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読書ノート

『私の絵 私のこころ』 坂本繁二郎 日本経済新聞社

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『私の絵 私のこころ』 坂本繁二郎 日本経済新聞社

■19世紀後半からフランスで始まった印象派は、モネ、ピサロ、シスレー、セザンヌ、ルノワールといったそうそうたる画家が苦心して打ちたてたものです。クールベの「自分は目に見えるものしか描かない」という写実精神が根となり、そこに主観的で情念の真実や、科学的な真実をそれぞれ唱える印象各派の枝葉が咲き伸びたのです。私は、その西洋独自の合理性、組織性、集中性にはひかれたのですが、まだそれだけでは尽きないものが絵の世界にあるのではないかと思い続けていました。

 理論があって絵があるのではありません。あるとすればそれは追随です。絵があって理論があるのではありません。あるとすればそれは批評の分野です。制作を通じての思索と苦しい試行錯誤のなかからあふれ出たものが、その人それぞれの〝絵のことば〟になるのでしょう。(51~52頁)

■肉感的な立場、皮相的な立場、それは多元的で感覚的なとらえ方だと思います。自分を虚にして自然の脈動にふれるにはより精神的な態度がひつようなのであって、その虚の世界から出発した自分の上に、初めて充実した存在感を築くことが、永遠の個性を生み出していくのではないかと思ったのです。言いかえますと、自然を写生するときは、自我を消してしまうのです。そうした後に向こうを見て、自然から自分に宿ってくるものをいかにしてカンバスにとらえたらいいのか――これが私の模索するテーマのひとつでもありました。時代を超越すること、限内の喜びや悲しみでなく、さらに大きな世界に通じる喜びや悲しみであること、この二つが絵に限らずすべての芸術についていえることです。はしくれとはいえ芸術の世界に足を突っ込んだ以上、引き下がるわけにはいきません。目標とするところにどれだけ近づけるかわかりませんが、安易な妥協だけは考えませんでした。(54頁)

■パリの画廊街は、われながら実にたんねんに見て回りました。売れっ子はピカソでした。私より一つ年上だと知りましたが、あふれるような器用な感覚と技法を持ち合わせ、腕にまかせて描いているのだなと思いました。過去の作家のよさを絶えずとり入れ、構成にしろ、色の調子にしろ要領よく煮つめて〝見せ場〟をつくる才には感心しましたが、では絵の中にどこにほんとのピカソがあるのか、と開き直ってみると、当の本人はどこかソッポを向いてこちらがだまされたような感じがします。絵を見て、自分以上の人にはただ頭が下がるのですが、ピカソには、うまいと思っても頭が下がるところを見いだせませんでした。

 セザンヌはあまりに合理的で組織的で、淡彩のなかには、東洋的に近いものがあるのですが、理屈っぽさが先にきて、ゴッホの理屈なしのよさと対照して私には不満でした。またミレーの絵にも東洋のにおいといいますか、芭蕉、蕪村の句に近いものを感じましたが、日本人の私にとってはそれは普通の世界に過ぎません。

 その点コローには頭が下がりました。目に見えた道具だてをせず、風景、とりわけ人物の方でありのままの認識をこめて、自然そのものをにじみ出させています。コローを平凡とみる人もいるのですが、私は過去から多くの人がやってきた壁にぶち当たった場合、新奇な道を切り開くことより、その壁に正面から取り組み、一歩でも踏み出すことの方が偉大であもあり、新しくもあると思っています。その意味でコローはあらゆる近代思想を超越した新しさとクラシックの味を見せてくれました。フランスでの収穫は、コローの作品に接したことだといまでも信じているほどです。(75~76頁)

■抽象とか具象とかいいますが、心より技のまさった抽象画に比べれば、心で描いた具象の方がより抽象に近づくのではないかと、馬を描くうちに強く確信しました。

 光こそ自然が語りかけてくれることばとさえ思いました。アトリエの光のぐあいは、制作する私にとって生死をきめる問題です。ひとつ、ふたつと窓を閉ざしていくうちに、アトリエ中の窓を全部板で打ちつけ、窓からはいる乱反射や雑光を断ち、天窓からの純光で仕事をするくせがついてしまいました。(90頁)

