岡野岬石の資料蔵

岡野岬石の作品とテキスト等の情報ボックスとしてブログ形式で随時発信します。

読書ノート

読書ノート・2006年

投稿日:2020-08-02 更新日:

読書ノート・2006年

■たとい私があの山を一つ超えたとて、そこにも風が吹いているばかり。(94㌻)

■水の流れはさらさらと

 風の響きはそよそよと

 昇る旭はきらきらと (107㌻)

■父上のご慈愛は、子、嫁、孫に、樋をかけて送られていた清い泉であった。その泉をのみてわれら生きたりき。その泉いま涸る。

されどその泉、影として記憶のなかに湧きつづく。その記憶の保持者たるわれら死なば、われらの遺せるあらゆるものの中より湧きつぐべし。(259㌻)

■夫婦して しぐれの音を きく日かな

 わが家は ひっそりとして しぐれかな (487㌻)

『高群逸枝全集⑨』(理論社)より 2006年1月20

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■将来と、最も遠い物とが、君の今日の原因である。君の友の内にいる超人を、君は君の原因として愛すべきである。(ニーチェ)

2006年1月23日

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■天才とは簡単にいえば、もっとも完全な客観性にほかならない。つまり、精神の客観的傾向である。天才とは、自分自身の興味や願望や意図を完全に無視する力である。彼はわれわれに魔法の眼鏡を提供してくれるのだ。その眼鏡をかけると、本質的で意味のある事柄がすべてはっきりと見えてくると同時に、本質的でない、異質の事柄はすべて見えなくなるのである。彼があらゆる美から得る歓喜、芸術が彼に与えてくれる慰め、芸術家の情熱といった存在のおかげで、彼は人生のわずらわすさを忘れることができ、意識が明確になるにつれて増大する悩みや別種の人間たちのあいだで味わう孤独の淋しさをまぎらすことができるのである。(アルトゥール・ショーペンハウエル)

2006年1月23日

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■「ぼくには荷が重すぎるよ。ジョン(コルトレーン)の音楽とぼくの音楽を同時にやれるわけがない」(ウェス・モンゴメリー、コルトレーンのバンドの恒久メンバーにさそわれて)

2006年1月23日

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――■ナットはしっかり締めておかないと、それが押さえておくべきものがまた動いてしまうので、すぐに元のようにゆるんでしまうのだ。(103㌻)

■説明しないこと!―記述すること!(126㌻)

■あらゆる地上的な幸福が卑小に思えてしまうこの絶対的なものへの努力にあって、眼差しは上に向けられ、前方の対象に向けられはしない。(129ページ)

■人は職人の比喩に惑わされているのだ。誰かが靴を造るというなは一つの達成である。しかしいったん(手元にある材料から)造られたなら、靴はしばらくの間は何もしなくても存在し続ける。しかしながら、もし神を創造主と考えるのなら、宇宙の維持は宇宙の創造と同じくらい大きな奇跡であるはずではないのか。(139㌻)

■芸術作品は永遠の相の下にみられた対象である。そしてよい生とは永遠の相の下にみられた世界である。ここに芸術と倫理の連関がある。

日常の考察の仕方は、諸対象をいわばそれらの中心から見るが、永遠の相の下での考察はそれらを外側から見るのである。(181㌻)

■世界は日々われわれに対して存在するにもかかわらず、その存在は奇跡と見なされるべきであり、それについてはいかなる言語的な表現も無意味とならざるをえないのである。(210㌻)

■そういうことが起きるのは、君がこの地上に足で立つのをやめて、天にぶらさがるときだけである。(259㌻)

『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記』より 2006年1月29日

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――■私は夕方になると、1本の糸から蜘蛛が降りて来て、芝居の土蜘蛛の様にぷっと数本の1間もありそうな糸を吐き、それから巣を張りに掛るのを眺めていました。毎晩その仕事が終ると蜘蛛は寝て仕舞います。毎日の仕事を体内から吐き出したもので営み、何か人には解らない確信を以て、生活を設計している様子がー画家でありました。(112~113㌻)

