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(26)セザンヌの描き方

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(26)セザンヌの描き方(85頁)

若い時には、世界も絵も、自分の周りを三六〇度取り巻いていて、進むべき方向が見えない。つまり、船を漕ぎ出して行っても、海面上の位置も、水面下の構造も、周囲と自分の関係が外側から見えないので、勉強や努力が空回りになってしまいがちだ。だから、受験のための勉強は目的が決まっているので迷いなく頑張れるが、大学に入学すれば、その後の勉強に意味と方向を失ってしまい、何をしていいか分らなくなる。

若い絵描きには、美術史は分りにくいかもしれない。でも、本流は直線的なんだ。クールベ→モネ→セザンヌ→ピカソ、マチスへと行く流れなんだ。

一生絵を描き続けても飽きないというのは、そういう流れを、実際自分で追体験できるから、個人的な世界を超えた仕事だから面白い。単に自分の好き好きの、百人百通りのポストモダン的な世界とは違う。

セザンヌがどういう風に描いたかというと…。これは絵の具を、グレーを使う時は、あらかじめ混色した絵の具をべたぁっと塗ると、グレーになるのだけど、印象派はこういうやり方はしない。明るいグレーと、暗いグレーを交互に塗る。ピンクの時は、赤と白を交互に塗る。

ハッチングや、活版印刷の網点もそうだ。ハッチングというのは、隙間と塗ったところが、べたぁっとはいっていない。これは、石膏像を油絵具で描いてみればよく理解できる。木炭紙の紙の目は、そのためにあると言ってよい。これを、フォルムに利用したわけだ。どうやってフォルムに使ったかというと、輪郭のところどころに隙間を空けて、物と空間の関係の陰影を部分ごとにかえていく。セザンヌのサント・ヴィクトワールの稜線の描き方をよく見れば分ると思う。

この空間は、同一平面上にありながら、反転していく。全体として、フォルムは暗示されながら、なおかつ固定化されない。というか、認識が固定化していかない。平面的なんだ。輪郭線も、視覚で混合していくわけだ。

しかし、セザンヌといえども最初からよかったわけではないし、完全でもない。ピサロに印象派の技法を教わる以前の絵はひどいものだ。「首吊りの家」(1872―1873)の絵からがらりと良くなって、彼の死まで上昇し続ける。特にいいのは、セザンヌの水彩画。水彩画だけの画集を持っているが、透明水彩で描いた作品は、抽象的で素晴らしい。透明水彩は紙の白さが透過するので、色の明度差が少なくなるので、隙間をあけても、空間が開いて、空気が通るのだ。ところが、油彩ではどうしても、隙間を開けようとしても開かない絵が出てくる。何故開かないかというと、開けると、今度は色が使えなくなるのだ。石膏像みたいに対象の全てを白くして物を見るとしたら、隙間を開けて描けるけれど、もの自体が色をもっていたら、特に明度の暗い色(赤、青、緑…)をもっていたら、緑なら緑という色をもっていたら、緑を塗らないといけない。すると、開けて物と空間をつなげようとすると、この緑の明度を上げなくてはならない。だから、この緑をものすごく白っぽくしなくてはいけなくなる。そうすると結局、白を混ぜて白っぽい絵か、全体に暗い絵かどちらかになる。その中でも、セザンヌの暗い色調の作品は、僕には成功しているとは思えない。

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