(10)漱石は僕には面白くない(56頁)
芸術というと、昔の子供が最初に出会うのは美術や音楽ではなく、学校の図書館での本(文学)であるのだが、小学校の5年生頃から僕の本好き、活字中毒は始まった。学校の図書館で、自分で選んで、手探りに読み散らかして、自分にとって面白い本を探していったのだが、小説家でいうと、夏目漱石から大正ロマンのあの辺が一番ダメだなと僕は思っている。それと「戦後民主主義」も同様だ。漱石に比べたら中学生の時に読んだ志賀直哉や森鴎外の方が面白かった。夏目漱石は有名だし、『坊っちゃん』や『我が輩は猫である』等は大衆小説なので、最初に読むのだけど、どこが面白いか分からなかった。それでも、その後何度も漱石の他の作品に挑戦するのだけど、そのつど本を読み進める興味がわかなかった。『三四郎』『草枕』『こころ』……、面白くなかったなあ。分からないというより、何を作者は書いているのかというと、3Dアート(ランダムドットステレオグラム)でいうとランダムなドットの世界なのだ。日常生活、世俗、世故のことを書いていて、世間がどうとか情に棹させば…とか言っても、それらは俗事だ。主人公の懊悩も、世俗との関係の悩みだ。今になっておもえば、漱石の、西洋近代哲学の自我意識を強調する世界観が、僕にはシンクロしなかったのだろう。
自分で本を借りて読もうと思って、子どもの頃に学校の図書室に行っても、アドバイスもガイドもないので、どういう本を読んでいいか分からない。何から手をつけていいか分からないから、手探りの行き当りばったりで適当なものから読んでいった。「少年少女偉人伝」の類のシリーズにエジソンなどがあって、そこで記憶に残っているのが塙保己一の名前。この本を選んだのは山中鹿之介や塙団右衛門のような英雄豪傑だろうと思って、借りたのだが、国文学者の話で、予想がはずれた。予想はずれで面白くなかったが、その時に、自分に決めた「決まり」は、一度借りたり買ったりした本は、なにしろ最後まで読み通すというものだ。そうしないと、途中で投げ出すという悪い癖がついてしまう。関孝和の和算などは、読んで面白くはなかったが、そのころこんな世界と人生もあるのかとおもい、読書に興味が広がった。そうやって、手探りで読み広げて、やっと自分が面白いとおもい、自分から熱中して読んだのは国木田独歩だった。
国木田独歩の『画の悲しみ』『馬上の友』『非凡なる凡人』『源伯父』『忘れえぬ人々』『春の鳥』などはとても面白かった。また、よく覚えているのは、志賀直哉。志賀直哉はたいへん印象に残っていて『清兵衛と瓢箪』では、清兵衛が瓢箪作りに熱中するのだが、いろいろあって山ほど作った瓢箪は、最後には捨てられてしまう。
これは僕のメンコでの体験(注)に通じるものがある。一生懸命に熱中して何かを作っても、若いときの一時期に終わるならまた別のものに向かって復活する道もあるのだが、もしそれが一生の最後にゴミになってしまったら、その人の一生はたまらないではないか。しかし、では何がゴミになるのか、何がゴミでないのか、そこは分からない。
僕は高校の途中で芸大受験に転向し、結果的に画家として一生を過ごし、今に至っている。その時の、人生の分岐は「おお、やっと自分の進むべき道、ゴミではない道に当たったぞ!」と思った。当時は、大学の進路を考えると、色んな可能性を考えた。数学の数式を解くのに一生をかけるとか、昆虫の研究とか、自分の一生をかけても興味の尽きそうにない、いろんな道があるが、しかし哲学や数学や昆虫の研究をやっても生活のためには、哲学や数学や生物の先生にならないと生きてはいけない。ところが絵は、それに全人生を賭けてもやりがいがあるし、なおかつ絵で食えるかもしれない。生きていけるかもしれない。哲学では生きていけないので、どこかの先生になったり売れるような本を書いたり、何かしないと、生きていけない。まず世俗のハードルを超えなくては生きていけない。
絵なら生きていけるかもしれないが、「かもしれない」と覚悟を決めたら、もしうまくいかなくても仕方ないのだ。それを禅では「百尺竿頭進一歩」といい、竿の先に登ってまだ先まで進め、ということである。つまりそれでは「死ぬではないですか?」と言っても「死んでもいいではないか、一歩進めよ」という話だ。
道元も言っているのだけれど、何かをやるためには、先延ばししてはいけないのだ。生活をきちんと成り立たせてから何かしようとか、病気がすっかり治ってから出家しようとか…。発心(ほっしん)したら即やらなくてはならない。これは在家の人に対していっているのではないけれど、何かをしてからにしようとか、そんな心得違いでは、短い一生のあいだに発心し、成仏することはないのだ。