岡野岬石の資料蔵

岡野岬石の作品とテキスト等の情報ボックスとしてブログ形式で随時発信します。

『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

(武漢ウイルス)

投稿日:2020-11-10 更新日:

『画中日記』2020.03.28【武漢ウイルス(1)】

下記の文章は、2月10日の『画中日記』に書いた文章の一部です。

《展覧会同時期の武漢ウイルス問題を比べると、まさしく「善因善果、悪因悪果」である。武漢のウイルスもなんらかの悪因であろう。日本は津波も、敗戦も国民一人一人の性善の力で乗り越えたが、中国の今回の悪因は、中国に国家的悪果をもたらすことになりそうだ。》

この文章を書いてから、1ヶ月以上経って、世界の状況はますます大変な状況が拡大している。そのなかで、日本と日本の友好国だけは、最少の被害で乗り切るであろうし、また、経済的被害もこの厄災が終わった後、すぐに復活するだろう。

「善因善果、悪因悪果」は存在の常恒の法(ダルマ)である。津波や地震や台風のように天からの災害はあまんじて引き受け、国も一人一人も出来うることにベストをつくしていれば、過去の日本がそうして、こうなったように、チャンとするし、チャンとなるさ。津波や原子力発電所の事故の時でさえ、あの悪夢のような、オロオロして何も適切な対処ができなかった民主党政権の時でさえ、国民の力で乗り切ったのだから。戦後歴代最高の仕事師安倍首相とブレーンを持っている現在、おまけに、通常のウイルスに毛の生えたくらいのウイルスごときのことに、国民がオタオタすることはない。日本は、福島フィフティや自衛隊のように常に現場にまかしておけば、安心なのだ。

中共は、この悪因を作ったのだから、当然最も大きな悪果が降りかかるだろう。他の国も、世界観に悪を抱えている部分に悪果が出るだろう。アメリカは、ヒラリー・クリントンが大統領だったら、と想像すると、まだ幸運だった。トランプ大統領でよかった、よくやっている。

こんな時に、悪因の本(もと)の人間の欲望(お金)で動く人たち、買い占めに走ったり、買い占めて儲けようとする人たちもまた、悪果を得るだろう。東京都やいくつかの県や、自民党議員がマスクや防護服を中国に送ったが、それらの品物の実際の流れ、どうやって送り、誰に渡したのかの追跡はどうなっているのか(意外と、品物は動いていなくて、それを売り捌く中国人からのキックバックを、送った方が貰っているという邪推も可能だ)。そして、ネットによって、嘘や偽善はおいおい暴かれるだろう。

自分の命や、自分の権力や、自分のお金のために、平気で他者や他国や自然を、蹂躙し虐殺し汚すような人達が跋扈(ばっこ)する国が、良くならないのは当たり前のことだし、その悪を懺悔し反省しなければ、その国に住む人たち共々に厄災が降りかかってくるのはもう、歴史的必然である。

『画中日記』2020.04.09【武漢ウイルス(2)】

武漢ウイルスの厄災で日本のなかでも騒がしい。しかし、私は安心している。日本人のそれぞれの現場はしっかりとした仕事をやってくれている。そして、今の安倍首相から末端の国民一人一人まで、自分の為すべきこと為していれば、そのうちに、この大きな厄災も、日本では通り過ぎていくだろう。 

世界の中では、各国家的な大厄災だが、今もし、世界の中に、日本という国家がなかったならば、世界中の各国家、その中の一人一人の個人の不安と恐怖は、出口のない絶望的な状態だろうな。おまけに、この状態の中でも、火事場泥棒をしようとする人や、国や、組織があるのだから。また、そのような「真・善・美」の規範をもたない、欲望の悪魔的信仰を自分の生きる羅針盤にする人や、国家や。組織が日本以外の国では、今まで大手を振って通ってきたのだから。

今、世界中の人たちは日本を頼りにしているだろう。日本の行動が、この厄災を乗り超える唯一のサンプルとして、頼りにしていることだろう。そして、近い将来、日本の行動が、この厄災を乗り切るフォームであることが解ってくるだろう。三陸の大津波で日本の政治が変わったように、武漢ウイルスが通り過ぎれば、世界は、世界観の根本から、流れが変わるだろう。