■受賞(昭和31年文化勲章)の感想を求められて私はこう答えました。

「作家がジャーナリズムの波に乗ることはたいして誇りになることとは思いませんし、評価と実力がピッタリくることは恐らくあり得ないことです。評価以上の力があっても、またそれ以下の場合でも、悲劇ではないでしょうか。画家はただ自らの作品そのものの喜びにひたる希望があってこそ生きがいといえます。真に向上を意味する新しく実のある作品が出来にくくなると、再び古代の作品が見直され、あこがれとなるものです。最近の世相は、単に新奇であるというだけのことでもてはやされ、新しさを単に種捜しのように追い求めていく傾向が見られますがそれは一時の評価を得ても、あわれともいえます。

 画家は一般の人より割合に社会からかわいがられているようですが、趣味としてやるのならば別として、作家道に進むということは、生活態度においてもなまやさしいものではありません。芸術において形式こそ違っていますが、古来よりの東洋の作品も、西洋の作品も、高度のものほど自然に淘汰摘出され、つまり〝よいものはよい〟という至極平凡な点に落ち着いて、東洋も西洋もそれぞれほほえみ合っているように思います。もしこの事実がないなら、私たちはそれこそ芸術の向上の方向も希望もあり得なくなりましょうし、それこそ請来の光明もなく、ただ単に現実場当たりの仕事のみになってしまって、過去、現在、未来、一切のすべてが無意味となるでしょう」。(106頁)

■「物の存在を認むる事に依って自分も始めて存在する。存在によりて存在する意識は、自分の外には何物もないけれども、物の存在を認むる事は、自他同存でありながら意識には物なる只其事のみである。自分なる者があっては、それだけ認識の限度が狭くなる。自己を虚にして始めて物の存在をよりよく認め、認めて自己の拡大となる。此存在の心は、自然力その脈動する意識であるかも知れない。刹那々々のみを、自分たり得る心である。強いて説明すれば消滅するこころだらう。」(「存在」明治44年)(147頁)

■「自分の五体の現肉欲に依りて見たるものは、たった皮肌的神経の力の範囲である。音も、色も、熱も、確かに認め得るには相違ない。けれども自分丈けの事、例えば不透明の物のあちらは見へない丈けの認め方である。それで此神経が動いて居る間は、其れ以外の脈動と云う様な意識は隠れてしまって居る。虚の意識は我利と相容れない、我利も極度に達すれば又別であるが、要するに文字は只仮示である。人体には自分の肉丈けの欲を充たす丈の神経と共に、意識の慾望と其の可能性が存して居る。若し之れがないならば、哲学など云う意識探求の喜悦があるわけがない。哲学的進路に誰れが眼を円くして心を引かるゝものがあるだろうか、直接衣食住其事でない此の道に、人が興味を持つ筈がない。或は哲学に無感興の人もあるに相違ないが、其等は根本的に意識力が少ないか無いかで、其無い意識を辿る事ならば、無論馬鹿気た無用事に相違ないから、感興もないだろう。此種の人はそれ丈け狭い範囲に存在して居るので、其人の叫ぶ権限は随つて狭い範囲にしか力が及ばない。怒りと笑ひと泣くのと而して相論ずるときは、必ず喧嘩である。火に手をあてゝ熱いと云う意識を、馬鹿として笑う事が出来ない様に、哲学の意識は理屈ではなく本能意識に於てである。狂とは違うのである。それが一見非実際なるかの如き形なるが故に、狭い実際場裏に稍ともすれば無視される。しかし哲学意識程、実際界に密接して離るゝ事の出来ぬ意味のものはない。」(「存在」)(148~149頁)

