岡野岬石の資料蔵

岡野岬石の作品とテキスト等の情報ボックスとしてブログ形式で随時発信します。

テキストデータ 著書、作品集、図録

(注2)実存的時空(水晶の山)

投稿日:2022-01-29 更新日:

(注2)実存的時空(水晶の山)(岡野浩二『芸術の杣径』より)

 今度の出来事は小学2年のころのこと。これは、記憶を辿ると同じ社宅に住んでいた櫃本君が小3の時同じクラスで、彼が大きなグレーの水晶を持っていた。その水晶を見たのは、ずっと後のことなのでその事から推理すると、たぶん小2のときの出来事だろう。

 小学校の裏の山の上で、水晶が採れる場所があった。子供だから、鉛筆の先くらいの、小さな水晶しか見付けられなかったが、それでも、透明な6角錐の幾何学的な形は、自然の内部にひそむ抽象的な美しさを僕に教えてくれた。

 そういう場所を誰かが見付けたのか、昔からあったのか、社宅の裏に住んでいた上級生の高橋のケンちゃんが「水晶ガトレル場所ヲオセーテモロータケン、コーチャン一緒ニ採リニイカンカァー(水晶が採れる場所を教えてもらったから、浩ちゃん一緒に採りに行こうよ)」と言った。学校が終ってから、家の廻りで遊んで、それから二級上のケンちゃんにそう言われて、二人で行ったんだ。もともと、出かける時間がそもそも遅かったのと、低いとはいえ山に登らなければならないから、もうドンドン日が暮れる。その場所に着いたら、もう辺りは薄暗い。急いで探して、やっと小さいのを1個見つけたくらいで、どんどん暗くなって心細くなる。

 「もう、帰ろう」という事になって、それから帰るわけだから、とても暗くて、山の中をベソをかきながら、やっとの思いで家に帰った。実際、昔の夜というのは今の夜と違って家の外は暗く、とても恐ろしかった。それで、必死になって、どうにか家に辿り着いた。

 家に着けば、当然ながらホっとする。「着いた…!」と一安心だ。そうして裏口から入っていくと、いつも通り、家族は皆で夕飯を食べていた。テレビはまだ市販されてなく、昔の労働者の一家の夕飯は、毎日家族全員が揃って喋りながら食べる、他にこれといって娯楽のない当時の楽しい時間の一つだ。そんないつもの時間に、皆でいつも通りに食べていた。

 皆で食べている場に、僕が帰ってきた。そうしたら母が怒って「モー、イツマデ遊ビョールン(もう、いつまで遊んでるの)!」と言う。いつもの食事時間なのに「イッタイ、ナンショッタン(いったい、何してたの)?」というわけだ。その叱られた事が悲しいというのではない。

 そこでもやっぱり、溺れたときと同じ感覚があった。僕が、その日、たまたまちょっといつもと違う場にいる。これも又、後からの解釈だけど、いつもの僕はそちら側で食べている。日常生活のルーティンだから、普通に食べているわけだ。しかし、たまたまその日、僕が水晶の山に行ったから、そういう事になった。そうすると、その時間とこの時間が同じところにあるというのは、何か変な感じがするのだ。

 たまたまちょっとこの世界の中の、ちょっと場所が違ったり、ルーティンが変わると、そこには又違う時間と世界があった。僕が家に帰ったときに見たちゃぶ台の前の一家団らんの情景と、今までの自分の恐ろしさと心細さで一杯だったあの空間が、同じ空間にあるという事がどうにも不思議。そうすると、ルーティンの日常生活でない世界が、無数にあるわけだ。ちょっと水晶の山に行っただけで、空間と時間があんなに変わるんだ。何か変な感じ…。世界というのは一つでありキッチリと動いている、という日常の感覚とは、異質のものと出会った。

 こういう感覚が、今の絵にも出てくるし、現在の僕の世界観の元になっている。そういう体験から、こうやって後から解釈している。あの時の僕は、叱られたから悲しいといったような、そういう事ではなかった。裏口から入っていって、いつもなら僕が本来いるべきテーブルで、皆が夕飯を食べているという事と、それまでの自分の恐かった体験との取り合わせが、何とも奇妙な感覚だった。

-テキストデータ, 著書、作品集、図録

執筆者:

関連記事

「世界はそうなっている」の世界に触れて 原田三佳子

「世界はそうなっている」の世界に触れて 原田三佳子(128頁)  『芸術の杣径』と『芸術の哲学』に続いて、今回のテキストのお手伝いをさせていただいたのは、たいへん楽しい時間でした。アトリエで岡野先生の …

(15)恥を知る

(15)恥を知る(77頁) 「恥を知れ」と言うが、今はおよそ恥がない。恥ずかしさを知らない生き方は、多くの有名人や政治家のように、晩節を汚(けが)して悲惨な結果になる。真善美があるから真があり偽があり …

『芸術の哲学』第5章

第1章 第2章 第3章 第4章 第5章 第5章 ● 記号では「時間」が捉えられない  僕はこれまで、絵だけを描いて生きてきた。「美」のベクトルだけに努力してきた。そんな僕がこれまで、この本のようなで考 …

(4)マチスの切り絵

(4)マチスの切り絵(25頁) 先日、マチス展(2004年9月10日~12月12日、於…国立西洋美術館)を観て、マチスといえども、人間だなと思った。 切り絵というと、地と図で構成されている。その二つの …

(45)実存的時空(溺れる)

(45)実存的時空(溺れる)(168頁) 海で溺れた事もあった。これは、映画のワンシーンになりそうな場面だ。 アンドレイ・タルコフスキーの『鏡』という映画があって、自分の思い出を素材にしたシーンをつな …