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『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

【パラダイス・アンド・ランチ】(トンカツとビール)

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【パラダイス・アンド・ランチ】(トンカツとビール-序)

 「真・善・美」とは、幻想や実存のイメージとかではなく、世界存在に実在し、時間を通貫している。私はそれを確信している。各種学問が、真理の前提なければ成り立たないのと同じで、そもそも〔美〕の超越を措定しなくしては芸術はなりたたないではないか。学問は世界に内在している真理を顕現させる。宗教や倫理は善、芸術は、美をこの世に各芸術作品として現成(げんじょう)させる。

 それが、極東の日本の岡山県の小さな港町玉野市に生まれた、一介の卑小な73年の実存が、出来ようが出来まいが、超越にダイレクトにかかわりあえることは、なんと幸せなことだろう。昔のフォークソングにこんな歌詞があったなぁ「おもえば遠くへ来たもんだ~♪」。おもえば遠くまで来たもんだ。人間の歴史も次々とバトンを引き継ぎここまでやってきたんだね。

 身のうちの欲望に動かされる小さな実存を、生き方の根拠にしたらつまらない。トルストイは晩年、相対(実存、自分の人生)を相対(金銭、地位、名誉、家庭)で量る生き方に疑いを持ち(つまり、人生は絶対、普遍に向かわなければ人生そのものが無意味になる)、すべてを捨てて家出し、末娘と侍医とで巡礼の旅に出てロシヤの名もない田舎のアスターホヴォ駅で倒れ、死んだ。一時期、現世の実人生の勝ち組の一人が、3億円で自家用ジェット機を買って、女優と外国のリゾート地でバカンスを過すという、それを自分の人生の最高の夢として生きるなら、結果、それを果たせたとしても、そんな生き方はつまらないじゃないか。人生のなかで超越(真・善・美)に出遭い、少しでも自分に美の現成の可能性があることを信じ、少しでもそれにかかわることができれば、仮にゴッホのように、実人生で討ち死にしたとしても、覚悟の上のことだ。

 これからアップする話は、その覚悟、画家としての生き方のフォームを決めた、食事の体験を書きます。

【パラダイス・アンド・ランチ】(トンカツとビール-1)

 高校時代に、ラジオでこんな話を聴いた。ケチでお金持ちの大阪の芸人が対談していて、「どうしたら、そんなにお金持ちになれるんですか?」と聞かれた。その芸人は、「あのね、今まで素うどんを食っていて、金が入ってきたから天麩羅うどんを食うようではお金はたまらない。みんなは、お金が入るとすぐに天麩羅うどんにする。それではいけない。天麩羅うどんと素うどんの差額を貯金にまわせばお金はすぐにたまるよ」と言った。

 彼が言っていることは分かるけど、何だか納得できないだろう…。では、なんで人間は働くのか、天麩羅うどんを食ったり、車を買ったり、そのために働くのではないのかと疑問に思った。たしかに天麩羅うどんにしたり、ブランド品に飛びついたりと収入に応じて生活のレベルを上げていけばお金はたまらない。しかし、お金をためても、そのお金を使わないで一生過すのも、なんだかおかしいじゃあないか。お金はなんのためにためるの、お金はなんのためにあるの?。結局、この意見に対する、私の、同意か反対かの態度は、決まらないまま忘れてしまっていた。

 そもそもお金って何なの?。

【パラダイス・アンド・ランチ】(トンカツとビール-2)

 芸大に入学してからの、ある体験によって金銭に対するポリシー(方針、政策)が決まった。当時、1万円の仕送りで6000円の家賃、4000円プラス奨学金の4000円、8000円で一ヶ月を暮らす。教材も食費も込みだから、当然、少しづつ足りなくなる。

 芸大の隣にある都美術館のなかに、美術運送の仕事をしている会社があり、公募展の審査(作品を審査員の前に運ぶ)や展示の仕事もしていた。そのアルバイトの人集めを、同じクラスのK君が頼まれていた。たまに「今日、空いていたら来ないか」と誘われて、何度か行った。その時の一日のバイト代は1000円。その日は、かなりハードな仕事を終えて、市川にあった下宿に帰る途中で、「まあ、今日は疲れたしバイト代はあるし、いいだろう」とトンカツ屋に入った。