■「わが露西亜の青年は西欧で仮説にしているものを見て、直ぐ様それを原理にして仕舞うのだー」と或るロシアの作家が小説の中で言っていたなを思い出します。(121㌻)

■言葉をささえるものは論理でなく、論理をささえるものは言葉である。イメージをささえるものは思想でなく、思想をささえるものはイメージである。(196㌻)

『眼の哲学、利休伝ノート』青山二郎より 2006年2月20日

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――■仰臥し、左の掌を上にして額に当て、右手は私の裸の右腕にかけ、「いいかい」と云った。つめたい手であった。よく理解できなくて黙っていると、重ねて、「おまえはいいかい」と訊かれた。「はい、よろしゅうございます」と答えた。あの時から私に父の一部分は移され、整えられてあったように思う。うそでなく、よしというこころはすでにもっていた。手の平と一緒にうなずいて、「じゃあおれはもう死んじゃうよ」と何の表情もない、穏やかな目であった。私にも特別な感動も涙も無かった。別れだと知った。「はい」とひと言。別れすらが終ったのであった。『終焉』

■その私があるとき、ひょっと「本を読んでものがわかるというのはどういうこと?」と訊いて、ただ一ツだけ父の読書について拾っておいたことばがある。――「氷の張るようなものだ」である。一ツの知識がつっと水の上へ直線の手を伸ばす、その直線の手からは又も一ツの知識の直線が派生する、派生は派生をふやす、そして近い直線の先端と先端とはあるとき急にひきあい伸びあって結合する。すると直線の環に囲まれた内側の水面には薄氷が行きわたる。それが「わかる」ということだと云う。だから私は一ツおぼえに、知識は伸びる手であり、「わかる」というのは結ぶことだとおもってい、そして又、これが父の「本の読みかた」のある一部だとおもっているのである。『結ぶこと』

『ちぎれ雲』幸田文より 2006年3月4日

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――■「花がしぼむのも鳥が落ちるのも、ひっそりしたもんなんだよ。きっと象のようなものだってそうだろうよ。」

■妻と子といずれに哀しみが深かろうと訊いたら、「それはおまえ、縁の丈だろうじゃないか」と答え・・・

■父は絶壁の古木だと人が云ったが、まったくその通り、宿り木にだって蘖(ひこばえ)にだって、親木に吹く風はお裾分け、ひやりとした静かさは骨身に浸みて馴れている。

『父』幸田文より 2006年6月22日

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――■真の生、ついに見い出され明らかにされた生、したがって十全に生きられた唯一の生、これこそ文学である。この生はある意味で、芸術家と同じくすべての人のなかに各瞬間ごとに宿っている。しかし人びとはこれを明らかにしようとはしないので、目に入らないのだ。こうして人びとの過去には無数の陰画があふれているが、知性が「現像」しないので、陰画は役に立たないまま残される。それは私たちの生だ。そしてまた他人の生でもある。(プルースト)

『プルーストを読む』鈴木道彦より 2006年3月6日

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――■レオナルドの言に、「自分の画は常に描き足りない未完成のものであるけれど、もし他人が自分にそういう事を言えば、自分はゆるさない」というような意味の言を言っていたのを読んだことがあるが、さすがはレオナルドの言だとそのとき思った。レオナルドの画を見て吾々は描き足りないとは思えない。尽くしていないとは思えない。むしろその反対に自然のまだ知らない美を教えられる。よし見方の相違を感じることができるにしても。(54㌻)

■人生にとっても芸術にとっても大切なのはこの「真実」である。美術における自然はこの「事実」に相当する。そして「真実」はすなわち美である。美術にとっても、もっとも真なるもの、「これこそ」と思うものは、「美」の外にない。美とは、形象の「真」であるともいえる。美術家が美を見た気持は動かし難いという気持ちである。絶対を見た気持ちである。代えるものなきを見る。(82㌻)