ルネッサンスからカント以降の、世界の哲学的世界観を支配してきた、人間中心主義(ヒューマニズム)は誤謬があったし、今でもある。このことは2018年に出版した拙著『全元論』に書いたので端折るが、とにかく、武漢ウイルス以後は、日本が世界を、全元論的世界観の本(もと)に引っ張っていくだろう。過去に、西洋列強国からアジアの国々が独立したように。

『画中日記』2020.04.09【武漢ウイルス(3)】

武漢ウイルス問題は、今日本でも一部大騒ぎしているが、大変なのは、矛盾や問題を抱えた国や国民であって、日本は、私が前から言っているように、大丈夫、安心なのだ。以下、その理由を書く。

まず、外国では、あんな小さな武漢ウイルスごときに大騒ぎをするのか、大騒ぎになるのかというと、それは、原因を取り違えているからだ。そして、その厄災を乗り越え、復活、復興する手立てを、国家も国民も持っていないので、自らの矛盾、欠損、齟齬を抱えたまま、ただ運命になすがままだ。それは、嘘は一度でもつくと、その嘘を正さなければ、嘘の上塗りになって、嘘をつき続け、問題がどんどん大きくなるのと似ている。

日本では、盲腸炎で死亡することはないが、保険なしに医者に行き、手術でもしなければならなくなると100万円以上かかるとなれば、また、売薬が安価で効く薬がすぐに手に入らなければ、いまだに盲腸炎で死亡する人は世界中に数多くいるだろう。盲腸炎だけでなく、切り傷、擦り傷でも、消毒しなければ、敗血症で死ぬ人も出るだろう。武漢ウイルスにかかっても、多くの国の、多くの国民は、ただ自然治癒にまかせるままだ。さらに、中共の国民が罹患でもしたら、その人と家族は、治療も受けられず、周りからも排除されるので、路上で倒れるまで、病気を隠すだろう。だから、そんな国の国民は、地震や台風や津波に比べて、ウイルスごときの小さな厄災に、右往左往、大騒ぎするのだ。

天は、恵みも厄災も、いついかなる国、人にも平等にもたらす。平等に降りかかってきた危機を、キッチリと対処して乗り越え、現在、復興してこれたのは、日本の歴史をみれば、明らかだ。それは、昔から、国民一人一人が〔真・善・美〕の法を、自分を超越する天の法を、世界観の内に抱えているからだ。そして、与えられた自分の仕事を、一人一人がフェイクでごまかさず、きっちりとやり遂げるからなのだ。一見、そして、一時期、金と力で繁栄しているようにみえるが、〔真・善・美〕の法に沿わないかぎり、存在と歴史は長続きすることを許してはいない。

武漢ウイルス以後の世界は、金と力(人間の欲望のシンボル)を世界観に持つ国や国民や団体が、〔真・善・美〕の法を世界観に持つ国や国民や団体とが入れ替わるだろう。三陸大地震の後、日本で構造的変化があったように、何年か立つと世界の歴史がそれを証明することを、私は確信している。

という訳で、私はこれから〈美〉という超越に向かって絵を描きます。それが、天から与えられた、画家の使命なのだから。

『画中日記』2020.05.04【武漢ウイルス(4)】〈ポスト中共ウイルスは〉

いまだ、日本でもウイルスで騒々しいが、国民は心配することはない。全元論を世界観に持つ日本人は、明日、太陽が、無事に東の空に昇るかどうかなど、心配などしない。国民一人一人が、自分の与えられた仕事をキッチリとこなして、過ごしさえすれば、毎年来る台風と同じくらいの出来事で終息するだろう。

たぶんこれは、日本だけのことで、世界中の国では、権力者や金持ちから国民一人一人まで、世界観の間違いを気付き、反省し、正さなければ、その世界観の間違いが、もともとの原因なのだから、それらの勢力は次第に消えていくだろう。

世界中の紛争は、ヤクザどうしの争いなのだから、どちらが勝とうと、被害を受けるのは、当事者が一番大きいのだから、日本も国民一人一人も、紛争の局地戦の現場に関わってはいけない。正しく行動していればいいのだ。

現場で関わらずにはいられない、日本の政治家、官僚、自衛隊等の人たちの、やっていることにはオマカセしていればいいのだ。人のやることにケチばかりつける人には「お前がやれ!」と言いたい。仕事のスキルを持っていない人は、かつての民主等政権の時のように、なにも処理出来なかったではないか。

神一元論の世界観から、ルネッサンス→人間主義(ヒューマニズム)→カント→ヘーゲル→マルクスの西洋近代哲学が世界の覇権を拡げ、実際の領土、力、お金を握ってきたが、唯一、日本だけそれに屈せず生き残った。