 今は、トンカツも寿司も天ぷらも、店を選ばなければ気軽に入れる値段だが、半世紀以上前の昭和40年のトンカツは、滅多に食えないご馳走の部類だった。子供の頃、肉屋で売っているトンカツでも、父の給料日以外は食べたこともなく、せいぜい、細切れ肉と櫛形に切った玉ねぎ串にさした串カツが、ご馳走だった。当時の庶民の生活は、食事は主婦が家で作るもので、外で食事をしたり、出前をとるのも、お客さんのためだけで、小さな、庶民的な様子の店とはいえ、外のトンカツ店で食べるのは、私にとって大ご馳走だ。

 トンカツ定食だけではさびしい。ついでに、決心して、ビールをたのんだ。トンカツを食って、ビールを一本(当時は大ビン)飲んだ。久しぶりに満ち足りたけれど、さて勘定は1000円出しておつりが小銭少々。「あれ…?」。そうすると、一生かけて、みんなこういうことをやっているのか、と思った。

【パラダイス・アンド・ランチ】(トンカツとビール-最終回)

 家を建てて、車を持って、海外旅行に行って、時々家族で外食して、これでパーだ。こんなことのために働いて一生を過すのは馬鹿馬鹿しいじゃないか。こんなことではせっかく芸術に巡り会ったのに、いい画は描けるはずがないと思った。それで、バイトは極力止めた。そのために生活費は削った。冷蔵庫がないからジャガイモとタマネギとキャベツと卵と味噌くらいを買って、あと芸大の大浦食堂で食べると安いから利用する。衣服も、下着や靴下を除いて一着づつ。床屋も短く刈って長くのびるまでいかない。レコード(CDはまだない)や本や絵具を買うためにはバイトをする。しかし、決して食べるために働くまい。だって、その方向、欲望の充足、満足感のために自分の時間を使ったら、それだけで終わってしまうのだから。もし、食べて終わってしまうなら、何のために絵も描かずに、一日バイトしたかという話である。1日働いたお金1000円が、トンカツとビールの食事で消えてしまったら、あの私の働いた時間は、トンカツとビールになったのだ。もちろん、うまいものも食いたい。しかし、絵を描くことを犠牲にしていては、たまらない。(追記がもう1回あります)

【パラダイス・アンド・ランチ】(トンカツとビール-追記)

 私は意志が強いように思われているが、その事は私の性格とは無関係なのだ。自己の内部に超越を抱え込んだ人間は、それを行動の最上部に置くので、他の事をさておいてそうせざるをえない。

 自分一人の場合は自己責任で問題ないのだが、周囲との関係に困った。その時は学生なので、友人、異性、先生、学校との関係で、私の超越(美)と、違う超越(イズム)を持ち出された場合、その超越と私の超越がぶつかったときに困る。芸術、〈真・善・美〉は、私にとって超越だと思っている。真理も善も、常恒でいつどこででも妥当するように、〈美〉はいつ、どこででも妥当する。

 後に、他分野で私の世界観とシンクロする人に出会うのだが、当時の文化、芸術界では、私は、ノンポリ(むしろ、保守反動)で、後に芸大を卒業してからは、美術界の「はぐれガラス」と呼ばれていた。

 超越的なものを自己の内部に持って人生を送っている人たちの多くは、生涯独身だったり、女性関係や家庭(人間関係までも)がうまくいかなかったりする。芸術家、哲学者、宗教者…すぐに、次々と名前が浮かんでくる。

 この文章は、73歳の現在書いているのだが、まだ10代の青年が、人生の大きな問題に気付いた、「パラダイス・アンド・ランチ」(トンカツとビール)編でした。「パラダイス・アンド・ランチ」はまだ続きます。

-『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

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