岡野岬石の資料蔵

岡野岬石の作品とテキスト等の情報ボックスとしてブログ形式で随時発信します。

『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

『青春ピカソ』岡本太郎著 新潮文庫

投稿日:

■「抽象芸術という言葉は意味がない。いつでも何ものかから出発し、その後に現実的な外観をとり去るだけなのだ。しかし心配無用だ。実体のイデーは絶対に消すことの出来ない痕跡を残すから。それは芸術家を示唆して彼のイデーを覚醒させ、エモーションを活動させるのだ。イデーとエモーションは決定的に作品におしこめられて、どんなことをしても絶対に画面から脱れることは出来ない。それらは全面的に場所を占めているのである。たとえまったく判断出来ないほど、表面に現れていなくとも。

好むと好まざるとにかかわらず、人間は自然の道具である。自然の性質と相貌を強要されている。(ピカソ)」(39㌻)

■「私はものと同じように 絵画を扱う。私は窓から外を見るように窓を描く。もし開いているのが気に食わなかったら、実際に部屋でやるようにカーテンを引いてしめてしまうのだ。

実生活のように、じかに絵に処すべきである。もちろん絵には致し方のない絵そのものの約束があり、それを織らなければならないが。(ピカソ)」(40㌻)

■「私はペシミストではない。私は芸術を嫌っていない。なぜなら私は自分の全部の時間をそれにさかないでは生きていられないからである。私は生命の目的のすべてとしてそれを愛する。芸術に関して私のするすべては大きな歓びである。(ピカソ)」(47㌻)

■十九世紀芸術は素朴な科学主義に影響されて、外的世界のみを現実だと思い込み、内的現実の表現を抹殺した。印象派でさえこの観念の虜であった。(78㌻)

■セザンヌがいかに画面を合理化し、フォーヴィストたちが自由な表現を試みたとしても、彼らは結局、対象である自然の約束からは逃れ得なかった。何らかの形において客体を再現し、造形的な立場から自然をぎりぎりのところまで歪曲する、つまりデフォルマシオン(セザンヌ自身の言葉で言えばレアリザシオン)を試みたにとどまる。ところで、一見それと混同されるピカソの立体派芸術は、デフォルマシオンではなく、実はフォルマシオン(成形)なのである。(88㌻)

『青春ピカソ』岡本太郎著、新潮文庫 2007年3月9日

-『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

執筆者:

関連記事

no image

『文読む月日(上)』トルストイ 北御門二郎訳 ちくま文庫

■一般に俗受けするもの、わいわい騒がれるようなものは最初から読まないことである。もっとあっさり言えば、出版された最初の年が、その存在の最後の年となるようないっさいの出版社を唾棄することである。(ショー …

福江島1977年

大瀬崎灯台 Scanner ふくえ Scanner Scanner Scanner Scanner Scanner Scanner Scanner Scanner Scanner Scanner Sc …

『メルロ=ポンティ・コレクション』 中山元編訳 ちくま学芸文庫

『メルロ=ポンティ・コレクション』 中山元編訳 ちくま学芸文庫 ■1906年9月、死を1ヶ月後に控えた67歳のセザンヌは、こう述べている。「頭の状態があまりにひどいので、私のか弱い理性では、耐えられな …

no image

『饗宴』プラトン著 久保 勉訳 岩波文庫

『饗宴』プラトン著 久保 勉訳 岩波文庫 ■アポロドロス 「(中略)そこで僕達(岡野注;アポロドロスと彼の友人)は歩きながらその事について語り合ったのだった。だから、初めにもいった通り、僕は下稽古がで …

『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ 著 今枝由郎 訳 岩波文庫

『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ 著 今枝由郎 訳 岩波文庫 第1章 仏教的な心のあり方 ■「カーラーマたちよ、あなたたちが疑い、戸惑うのは当然である。なぜなら、あなたたちは疑わしい事柄に疑 …