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(45)実存的時空(溺れる)

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(45)実存的時空(溺れる)(168頁)

海で溺れた事もあった。これは、映画のワンシーンになりそうな場面だ。

アンドレイ・タルコフスキーの『鏡』という映画があって、自分の思い出を素材にしたシーンをつないで自分の一生を語っている。自分の少年時代と自分の子供、自分の壮年時代と自分の父親、自分の妻と母親の若い時、の俳優が同じ役者なので一見して分りにくいが、それさえ理解して観れば、優れて美しい作品である。もし『鏡』のような、僕の映画を撮るとしたら、これは、絶対に入れなければならない光景だ。

何故かというと、情景が美しいのだ。やはり小さい時の事で、幼稚園か小学一~二年生くらいか。母が僕を連れて、造船所の社宅の近所の母親とその家の子供と、四人で泳ぎに行った。二万五千分の一の地図では「獺越鼻」となっているが、そこは「オソゴエ」と呼ばれている鼻で、本当に美しい所なんだ。小さな岩をはさんで、白い小さな砂浜とゴロタ石の二つの浜があって、美しい所ではあるけれど、泳いではいけない。なぜなら、瀬戸内海は潮流が激しいから、とても溺れやすい。時間によっては、川のように潮が流れるから、本当は遊泳禁止だが、水際でポチャポチャと小さい子供が泳ぐくらいならいいだろうと、母は僕を連れて行ったのだろう。今ではもう、そこに下水の処理場ができて美しい砂浜は無くなっているが、堤防の下の岩は昔のままに残っている。

その日、白砂の方の浜で、母親達はござを敷いて、日傘をさして、ペチャクチャと喋っている。もう一人の子は何処で何をしていたか思い出せないが、僕は、波打ち際の岩から、浮き輪を持って、ボチャンと一人で飛び込んで遊んでいた。もっとも、飛び込むと言っても、立てば足がつくくらいの深さだった。そんな時、何かの加減でスポっと浮き輪が抜けてしまった。あわてて、子供だからパニックになって、本当は立てるけれど、それが分らずにアップアップする。

そして、水面の下で、視界がグルグル廻っていた。裏側から見た海の表面の明るさと、僕がもがいて出来た白い泡が印象的だ。そんな記憶も、事実かどうかは今となっては分らないけれど、そんな感じだった。スポっと抜けて、水中でもがいているうちに、偶然その浮き輪に手が触れて必死に掴んで、それで自分は助かったけれど、その最中の僕としては、もしかしたら死ぬかも知れない恐ろしい出来事だった。水の中でグルグル廻って、ちょっと水も飲むし、泳げもしないから、それは大変な事だったんだ。

それで、死なずに助かった僕が、母の所にそのまま歩いて行って、それを報告しようとした。大変だったことを訴えようとした。そうしたら母親同士でペチャクチャ喋っている。

やっと、僕の顔を見て言った。 

「ン?ドーシタン(どうしたの)」

…僕は死にそうだったんだ。大変な事が起きたんだ。その時に、不思議な感覚があって、それは、いくつかの感覚に共通する感覚だった。それも、解釈は後から付けるのだけれど、そういった感覚と同じものがそのときあった。つまり、空間というものは、人間の世界というのは、一つではないということ。

僕にとっては、生死を分ける恐ろしい空間だった。しかし、母にとっては近所のおばさんと話していて「どぉしたの?」というような感じ。

浮き輪を持った少年が、波打ち際から半べそをかきながら上がって行って、訴えようとしている。その情景を映画だったら、ござに座った白いパラソルのまだ若くて美しい(映画では)母親が隣のおばさんとペチャクチャと喋っていて…、砂浜には誰もいなくて…、少年が母親の所に行ったら、あっけらかんと「どうしたの?」と言う。これを、映画のワンシーンに入れたら美しい。美しくて、世界が不思議で。…母の様子も、これも解釈だから実際にどうだったかは、厳密には分らないけれど。

僕は、溺れたという事をそのとき言わなかった。「ドーシタン」と言われたから、う~ん…何だか変だなと思いながら、黙って呆然としていた。

あっちの空間と同じ時間を、自分が過ごしていたとは思えないというギャップ。溺れていて、浮き輪にしがみついたときにパっと砂浜を見る。しがみついて、必死に見る。そうして、僕の視線は向こうの情景をとらえるわけだ。

映画でいえば、「これは同じ時間の出来事だぞ」と表現する。同じ時間でありながら、同じ空間で起きた出来事であるとは、とても思えないという不思議。

僕が何故そんな事を覚えているのかというと、やっぱり、「なんか変だなぁ…。不思議だなぁ…」と思っている。思っていると、次々にそういう事が続く。そういう不思議さ。「なんだかなぁ…。変だなぁ…」という事が累積されて、世界は変だなというか、なにか、きっちりと一つになっていないという事を子供の時から感じていた。

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