岡野岬石の資料蔵

岡野岬石の作品とテキスト等の情報ボックスとしてブログ形式で随時発信します。

『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

かすがい(時空のゆがみ)

投稿日:

●かすがい(時空のゆがみ)

 過去は過ぎ去らない。「今・ここ」に流れ込み、未来にも存在の因と縁は滅しない。そのことに、気付いた体験の話です。(2021年記)

この話は今から何年前の出来事だったのだろうか。私の過去の個展のDMや資料を調べ、また、色々な思い出を付き合わせてみると、どうやら約30年まえの1970年ころの春の事であった。

当時、芸大の大学院の学生であった私は、直前に画家として初めて契約した日本橋画廊への油絵のモチーフさがしと同時に私の一種のセンチメンタルジャーニーをかねて四国の八八ヶ所巡りのバスツアーに単身で参加した。松山の伊予鉄のバスツアーで、約2週間で四国を一周し松山で解散した。

松山から私の生まれ故郷の玉野市は東京への帰路の途中で、当時本州と四国の主要な交通手段であった宇高連絡船の岡山県側が玉野市である。私は高校の一年の一学期まで玉野市玉に生まれ育った。玉には、当時玉野市での大企業であった光井造船所があり、父はそこに勤務し一家はその社宅にすんでいた。だからおよそ10年ぶりであろうか。私は2、3日玉野に宿泊することにした。

翌日から、私は玉在住のかつての同級生と会って酒を酌み交わしたり、中学生のころよく一人で歩き廻った大仙山に登ったり、よく釣りをした港に行ってみたり、今はもうただの排水溝のようになってしまっている、夏のおわりには満潮時、はぜがよく釣れた白砂川(しらさがわ)に行ったりと、子供のころの思い出の反芻と、また時の流れの無常さに、何か痛痒いような感傷にひたっていた。

充分に癒されて帰京する前日、私は造船所の野球場の横の観客席の後ろに沿った小道を歩いていた。道はサード側の観客席の裏側と造船所の敷地の塀にはさまれており、その先の左側には、そこもよくくちぼそ釣りに行ったちいさなため池があった。灰色のコンクリートの塀と、当時から使われてなくて閉め切ったままの白く塗られた木の門と、何に使われていたのか子供達はクラブと呼んでいた建物が、もう何年も使われていない様子で窓も入口も閉じられたままひっそりと建っていた。その建物の前を通り過ぎ、子供のときと同じに白く塗られた門の前を通り過ぎようとしたとき、私は不思議な感情におそわれた。

あれれれ、という感じ……。

この門には憶えがあるぞ。この横板の破れ目も昔のままだ。私はある期待をこめてその破れ目からそっと手を入れた。外枠の矩形に、横に通されたタル木を、裏と表の両側から杉板を打ちつけた作りで、〈それ〉はタル木に乗って、以前のままに存在していた。冷たい鉄の手触りに、何とも形容しがたい、大袈裟に言えば空間と時間と自己との関係のけっして一様でない、歪みと不思議さに戸惑っていた。この出来事は何だ、という感じ。これは何か重要な事象だという確信はあるのだが、そのときは言葉ではうまく説明のつかないもどかしさに戸惑うばかりだった。

それは私が幼稚園か小学校1年生のころの事であった。近所の子供が鎹(かすがい)を持っていて見せびらかした。それは、地面に穴を掘るのに使ったり、ちゃんばらごっこの武器にも使えた。私もそれが欲しかったが、それが何というものでどこで売っているのか値段はいくらするのか、かいもく分からないまま、うらやましそうに見ているだけだった。

その何日か後、父の勤めていた造船所の野球場のバックネットの後ろの席の、外側の道の上に鎹が落ちていたのだ。子供の私の喜びはいかばかりか想像できるだろうか。上級生達が言う、運がよいとか、ツイているというのはこの事かと思った。私はその幸運をかみしめながら、それで穴を掘ったり武器にしてみたりと、しばらく一人で遊んでいた。しばらくして野球場の方から、近所の子供達のゴムボールの野球へのさそいがかかってきた。みんなと他の遊びをするには鎹はじゃまになる。そこいらに置いたまま遊んでいては他の子供に持って行かれる不安もある。私はそこで一時どこかに隠しておいて遊ぼうと思った。

周りを見回すと、おあつらえ向きの隠し場所を見付けた。当時から使われていない白い門。その横板の破れ目。たる木のおかげで内部が棚状になった構造。私は鎹(かすがい)を門の穴から内部のたる木の上にそっと置いた。

そして、子供の私は他の遊びに熱中し鎹をすっかり忘れてしまった。鎹を隠した事も忘れてしまった。

10数年後その鎹は私の手に触れていた。

人間の体験と記憶との関係はどうなっているのだろうか。この鎹は私自身も10数年忘れていた。自分自身も気付かない、脳細胞のニューロンのネットワークの片隅にひっそりと隠れていたのだろうか。それではこの鎹のように今の自分にも気付かない、無数の時間と空間の断片がひっそりと私の細胞の片隅に息づいているのだろうか。また、偶然鎹は日の当たる所に出て来たが、一生涯隠れたままの事象も当然ながら無数に存在するであろう。自分の事は自分が一番よく知っている、……これは本当だろうか。

私自身の身体は、細胞は、ニューロンのネットワークは、この不可思議な外部世界と同様に、内部世界に無限に横たわっている。まるでマンデルブロー集合のように。(終わり)(2002年9月記)

-『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

執筆者:

関連記事

no image

『ウィトゲンシュタイン』藤本隆志著 講談社学術文庫

■姉ヘルミーネはL・ヘンゼルに向かって次のようにいわざるをえない、「不幸な聖人よりも幸福な俗人を弟に持ちたい!と何遍思ったことか。聖人の場合にはこの先どうなるか、全くわからないからです。わたしも家族も …

『メルロ=ポンティ・コレクション』 中山元編訳 ちくま学芸文庫

『メルロ=ポンティ・コレクション』 中山元編訳 ちくま学芸文庫 ■1906年9月、死を1ヶ月後に控えた67歳のセザンヌは、こう述べている。「頭の状態があまりにひどいので、私のか弱い理性では、耐えられな …

no image

『饗宴』プラトン著 久保 勉訳 岩波文庫

『饗宴』プラトン著 久保 勉訳 岩波文庫 ■アポロドロス 「(中略)そこで僕達(岡野注;アポロドロスと彼の友人)は歩きながらその事について語り合ったのだった。だから、初めにもいった通り、僕は下稽古がで …

『驢鞍橋』鈴木正三著 鈴木大拙校訂 岩波文庫

『驢鞍橋』鈴木正三著 鈴木大拙校訂 岩波文庫 解説 一、略傳 鈴木正三は、参州西加茂郡足助の人、天正七年(西、1579)に生まれた。鈴木家の遠祖は紀州熊野に住み、初代に重忠なるものがあり、その十餘代の …

『悪魔との対話(サンユッタ•ニカーヤⅡ)』中村 元 訳 岩波文庫

『悪魔との対話(サンユッタ•ニカーヤⅡ)』中村 元 訳 岩波文庫 第1集 詩句をともなった集 第Ⅳ篇 悪魔についての集成 第1章 第1節 苦行と祭祀の実行 ■わたしはこのように聞いた。或るとき尊師は、 …