岡野岬石の資料蔵

岡野岬石の作品とテキスト等の情報ボックスとしてブログ形式で随時発信します。

テキストデータ 芸術の杣径 著書、作品集、図録

(5)彫刻

投稿日:

(5)彫刻(26頁)

今回の展覧会(マチス展、2004年9月10日~12月12日 国立西洋美術館・ピカソ展、東京都現代美術館 損保ジャパン東郷青児美術館 会期不明)を観て、ピカソの彫刻はよかったけれど、マチスの彫刻は絵に比べて、ピンとこなかった。マチスの彫刻は切り絵だから…。ピカソは、彫刻の製作と同時期のデッサンを見ると、平面がすぐに三次元になる。その代わり、マチスの方は…。つまりピカソの空間の方が、彫刻的(三次元的)で、マチスの空間は平面的(二次元的)ということで、その分、彫刻にするには難しい。

ピカソの彫刻を造っている時のデッサンの空間はあまりよくない。その代わり彫刻はいい。どうしてかというと、大きな石を組み合わせたようなデッサンがあり、そのような彫刻が実際にある。すぐ彫刻になりそうなデッサンがあるのだ。しかし、そのデッサンは私だけの感想かもしれないが、つまらない。つまり、そこに描いている図と地が固定化してしまっている。こっちは空間、こっちは物というように、固定化している。実際、図の部分は影が付いていてモデリングしてあり、バックは白いまま。地と図が動かない。地があって図があるという、これは非常に単純であたりまえの空間になっている。空間が単純だからすぐに彫刻にすることができるのだろうと思う。

図と地が同価値で拮抗していると、平面がピコピコと動いて反転し、シンコペーションし、心地よいリズムが生まれる。二次元(平面)なら、それができるが、これを三次元(立体)でやろうとすると大変だ。空間と彫刻とをどのように構成しようかと考えると、彫刻というのは、作ったものしか現実には、考えない。周りの空間と彫刻が、同価値で拮抗し、反転していくように…。それを考えていくと、彫刻は出来なくなる。だからマチスの彫刻は切り絵になってしまう。そんなことを考えていると、ある発想が浮かんで、彫刻を作ってみようかなという気持ちが生まれてきた。僕の場合は切り絵ではなく、あくまで彫刻です。

たとえば、ブランクーシーの彫刻とマチスの切り絵を組み合わせたようなもの。今まで、何人かの作家が、穴のあいた彫刻を作っている。ところが、それはうまくいっていない。その辺から発想して、彫刻の外側の空間と、それが囲い込んだ空間が、つまり外側と内側が、内側の開いた穴と、彫刻と、彫刻の外側の空間とが、同時に同価値で存在するような形を作りたい。

当然、開いた穴は外側から見えなければ意味がない。今考えている僕のアイデアは、フォルムを螺旋状にして、ピカピカに磨いた金属彫刻で、螺旋状のトルソを作ったら美しいだろうなあと…。

螺旋が囲った内側の空間、その空間の形が、たとえば竹輪のように心棒にぐるぐるっと巻いておいて、ひゅっと中の芯を抜いて、その芯のカタチは空間として立つ…。そんなことが出来ないかなと思う。あるいは、円柱形の真ん中にスリットを入れて三本作り、三っつのスリットをピシャっと同一平面上に置くと、ガラスのような透明な空間を暗示することができる。

実際に作ってみなくては、それがどうなるかは分らないけれども、そういうことを使えば、外側の空間だけでポンと立っているのではなく、囲い込んだ空間を暗示するような形で彫刻を作ると、独自の彫刻が出来るのではないかと構想している。

それも、抽象的なフォルムではなく、抽象と具象の間に立ったようなトルソをイメージしている。ピカピカに磨いた金属彫刻で、その内部空間を囲い込んで立っている…。そんなことを、想像している。

それと、彫刻に色を加えるということ。今までに僕がみた彫刻の中で、色を塗って成功した作品には出会わなかった。どうしてかというと、色は平面に塗ると、マチスがそうであるように、完全に具材が飛んでしまう。絵具というものがなくなって、光に全部変換する。立体に色を塗ると、どうしても「塗りました」となってしまう。そういった意味で、彫刻に色を加えるのは、なかなか上手くいかない。辛うじて成功しているものは、ガラスとか、無垢な、金属そのものの色で出来ている作品。無垢な作品はそうでもないけれど、鉄板に色を塗ったりするのは駄目だ。たぶん、誰がやってもうまく行かないだろう。色(塗料)の具材が残ってしまう。だから、無垢のようにつくればいいんだ。ゴールドとシルバーが、二つの材料が、それは無理だといわれたけれど、二つの材料で造って、磨いたら一方が金色、もい一方が銀色でそれが捩じれて一つのフォルムを形成する。出来そうだけど、それは無理だというから、メッキにするかな。コーティングしておいて、半分金メッキしてピカピカに磨いて。

イサム・ノグチの作品に色の違う石を組み合わせて造った彫刻がある。それと、ツルツルに磨いたところと、鎚目(つちめ)をつけたところを石の表面に加えた作品。あれは非常にいいアイデアです。もの凄くいい。でも、あれに色を塗ったりすると駄目なんだ。あの作品のように、そのもの自体が無垢であるものを磨いて出た色はいいけれど、塗ったりすると彫刻は駄目になる。

そういう表面の問題と、内部空間のアイデアと、近い内に彫刻で、ちょっとやってみようかなと思っている。別にオファーがあるわけではないけれど、数点造ってみようかなと考えている。(【注】自作の彫刻の事、2004年11月現在)

-テキストデータ, 芸術の杣径, 著書、作品集、図録

執筆者:

関連記事

(73)画面に白のパートがどこかにあった方がいいが、なくてもいい

(73)画面に白のパートがどこかにあった方がいいが、なくてもいい(255頁) 絵を描くって、本当に面白いんだ。どうでもいい人には、どうでもいい。画面の中に白いパートがあろうがなかろうが他人にとっては「 …

山中湖村だより(2014年)

(2013年) (2014年) (2015年) (2016年) (2017年) 山中湖村だより(2014年)  2014.1.09 【富士(87、88)】 今回の山中湖行は、4日から今日(9日)まで新 …

(41)演繹(仮説)と帰納(実験結果)の繰り返し

(41)演繹(仮説)と帰納(実験結果)の繰り返し(126頁) 画家は死んだときに、作品として後世にその人が残るといえる。忘れ去られるか残るかどうかは別として、作品が、その画家の存在証明だ。仮に、自己の …

『芸術の哲学』ー画家がアトリエからー 岡野浩二

第1章 第2章 第3章 第4章 第5 第1章 ●言いたい、言わせてほしい  本書で何を書きたいかというと、絵画について美術について画家について、他の分野の人が、昔からいろいろと言っている。プラトンは美 …

(48)塀の内と外

(48)塀の内と外(177頁) 映画にエンドマークが出て、何だか気持ちがはぐらかされたような感じがした。もうちょっと、盛り上げてもいいじゃないか。あんなに、苦労して脱獄したのだから。 でも、その終わり …