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『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

『禅の境涯』〔信心銘提唱〕澤木興道著 大法輪閣

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『禅の境涯』〔信心銘提唱〕澤木興道著 大法輪閣

■稲荷さんでも、金比羅さんでもよい。お参りした人がよう言う。盗っ人が神さんを拝んで、「南無大明神、金比羅大権現、どうか阿呆な人が私に盗られてくれますように」「盗った以上はみつからんように」「刑事が後から追っかけて来ないように、どうぞ本願成就せしめたまえ」。――そんなのが信心と言うなら間違うておる。わしはそんなのを信心と言わん。

わしの信心というのは清き心、心の清らかなること、透明なること、透き通る気持ちになること。まあもっと難しい解釈もあろうけれども、そんな難しい解釈をしても、難しいばかりで分からん。そうすると、心を信ずる。心という字は、みな分かったつもりで話しておるけれども、この心という字を首楞厳経(しゅりょうごんきょう)というお経の中には、常住の理を信ずるとある。これを意味から言うと、間違いのない、過去現在未来、間違いのないところの道理を信ずるということです。これなら本当の信心でしょう。(24~25頁)

至道無難(しいどうぶなん)、唯嫌揀択(ゆいけんけんじゃく)

■これは非常に結構な文句で、卍山(まんざん)禅師という人は、「至道(しいどう)最も難し、須(すべか)らくこれ揀択(けんじゃく)すべし。若し憎愛なくんば、争(いかで)か明白を見ん」と、これを現在に作り替えて、ことに間違わないように教えてござる。で、至道ということは、今言ったように天地いっぱい、人間のこしらえたものでないというが至道です。(34頁)

■至道ということは、それは神様の道、仏様の道。人間のこしらえたものではない。根から生えたものなら、何にもどうせんでもいい。それを道元禅師は、眼は横、鼻は縦と言われた。眼横鼻直(がんのうびちょく)。天桂和尚という人は、鼻は飯を食わんものじゃぞよ、臍が飯を食っても行かんぞよ、飯は口から食うものだ、屁は臀(しり)からひるものじゃと言われた。これが至当(しとう)だ。元からある。元からある通り、終いまである通り、お天道様が東から出て、お月さんが西の空にぽおっとかかる。元からある通り。これは譬(たと)えなので、元からある通りの道理、それは何もこしらえられたものではないから、難しいことはない。これが人間にすれば天真爛漫じゃ。孔子に言わしたら、天なにをか言わんや。老子に言わしたら、自然に則(のっと)る。趙州(じょうしゅう)という人は大道長安に到る、真っすぐ行け、と。そうすると、真っすぐに行く。(35~36頁)

■そんなものではない。真っすぐにすっとこう入って行く。その真っすぐにすっと入って行くのが非常に難しい。真っすぐにポッと入れん。いわゆる素直でない。で、素直なものなら、回り道をせずにすうっと入る。ところが、邪魔する妙なものがたくさん入っておる。これを先ず学問というか、邪魔をする。ああも言えるのではないか、こうも言えるのではないか、そう言えばしようがない。こうしようじゃないか。――遠回わりして、とうとう入れ物のぐるりから中へ入らないでしまう。そこが唯嫌揀択(ゆいけんけんじゃく)です。ただ揀択(注)を嫌う。(38頁)

(岡野注) ;揀択(かんたく)――より分け選ぶ。区別する(角川漢和中辞典)。

但(た)だ憎愛莫(ば)ければ、洞然(とうねん)として明白なり

■そこに好き嫌い、うまい味ない、良し悪し、いろいろな概念が起こって、憎愛するからであるが、憎愛なければ本来無一物(もつ)です。

六祖大師はこれを本来無一物と言うた。般若経には畢竟空とある。

この憎愛のない人を、『証道歌』の中には「絶学無為の閑道人(かんどうにん)」と言っとるでしょう。絶学無為の閑道人というのは、この憎愛のない人である。冬と夏とどちらが好(い)いかと言えば、それは冬が好いとか、夏が好いとか。なあに、冬になると夏が好いと言うし、夏になると冬が好いと言うのじゃ。昼と夜とどっちが好いか。夜になると昼が好い、昼になると夜が好い。そうして鬼ごっこをしておるが、」それが人間の迷いというもので、夜が夜で、昼が昼じゃ。(42頁)