■ロダンも「芸術に罪悪はありません」と言っている。たとえ不道徳なもの、殺人の光景やニンフを掠うパン等を描いても、そして、その不道徳が否定されずにむしろ肯定的に描き出されてあっても、そこにもし本当の美が出ていれば、そこに不浄や不徳の与える醜悪な感じは打消されてしまうのである。観る人がもし、その美術の前に立って不道徳の心を起こしたとすれば、それは画の罪ではなく見る人の罪である。その人は美を見得なかったからである。(117~118㌻)

■芸術上の本当の美とは心の喜悦のことだ。視覚によって人間が味わうことの出来る心の喜悦である。・・・中略・・・。芸術家は人間の心の求めるところの本当の感じを知らなくてはならない。人間の心が本当に喜び潤うものを知らなくてはならない。文芸においては愛、善、美術にあっては美である。それは心の喜びである。肉体や物質以上の喜びである。それはこの世に娯楽以上の喜びを与えるものでなくてはならない。こういう人の作品は観者に感じることができれば美感以上のものを感じさす。永遠、尊貴、豊麗、厳粛、神聖、神秘等がそれである。それは観者の目(心)の程度によって違ってくる。芸術とはこれである。さもないものは芸術的美ではない。(131㌻)

■勝利はおのずと来る。来るべきもののところへはおのずと来る。

 展覧会場での勝利よりも、画室での勝利を知るものは幸いなる哉。(195㌻)

■美術上の正しい写実とは目に見えた通りに描くということではない。眼に見えた美の通りに描こうとすることである。真実らしく描くことではなく真実を描くことだ。美術において、実とか真実とかいうことは美以外の何物でもない。形象のクライマックスの感は美である。形象のみの世界においての真理は美以外にはない。形象のクライマックスの感は美である。(214㌻)

■画家は文学に媚びてはいけない。

 真面目な画家は、ともするとこの誘惑に陥りやすい。しかしさらに真面目な画家は、その誘惑に打ち克つであろう。

 画家は画家たれ。(313㌻)

■画家は画家になりきることより外に、深いものを見ることも表現することもできない。

 画家になりきれ。(312㌻)

『美の本体』岸田劉生より2006年3月24日

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――■この解答をニュートンはやはり匿名で発表したが、解答を見たベルヌイは、「あのライオンであることは足跡だけで分る」と言ったそうである。(34ページ)

■「ここにて、1843年10月16日、ウィリアム・ハミルトンは、天才の閃きにより、四元数の基本式を発見し、それをこの橋に刻んだ。i²=j²=k²=ijk=-1」(110㌻)

■ヒンドゥ-教の規範『マヌ法典』は、男子の生活期を四つに分けている。ヴェ-ダ学習を中心とした知的教養を積む学生(がくしょう)期、結婚して祖霊祭を執行し男子を設ける家長期、人里離れた所に隠居して瞑想にふける林棲期、そしてその森をも捨て巡礼をつづけ解脱をめざす遊行(ゆぎょう)期である。(132㌻)

■純粋数学というのは、種々の学問のうちでも、最も美意識を必要とするものと思う。実社会や自然界からかけ離れているため、研究の動機、方向、対象などを決めるガイドラインが、美的感覚以外にないからである。論理的思考も、証明を組み立てる段階で必要となるが、要所では美感や調和感が主役である。この感覚の乏しい人は、いくら頭がよくとも数学者には不向きである。(214㌻)

■若手研究者や学生は、ノブレス・オブリージュ(高貴な者に伴う義務)として、率先して続々と最前線へ向かって行ったのである。(249㌻)

『心は孤独な数学者』藤原正彦より2006年5月11日

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■ポテンシャルエネルギー(知識)→アントレプレヌーヴシップ(繋ぐ)アントレプレヌーヴ(企業家)→運動エネルギー(経済活動)…シュンペーター

