「 全元論 」 一覧
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(注)メンコでの駆け引き (59頁) メンコ(僕の地方ではパッチンと呼んでいた)でも、それぞれの技術を競う。手の技術と、ゲーム全体の考え方。技術の問題として捉えるのと、もう一方で、上着の下のボタンを外 …
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(11)修証一等(63頁) 曹洞宗の二祖で、道元の最初の弟子の懐弉(えじょう)が、『正法眼蔵随門記』を書いている。これがまた面白いのだ。道元が宋から帰国したとき、あちらから日本に帰るときは空海や最 …
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(10)漱石は僕には面白くない(56頁) 芸術というと、昔の子供が最初に出会うのは美術や音楽ではなく、学校の図書館での本(文学)であるのだが、小学校の5年生頃から僕の本好き、活字中毒は始まった。学校の …
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(9)上位概念でしか解決できない(53頁) 本来そうでない位置で、そうであるかのごとく、余計なことをしているのだ。そこを相手にしてはいけない。上位概念を持たないといけないのだ。慧可の悩みも「ある」こと …
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(注)ギンヤンマと仮説演繹法(51頁) 科学の方法である仮説演繹法について話そう。 仮説演繹法というのは自然科学の方法である。ある現象を、統一的な因果率で認識しようというアプローチの方法なのだ。具 …
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(8)パズルのピースがぴっちりと嵌った(47頁) 僕はもともと広範囲に興味があった。たとえばジグソーパズルの全体を思い浮かべてほしい。僕の場合、ばらばらにピースを持っていたとしても、興味のある部分のそ …
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(7)時間も空間も〈今、ここ〉とズレてはいけない 一般には、ブラーフマンとアートマンを分けたほうが考えやすい。ブラーフマンとアートマンの一致同調した世界は、西田幾多郎は「主客合一」「絶対矛盾の自己同一 …
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お釈迦さまも現成した、誰もが現成した ちなみに美とは決して「人それぞれ、百人百通り」ではない。美は、真や善と同じく実存の内在ではない。これは描写絵画における大前定である。人それぞれだとしたら、「自分、 …