円(まど)かなること大虚に同じ、欠くること無く余ること無し

■これは「至道無難」の至道を受けて、「円かなること大虚に同じ」。我々は無理やくたいを信じんならんことはない。天地いっぱいの、疑いのないところを見届けるのである。

人間、一体なんのために生れて、何をどうすればよいのか。でたらめ放題に、黙って放っておけば、動物とあまり違いはない。ロダンの言葉に、「人間は自己の鍛工者(たんこうしゃ)となり得る」というのがある。自己の幸福を自分でこしらえることが出来るのが人間だ.猫や犬は自分の幸福をどうすることも出来ない。人間が可愛がってくれれば、あれは幸福なのである。人間が可愛がってくれなければ、虐待すれば、不幸なのである。それがどうすることも出来ない。警察へ言って行くことも出来ない。馬が警察へ言うて行った、そんなことはありゃせん。

人間は自分の幸福を自分で工夫し鍛錬するところの工夫、職工となり得る。それには、我々は修養せねばならん.それは自分の幸福を鍛錬するのである。こしらえるのである。(50~51頁)

■高杉晋作が結核になった。気性の強い奴の結核患者だから、歯痒かったと思う。野村望東尼が看病をした。野村望東のことを、お婆さんお婆さんと言う。

「お婆さん、筆と紙を取ってくれ」

そして、俯(うつむ)けに寝たまま「面白くない世の中を面白く」と書いてから、

「お婆さん、それから後を書いてくれ」と言う。そうすると野村望東が「過ごすは人の心なりけり」と下の句を付けた。

面白くない世の中を面白く、過ごすは人の心なりけり

高杉晋作は感心した。「やはりお婆さんは、うまいな」と感心したという。(52頁)

■この同じは、通常の外側のものが同じという意味ではない。無差別である。一切のものが無差別じゃが、おなじではない。それだから我々でも、顔はみな違うけれども、これを照焼きにしたらみな同じであろう。また、生まれて来る前もそうだ、器量が良(い)いたら、悪いたら言うけれども、あの生物学の標本を御覧なさい。顕微鏡で見たら拡大される、大きな単細胞である。(59頁)

能は境に随(したが)って滅し、境は能を逐(お)うて沈む。境は能に由って境たり、能は境に由って能たり

■能というのは主観です。主観は客観に随って滅すである。境は客観である。で、花を見る時には、花より他に人もなければ――そうでしょう。花を見る時は花ばっかりじゃ。ボタ餅を食っておる時は、わしはない。ボタ餅ばかりだ。「境は能を逐うて沈む」。わしがボタ餅を食っておらんなら、わしばかりしかない。(107ページ)

大道(だいどう)体寛なり、難無く易(い)無し

■お前の幸福はわしの幸福、お前の嘆きはわしの嘆き、ここに人間の長閑(のどか)な――右に至れば君侯の位に住する、――大道体寛なり。天地もガラス張りですよ。大道体寛なり。だから、円かなること大虚に同じ。大道体寛なり。(111頁)

■「難無く易無し」、なんでもない。(113頁)

昏沈(こんちん)は不好(ふこう)なり

■ウンウンやるのが繋念で、ボーッとしておるのが昏沈は暗い世界に行くんだから、不明瞭な世界に行くんだから、これはよいものじゃない。元来人間は不明瞭なんである。不明瞭なせかいにおって、さらにその上に不明瞭になるんだから、本物じゃない、だから「昏沈は不好なり」。(123頁)

不好(ふこう)なれば神(しん)を労(ろう)す、何(なん)ぞ疎親(そしん)を用

いん。一乗に趣かんと欲すれば、六塵(ろくじん)を悪(にく)むこと勿れ

■仏教は仏になる道です。一乗に趣かんと欲せば、仏になる、すなわち成仏の究竟(くきょう)の道ということです、もうこれより他に何もない。この究竟(くきょう)の道、この一乗に趣かんと欲せば、「六塵を悪(にく)むこと勿れ」――悪いものは何もない。(128頁)