 イノベーション:革新、刷新

放送大学「情報産業論」より2006年5月24日

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■それがコレスポンダンス、対応とか照応とかいうやつですよ。ここにある岩石が異物のように見えても、その画面のなかに別の岩石、別におなじ岩石でなくてもいいが、なにかが書かれることによって、相呼応して、そして響きを生じてくるということになると、エピソードもエピソードであることをなくすわけですね。(36㌻)

■あらゆる芸術を見てみると、ジャンルは二つあるんですね。そのジャンルは、黙っていても目にパっとくるジャンル、これは演劇なんかもそうですね。映画もそうですね。見たい意思がなくても、目さえあいておったらとにかく飛び込んで来る。…絵なんかもそうですね。音楽なんかもそうです。

ところが、小説というやつは、一枚一枚ページをめくっていくジャンルなんですね。そのために、どうもこういう大胆な試みというのはなかなかやっていけない。これは私考えてることですけれども、この小説というものにもまた非密蔽小説と密蔽小説の二つのジャンルがある。密蔽小説は外部と断絶して、外部を混入させぬことによって内部の純粋を保とうとするが、非密蔽小説というやつは、むしろ外部と接続させ、外部を内部に混入させることによって、内部に拡がりを持たそうとする。(288㌻)

■だいたい人生というのは“こんにちは”“さようなら”ですから、四の五のいったって。(382㌻)

■これは数学的にいいますと、AとBがあって、AがBに含まれ、BがAに含まれるとき、AとBはイコールだというんですね。(384㌻)

『対談・文学と人生』小島信夫、森敦より2006年5月24日

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――■折しも外界は草花たちの欲情の季節(44㌻)

『栄光の残像』倉橋健一(詩)細川和昭(写真)より2006年5月27日

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■初期仏教における「…であるありかた」としての法が、有部によって「…であるありかたが有る」と書き換えられたのである。「である」から「がある」へ、essentiaからexistentiaへと論理的に移っていったのが、法有の立場の成立する理論的根拠である。(90㌻)

■「まず、すでに去ったものは、去らない。また未だ去らないものも去らない。さらに〈すでに去ったもの〉と〈未だ去らないもの〉とを離れた〈現在去りつつあるもの〉も去らない」(118㌻)

■『中論』はけっして従来の仏教のダルマの体系を否定し破壊したのではなくて、法を<実有>とみなす思想を攻撃したのである。概念を否定したのではなくて、概念を<超越的実在>と解する傾向を排斥したのである。「であること」essentiaを、より高き領域における「があること」exisistenntiaとなして実体化することを防いだのである。西洋中世哲学史における類例を引いてくるならば、実念論(realism,Begriffs realismus)的な思惟を排斥しているのである。(143㌻)

【私の考えは、真、善、美を超越的実在と考える】

■実念論―プラトーンー説一切有部

実念論に対する反対者―プラトーンに対する反対者―ナーガールジュナ学派(154㌻)

■「不滅・不生・不断・不常・不一義・不異義・不来・不出であり、戯論(けろん)が寂滅(じゃくめつ)して吉祥(きちじょう)である縁起を説いた正覚者(しょうがくしゃ)を、諸(もろもろ)の説法者の中で最も勝れた人として稽首(けいしゅ)する」

とあり、この冒頭の立言「帰敬序(ききょうじょ)」が『中論』全体の要旨である。

 右の詩の趣旨を解説しつつ翻訳すると、次のようになる。

[宇宙においては]何ものも消滅することなく、何ものもあらたに生ずることなく、何ものも終末あることなく、何ものも常恒(じょうごう)であることなく、何ものもそれ自身と同一であることなく、何ものもそれ自身において分たれた別のものであることはなく、何ものも[われわれに向かって]来ることもなく、[われらから]去ることもない、というめでたい縁起のことわりを、仏は説きたもうた」(160㌻)

