らかに映画作家の仕事を単純化し、それをすべての人に実際的に開放するだけです。ゴミ袋の映画がいけないこともありませんが、本当の映画を作る者は、あらゆる人を計算に入れても、ほんの僅かになるでしょう。(181頁)

■――撮影の間、あなたは『ある女の存在証明』を〈最も新しいアントニオーニの映画〉として、どのように意味付けていましたか?

できるだけ事実に集中するために、感情の〈外套〉から自分を解き放つのだ、と意味付けていました。違った方法で、自分を動かす必要を感じています。例えば、私のこの前の映画では終始一貫して、映像のある種の形式的で構成的な美しさをあらかじめ排除することに決めていました。そして、作中人物と環境的な文脈との間の関係を、意図的なところから離れたままにしておきました。これまでの私の映画では、人物の背後にあるものと、心理的で感情的な彼らの状況との間の絆は、もっときつかったものです。私はできるだけ線状であること、作中人物による出来事の筋に従いながら、彼らの〈上に〉集中するようにしました。(188頁)

■――あなたの映画では、あなた自身がすべての原案を書いています。それはあなたの頭の中にあるものを説明するために、別の方法を探せなかったからでしょうか?あるいは、映画の物語を想像することと、それを演出することが、同じだからでしょうか?

映画の根源にも、どんな形式の芸術の根源にも、一つの選択があります。アルベール・カミュの言葉を借りれば、それは実在に対する芸術家の反乱です。この原則に忠実であるなら、現実を露呈させる手段は、どれほど重要なのでしょうか?映画作家は小説や新聞記事の事件、あるいは想像力の中で現実を捉えますが、大切なのは、それを抽出し、文体化し、自分のものとする方法です。これに成功すれば、現実がどこに由来するかは、もはや問題ではありません。「罪と罰」のプロットは、フョードル・ドストエフスキーが練り上げた文体を欠いてしまったら、他の小説と似通ったものになってしまいます。このプロットから別個に、優れた映画もできるし、酷い映画もできます。それで、私は自分の映画の原案をほとんどいつも自分で書いてきました。(212頁)

■――仕事はあなたに何をもたらしますか?これ以上、映画(チネマ)を作ることができないとすれば、なにをしますか?

あなたに敵がいたとしても、彼を殴ったり、侮辱したり、罵ったり、卑しめたり、交通事故に遭えばいいと望む必要はありません。何よりも、彼が仕事をしないでいるように祈ることです。それで十分です。これこそ、人間が体験することの中で、最も恐ろしいことです。最も素晴らしい休暇であっても、疲れを癒す時にだけ、休暇は意味を持つものです。こうした視点から見ると、私は特権化されているように思います。私は自分の好きな仕事をしています。多くのイタリア人が私と同じことを言えないのも知っています。(214頁)

■――映画を創作する中で最も重要な瞬間とは、どういう時でしょうか?

〈演出〉について話した時に、もう答えてしまいました。映画を創作する瞬間は、すべて同じように重要です。ある瞬間と他の瞬間は、明確には区別できません。あらゆる瞬間が、映画作りという唯一の統合(ジンテーゼ)に含まれる部分です。こうして、原案を練り上げている最中に移動撮影を決めたり、撮影中に人物や状況を修正したり、あるいは、ダビングの段階で幾つかの台詞を変えたりすることが起こり得ます。私の場合、最初のアイディアが頭の中で形になる瞬間から、ラッシュ試写に至るまで、一本の映画を実現することが、比類ない唯一の仕事であることを意味しています。私の言いたいのは、昼も夜も、映画以外のほかのことは、私の興味を引かないということです。そこには、ロマンティックなものは何もありません。それどころか、私はより明晰で注意深くなり、もっと知的になって、理解しようとしているように思われます。(216頁)

■――演出をしていて、観客やその反応が気になる瞬間はありませんか?

私は決して観客のことを考えず、映画のことだけを考えています。当然、常に対話の相手はいますが、それは観念的な対話の相手です(恐らくは、もう一人の自分です)。そうでなければ、国の数とはいわないにしても、少なくとも大陸や人種と同じ数くらいの観客がいることを考えただけで、私がどんな要素を映画作りの基礎にしてよいのか判らなくなってしまいます。(230頁)

■――スクリーンで全裸を描写できるためには、映画作家は開放されるべきだと思いますか?

その必要はないと思います。男女の間で最も大切なことは、裸の時には起こりません。

――スクリーンで見せてはならないものがあるとおもいますか?