■「哲学に渉つた芸術は必ずしも人間と関係を保たない方面と、又最も適切な関係の方面とあるだろう。無論人的立場より求むる心の要求には、関係の適切なる方面が交渉するに相違ないが、一元的芸術には、又肉的局限立脚の芸術では及ばないものが宿る。それで之れが世間と云うところに用事を持つとき、肉的立場のものは狭い近い周囲にのみ関係を持つもので、時代でも過ぎれば直ちに忘却さるゝ芸術であるが、一元的のものは総べてに脈動して時代を経た世界に迄、何処迄も関係を持つだろう。斯くして却つて尤も世間的用事を発揮して来る。之は人間向上欲の大なる一つの方向で、この立場より見れば、人肉限内的欲望は狭い消極の満足にしか見えないだろう。」(「存在」)(149頁)

■「時勢や知識は何処までも横には拡がる。しかし、それは必ずしも感能の深さではない。作品の上では之が屢々混同されて、唯時勢に依って作られた形式の変化に過ぎないものでも、直ちに感能の深さであるかの様に間違へられる事がある。

 平面的進行は左程の骨は折れずに、時勢や流行の力で以て、無性者でも働き者でも差別なしにどんどん押しやって仕舞う。今日の小学生徒は遊び半分に、14、5年前の大家の苦心惨憺で以つてやつと仕上げた様な事を、御茶の子で仕て退ける。但し多くは平面的丈けの意味での事で、深さの方は時勢や流行と必ずしも倶はないから、各自の先天的器量の馬力に依る外仕方がない。だから此方面にレコードを破る程の進行をする人は容易に出て来ない。」(「方寸」大正2年)(150~151頁)

■「(前略)吾等は善人に反感を持つ事を普通の心では不条理とも見えねばならぬが、一面にの此の動かす可からざる或る物は根強くより真実を求めんとする心に隠れて居るから仕方がない。

 この心持は直ちに作品の上に屢々見るのである。才気溌剌として、何処迄も、只自己と云う馬力だけが推進器となった作品に殊に多く見らるゝのである。一見すれば眼を眩する斗りに正直でもあり華やかであるが、認識浅き才器は遂に何処迄進んでも才器であって、何物か隠れたる骨格の様なものゝ不足を感ぜざるを得ない。物の捉まって居ない不足である。此例証は現在の我画界の人と作品についても思当らるゝものがある。物を否定したり是認したりするのも理屈の上丈けでの是否では無論だめである。其人格から出る必然のものでなければならぬ。」(「思って居る事共」大正2年)(152~153頁)

■「画を描くからには誰れでも何かつかむところがあるに相違ない、しかしつかむと云う事は其処に悲哀がある。画を描くからには何か其処に機縁がなければならぬだろうけれども、希望より云えば、つかむと云う事は仕たくないものである。つかまずして現はれたものなら、まだまだ自己の真実の形を見得る丈け我慢も出来る。自己に意識しない進行には、詭りのあり得様がないからである。意識して歩を進めると云うところには、多く或る不満が倶なひ勝である。意識は知的になり易い。知らず知らずにも本能感得の純を妨ぐる事があるからである。其れかと云って意識なしに進む事は事実される事ではない。偶然の結果以外に其れは期待する事は出来ない位置である。それでそうなると進路はただ一筋の羽目から羽目を進まぬわけに行かない事になる。(「進路」大正3年)(154頁)

■「要するに新鮮と知とが相容れない形を持って居る間、吾等の進路は是が非でも此の無理な形に居ねばならない。此処に不断足の裏に火の燃えて居る悶々が起こる。知は何処迄行つたところで盲に追い及ぶ事が出来ない。盲は又知に従わねばならぬ、困った形なのである。吾等は批判の心を要すると共に、愈々歩を進めるときは盲に就かぬわけにいかぬ。盲知に依って新鮮の世界に接する以上のいゝ道を、今の処思う事が出来ない。若し一を知って其儘一に居たならば、其処にはもう堕落の第一歩が芽ぐむであろう。知って其儘居るのは安逸である。其うして安楽に居るには此世界は余りに勿体ない。進む可き唯一の真実の道は、かくて盲に就いて得る捨身本能覚の道しか開けては居ない。止むを得ず吾等の最上の難有い位置は只黙々の裏に迎合するのみにならぬわけに行かないのである。批判の上からは色々と価値の上下も出来得るけれども、創作進行者には実際難有いものゝ外に難有いものゝ有り得様はない。」(「進路」)(154~155頁)

