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(14)塵を払え、垢を除かん

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(14)塵を払え、垢を除かん(73頁) 

そういう天才的な人、世界中の色々な奇人変人と呼ばれる部類の人も、仏教的な世界観では、ぞくぞくと出てくる。今は便利なネットで検索すればキリなく出てくる。禅宗の三祖僧燦(そうさん)は立ったまま死んだと云われている。達磨から三代目の人物で「僕はこれから死ぬから」と、木の枝を握ってそのまま死んだり、釈迦十大弟子のうちの一人アヌルッダ(阿那律)は、お釈迦さまの説法の時に寝てしまい、あとでお釈迦さまの前で「私はもう横になって寝ません」と誓ってずっと座ったままだったり。

まあ凄い。そういうペレルマンのような人はたくさんいる。お釈迦さまの弟子で周利槃特(しゅりはんどく)という人は、兄に付いて教団に入ってきたが、少々頭がとろくて、偈(げ)という韻文などを一つとして覚えられない。周囲は出家修行が難しいと思い「もう帰れ」と言ったが、自分にそこが合っていると思ったか、その精舎の外で泣いていた。そこにお釈迦さまが来て「お前は、塵を払え、垢を除かん」と、この一つの言葉だけ覚え唱えて掃除をしなさいとだけ言った。その一つだけの教えを周利槃特はずっと守って、掃除してピカピカに磨くことを続けていた。あるとき、掃除をした直後に子供に汚された。汚された周利槃特は怒りの気持ちが自分の心に湧いた。しかし、その瞬間に彼は悟った。

なぜ悟ったかというと、何回掃除してもすぐに汚れる。心もすぐに汚れる。どうせすぐに汚れるといっても、汚れたらまた毎回、毎回、掃除したらいいのだ。汚さないようにではなく掃除をする。心もそうである。

周利槃特は、釈迦の十大弟子ではないが十六羅漢の一人になって、日本では人気のある人だが、とろいと思われた人も、そこで悟ったのだ。何かたいへん素晴らしいではないか。世界をそのように認識するといいのだ。つまり汚すとか、汚されるとか、対立的に分けて考えるものではない。内と外、自分と他人を分けて考えるから、他人に汚されたと、怒りの気持ちが起こったのだ。お釈迦さまは「塵を払え、垢を除かん」と言ったではないか。垢は自分から出るもの。そのためには毎日、毎日、一回悟ったからといって止めずに、また毎日毎日の掃除のように繰り返す。これは僕にはいちいち納得が行く話である。ちなみに、仏教では出家者が克服しなければならない煩悩のことを三毒「貧・瞋・痴(とんじんち)」といって、瞋(じん)は怒りのことである。

お釈迦さまはすごいね。そういう覚えられない人には「塵を払え、垢(´を付ける)を払え」のひと言だけ憶えて掃除をしなさいと言ったのだから。ここにいてもいいよ、ということだ。他の人は彼が覚えられないと言って、分けて考えた。そこが素晴らしいと思う。概念が広いと、こういう言葉が出てくるのだ。

 

道元に関わることはもう、そんな宝庫ばかりなのだ。江戸時代に風外慧薫(ふうがいえくん)という禅宗の僧がいて乞食風外とも言われた。風外にはもう一人、凧風外という人がいるが別人。良寛さまも、道元の本を読んで涙したというが、その乞食風外も凄い。

風外の伝説的な話で僕が聞いたのはこうだ。風外は弟子たちがいたが置いて寺を出た。心酔していた若い僧が行き先を探しやっと何年か後に見つけたところ、乞食村のようなところで風外は最低の生活をしていた。そこで若い僧はもう一度弟子にしてほしいと懇願したが、風外は「紹介状を書いてやるから、そこに行きなさい。お前にはここは無理だよ」と断ると、「いいえ覚悟してきましたから是非…」と、なんとか弟子入りすることが出来た。

まもなくその乞食部落で亡くなった人がいて、風外はその弟子を連れて葬式で読経し弔ってやった。弔いが終わって、では飯を食おうということになり、風外はそこで亡くなった人の残していた物、病人だった人の残り物で雑炊のようなものを作った。そういう物だからふつうは気持ちが悪い。そこで風外は普通に食べたが、若い僧は何とか平然と食べようとしたが、気持ち悪くて吐いてしまった。食べようと努力するのだが、身体が拒否反応をしてしまう。

そこで風外は「そうだろう、お前には無理なんだよ」と言う。気持ちが悪かった。身体が受けつけない。そう言われて若い僧は、泣きながらその村を去り紹介されたところに行ったという。凄いだろう。オーバーに書かれた伝説かもしれないが、本当のことで、風外窟と呼ばれる洞窟の跡などが見つかっている。真鶴のあたりで亡くなったが、生活していた痕跡がきちんと伝わっているのだ。

伝説ではなく実際にいたのだ。そういう人物が歴史の中で脈々と流れている。中国の高僧伝などを読むと感心するが、しかし今、その人達の痕跡は、今の中国ではどこに行ったのかということだ。「真・善・美」という良きもの善き人、そういうものを残していたら、現在の中国共産党幹部の生き方では、とても恥ずかしいだろう。悪や偽や醜は断たなければならないが、「真・善・美」は過去から伝承し、未来へとしっかり伝えなければならない。

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