人間の良心以上に優れた検閲はありません。(232頁)

■――あなたは短編集の一遍で、「私は自分の青春についてほとんど考えない」と書いていました。これは本当ですか?

私はとりわけ未来に興味を抱いています。セーレン・キルケゴールがどこかで書いていました。「人生について理解したい時には、過去を見詰めなさい。生きたい時には、反対に未来の方を向きなさい」。私の年齢では、採るべき道は唯一つしかありません。つまり、明日を今日よりも良くしなければならないということです。そうでなければ、絶望するしかありません。(266頁)

■――あなたはSFに対しても、大きな情熱を持っていると思います。数年前、あなたはソ連でSF映画『凧』を撮るはずでした。

カルロ・ポンティとソフィア・ローレンと一緒に、別の映画の企画を立てていました。この映画は、アメリカの作家ジャック・フィンレーのとても美しい短編小説を下敷きにしたもので、『目的地ヴェルナ』と題されていました。もはや人生に何も期待しない中年女性の物語です。ある晴れた日、彼女は言われます。「地上の楽園のように素晴らしい場所、惑星ヴェルナ行きの宇宙船の席が一つあります」。彼女は答えます。「だけど、どうやってそこへ行くの?」。ヴェルナは太陽系外の惑星なのです。あまりに遠い距離なので、この女性は出発しないことに決めます。それは、彼女の人生における最後のチャンスでしたが、彼女はこのチャンスを逃してしまいます。それが片道旅行になるかも知れないし、自分の退路を断たれてしまうのが怖かったからでもあります。それは、とても理解しやすい反応です。普通の人間に尋ねたとします。「ここで何をしているのですか?天国のような場所へ行きませんか?これが唯一のチャンスですよ」。この地上で自分の状況に不満を言っていたとしても、未知のことに直面し、すべてを捨て去る勇気を持つことができるのは、ごく少数の人でしょう。未知のことに向き合うよりは、この世界で絶望して生き続ける方を選ぶのが普通でしょう。それは、とても人間的な感情です。(269~270頁)

■――『欲望』の興行的成功の後、あなたは夢のような申し出を受けました。

アメリカのプロデューサーがお伽噺の「ピーター・パン」を撮らないかと、私に提案しました。私が「ピーター・パン」を作ると思いますか?私は彼の事務所に呼ばれました。片側に、この映画の出演者になるミア・ファローがいました。反対側には、作曲家と脚本家がいました(音楽と脚本は既に準備されていました)。私の前には、プロギューサーが小切手を持っていて、130万ドルを提示しました。その時、私は尋ねました。「すべての準備が整っているのに、私は何をするのというのでしょう?」。金銭的な命令を拒否することが、私には大した痛手ではなかったと、言わなければなりません。私たちの人生の観念に関しては、道徳的な命令を拒否することの方が大切なのです。自分に嘘を吐く時、自分の良心と妥協をする時が、本当に代償を払う時です。(274頁)

■――あなたはワン・ショット=ワン・シークエンスの技法を使ったヨーロッパの最初の監督です。『偉大なるアンバーソン家の人々』を知っていましたか?

いいえ、それは後で見ました。最初にワン・ショット=ワン・シークエンスを使った時には、特にどの映画のことも考えなかったと記憶しています。ドリーに乗って俳優の後を追い、場面の最後まで、カットしないでそれを撮影したのを覚えています。本能的にそうなりました。一見して考えられるようなこととは異なり、ワン・ショット=ワン・シークエンスを撮るのは、撮影後に伝統的な方法で場面を編集することよりも難しい、と言わなければなりません。二人の作中人物が話をしている場面では、カメラだけでなく俳優も絶えず移動する必要があります。そして時々、この移動が機械的で作為的になってしまうことがあります。これを自然で円滑なものにするためには、ある種の熟練が必要です。ともかく、特別な技法にしばられたいと思ったことはありません。すべての映画は、各々の文体を持っています。例えば、『太陽はひとりぼっち』の証券取引所の場面では、ワン・ショット=ワン・シークエンスを撮るのは不可能でした。クローズ・アップを撮るべきであると感じた時に、そうしなければならない理由は判っていません。R・W・ファスビンダーのような幾人かの監督はワン・ショット=ワン・シークエンスを撮り、後でカットして、他のショットを挿入します。しかし、この方法では、『ベルリン・アレクサンダー広場』のように、一つのショットと次のショットで、照明のばらつく危険を冒すことになります。(276頁)

2010年2月11日

-『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

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