岡野岬石の資料蔵

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(34)少年が遊びから学んだこと

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(34)少年が遊びから学んだこと(106頁)

たとえば当時の玉の社宅の子供は、こういうゲームをして遊んだ。二人から五人くらいで、ビ-玉(ランタン)を握って、皆の合計数を当てた人が全部貰える。数を言う順番は一回ごとにずらして廻していく。他人の言った数は、後の人は使えない。握る数の上限はあらかじめ決めておく。これには理由があるのだけれど、今は略します。大人はこれをお金でやるのだけれど、子供はポケットにジャラジャラと入っているビー玉を握って、遊ぶわけだよ。

当たった人が貰える。誰も当たらなかった場合には、その勝負は流れる。何人でやってもいいのだけれど、人数が多いと上手下手の差は小さくなるが、二、三人でやると確実に強い者が勝つ。人に当てられると、自分の持っているものは取られるのだから、仮に五つ持って負けるとまずいから、どうしても一個だけ持って当てたい。負けても一個だ、というのが皆の共通の心理で、お互いに一個が基本。一個づつ持って、これでやるわけだ。で、僕が先に言うよ。「2」。僕が2って言うとあなたは勝ったと思うだろう。

 「3」

「3」と言って二人が手を開けたら僕が三個持っていて、貴方が二個だから全部で五個。それだから、この勝負は流れ。二人でやる時は、相手が先に言った数から、相手の握ったビ-玉の数を推理できるので後から言う方が有利だ。素直に考えれば、僕が「2」と言えば、僕の握ったビ-玉は一個に決まっている。僕が三個持っていて「2」って…何でそんな事をするのかといえば、ゲームの最初のころの何回かに一回、そういう事を印象付けると、次に僕が「2」と言った時には、今度はブラフの2か、本当の「2」か、そちらの当てる確率がすごく低くなるんだ。おまけに、このゲームは二人とも当たらなければ、無勝負なので、ブラフをかけても被害はないし、次には後攻めの番になる。こうやって、僕が先に数を言う時に、被害を受けないでブラフをかけながら、相手に僕の握る確率を5分の1に印象を焼きつけると、僕の言った数から握った数が推理できなくなるというわけだ。年上の勝負強い子供に、年少者はいつもカモにされる。単純に真似ると、今度はブラフであることを読まれて、負けが大きくなる。

いつも勝つ奴のやり方をじっと観察して、何故そんな事をするのかの理由を考えなければ駄目。理由が分るとやっと負けなくなり、すこしづつ勝ちだす。それで終らないで、新しいワザを仮説演繹法で試行する。

結局、実体験と、バーチャルのゲームとはまったく違う。テレビゲームの野球ゲームがいくら上手くなっても、本当の野球が上手くなるわけではない。子供の、すべての知恵を総動員して、そうしなければ、勝てない。負けてしまう一方だ。漠然とそれが運だと思って、方法論の勉強の努力をしないで勝負をすると、それではいつまで経っても勝てない。強い連中に、どんどんカモられてしまう。

なんで、こんなことが絵と関係があるんだろうと思うかもしれないが、肝心の所は、命題の立て方から、答えに至る方法論の問題なんだ。「勝負とは何か」ではなくて、「勝つにはどうしたらいいか」と問うていくこと。魚類学者の魚に対するアプローチではなくて、漁師の魚に対するアプローチを真似る。つまり「魚を釣るにはどうしたらいいのか」という命題を立てる。僕の生まれ育った故郷の近くの渋川という海水浴場に水族館があって、社宅の子供会で見学した。僕は漫然と見ていたのに、釣り好きの同級生が熱心に見ているので、何を見ているのか聞いたところ、それぞれの魚の住んでいる場所の環境と餌の種類と食べ方を見ている、と言う。その時僕は子供心に「ナルホドナー」と思った。こういう事の学習を、僕は子供の時に、実体験から学んだ。

画家は、美学者ではないのだから「美とは何か」ではなくて、「どう描けば美しい画面になるのか」と設問をするのがコツなんだ。

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