世界は映画『ゴッドファーザー』の世界なのだ。それが、今も続いている。そうだから、小さなウイルスをきっかけにして、世界大戦にまでなるのだ。どちらが勝とうが、これは、賭場でのヤクザどうしのお金がらみの争いなのだから、真面目な、正業で生きてきて、生きている日本及び日本人は、今まで通りの態度で関わっていけばいいのだ。

最終的には、一方が賭場の金を独り占めにした時に、その後、そのお金は無価値になるだろう。カルロス・ゴーンの2代にわたった、結果としてのお金と、J・F・ケネディーの父親のお金の作り方と、その結果としての息子の大統領就任とその後の暗殺、それらをみれば、今回の、中共ウイルスの結果も明らかだ。

ヤクザは、なにも仕事はできない、なにも生産できない。賭場は、正業の人がお金を入れなければ続けられない。だから、正業の人が損をするのだ。素人のお客がいなくなれば、反社会行為でお金を入れ続けなければ、開帳できない。

人にとって、世界で宗教(世界金銭教、私の造語)ともなっているお金の話はまた、いつかまとめて、書きます。いずれにせよ、この成り行き、結果に、そして未来に、日本国民は心配は要りません。

『画中日記』2020.05.06【武漢ウイルス(5)】

被害に遭われた方には誠にお気の毒だが、先の東日本大地震の後、民主党政権が倒れ、安倍内閣が現在まで続き、原発事故も含めて、その時の日本人の行動と、その後の復興が、世界の人々に感動を与えた。災難に遭った時、その時の行動が、人格を問われる。義援金をちょろまかしたり、火事場泥棒をしたり、災害で儲けようとする人たちは、後で、必ず罰が下る。

来年には、世界はガラッと変わるだろう。大震災後に、民主党が消え、その後の政党も先細り、新聞やテレビ、広告業界を含めたマスコミ界が退潮したのとおなじように、今度の、ウイルス騒動以後は、世界が大きく変わっていく端緒になるだろう。「悪因悪果、善因善果」で、「悪の栄えたためしなし」である。

下の文章は、11年前の「画中日記」をペーストしたものです。その時の、私と私の周りの状況と、今の状況では隔世の感があります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 2009.05.11【ウィルスか薬か】

最近の、新型インフルエンザに対するニュースや世間の過剰な対応には複雑な思いに襲われる。一つは、ウィルスは〈もの〉であるので身体の病原菌であるが、思想や宗教や芸術などの精神的な病原菌に対する対応はどうするのか。二つ目は、ウィルスはすべての人にとって害毒で文句のつけようがないが、精神的なものは世界観の持ち主本人にとってはむしろ病気を蔓延させたいのではないだろうか。

「丘の上の愚か者」と「麓の住人」の関係に似ている。「丘の上の住人」は、自分自身のことを〈薬〉だとおもっているので世のため人のため「麓の住人」の病気を治そうとしているのだが、麓の住人からは〈ウィルス〉だとみられている。「麓の住人」は多数派なので決して自分のことを保菌者だとはおもわない。

人は、病気に感染することもあるし保菌者になって他の人を感染させることもある。隔離させられることもあるし、自ら引き蘢ることもある。うつされることもあるし、うつすこともある。

「丘の上の住人」の一人としては、こう叫びたい。「私は〈ウィルス〉ではないのだ。私はあなたたちを元気にする〈薬〉なのだ!! 」

『画中日記』2020.05.06【武漢ウイルス(6)】

武漢ウイルス問題は峠を越して、日本では「大山鳴動して鼠一匹」になりそうだ。市民も現場も政治も、ベストを尽くしてくれて、私の、当初からの予想通りになるだろう。

しかし、世界はそうはいかないよ。ウイルスの発生源が、当初からネットでの噂通りの「武漢ウイルス研究所」であるならば、研究所を造り、ウイルスを作った、原因の解明が、これから先、どんどん進むだろう。以前ならば、根も葉もない陰謀説で片付けられたであろうけれど、今は、ネットの力で情報は瞬時に世界中に拡がる。マスコミがどんなにごまかそうとしても、真実には勝てない。武漢ウイルス研究所の設立、研究の関わった、国や人、金の流れは、アメリカの内部にも、影響するだろう。クリントン、オバマと続き、ヒラリーに引き継がせようとした、トランプが大統領になる以前のアメリカのことを考えれば、その勢力の絵図は予想がつく。アメリカのマスコミがトランプを目のカタキにし、日本のマスコミが安倍首相を目のカタキにする理由も炙り出されてくる。今回は、今後その証拠も出てくるだろうから、関係した当事者たちは、必死に隠蔽工作か、それも無理なら、論点ずらしで足掻くことだろう。