一如体玄(いちにょたいげん)なれば、兀爾(ごつに)として縁を忘(ぼう) ず

■葛城の慈雲尊者は「業(ごう)は報を知らず。この知らざるところ、道存(みちそん)して滞(とどこお)らず塞(ふさ)がらず。この中に楽しみあり。間断なく欠失(けつしつ)なし」と。(151頁)

■世界の事実がこうあるんです。「風定まって花なお落つ」――風は止んだけれども、それでも花は散る。なにも風があるのに限らない。「鳥啼いて山さらに幽なり」――鳥が啼けば騒がしいかというと、鳥の啼声を聞いておると、「鳥啼いて山さらに幽なり」「風定まって花なお落つ」。――この事実です。この事実が一如体玄です。(153頁)

其の所以(ゆえん)を泯せば、方比(ほうひ)すべからず

■「人のところがめでたいのに文句を言う」と言いよったが、それが、5年か6年後には、その母親が子供を置いて死んで、もう早めでたいのは、6年前の夢になってしまった。実際、実に、めでたくもあり、めでたくもなし。「其の所以(ゆえん)を泯せば」――泯滅(みんめつ)する、なくするということです。どうでもないということです。(162頁)

真如法界は、他無く自無し

■真如法界は天地いっぱいのものであって、お前もわしも、山も河も、天地いっぱい、真如法界でないものはない。真如法界の他には、わしもあんたもない。(172頁)

禅宗における行について

1、禅宗と坐禅

■「禅宗における行について」――もとより禅宗と言っても、道元禅師のお言葉によれば、禅宗という宗旨が取り立ててあるべきはずはない。釈迦の正法(しょうぼう)を行なう宗旨であるが、達磨が坐禅をしておったその時分には、他の人はあまり坐禅をしていなかったものとみえる。それは翻訳が忙しいために、いつでも学者というものは坐禅をする暇がない。それがために坐禅をする者が珍しかった。そこで坐禅をする宗旨というものを簡略にして坐禅宗、もう1つ略して禅宗、とこういうふうになったということになっております。しかし単に坐禅するというだけでなく、仏の教えによって生活をするということが私達の信ずる宗旨でありますが、その坐禅というものがこの正門(しょうもん)となる。(185頁)

2、迷の根源と仏教の真髄

■結局何かと言うと、この「智慧なし」ということは無量無辺ということがうまく入らぬことです。仏教というものをよく研究してみると、無量無辺ということである。無量無辺無念無想という。無念無想というのはどういうことかと言うと、無量無辺ということがうまく入る境涯です。無量無辺ということがうまく入らぬから、それは邪念です。他力と言うたり仏任せと言うたりするけれども、仏に任せてこっちで考えぬから無量無辺がうまくぼそっと入る。法華経の中に久遠実成(くおんじつじょう)、真身久遠ということが書いてある。それがうまくぼそっと入るのは無念無想だからである。(195~196頁)

4、覚触(かくそく)の生活

■そこで我々は何とかして澄んだ世界からこの生活を見、生活によって澄んだものを工夫し、澄んだ鏡によってこの生活を導き鍛錬して、造次(ぞうじ)にも顚沛(てんぱい)にも一切の場合に、この自己を見失わないようにせねばならぬ。これがすなわち私達の生活即宗教である。それに立脚すれば、そこに一脈の澄んだものが現われる。

そういう坐禅即生活の中に覚触ということがあります。私達の宗教的形式の中には、こうした澄んだ気持がある。肉身でこの気持を体験するのが覚触です。こうやって、ふらふらしておるのが酒飲んで酔っぱらった覚触、こうして坐ったら坐った覚触、この覚触によって人生の羅針盤のような、バロメーターの狂いつつあるものを徹底的に狂いのないものとするような、標準時計のような、標準物差しのような、そういう宇宙とぶっ続きの、仏とぶっ続きの、一切衆生とぶっ続きの覚触を得るのが我々の坐禅の修行であります。(210~211頁)

