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(23)紐を掛け替えればいい

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(23)紐を掛け替えればいい(109頁)

どんなにウソをついても、真偽について偽のために権力とかお金、エネルギーを投入しても結局は無理なのだ。ウソは新たなウソをよぶだけだ。「ウソつきは泥棒の始まり」といってウソをついて良心が咎めない、なんの戸惑いもなく平気でウソをつける人の一生は、晩節を汚すし、仮になんとか一生を終えたにしても、生前隠していたウソがあらわになって死後に名を汚す。「2+3=8」と、どんなに大声で言っても無理だ。出てくるのは真理だけ。真・善・美を信じて正しく生きていたらいいのであって、生きる目的のためにお金や欲望を持ってきてはいけないし、自分の欲望をみたすために一方的に他者を犠牲にしてはいけない。だから、日本の軍人は、当時合法的だった売春婦に、お金を払って性欲を処理していたのだ。

僕の言いたいことの核は「世界はこうなっている」ということである。世界は「真・善・美」が現成公案している、というのだ。「現成」という言葉は「顕現」という言葉と意味は似ている。しかし、少し違うところは、旧約聖書でいう枯れ葉が燃えるなど、隠れているものが見えるようになる話ではなく、ありありと、この世界に、今、隠し隔てなく現れているということで、この違いが重要である。この世界は、隠れていたりどこかに超越としてあるのではなく、今ここに自分の目の前に、世界はアリアリと現成している。要は香厳撃竹(フリガナ、きょうげんげきちく)だよ。竹の音は現実である。香厳は竹の音で天地一杯の音を聞いたのであり、芭蕉も蛙の跳び込む水音でそれを聞き、セザンヌはサントビクトワール山に、ゴッホはヒマワリにそれを見たのだ。

自己も超越(神やプラトン的イデア界)も含めて、全世界存在が現成している。びっちりと平等で、すき間がなく、アリアリと、オールオーバーに。日本人だから香厳撃竹で分かるし、モネやセザンヌやゴッホの絵の良さも分かる。「古池やかわず飛び込む水の音」であり、これらが全部、作者も自分も含めて天地一杯ではないか。日本人はヘタなりに自分でも一句ひねるし、皆分かっているのだ。印象派の絵をこんなに好きな国民はいない。セザンヌやモネや雪舟の画はじつに素晴らしく天地一杯なのだ。画家もその世界の中で、天地一杯とシンクロ(共鳴)してそれを描写していて、観る人もその画家の眼にシンクロするのだ。

3Dアート(ランダムドットステレオグラム)のランダムなドットの世界に生きていると、欲望は、生活や名誉などの欲望があり、同じ絵描きでも「美とは?」なんて今さらそういう芸術論は嫌がられる。そんなのは画学生のころのことで、もう皆、僕と話すのを嫌がる。

また、世界観そのものが違う。僕は「テンセグリティーの脱構築」と題してユーチューブに投稿して話しているが、自分の世界観をブロックを積むように積み上げると考える人は、組み直すのは大変だと考える。ブロックの形が行き詰まったり悪かったりしても、途中から組み直すのはブロックでは大変なのだ。国家や社会をブロックを積むように作ってきたら、脱構築して、一回チャラにして新たに積み直すのは困難で時間もかかる。

ブロックでは途中からはできない。ここまで人生をかけて積み上げてきたことだから。たとえば左翼の人は今になって「ああ若い時の考えは間違いだった」と言っても今更積み上げるものがない。組みかえ直しは若い時にしかできない。僕も若い時は、ブロックを積むように世界観を造っていたので、人生の上でも絵画の上でも、まだ若いから積み直しができた。勇気をもって積み直した。若いときだからこそできる。

その時は「上手くできなくてもいい。途中でもいい」と僕は決断したのだけれど、本当は決断なんて要らなかったのだ。それは構造体を、ブロックを積むように捉えるからであって、テンセグリティー(バックミンスター・フラーの造語)つまり紐構造にすると、紐を掛け替えればいいのだ。原素材はなにもいじらず捨てたりしないで、紐の結び方だけを正しく変えることで、あっという間に新しい世界が構築できるのだ。

だからイーゼル絵画のことも、仲間にもやれよと言うのだけど、今さらブロックでここまで積み上げたのに…ということになる。僕はテンセグリティーを知ったから、6年前の60代のことだが、紐を組み変えればいいのだから何の不安もなかった。従来のことを捨て去るわけではないのだ。ふつうは組み替えとは考えないから「今さら、そんなこと言っても」となる。ブロック型の人生観からすると、とても今さらと思うのが普通だろうな。

社会や国家の構造もブロックを積んで造ると考えるから、これまでの世界の歴史は、あえて革命と言ったわけだ。無政府主義とか、芸術で言えばダダイズム。これらは全部代案なしに一度すべてを壊す。壊してできあがってくるものをまた積み上げようと主張したのだ。日本でもアメリカからネオダダがアメリカの国策に近いかたちで輸入され、ネオダダイズムオルガナイザーズというグループができて赤瀬川源平氏等が戦後の美術ジャーナリズムを引っ張った。進歩的左翼と言われ、読売アンダパンダンなどは一連の既成の芸術をいったん全否定する。真も善も美も、既成の組織や体制や歴史もアプリオリなものは全部否定する。マルセル・デュシャンをまるで教祖のように崇めた世界観芸術観の間違いが、行為や作品の全部に通底しているのだ。

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