日本にも、この勢力は当然、過去もあったし、今もあるが、これは、日本ではそのうちに消えていくだろう。日本人の世界観が、天のモラルに反する行為には、本人に罰があたるということ、「自業自得」を信じているから。

フランスの「パスツール研究所」も研究に協力したというが、これは、微妙な問題なので、私には今判断できない。

『画中日記』2020.05.11【武漢ウイルス(7)】

今から11年前。この頃の日本の状況は、政治、経済、文化をマスコミが情報を独占、操作して、この年の9月に民主党政権(鳩山首相)を誕生させた。麓の世界が、この頃から東北大震災後までの数年間は、〈真・善・美〉の規範のない、本当に、悪夢のような時代だった。戦後からずっと続いてきた戦後レジームは、いまだに残滓は残っているが、武漢ウイルスで、弱り目に祟り目で、騒動以後は、その存在がより明らかになり、内部崩壊して消えていくだろう。

ーーーーーーーーーーーーー

『画中日記』2009.06.12【生きられる空間の相転移-2】

人間は誰もが(セザンヌやマチスといえども)麓で生まれ育ったので出自がもともと悪い。種が悪いのである。その種が育つときに最初は家庭、その次は学校、そして社会と、可塑的な人間は順次各自の環境の雌型によって自己の〈生きられる世界〉の型を作るのである。生まれ育った周りの環境がもともと麓なので、ナチュラルに人生を送れば麓の住人になるのは当然のことで、丘の上の住人になろうとすると、その〈生きられる空間〉そのものを相転移しなければ、できなければ、〈美〉という超越に届く筈がない。

そして、〈生きられる空間〉そのものの相転移なので、麓の住人からみれば丘の上の住人の生き方の規範が理解できないのである。そして、麓の住人の幸福の条件を満たしていない丘の上の住人は、つまり「助さん角さん」もいないし「印籠」ももっていないみすぼらしい老人は、セザンヌのように麓の住人の子供たちから石を投げられるのである。

『画中日記』2020.05.12【武漢ウイルス(8)】

日本は、安倍首相で間に合ったが、日本以外の国はこれからが大変だ。やくざが、やくざとしてしか生きていけないとしたら、内部で金を奪い合うしかない。やくざは、足を洗って正業につくしか、ゴーンのように「因果応報」で悪果しか生まないのだ。その点で、トランプのナショナリズムは正解だ。

下記にペーストした私の文章は、コロナ禍の今は、隔世の感がある周りの世界状況だ。過去(戦後から東北大震災まで)に日本が苦しめられたことに、今、世界は苦しめられている。

ーーーーーーーーーーーーーー

『画中日記』2009.06.13【生きられる空間の相転移-3】

生きられる空間の相転移は実人生では困難で希有のことで、つまり精神は丘の上で暮らしていても現実の生活の周りは麓の住人ばかりなので、孤独に耐えて超越に向かう強い意志を持続させなければならない。いちばん身近な肉親や家族や「助さん角さん」さえも、麓の住人なのだから。しかしそれでも、生きられる空間の相転移をしなければ、つまり生活環境(自分を入れる容器としての空間)と生活態度(生き方)を指向する目標に一致させなければ決してセザンヌのような画は描けないだろう。生きられる空間がナチュラルなままではどんなに努力を重ねても無理なことで、それは、内と外がフラクタル(全体と部分が自己相似の図形)だと考えれば、当然のことなのだ。(フラクタルということが解りにくければ鋳物を考えてみればいい。ブロンズ彫刻は雌型のとおりに作品が生まれる)

『画中日記』2020.05.13【武漢ウイルス(9)】

11年前の、この決断が、2010年(64歳)の東伊豆でのイーゼル画(直接描画)への挑戦のきっかけになる。そして、2011年の東北大震災で潮流が変わり、2012年の第二次安部内閣誕生、現在のコロナ禍の日本。日本も、その中に生きている私も、持っている羅針盤は正しい方向を、示している。