(2013年10月4日)

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『沢木興道聞き書き』酒井得元著 講談社学術文庫

■「半偈(はんげ)の真実の道を開くために身を捨てた雪山童子の話」――雪山童子が雪山に住したとき、天帝釈(てんたいしゃく)が化けて羅刹(悪鬼)となり、雪山童子の面前に現われて「諸行無常是れ生滅の法」と言った。童子はこの言葉を聞いて心に喜びを感じ、「どうかそのつづきを言ってほしい、言ってくれたら、自分はあなたの弟子になりましょう」と言った。すると羅刹は「つづきの半分(半偈)はよく知っているが、おなかがすいて、もう一口もしゃべれないよ」とうそぶいた。そのとき童子は、すこしもためらわず、「では、私の身をさしあげましょう。どうかあとの半分を言ってください、そしたらすぐ私を食べてください」。ここにおいて羅刹が、「生滅已寂(いじゃく)滅為楽(いらく)」と叫んだ。童子はこれを木や石に書きつけておいて、それからもう思い残すところなしと、高い木から身を投じた。その瞬間、羅刹に化けた天帝釈が童子の身体を受けて救った。この童子こそは、釈尊がこの世に生まれる前身だったというのである。(44頁)

■笛岡方丈は身体の弱い人だったので、時とすると一晩中方丈で頭を揉むようなことがあった。そんなとき、師はいろいろな話をしてくださった。あるときの話に、

「宗門の多くの人は、教外別伝や不立文字(ふりゅうもじ)ということを浅く解して、教相(仏教学一般)を勉強せぬ人が多い。しかし教相を知らぬようでは、宗門の最上乗禅を発揮することはできない。石川素童和尚がかって、東京の日ケ窪の曹洞(とう)宗大学林の講師をして、『従容録(しゅうようろく)』の提唱をしたときに、天台宗の坊さんが聴講に来て、自分(笛岡)に『あれが、あんたんところの宗乗(宗旨)ですか』と尋ねたから、『ええ、そうです』と答えたら、『では曹洞宗という宗旨は、別教の分際ですな』と言った。ところが、そのころの自分は別教ということが、どんなことだったたかわからなかった。それで、それからは広く仏教一般の教相を学ばねばならぬと思って比叡山へ行って勉強することにした。天台宗では教相判釈といって、仏教をその宗旨の浅深によって、蔵教、通教、別教、円教の4つに分けて、円教を最高最深の教えとした。すると別教は、円教より1だん低い教えということになる。そういう他宗の学問も広く勉強していないと、このように天台宗でいう円教にすら到達せぬ別教の坐禅を、とくとくとして、みずからもやり他人にも説いていることがある。外道も小乗の人も、権大乗の人も、実大乗の人もみな同じように坐禅して、外形は同じだ。ただ、その坐る内容がまったくちがうのである。それゆえ、広く仏教のいろいろな教相を勉強して知っていないと、自分のやっている坐禅が小乗か、大乗かさえわからず、道元禅師のお教えになる最も深い『只管打坐』(ただ坐る坐禅)もわからないであろう。

――只管打坐ということは、教相や学問を持ち込んで坐るのではないが、祖の『只管』という意味内容が納得できて、只管打坐するのでなければならぬ。それにはどうしても、深く教相を学んで修行を誤らないようにしなければだめだ。教相は、もの指しであり、秤(はかり)である。興道さんも、だから教相をうんと勉強しなければいけない」――

師はこんなふうに教えられた。後年になって、わしが法隆寺で教相を本腰になって勉強したのも、あのころの笛岡方丈の示唆によるものである。(87~88頁)

■実際、人間というものは一時の興奮で、他人との張り合いに命がけになって、なんでもやるものである。しかしどこまでも冷静に命がけで日々の行持(ぎょうじ)を守り通して、静かにやってゆくことはなかなかむずかしいことである。

だいたいこのわしという人間は、いつも命がけの名人であった。戦争中の武勇は、まったく法被がけに、豆絞りの手拭いのねじ鉢巻、尻まくりで、大暴れに暴れ回ってきたようなもんだ。そんなところが、前半生のわしというものである。

