『色川武大VS阿佐田哲也』文藝別冊 河出書房新社
■寿命が平均80歳弱だとすると、女はその80年を生きるのが当然として、そのための規律を作る。(「男らしい男がいた」)(213頁)
■男は、生きるのが当然とは考えない。攻撃に失敗して明日死ぬかも知れない。今日の生は運に助けられてのものだ。そのために今日をよりよく生きようと考える。(「男らしい男がいた」)(213頁)
■女子供の発想がだんだん世の中を仕切るようになって、勇ましい生き方、大きな生き方、誇らしい生き方というものが、失われていく。人生というものが女子供のものになりつつある。ただ糞をたれて長生きするだけだ。そうして、ただおとなしい生き方を良識として後押しする権力者がいるから始末がわるい。
昔は男というものは、戦争で死ぬものだった。その戦争が亡くなっているから、男の生き方というものが、徳川300年の間の浪人のようなもので宙に浮いている。病気にならず、事故を避けていれば、皆、永遠に生きていられるかのような錯覚におちいっている。
これがいけない。永遠に生きられるかのような錯覚が、人間が諸事を律し切れるような錯覚を産む。生物なんて蝿が毎年生まれ変わるようなもので、たかだかそれだけのことなのだ。100年生きようと200年生きようと、やっぱりたかだかだ。(節制しても50歩100歩」)(213頁)
2010年1月3日