■「進行の上に注意すべきものゝ内、根本的に大切なものは云う迄もなく其質の如何である。質は直ちに其人の生き甲斐、描き甲斐の如何で、画の向上と云ひ、よしあしと云ふも、要するに質を措いて他に何物もない。質の如何は直ちに意味の如何であり、其人の生き甲斐の光明の如何である。質は、主義や振りや見かけではない。只其人と自然との交渉の度合いの正味其物である。」(「画の質」大正3年)(155~156頁)

■「所詮真とか生命とか云う様な感じ等も、要するに人と自然との交渉された質の純なところに起る感じ、又は之を他から見たときに起る感じだと思う。小児の画の真実的なのも、要するに質の純なる交渉の表現である故に外ならぬ。そして何れ丈けかの質は誰しも持って居るだろうし、従って其各質其れ其れ相応丈けの事は大なれ小なれ真性の画が描け得られねばならぬわけであるのに、其れが描けないと云うのは何かつまらぬ雑念に目が暗んで居るのだと思はねばならぬ。」(「画の質」)(156頁)

■「すべて無意味に属する真似の行動は、自質認識の不明か弱いところから起る。例え自質は小さいのでも、其声は其れが其人の正味の総べてで、より以上の意味の何物もない筈である。けれ共自分の側に自質以上の大きな質が現はれると、自質の声は打ち消され聞取悪くなる。だからしつかりせねばならぬ。豪らい芸術は一面誘惑者であり、又吾人の行く可き道を御先に失敬されたものだとも云える。単に自質の叫びを放散すると云う事丈けならば、まだしも誤りは少ないけれ共、向上の努力が動くところに自質の叫びが迷ひ出す。自分以上のものは青も赤も其れが前途であるものとして現はれる。自質の手綱は此時一層の厳しさを要する。自質の叫びをよく聞き得しもののみ其歩みは太り、聞き誤つたものが後悔する羽目になる。始めから自質の声を誤つて進むならば、云う迄もなく結果は右往左往で、結局何も進み得ない事にならねばなるまい。」(「画の質」)(156~157頁)

■「感激、総ての事は只此一事に尽きる。理屈はない、感激が事実であるならばそれが真であらねばならぬ。優れた位置と云う様な形式に知らず知らず進む事がある。そう進む事に或る嬉びがうつかりすると働くけれども対自然の生活味は位置の様な形式ではない。。只感激丈である。其証明丈である。それ故に無知の幼年も感激に於て老年者の上に立つ事が出来る。生活味が強いのだ。それ丈け高価と云っていゝ。複雑とか広さとかの価値は横に拡がる計りである。」(「感激」大正4年)

「感激とそれに倶う誠実、良心、何れも兄弟分である。人の顔に露骨に現はれるものは誠実の有無である。そして彼は其処に彼の感激の有無を語って居る。専門家の相貌には従って芸術の有無も大抵顔に示されて居る。誠実なくして芸術の事を云々する者に対する程心持ちのわるいものはない。要するに感激の有無は直ちに善心の有無と云ってもいゝ様である。」(同上)

「作品の消えざる意味なるものは此の感激の働ける故に外ならぬ。感激を作品にする以外に芸術の作品はない筈だ。其の感激を無理した努力、感激のない只の馬力で出来た作品、之等は皆折角出来ても反古になる作品である。感激は何うしても事実の真に相違ない。感激の何物であるかを味得された者ならば、情理共に味得されたものとしてもいい筈だ。貴というものは実に感激である。」(同上)(157~158頁)