ところがその後、道元禅師の前に出て、もじもじしながら尻まくりをおろし、ねじ鉢巻をそっと解いて、腰をかがめて、おとなしく、小さくなって、ひざまずいた、というのが現在のわしというものである。

道元禅師の『学道用心集』にいわく。

――「その骨をくじき髄を砕くを観るに亦(また)難(かた)からざらんや、心操を調(ととの)ふるのこと尤(もっと)も難し。長斎梵行(ちょうさいぼんぎょう)も亦難(かた)からざらんや。身行を(しんぎょう)を調(ととの)ふるのこと尤(もっと)も難し。若し粉骨貴(とうと)ぶべくんば、之(これ)を忍ぶ者昔より多しと雖(いえど)も得法の者惟(こ)れ少なし。斎行の者貴(とうと)ぶべくんば、昔より多しと雖(いえど)も悟道の者惟(こ)れ少なし。是(こ)れ乃(すなわ)ち調心甚(はなは)だ難きが故なり。聡明を先きとせず。学解を先きとせず、心意識を先きとせず。念想観を先きとせず。向来(きょうらい)都(すべ)て之(これ)を用(もち)ひずして身心を調へて以(もつ)て仏道に入(い)るなり」

わしなども道元禅師の家風に入ったからこそ、修行もさせてもらえたので、もしそうでなかったとしたら、わしなどは非常にずるい性質で、商売をやろうと、何をやろうと一人前以上やり、相当に悪辣なことをやってのけたことであろう。非常に腹を立てやすい人間だったから、人の一人や二人は殺していたかもしれない。

しかしそんなことをいっさいやめて、神妙にして、目立たないようにして、一向にご利益のない坐禅に安住することのできたのは、じつに永平高祖のおかげである。

身心(しんしん)を調(ととの)え――どんなことに出会っても、乱れない、乱されない。自己の本心を見失わない。これは真の勇者でなければ、できることではない。これぞ大丈夫の仕事であり、仏法行であるのだ。(120~121頁)

■ところがある日、「学問の為に寝食を忘れる者はあれど、行法の為に寝食を忘れるものは珍らし」という文章を読んで、得意な鼻がペシャンコに押しつぶされた。一ぺんに、ペシャンコになってしまった。相手があっての頑張り合いのために、すなわち名利のためには、我々は容易に熱狂し、寝食を忘れることができるが、冷静透明に行法のために命を投げ出すことは容易なことではないのである。(130頁)

■ 実際、真実の道はいつも社会性をもつとはかぎらず、流行るとはきまってはいない。社会性があり流行るものに、必ずしも真実のものがあるとはかぎらない。人間の五官の欲望を満足させるようなものには、かえって真実のものがないのだ。だから我々はどこまでも、ひたすら真実のところに向って、真の自覚をもち、人間の欲情を相手にすることなく、仏祖のみを相手にして精進するのでなければならない。

こういうしっかりした自己を持っていないと、もし自分の行道(ぎょうどう)に随喜するものがなく、弟子もできず、同行者もないということになると、ただ一人の淋しさに堪えかねて、自信を失い、さらに時分のしていることが、果してよいことであるかどうかもわからなくなる。だれもやるものがなくて、自分一人だけ馬鹿正直にやっていることが、いかにも馬鹿馬鹿しく思われて、ついに中絶することもあるであろう。(176~177頁)

