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『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

『ジョルジョ・モランディ』 (有)フォイル社

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『ジョルジョ・モランディ』 (有)フォイル社

■その生と芸術はそれゆえ、20世紀美術の大スター、パブロ・ピカソと好対照をなすとすらいってもけっして過言ではないだろう。(『喪としての絵画、あるいは幻の展覧会のために』岡田 温司)(4頁)

■20世紀の最初の20年間には、セザンヌ、モネ、スーラの仕事にわたしほど関心をもっているイタリアの画家は、ほとんどいませんでした(モランディ)。(『喪としての絵画、あるいは幻の展覧会のために』岡田 温司)(5頁)

■アトリエに残されたテーブルの表面には、鉛筆による無数の線の跡が残されていて、画家が壜や壷の配置具合をいつも工夫していたことがうかがわれる。また、中庭に面した窓から射す光の量を調節するために、白いパネルを利用していたことも知られている。(『喪としての絵画、あるいは幻の展覧会のために』岡田 温司)(6頁)

■「何かがうまくいっていない、それが何であるかわからないけれども、たしかに何かがうまくいっていないと感じるのだ」、制作中の画家があるとき友人の音楽学者(『我がモランディ』の著者でもあるルイジ・マニヤーニ)に漏らしたというつぶやきである。(『喪としての絵画、あるいは幻の展覧会のために』岡田 温司)(6頁)

■モランディはいちど父親が経営する商社に勤めるものの、絵画への思いは断ちがたく、1907年に当地の美術アカデミーへと進む。非凡な才能を見せながらも、そこでの19世紀的な教育に反発し、むしろ、1909年にはヴィットリオ・ピーカの著作やアルゴンソ・ソッフィチによる記事を通してのポール・セザンヌに、その翌年にはヴェネツィア・ビエンナーレでのピエール=オーギュスト・ルノアールに衝撃を受けた。おそらくこの頃にはすでに、パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックがパリで起した革命についても十分に知識を得ていただろう。(11頁)

■しかしながら、モランディが本当の意味で自己の絵画を獲得するのは20年代に入ってからである。1920年、第12回ヴェネツィア・ビエンナーレのフランス館でのセザンヌの回顧展にて、モランディはこのエクスの巨匠の作品をまとめて実見することとなる。10年前にルノアールと同じくモランディをとらえたセザンヌが、連作的展開と総合的な作画をもって、再び彼をゆさぶるのである。(12頁)

■これらの作家評が伝えられる中、モランディ自身は、抽象絵画との関連性を指摘する論調に対しては否定的だったことが知られている。1955年と1958年には自らの制作信条を語る重要なインタビューが行なわれているが、その中で、モランディは「眼に見えているもの以上に抽象的なものは何もない」という趣旨の有名な発言をしている。これは、自らの制作は現実の世界を対象として出発するものであり、抽象的な形象の描出を目的としてはいないという態度を示したものと読み取れる。(66頁)

■1920年代前半では、わたしほどにセザンヌの作品に関心を抱いていたイタリア人はわずかだったのです。(モランディ)(124頁)

■ロンギは、モランディの歩んだ道のりは「きれいな放物線」からは程遠いものであったが、むしろ「しっかりと伸びた軌跡であり、長い道」であったと確信していた。そして美術史家は、自身に対して画家が死の間際に托すことを望んだ、「仕事」に関わる言葉を伝えている。ほとんど遺言というべきその言葉は、彼らの長きにわたる連帯感とともにあった豊かな友情のおかげで得られたものであった。それはまたモランディの活発な精神と情熱的で、粘り強い探求心を証明している。

親愛なるロンギ、わたしがどれほど仕事をしたく思っているか、あなたはご存じかと思います。

さらに

わたしはまた、新しい想を得ました。それを解きほぐし展開したいものです。(『友情について』ジョルジョ・モランディとロベルト・ロンギ マリア・クリスティーナ・バンデーラ)(128頁)

■モランディのことを思い出して美術史家は、自身の初期の著作群を特徴づけていた論争的な力(ヴィス・ポレミカ)を放棄してはいない。強調していわく、「気まぐれに満ちているとはいえ、決して無意味ではない因果応報という魔物」が望んだのは、ヴェネツィア「ポップアート」の製品が展示されるまさにその日に、モランディがこの世の舞台から退場することをだったのだ、と。(『友情について』ジョルジョ・モランディとロベルト・ロンギ マリア・クリスティーナ・バンデーラ)(128~129頁)

■一方、近代の芸術家としては郡を抜いてセザンヌであり、モランディ自身、1912年から1916年にかけての自作に、セザンヌの影響がみえることを公言して憚らない。(『モランディと同時代の画家たち』金井 直)(130頁)

■いずれの側にも「主義」なき静物の画家、モランディの居場所はないだろう。(『モランディと同時代の画家たち』金井 直)(131頁)

■「眼に見えているもの以上に抽象的なるものは何もない」というモランディーの名言も、この時期に語られたものである。「眼に見えているもの」が抽象的である以上、特段、純粋な、あるいは幾何学的な抽象に向き合う必要はない、という訳である。(『モランディと同時代の画家たち』金井 直)(132頁)

■そうした関係性を振り返るとき、モランディの没年が1964年であったことが、いかにも象徴的に思えてくる。この年のヴェネツィア・ビエンナーレ大賞受賞者はロバート・ラウシェンバーグ(1925-2008年)。つまり、アメリカのポップ・アートが最も伝統ある現代美術展を制覇し、ヨーロッパ近代絵画の終焉(少なくとも引き続き絵画を描き続けることの困難)を印象づけたその年に、壜を並べ替え、描き続けることで抽象との駆け引きを繰り広げた具象画家が世を去ったのである。この偶然の一致、二重の喪もまた、モランディの同時代性を、我々にひそやかにほのめかすことだろう。(『モランディと同時代の画家たち』金井 直)(133頁)

■モランディは時にアンフォルメルと関連づけられるアメリカの抽象表現主義の代表的な画家ポロックについて「彼は泳ぎ方を知る前に水の中に飛び込んでいる」と評したという。(『モランディとミニマル・アート』尾崎 信一朗)(137頁)

(2012年2月16日)

-『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

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