■「素描は単調であるが、澄切った表現が出来るからいゝ、色彩も出来ることなら素描の如くぴつたりと現は度いものだが、色彩の持つ反映関係はどうしても時間的感情の重積となる傾向があり、特に洋画的色彩に於て其建築的長所と共に時間的とろさが短所となる。大抵の洋画が一面面白い絵でありながら、、深さもありながら、常に此とろさにつきまとはれて居るのは残念である。最も此短所を見せたのは、初期印象派である。色彩には目覚めたが時間的な科学的な弊害にも取付かれた客観的印象をたどりたどりして居ては例へ或る主観はあるにはあつても、要するに際限なき連続の集積に過ぎない。之が色彩なくして形の上に現はれたのが先年当り一時流行したやたらに細かい描写の無駄手間である。後期印象派になるとずつと此点が主観的に一図が一つの心として一元に近づいたが、すかしまだ時間的感じを脱しては居ない様である。其処に行くと、ずっと古代の絵や、ミレー、コロー等の態度は頭の中で一応噛んだ自然で、所謂写生的とろさはない。ミレーの『絵は一応自然から放れて描く可きものだ』と云う心持は、此辺にあるのだろう。東洋の絵は、土台最初より此態度だから時間的な感じなどはもとめてもない。しかし空間的適切さに於てこそ之でもよいが、建設的厚味と現実的直接さに於て、何うも浅く走り度がる一長一短である。更に此両方の長所を握む事が吾々の前途に横はる問題だ。」(「素描と色と」大正10年)(161~162頁)

■「仏国は美と科学とを調和させることを誇りとしているそうですが、全くこゝでの美の展開は実に合理的で、事によつては其道筋が余り見え透いて微笑されることがあります。」(「巴里通信」大正11年)(163頁)

■「絵画に於ける物感は凡そ画である限り何程かは必ず裏付いて居るに相違ないが、人によりて物感の厚薄は甚しい相違がある。中には殆ど物感など無視されたものもある。しかし其いかによき色彩の趣味性であり明確らしい線条が引かれてあるとしても、それに物感の裏付いて居るものがないならば、それ丈物足らぬものであり、作家の趣味又は主観的意志以上の生活感は稀薄となる。物感は特に作家の本能的個人的なもので、形や色の如く人間相互の感化伝習が容易でない。趣味色彩も勿論個人的なものではあるが、物感に比すれば遥かに共通消長のものである。物感はそれだけ画者個人的生活感の実証が裏付いて居る。時代思潮や趣味やを超越して、尚且つ今日の人にも働きかゝるものをもつ古代作品の如きは、作家の偉らかった本能物感の働いて居る力に因るところが深いのである。永遠性の如きは物感の裏にあるとも云えるであろう。」(「硲君について」昭和5年)(167~168頁)

■「勃興時代の作品は物感が凡そ盛んだが世紀末的になる程技巧が之と入りかはる。技巧の練達、思想の新奇を誇られても、物感的実質が之に裏付いて居ないのでは、遂に問題が問題ともならないのである。東洋画の如く気韻墨色精神に重きを置かれ、一見物感と云う如き実形を超越された如きものでも、其事実は矢張り画面の墨色に裏付く物感なくして何の表現でもあり得ないのである。気韻も精神も物感に確実性があつて上の事で、よい作品にならばなる程此事は明らかに実証されて居ると思う。紙本に於ける墨色、床の間との調和等の上から、表現の約束が自づから東西洋の面風を甚敷別趣にして居るけれ共、絵画成立の帰するところにかはりはないであろう。」(同上)(168~169頁)

■「絵画にありては其作家の思想、色々な主義、傾向の相違も帰するところは作家の本能力の範囲に制限さるゝので、此点如何に思索的であつても多角的躍進家であつても、結局はその点保守の形に傾くのを何うしても免れない。先天的に受けた性格は、青年期にありてこそ多少の成長はあるとしても、そうそうは変化するものでなく、如何に努力精神の人でも此点其進歩は常に遅々として居るのが普通である。錬磨によりて技術的に進歩し、又内容にも其処に次第に覚醒は勿論あるけれども、天分本能の範囲を一歩も出る事は出来ない。理知や思想は画に方向を与へるけれども、画を決定するものは本能である。常に外貌を色々変化させる作家でありながら却って実質は単調な足跡を作るやうな皮肉なのもある。」(「本能」昭和13年)(171頁)