■故に有部は、縁起という特別な実体を考えることはなかったけれども、「法」という実体を考え、その実体が因果関係をなして生起することを縁起と名づけていたのである。(175㌻)

■中国の華厳宗は一切法が相即円融(そうそくえんゆう)の関係にあることを主張するが、中観派の書のうちにもその思想が現れている。すなわちチャンドラキールティの註解においては、「一によって一切を知り、一によって一切を見る」(『プラサンナパダー』28ページ)といい、また一つの法の空は一切法の空を意味するとも論じている。(195㌻)

■「我(アートマン)が無いときに、どうして〈わがもの〉(アートマンに属するもの)があるだろうか。我(アートマン)と〈わがもの〉(アートマンに属するもの)とが静まる故に、〈わがもの〉という観念を離れ、自我意識を離れることになる」(225㌻)

■ピンガラの註釈には、「いま聖人には我(が)と我所(わがもの)と無きが故に、諸の煩悩もまた滅す。諸の煩悩が滅するが故に、能く、諸法実相(事物の真相)を見る」(大正蔵、三十巻、24ページ下)という説明がみえている。(226㌻)

■「もし法(事物)にして衆の縁に因って生ぜば、すなわち我有ること無し。五〔本の〕指に因って拳(こぶし)有れども、この拳は〔それ〕自体有ること無きがごとし」(大正蔵、三十巻、30ページ上。この文から見ると、「我「と「自体」よは同義であると考えられていたことがわかる)(227㌻)

■仏教では古来「三法印」ということを説いた。「三法印」とは「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂情」をいうのであり、「一切皆苦」をいれると四法印となる。(228㌻)

■自性(それ自体)とは法の「本質」「ありかた」を実体視したものであるから、有部によれば独立に実在するものであらねばならない。しかるにそれがつくられたものであり他に依存するということは全く矛盾している。また一般に自性は絶対に変化しないものであるから、もし自性を承認するならば、現象界の変化が成立しえないこととなる。(237㌻)

■『中論』は空あるいは無自性を説くと一般に認められているが、それも実は積極的な表現をもってするならば、少なくとも中観派以後においては「縁起」(とくに「相互限定」「相互依存」)の意味にほかならないということがわかる。(238㌻)

■「この空性の成立する人にとっては、一切のものが成立する。空性の成立しない人にとっては、何ものも成立しない」(漢訳では「もし人が空を信ぜば、かの人は一切を信ず。もし人が空を信ぜられば、かれは一切を信ぜず」と訳しているが、けだし適切であろう)。(239㌻)

■『中論』は歴史的には、『般若経』の各層を通じてみられたとうな空観を基礎づける運動の終わりであるとともに、思想的には『般若経』理解のための始めである。(249㌻)

■「どんな縁起でも、それをわれわれは空と説く。それは仮に設けられたものであって、それはすなわち中道である」(第十八詩)

「因縁所生の法、我即ち是れ空なりと説く。亦た是れ仮名(けみょう)と為す。亦た是れ中道の義なり」という文句にして一般に伝えられている。天台宗も三論宗もこれを採用しているし、原文の意味をよく伝えている。この詩句は中国の天台宗の祖とされる慧文(えもん)禅師によって注意されるに至った。

そうして天台宗によってこの詩句は空・仮(け)・中の三諦を示すものとされ、「三諦偈(さんたいげ)」とよばれるようになった。すなわちその趣旨は、因縁によって生ぜられたもの(因縁所生法)は空である。これは確かに真理であるが、しかしわれわれは空という特殊な原理を考えてはならない。空というのも仮名であり、空を実体視してはならない。故に空をさらに空じたところの境地に中道が現れる。因縁によって生ぜられた事物を空ずるから非有であり、その空をも空ずるから非空であり、このようにして「非有非空の中道」が成立する。すなわち中道は二重の否定を意味する。(251㌻)