ーーーーーーーーーーーーーーー

『画中日記』2009.06.14【生きられる空間の相転移-4】

この2、3日の考えは競馬の4コーナー過ぎの僕の人生にとって、重要なエポックになることだろう。社会に対するポリシー(基本戦略)の変更を含むからだ。

ここ数年間は麓に降りていって芸術を伝導、折伏つもりでやってきたがここらへんでポリシー(戦略)を変える頃かもしれない。麓の住人と接触すると必ず自分の「生きられる空間」の一部が壊れる。おまけに、麓の住人は決して相転移はしない。麓の住人は決して丘の上に登ろうとはしない。誰もが麓で神殿を建てることが究極のゴールなのだから。

ハイリスクノーリターンを覚悟し、生活空間ごと相転移を意志する人だけが丘の上の住人になれるのだから人類史上何人も丘上の人がいないのは当然なことだ。登る途中で食料が尽きたりブッシュに阻まれたり道に迷って遭難したりでハードルは高く聳えている。たどり着けずに討ち死にした無名の死体は累々としている。たとえ丘の上にたどりつけても豪華な神殿はない。ただ何もない渺々とした草原があるだけなのだ。強い風の吹く渺々とした丘の草原で雲の中に頭を突っ込んでただ咆哮することを許されるだけなのだ。

それでも丘の上に登りたい。僕の走っているレースが、直線の長い競馬場であることを願っている。4コーナーでこれらのことに気付けて本当によかった。画家になってよかった。

『画中日記』2020.05.14【武漢ウイルス(10)】

11年前、私は〔生きられる空間の相転移〕を決意した。その後、2010年にイーゼル画を描くために東伊豆の借家を借りる。家賃は国民年金が2011年からおりるので、フライング気味だけど、なんとかなるだろう、と考え、その後、イーゼル画の、圧倒的、根本的な認識の転移の過程で、道元に出会い、道元から遡ってお釈迦さまに出会った。そして、今に至っている。

「世界はそうなっている」。

ヒラリー・クリントンが大統領であったならば、アメリカは、戦後レジームが続いていた東北大震災前の体制の日本と、相似している。それは当然で、戦後レジームの絵図はアメリカが創ったのだから。世界存在の軌持〔真・善・美〕に沿っていない、国、組織、人間は消え去る。日本と日本人は、いつもと同じ態度で生きていれば大丈夫だ。

世界中の戦後レジームの勢力は、全力で日本を攻撃してくるだろうが、むしろ、世界は日本を頼りにしている。東北大震災で日本が本来の日本に戻ったように、ポストコロナの世界は、日本が、世界観、人生観の見本となって、大きく変わっていくだろう。

-『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

執筆者:

関連記事

『禅の境涯』〔信心銘提唱〕澤木興道著 大法輪閣

『禅の境涯』〔信心銘提唱〕澤木興道著 大法輪閣 ■稲荷さんでも、金比羅さんでもよい。お参りした人がよう言う。盗っ人が神さんを拝んで、「南無大明神、金比羅大権現、どうか阿呆な人が私に盗られてくれますよう …

『正法眼蔵(2)』増谷文雄 全訳注 講談社学術文庫

『正法眼蔵(2)』増谷文雄 全訳注 講談社学術文庫 山水経 ■いまの山水は、古仏のことばの顕現(岡野注;現成の方がいいと思う)である。いずれも法に則して、その功徳を究め尽したものである。それはこの世界 …

『意識と本質』(精神的的東洋を索めて)井筒俊彦著 岩波文庫

『意識と本質』(精神的的東洋を索めて)井筒俊彦著 岩波文庫  意 識 と 本 質 ――東洋哲学の共時的構造化のために―― Ⅰ ■いわゆる東洋の哲人とは、深層意識が拓かれて、そこに身を据えている人である …

no image

『劉生日記』岸田劉生著 岩波文庫

『劉生日記』岸田劉生著 岩波文庫 ■宮田の話にて、先日の江川という男50円位なら余の水彩を買わんといいしと。不快に感じて断る。金のない人ならとにかく、金を持ちながら安くなら買おうと言ういう如きものに余 …

no image

『自我の哲学史』酒井潔著 講談社現代新書

『自我の哲学史』酒井潔著 講談社現代新書 ■あらかじめ見通しをいえば、われわれが通常、社会生活で是とする自我概念は、基本的には西洋哲学の自我概念の上に成り立っており、日本人は近代化においてそれを受容し …