■「今度の講習の7日間は、みなさんのご努力のお蔭で、本当に理想的な共同生活をすることができました。それにつけても思い出すのは、私が大和におったころ、わが国の学校教育がみな西洋の学校教育の模倣にすぎず、何1つ西洋にまさるところがない。それでも何か1つぐらい昔からの日本の教育制度に採るべきよい点はないかと、文部省で方々へ人を派して各宗の学校及び叡山、高野山などを視察させたことがありました。ところが、そのどちらもが、現代の学校制度のまねばかりで、しかもそれが東京の多くの学校より劣っているというのです。そして私のいた法隆寺勧学院にもその視察がやってきましたが、そのとき私も何らよい具体案をもっていませんでした。しかし、いまにして思えば、わが宗門の叢林生活、僧堂生活こそ、現代の学校教育に大いに取り入れらるべき、すぐれてよいものをもっていると思います。叢林には、配役ということがあります。この配役の制度がよく行なわれるときにのみ、はじめて共同生活というものは理想的に営めるのです。今度の講習会にしても、典坐をやる人などは数多い人の食事をつくらなければならないのだから、お袈裟の講習に出席しているとはいいながら、7日間1度も法益を聞かずに、大衆のため次の食事の用意をしなくてはならない。しかもその人たちは私のお膳でもさがってきて、お膳の皿などがきれいになっているのを見て『まあ、よく召しあがってくだされた』と言って、それで満足するくらいなものであります。広い社会で、みんながみんな花形になれるわけはない。――

獅子舞の太鼓たたかず笛吹かず、後ろ足となる人もあるなり

だれか縁の下の力持ちにならなければ、社会は成り立たぬわけであります。配役にはもちろん、花形の役もあれば、縁の下の力持ちの役もある。元来、配役に高下のあるべきものではない。ただ、これを尽くす人の態度にあるのであります。――

後ろ足となっても、不平も言わず、文句も言わず、その後ろ足に成り切って、その後ろ足を十全に果たす、そのときに人間の深い悦びが自覚されるのであります。この自覚された人間の深い悦びというのは、表立って多くのものを支配したり、所有したりする誇らしい喜びではありません。つまり、外目にはどんなつまらぬことにせよ、力一ぱい働くところに本当の浄(きよ)らかな悦びがあるのであります。この浄らかな悦びには敵するものなく、競争もなく、永遠に失望することもありません。これほど偉大な悦びは、またとあるまいと思います。こんなところに、本当の実物の仏法、正味の仏法があるのであります。――

仏法僧の三宝と言いまして、僧宝が1つかけてはならないことは言うまでもないことであります。僧宝は僧伽(そうか)と言うことで、理想的な共同生活のことであります。この共同生活は仏法の具体的な活動でありまして、この共同生活を円成させるもの以上に淨らかな悦びはほかにはありません。この浄らかな競争のない悦びのなかには、自分の権利だとか、何だとかいう、とかく生活をぎこちなくするものは存在しないのでありましょう」(240~241頁)

■これまでのわしの生活は、これといって仕事といったものをもたず、それかといって遊んでいるというのでもなかった。衣食住のことは、ほとんど念頭になかった。食わされれば食う、食わされなければ食わぬ。衣類も着せられれば着るが、自分では着ぬ。一切生活を追い求めることはしないというのが、わしという人間の日常である。「ただ真っ直ぐにむこうを向いて行くばかり」というのが、これまでのわしの一生であったが、今後もそうであろう。「嬶(かか)をもつことはあっても寺はもたぬ」と発心し、寺をうかがうことを放棄してある。そうでなければ、「ただ真っ直ぐにむこうを向いて行くばかり」ということはできない。

また出世しようということも断念して、出世しないように努力しなければ、やはり「ただ真っ直ぐにむこうを向いて行くばかり」なんていうことはできることではない。そのわすが、昭和10年(56歳)に、どういう都合か、どういう風の吹き回しか、駒沢大学に就職しなければならなくなってしまった。(258頁)

■経済生活を追い求めたら道は求められないと決まっている以上、仏道の行者にとっては、宗門の規則や資格というようなものは別に益するところはあるまい。これらのものは仏道のことでなくて、人間娑婆世界の生活上のことである。仏道の行者が修道を捨てて娑婆と関係をもとうとするとき、規則と資格によらなければならなくなるのであろう。

娑婆世界のことは、そのときどきのご都合次第だけのことであるから、猫の眼のように変わるのが当たり前である。真実に生きんとするものは、こちらからその都度これに応ずるには及ばない。次から次へと変わってゆくものを追っかけて一生ふらふらしていたのでは、それこそ一生を空しくしてしまうものである。(263頁)

(2013年10月12日)

-『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

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