■空見とは、空が縁起の意味であり、有と無との対立を絶しているにもかかわらず、これを対立の立場に引下ろして考えることである。「空亦復空(くうやくぶくう)」とはこの空見を排斥しているのであるから、通常いわれる否定、たとえばスピノーザのnegatio negationis あるいはヘーゲルのNegationn der Negationn とはかなり相違しているというべきであろう。(279㌻)

■諸法実相は「他のものによって知られるのではなく」(第十八章・第九詩)であり、すなわち、言語によっては表現されえないものだということになる。(283㌻)

■相依説(そうえせつ)の立場に立つから一方が否定されるならば他方も否定されねばならないのである。さらにまた有と無とは相関関係にあるから、もしもニルヴァーナが無であるというならば、有によって存することとなるから、「不受」すなわち依らないものであるということがいえなくなる。このようにニルヴァーナを無と解する説も相依説の立場から排斥されている。

 以上を要約して次のように説く―

「師(ブッダ)は生存と非生存とを捨て去ることを説いた。それ故に『ニルヴァーナは有に非ず、無に非ず』というのが正しい」(第二五章・第一〇詩)(291㌻)

■「ニルヴァーナの究極なるものはすなわち輪廻の究極である。両者のあいだには最も微細なるいかなる区別も存在しない」(第二五章・第二〇詩)

 この思想は独り中観派のみならず、大乗仏教一般の実践思想の根底となっているものである。

 人間の現実と理想との関係はこのような性質のものであるから、ニルヴァーナという独立な境地が実体としてあると考えてはならない。ニルヴァーナというものが真に実在すると考えるのは凡夫の迷妄である。故に『般若経』においてはニルヴァーナは「夢のごとく」「幻のごとし」と譬えている。それと同時に輪廻というものもまた実在するものではない。(295㌻)

■われわれ人間は迷いながらも生きている。そこでニルヴァーナの境地に達したらよいな、と思って、憧れる。しかしニルヴァーナという境地はどこにも存在しないのである。ニルヴァーナの境地に憧れるということが迷いなのである。

 したがって繋縛(けばく)も解脱も真に有るものではない。一切は無縛無解(むばくむげ)である。(298㌻)

■「束縛と解脱とがある」と思うときは束縛であり、「束縛もなく、解脱もない」と思うときに解脱がある。譬えていうならば、われわれが夜眠れないときに、「眠ろう」「眠ろう」と努めると、なかなか眠れない。眠れなくてもよいのだ、と覚悟を決めると、あっさり眠れるようなものである。(299㌻)

■〔宇宙においては〕何ものも消滅することなく(不滅)、何ものもあらたに生ずることなく(不生)、何ものも終末あることなく(不断)、何ものも常恒であることなく(不常)、何ものもそれ自身と同一であることなく(不一義)、何ものもそれ自身において分たれた別のものであることはなく(不異義)、何ものも〔われわれに向かって〕来ることもなく(不来)、〔われわれから〕去ることもない(不出)、戯論(けろん・形而上学的論議)の消滅というめでたい縁起のことわりを説きたもうた仏を、もろもろの説法者のうちでの最も勝れた人として敬礼(きょうらい)する。

*この冒頭の立言(帰敬序)が『中論』全体の要旨である。(320㌻)

■またかの国(極楽浄土)に生まれたる者は〈われ〉という観念をもたず(無我になり)、また〈わがもの〉という執着をもっていない。

 〔その国に生まれたる人は〕三界(欲界・色界・無色界)という牢獄をのり超えて脱出して、その目は蓮華の葉のごとくである。(417㌻)

■ナーガルジュナの思想の流れは中国にも伝えられた。それは、クマラジーヴァ(鳩摩羅什)の翻訳によるナーガルジュナの著作『中論』『十二門論』およびアーリヤデーヴァの『百論』にもとづく宗派として成立した。それは三論宗とよばれる。この派の大成者は嘉祥大師吉蔵(かじょうだいしきちぞう・549―623年)である。かれは安息(パルチア)出身の人であったが、『華厳経』と『法華経』の思想をふまえつつ、中国思想の地盤の上にユニークな思想を展開した。しかし唐の中葉ころまでにはその力は衰えた。(434㌻)

