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『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

『マチスの肖像』ハイデン・ヘレ-ラより

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■マチスはこう述べている。「自然は非常に美しいので、私はただそれを出来るだけ単純に再現するだけでよい。私は心惹かれる対象の前に身を置き、対象に自分を一体化させ、それをカンヴァスに写し取ろうと試みるのである」。年を経るにつれて自己を一体化させるという観念はますます重要となり、「写し取る」という考え方は、「等価物」を創造するという目標にとって替わることとなる。(31㌻)

■マチスによると、彫刻の腕から手を切り放して、部分から仕事をするロダンに対して、マチスは対象を部分によってではなく全体として捉えるのだった。「すでに私は、説明的な細部の替わりに暗示的に表現する、生き生きとした綜合によって全体的な構造を捉えることしか眼中になかった」。(46㌻)

■スタインがこの二人の画家を一九〇六年に引き合わせて間もなく、マチスはピカソの友人で詩人のマックス・ジャコブに、もし自分が今のように描いていなかったら、ピカソのように描きたかった、と語った。するとジャコブはこう答えた。「そりゃおもしろい。ピカソもあなたと同じことを言っていましたよ」。後にマチスはピカソにこう語った。「我々は出来る限り語り合わなければいけない。我々のうちの一人が死んだら、残された方は決して他の誰にも話せないことを腹のうちに抱え込むことになるだろう」。(75㌻)

■「自然に忠実であることによって自滅すると思ってはいけない。対象を正確に描くよう試みなさい…」。さらに彼はこう続けた。「最初は対象に自分自身をゆだねなければならない…綱渡りをする前に、まずしっかりと地面を歩けるようにならなければならない」。(95㌻)

■一八九七年の作品と一九〇八年の作品との間の意図の違いは、マチスが後年語ったある寓話によって明らかにされた。それは片方が写真のレンズのような目をもった男の話である。この男は「ものの現実」を知っていると確信していた。しかしもう一つの目がそれとは異なった絵を生み出したのである。マチスはこう続けている。「この男は最初の目と二番目の目の板挟みになって、もう訳が分らなくなってしまった。葛藤は激しかったが、ついには第二の目が勝利した…第二の目は単独で仕事を続け、自分自身のものの見方に従って独自の絵を作り上げた。この大変特別な目はここにある」と言ってマチスは自分の頭を指さした。(104㌻)

■過去が未来を「侵食し」、いかなる瞬間に於ても人は死に近づいているという思想は、多くの芸術家同様マチスにも無駄な時間などないのだと感じさせたに違いない。マチスは、絶え間なくうつろいゆく瞬間の理不尽な虚構性に対して、骨身を惜しまぬ制作で立ち向かった。(111㌻)

■「田舎のおばさんが切り盛りしているような、あまりにきちんとしすぎた家で暮らすことはできない」と彼はかって(分割主義をなぜ捨てたのかを説明するために)語ったことがある。「精神を窒息させないようなもっと単純な方法を手に入れるために、ジャングルに踏み込んでゆかねばならない」。(164㌻)

■同じインタビューでマチスは画家たちにこう忠告している。「妻たちの影響に気をつけたまえ。司祭と医者は決して結婚すべきでない。そうしないと日常の瑣末なことに気を取られて仕事がおろそかになってしまう。同じことは芸術家にも言える」。(173㌻)

■一九四八年、マチスはフィラデルフィア美術館でマチス回顧展を組織していたヘンリー・クリフォード宛の手紙の中で、自分の芸術における「一見たやすく」見える特質に関して、「私はいつも自分の努力を隠すようにつとめ、作品が春のような明るさと喜びに包まれ、そこに骨の折れる仕事の跡が残らないようにしたいと思っていました」。(184㌻)

■戦争は彼を不安にし、時にはそのために芸術に集中することが困難になった。「私自身のために、困難であるにもかかわらず仕事を続けてきた。なぜなら画家はイーゼルの前でのみ精神を十全に保つものだからだ」とマチスは別の友人に書き送っている。常に絵画が最大の関心事だった。一九四三年、彼はルイ・アラゴンにこう書き送っている。「私は象のような気分だ。つまり私は自分の運命の支配者であり、ここ数年の私の全ての仕事の結果以外に重要なことは何もないとみなしうる、そのように思える精神状態にあり、そしてこの仕事に関しては充分にやるべきことはやりつくしたと感じている」。(214㌻)

■「私の人生はアトリエの壁の中にある」。そして同じ月、彼はある友人に「私は私がいつも気に止めていること以外のことにはもはや向き合うことができない。つまり一生懸命仕事をしているときだけ自分が全く安全だと感じられるということだ」。

「できようができまいが、やり続ける。それが大事だ」と彼は一九四一年に語っている。「意思の力がつきたら、頑固さを奮い起こすんだ。それが秘けつさ。事の大小を問わずたいていはそれで充分だ」。(216㌻)

■この病気になる前、この手術の前に私のしたいっさいのことは過剰な努力の感じを与えます。以前は私は常に気を張って暮らしていたのです。病気の後私が創造したものは、自由で解放された本当の私を映し出しています…結局問題はたった一つのことです。仕事をするためには自分自身を捨てなければならない…そのときこそ仕事にすべてがはらまれるようになるのです。(224㌻)

■一九四七年のある友人との会話の中で、七十七歳のマチスは「人生はおかしいほど短い。今私は自分が為さなければならないことがわかる。もう一度最初からやり直せたらいいのに。しかし画家の生涯は決して充分に長いということはない。仕事半ばで終わるのだ」。(229㌻)

■若い芸術家たちに対するマチスの忠告は、世界を敏感に感じとり、自分自身に誠実でいなさいということだった。もし若い画家が「ごまかしや、自己満足することなく、自分のもっとも深い感情に忠実でいつづける方法を知ったなら、好奇心をうしなうことはないだろう。そしてつらい仕事に対する情熱、学ぶことの必要性も最後まで失うこともないだろう。これほどすばらしいことはない!」(239㌻)

『マチスの肖像』ハイデン・ヘレ-ラより 2006年6月27日

-『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

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