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(35)メンコでの駆け引き

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(35)メンコでの駆け引き(108頁)

メンコ(僕の地方ではパッチンと呼んでいた)でも、それぞれの技術を競う。手の技術と、ゲーム全体の考え方。技術の問題として捉えるのと、もう一方で、上着の下のボタンを外して服の風も利用する等いろんなインチキなやり方も含めて、大人の世界と同じ事だ。そして暴力も。

もちろん、本気でやり取りする(ホンコ。遊びはジャラコ)ので、一枚ごとの取りっこはまどろっこしくて小さい子だけ。僕達の勝負は、リンゴ箱のような台とか、階段とか、階段状の場所を使った。

その台の上に何人かが、五枚出しとか一〇枚出しとか最初に決めた枚数を出しあう。上にひとかたまりにしておいて、最初は下に二、三枚置いておく。ジャンケンで順番を決めて、順番に自分の親札のハタいた風圧で、上の札を下段に落とし、下の札と、裏と裏か、表と表で二枚が重なれば(語源は分らないがテッションと呼んでいた)全部のメンコが自分のものになる。ちなみに、裏と表が重なるとオンメン(オス、メス)と呼んだ。

メンコが三枚以上重なって団子状態(クソと呼んでいた)になると、これは罰金で五枚出しの場合は五枚出して上の固まりを整えて、次の番のひとから再開する。

このゲームのコツは、上の固まりの札を乱暴にバラけさせると、後に続くひとにチャンスを与えるので、落とす札に狙いをつけたらその札1枚だけを下に落とす技術をマスターすることだ。その方法はネ…こんなことを言い出したら切りがないなぁ。

メンコのゲームで大勝負になると、下の札をギリギリに詰めていく。詰めていくと、上から落とした札は殆どが三枚以上に重なってしまう。そうすると、上の札が罰金で山のようになる。みんなの勝負の狙いどころは下の札のいちばん外側のメンコに上の札を落とすことで、その場合だけにテッションの可能性が少しある。

社宅の子供がメンコをよくやる場所は、集合浴場の入口のセメントの階段で、一番上の踊り場に溜まりを作り、下の階段に札を落として遊んでいた。端っこを狙うほかに、リンゴ箱に比べて、階段は高低差が小さいので、落とす札を階段の立っている面に滑らせて落とし壁に寄り掛からせて下の札と重ねる、という超難度の技をマスターしている子供もいた。要は、努力なしには勝てないのだ。また、その努力が勝ち負けという結果につながるから、楽しいんだ。

しかし、大勝負になると、技術だけで勝負は決まらない。腕力に自信のある、あるいは年上の相手だと、自分がテッションした時に、グズグズしていては駄目なんだ。グズグズしていると、必ず難癖をつけられる。いいがかりは何でもいいんだ。「ここの、繊維の一本が、毛が隣のパッチンと重なっトローガ…」でも「上着の下のボタンをはずしトル…」でも、何でもいいからイチャモンをつけて、自分らの負けを阻止するんだから。

勝った時は、嬉しくても自慢する暇はない。「テッション!」とか「取った!」とか「やった!」と宣言して、すばやく場を崩さなければ駄目なんだ。必ず誰かが難癖を付けるんだから。

年下の場合や腕力に自信がない子供はどうしたらいいんだ。

大勝負になって、罰金罰金でメンコの数が大きくなるし、勝負が決まる時間も長くなると、ギャラリーの子供も次第に増えてくる。

そういう時に、一人、ギャラリーの中で味方を付けるんだ。まだ勝負の決まらないうちに「オメー(お前)、かき集め係やってクレー」と頼んでおく。「取った!」といったら、その子が手伝ってさっさと場を崩して大量のメンコを集める。その代わりあとで二、三〇枚(数人だと一〇枚づつ)メンコをやるんだ。

もし、一人で孤立すると、勝負に勝っても、難癖をつけられたり、勝ったメンコを家に持ち帰るのを「勝ち逃げスルンカ」などと言われて、色んなハードルがあるから、仲間をあらかじめ作っておく。年上の連中は、大人の話していることを聞いての受け売りだろうが「勝負は下駄を履くまで分らない」と言っていた。たぶん、賭場から出る時に下駄を履くまで、つまり勝負を終えて帰り支度をするまで、勝ち負けは決まらない、というような意味だろう。そういう風に、実体験というのは、そんなもんだ。一人でやるコンピューターゲームとは違う。いろんな事があって単純にはいかない。

いつも負けている子も、色々と考える。弱い子は、いつも「つばめや(玉にあったおもちゃや)」にパッチンを買いにいかなくてはならない。その頃、鋏で切り離して使っていたメンコから、新しいデザインの相撲パンというメンコが出てきた。化粧まわしの実在の相撲取りが両手を顔の横に上げた形の、矩形ではないメンコで、一枚づつ打ち抜いた今でいうブランド品だ。弱い子どうしがこのメンコで遊んでいる中に加わろうとすると、相撲パン以外はダメだという。そのために、今まで使用していたメンコの価値が暴落し始めた。最初の頃は、それでも相撲パン一枚と並みのメンコ三~五枚と交換していたのが、一〇枚になり、そのうちにもうただの紙切れになってしまうのだった。倒産した会社の株券と同じだ。あの頃僕の持っていたリンゴ箱一杯のメンコは、最後にはクド(かまど)の焚き付けに母に燃やされてしまった。

後年、何かの小説で、似たような話を読んだ。…昔、エスキモー(昔はこう呼んだ。イヌイット)の長老が死ぬ前に一族の前で言った。「皆の将来の生活は心配無い。◯◯に充分な貯えを埋めてある。私の死後それを皆で分けなさい」。死後、そこを掘ったら、厳重な木の箱の中にカンが一個入っていた。カンの蓋を開けると、中には錆びた釣り針が何10本か入っていた。…という話。

そういうことがまったく無駄だったかというと違う。いろんな遊びを経験してきて、すべて面白かったが、芸術が一番面白い、という事を気付かせてくれた。だって芸術は、何と言っても、人生を賭けたゲームだもの。僕の一生を賭けたゲームだもの。この面白さはないよ。他のゲームは、賭ける物がメンコとかお金とかだが、こっちは、人生を賭けているんだ。目的は、金銭や地位や権力という相対的な価値ではなくて、絶対的な超越に向かって、自分の人生を賭けるのだから、だからハイリスク・ノーリターンの芸術は人間の最高の放蕩なんだ。

いい絵が描けなければ、ほかでどんなに成功しても負け。その代り、人生は不幸でも、いい絵を残せば勝ち。だからゴッホなどは僕からみれば、人生は悲惨でも、あんなに美しい絵が描けてうらやましい。

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