■また『中論』や『大智度論』などをもととして、空・仮・中の三諦円融、一心三観にはじまる教理を持つ天台宗もナーガルジュナの思想にもとづくといえよう。

 またナーガルジュナの著した『十住毘婆紗論』の浄土教関係の部分は、後世の浄土教の重要なささえとなり、またさらに密教も『華厳経』などの影響を受けてはいるが、ナーガルジュナの思想の延長の上に位置づけることもできよう。(435㌻)

■〈空〉―実体の否定

 大乗仏教、ことにナーガルジュナは、もろもろの事象が相互依存において成立しているという理論によって〈空〉の観念を理論的に基礎づけた。(438㌻)

■「心の境地が滅したときには、言語の対象もなくなる。真理は不生不滅であり、実にニルヴァーナのごとくである」(第十八章・第七詩)(438㌻)

■ナーガルジュナはさらに進んで主張する。―〈空〉という原理さえもまた否定されねばならない。すなはち否定そのものが否定されねばならないのである。否定の否定が要求されるのである。一般に大乗仏教では否定の否定を説く(「空亦復空・くうやくぶくう」)。ナーガルジュナは『中論』でいう。

「もしも何か或る〈不空〉なるものが存在するならば、〈空〉という或るものが存在するであろう。しかるに〈不空〉なるののは何も存在しない。どうして〈空〉なるものが存在するであろうか」(第十三章・第七詩)

 ところでもしも〈空〉というものが存在しないのであるならば、〈空〉はもはや〈空〉ではありえないことになる。この観念を継承して、中国の天台宗は、三重の真理(三諦)が融和するものであるという原理をその基本的教義として述べた。このげんりによると、(1)一切の事物は有論的な実在性をもっていない、すなわち空である(空諦)。(2)それらは一時的な仮の存在にほかならないたんなる現象である(仮諦)。(3)それらが非実在であってしかも一時的なものとして存在しているという事実は中道としての真理である(中諦)。存在するいかなる事実もこの三つの視点から観察されねばならない、と説く。(444㌻)

■〈空〉の教義は虚無論を説くのではない。そうではなくて「空」はあらゆるものを成立せしめる原理であると考えられた。それは究極の境地であるとともに実践を基礎づけるものであるということを、大乗仏教は主張した。空の中には何ものも存在しない。しかも、あらゆるものがその中から出て来るのである。それは鏡のようなものである。鏡の中には何ものも存在しない。だからこそあらゆるものを映し出すことが可能なのである(そこで「大円鏡智」という表現が成立する)。

 宗教的な直観智による認識は、鏡が対象を映すことにたとえられる。神聖さを映すための道具として鏡を譬喩に用いることは、中国、インド、仏教、ギリシアおよびキリスト教においてなされていることである。大乗仏教、とくに唯識説では、われわれの存在の究極原理であるアーラヤ識が転ぜられて得られる智を大円鏡智と呼んでいる。(445、446㌻)

■『パガヴァッド・ギーター』では無執著の行為ということを強調する。これこれの行為をすれば、これこれの良い報いがある、というようなことを考えないで、執著を離れて行動せよというのである。これに類する思想は西洋ではパウロによって説かれている。すなわち、内面的に世界から自由であることを外面的に表示する必要はない、ということをパウロは次のように記している。

「妻のある者はないもののように、泣く者は泣かないもののように、喜ぶ者は喜ばないもののように、買う者は持たないもののように、世と交渉のある者はそれに深入りしないようにすべきである。なぜなら、この世の有様は過ぎ去るからである」(「コリント人への第一の手紙」七・二九―三〇)(448㌻)

