(33)方法論を探す(102頁)
画家の、内側からの視点から見た美術史というのは、おもしろいと思うな。いまだに、絵の上にコンパスや定規で点線をひいて、構図の解説をしている。あんな事は、若い絵描きが、実際の制作の参考にするとしたら、とんでもない話だ。それは結果として、後から見ればそうだという事はあっても、とんでもない。絵描きが、構図の決定に作図を使う事はない。少なくとも、僕の好きな画家でそのようなエスキースを見たことがない。
それと、印象派のことを、未だに主観表現と誤解しているひとがいるが、その解釈も間違い。
方法論のことを話そう。
僕が人よりもちょっと変わったというか、人よりもちょっと能力があったのは、物事に対するアプローチの「方法論」を子供のときに見つけた事だ。そのもの自体の知識よりも、その知識に至る方法論だ。疑問の形は「何か?」よりも「何故?」。僕は子供のとき、周りの大人から、「またコーちゃんのナンデー(何でそうなるのか)が始まった」「ナンデーのコーちゃんジャケン(だから)」と、よく言われていた。
自分の体験からいえば、教わった知識は事象と自分との間に教師というワンクッション置くわけだだから、事象とダイレクトに関わり自分の力で解答を見つたときの喜びとは雲泥の差だ。他人の釣った魚を貰うのと、自分で魚を釣り上げたときとの喜びの差だ。野球ゲームがいくらうまくなっても、野球がうまくなるわけではない。
方法論は、人から教わるのではなく、体験していくべきだ。それを学ぶのは、実体験の世界からだ。だから、近ごろは、子供の遊びが足りないと思う。僕が以前のエッセーで書いた、うなぎとか、トンボとか、ああいう体験は、他人の文章や映像で得たものと違って、世界に対して裸の単独者が、ダイレクトに事象に遭遇し、それをひとりで思考して解答を推論し決断するわけだ。本を読むとか、教えてもらうとか、そういった事は補助的な要素に過ぎない。
虫取りや、釣り、特にメンコ(パッチンと呼んでいた)とかビー玉(ランタン)を本気でやり取りする子供にとっての一種の博打は、仮説演繹法のいいエクササイズといえる。成り行きや偶然に頼っていては、いつまでたっても勝てない。たとえば大人の合法的な賭け事として、競馬がある。競馬を、何も考えないでやってごらん。ビギナーズラック以外はほとんど全部負けるよ。一生懸命研究して、自分なりの方法を考えてやるとする。ところが、その方法でやっても当たらない。当然当たらない。そのときにどうするかだ。
それは、方法はそのままにしておいて、データの解釈が間違ったのか、あるいはデータが足りなかったのかくらいで、思考を止めてしまうのがほとんどの場合。大体そのくらいで推理を打ち切ってしまう。当たらなかった結果に対して、実験が上手くいかなかった事に対して、どう対応するかというと、仮説自体を立て直すという発想をしなくては駄目だ。仮説自体が、正しかったのかどうかという事を、皆あまり考えない。立てた仮説、あるいは教わった仮説をそのままにしておいて、自分の判断が間違っていたと思うから、その方法で何とかしようとするけれど、ほんとうはもう一回、一番最初から仮説の立て方から、検討し直さないといけない。
それは、絵描きにもいえる事で、描いていて、結果が上手くいかない、記録が伸びないというとき、それを直さないで、ただ鍛練ばかりしていくのが普通なんだ。もう一回フォームを考えたり、あるいは新しいフォームがあるかもしれないと試みる事だ。
新しいフォームというのは、走り高跳びでいえば背面跳びだ。背面跳びと言う跳び方は、僕の若いころはなかった。。今の子供は、走り高跳びといえば背面跳びが当たり前だけど、メキシコオリンピックでD・フォスベリーが史上最初にあの独創的なフォームで跳んだのだ。それまではベリ-ロールが一番いい跳び方だった。ベリーロールというのは、腹ばいになってバーを越える。それ以上のフォームがなければ、その範囲の中で能力を競っていく。
でもフォーム自体が、前に言ったように、セザンヌの話で出たように、印象派が新しい認識で革命的に絵画を変革したように、セザンヌは、空間の問題でガラッと新しいフォームに変え、未開の地平を開いた。
もしフォームが背面跳び以上のものがなければ、仕方がない。この同じフォームの競い合いになるけれども、新しいフォームが絵画において、あるのか、ないのか。その答えはどうであれ、画家自身は、それをいつも視野に入れながら制作しなければならない。
それが僕の場合では、抽象印象主義という事になる。僕はそういう風に思っている。
さっき言った競馬や、ゲームや、遊びの実体験というのは、どうやったら美しい絵が描けるのかという事を考える格好の材料になる。僕には、そういう経験が子供の時から山ほどあるよ。