■「単に鑑賞する立場にありては、日に月に新時代の空気を求めらるゝのも当然であるが、作家としての実行となるとそうは行かないのである。ここでは一生涯をとしての一個人としての最高能率を目標としての歩みでなければならない。作家其人の正確にもよる事であるが、凡そ日に月に新らしさの方向に進むが如きは、希望は別として実際問題としては自殺をするに等しい結果を見る外あるまい。平面的な単なる衣更へ的変化ならば、比較的仕易い事でもあろうが、高度、深度を重点とする者にありては、之を一言にしていつて見るならば、10年間のたゆまぬ精励で一歩前進向上を遂げられたのならそれは好成績と解される。人間本質的の向上脱皮は容易な事ではないのである。単なる画描き技術的のみの変化が屢々向上と履き違へられないやうにすべきである。創作家としては此意味で時代生と云う事に対しても、自らの歩みを考へねばなるまい。私の考へでは、永遠性、人間性を期する高度、深度に力点を置いて歩む者にありて観者の要求の如く刻々新を追うよりも或程度保守の形となるのは当然止むを得ないものと思ふ。批評家の中には新傾向に同情の余り、そう云う傾向の作家を推奨して、却つて、ひいきの引き倒しをして居るやうなのも見られる。作家自身としても此点錯覚しない用心が必要だらう。」(「当面些語」昭和21年)(172頁)

■「古今の歴史を見ると一応新旧の隔たりがあるやうに見えるが、之は日常外形の生活事情の隔たりに錯覚さるゝところ多く、作品の実質的働きが人間に交渉して居るところは、古作品と新作品の時代性は超越して居ると思ふ。又実際に現はれて居るところに見ても、結局高度、深度のより大なるもの程応用の働きをもして居ると思ふ。大衆性と云う如き事も結局はそれであると思ふ。深度、高度の増大はそれだけ共通性となり、超国家的となり、人類的となる。即ち美術が超時代性を具有する限り、此の事情に消長するものだらうと思ふ。勿論之は美術の本質的要用の意味で応用美術方面を云うのではない。」(「当面些語」)(173頁)

■「古来日本画の組織が大体丈山尺樹等の組立で出来て居りますが、用紙との関係もある事ですが、気持丈け走った具体組織の根底不充分の悲しさ。之れが実に古今を通じての大作家になる程一層痛切な意味に響いて居り、此事は単に美術以上何だかすべての文化乃至政治の如きも同様東洋の悲哀をいみするやうで此組織不足の為東洋は兎角西洋から押されて居る感があり兄の御著(構図の研究)の如きは正に此不足を補ふ絶好の滋養に違ひないと思ひます。しかし現今の日本画畑に何処迄生きた意味にあれを吸収出来て居るかどうか、組織不足のまざまざの現象として古来の流派を利用して居る作家のみ辛ふじて画がまとまつて居る有様。組織の根本なくして西洋流を取入れようとして居る新派作家のあはれな苦労。此点日本の西洋畑の方は立体観念も組織力も余程向上して居りますが、之れは又西洋流の悩みをぬけずに居るやうで、つまり印象派以後に現はれた多元的写生神経の為めの統一不足。西洋の作家も之を克服すべく努力はされて居りながら仲々それが六ケ敷いものとなつて居ると思はれ、セザンもそうですが、ヂュッフィの如く心性作家でもバラバラを組立てた一元形をやつと製らへて居り、ルオーの如き努力も小品は相当迄行って居るようですが、矢張り気息切れを見せて居る。日本の洋画も西洋流の多元性がまだ一元を得て居るところ迄なつて居ないのが大部分ではないでせうか。」(『黒田重太郎宛書簡」昭和21年)(174~175頁)

■「東洋は作品の質に力点が傾いて居り之に比して西洋のそれは量的にも要求が深いやうに思はれます。此二つの帰着は、勢東洋にては人間性人格が問題の主要性となり西洋は仕事と云うところに傾き易い。西東室内装飾の好みにも此要求のあり方がまざまざと現はれて居り、東洋と云つても支那や印度はやゝ日本よりは西洋味が加はるようですが、吾々にありて心からの満足を得るには結局量よりも質になるやうに思はれ、尤も量的又は計画性、構成の如きも質の一面と云えますが、矢張りそれに人格の質が供はらないならば頭は下がらぬやうです。」(『黒田重太郎宛書簡」昭和25年)(175~176頁)

■「小生の抱いて居る油彩についての考えを云つて見ますと、油彩表現の長所が実相表現に便宜であるところにあるのですが――絵画表現に就いて現在考えられる理想的状態は、実相具象つまり作家の姿が出来る丈そのまゝの真相を現はす事、例へ表現法、其形式の如何にかゝはらず抽象となりシュールとなりキュービックとなっても此実相具象を帯同せる範囲にある事が必要と思はれる事。若し此根本性が他に外れて抽象が勝手な形の抽象化となれば、其造形が如何に明確愉快に絵画的構成色調の美しさ等が発揮されたとしても、結局は絵画としての目標よりも工芸美の方へ近づく事となり、作品として面白くとも人間表現としての力が稀薄に傾く。近代抽象作品に共通する一長一短がこゝにあり。あらゆる方面に自由明せき、多様性の装飾性、構成、表現に於て魅力的であり、会場効果的である事は結構ですが、絵画が単に面白く又美しい装飾的魅力に留つてよろしいものならば、特に絵画としての独立した境地もなくなり、他の工芸品とかはらぬ存在でしかない事になります。絵画は絵画の長所であり得る人間表現でなければならぬと思ふのです。」(「井上三綱宛書簡」昭和25年)(176~177頁)

■「絵画と彫刻が特に単なる装飾美以上の表現に適して居るのは写実力のためであり、折角の児童自由画の殆んどが面白さはあつても足りないのは此写実の不足から来るもの足りなさで、大人の画でも写実のないものは面白いものでも児童画に近似する。写実の真実(広い意味の)こそ人類的エスペラントの大道のあるところで大事な問題のあるところと思ひます。しかし抽象とか写実とか名づけても明瞭な境界線があるわけではないので此要点を把握するのが天才の仕事でしよう。」(「井上三綱宛書簡」昭和29年)(177頁)

■「作家の社会的関係は、一般に評価されている線より偉すぎる場合でも、また力が足らぬ場合でも、夫々悲劇ではないでせうか。当面の社会に、ジャーナリズムの波に乗って何事か迎合されたとしても、それは作家として大した誇りではありません。画家は一般の人より割合に社会から可愛がられている様に思はれます。然しそれでありながら、社会的関係には悲劇の運命に晒らされ易い事情もあります。画家はただ自らの作品そのものゝ歓びに浸る希望があつてこそ、生甲斐ともなるものです。

 絵画を趣味乃至修養としてやるのならば別ですが、作家道に身を進めるといふことは、対社会関係に兎角矛盾を生じ、生やさしいものではありません。そして真に向上を意味する創作の新しさは、本質的に過去以上の偉さ良さが備つたものでなければなりません。単に新奇といふだけのものでしたら、変質者でも、気狂ひでも出来ることです。

 新しい実質のある作品が人間の能力の限度で愈々尋常一様では出来なくなつてから先きの事を仮りに想像しますと、新しい作品よりも古代作品が人間の憧れとなるやうな、皮肉なことにならぬとも限らない様に思はれます。現在でも、或る程度はこの事実が現存している様に考えます。実質不足の単なる形骸や、新しさを単に種探しの様に躍起になつて求める作家には、同情はされても所詮それは哀れであります。」(「坂本繁二郎夜話」昭和35年)(178~179頁)

■「芸術において形式こそ違つていますが、古来よりの東洋の作品も、西洋の作品も、高度のものほど自然に淘汰摘出されていまして、つまり、よいものはよい、といふ至極平凡な帰着点に落着いて、東洋も西洋も夫々微笑み合つている様に思はれます。若しこの事実がないなら、私達はそれこそ芸術の向上の方向も希望もあり得なくなりませうし、それこそ一切の総べてが無意味となるでせう。これでは考へただけでもやりきれないことになります。」(「坂本繁二郎夜話」昭和35年)(180頁)

2009年2月14日

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