『龍樹』中村元より 2006年6月22日

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――■マチスはこう述べている。「自然は非常に美しいので、私はただそれを出来るだけ単純に再現するだけでよい。私は心惹かれる対象の前に身を置き、対象に自分を一体化させ、それをカンヴァスに写し取ろうと試みるのである」。年を経るにつれて自己を一体化させるという観念はますます重要となり、「写し取る」という考え方は、「等価物」を創造するという目標にとって替わることとなる。(31㌻)

■マチスによると、彫刻の腕から手を切り放して、部分から仕事をするロダンに対して、マチスは対象を部分によってではなく全体として捉えるのだった。「すでに私は、説明的な細部の替わりに暗示的に表現する、生き生きとした綜合によって全体的な構造を捉えることしか眼中になかった」。(46㌻)

■スタインがこの二人の画家を一九〇六年に引き合わせて間もなく、マチスはピカソの友人で詩人のマックス・ジャコブに、もし自分が今のように描いていなかったら、ピカソのように描きたかった、と語った。するとジャコブはこう答えた。「そりゃおもしろい。ピカソもあなたと同じことを言っていましたよ」。後にマチスはピカソにこう語った。「我々は出来る限り語り合わなければいけない。我々のうちの一人が死んだら、残された方は決して他の誰にも話せないことを腹のうちに抱え込むことになるだろう」。(75㌻)

■「自然に忠実であることによって自滅すると思ってはいけない。対象を正確に描くよう試みなさい…」。さらに彼はこう続けた。「最初は対象に自分自身をゆだねなければならない…綱渡りをする前に、まずしっかりと地面を歩けるようにならなければならない」。(95㌻)

■一八九七年の作品と一九〇八年の作品との間の意図の違いは、マチスが後年語ったある寓話によって明らかにされた。それは片方が写真のレンズのような目をもった男の話である。この男は「ものの現実」を知っていると確信していた。しかしもう一つの目がそれとは異なった絵を生み出したのである。マチスはこう続けている。「この男は最初の目と二番目の目の板挟みになって、もう訳が分らなくなってしまった。葛藤は激しかったが、ついには第二の目が勝利した…第二の目は単独で仕事を続け、自分自身のものの見方に従って独自の絵を作り上げた。この大変特別な目はここにある」と言ってマチスは自分の頭を指さした。(104㌻)

■過去が未来を「侵食し」、いかなる瞬間に於ても人は死に近づいているという思想は、多くの芸術家同様マチスにも無駄な時間などないのだと感じさせたに違いない。マチスは、絶え間なくうつろいゆく瞬間の理不尽な虚構性に対して、骨身を惜しまぬ制作で立ち向かった。(111㌻)

■「田舎のおばさんが切り盛りしているような、あまりにきちんとしすぎた家で暮らすことはできない」と彼はかって(分割主義をなぜ捨てたのかを説明するために)語ったことがある。「精神を窒息させないようなもっと単純な方法を手に入れるために、ジャングルに踏み込んでゆかねばならない」。(164㌻)

■同じインタビューでマチスは画家たちにこう忠告している。「妻たちの影響に気をつけたまえ。司祭と医者は決して結婚すべきでない。そうしないと日常の瑣末なことに気を取られて仕事がおろそかになってしまう。同じことは芸術家にも言える」。(173㌻)

■一九四八年、マチスはフィラデルフィア美術館でマチス回顧展を組織していたヘンリー・クリフォード宛の手紙の中で、自分の芸術における「一見たやすく」見える特質に関して、「私はいつも自分の努力を隠すようにつとめ、作品が春のような明るさと喜びに包まれ、そこに骨の折れる仕事の跡が残らないようにしたいと思っていました」。(184㌻)

■戦争は彼を不安にし、時にはそのために芸術に集中することが困難になった。「私自身のために、困難であるにもかかわらず仕事を続けてきた。なぜなら画家はイーゼルの前でのみ精神を十全に保つものだからだ」とマチスは別の友人に書き送っている。常に絵画が最大の関心事だった。一九四三年、彼はルイ・アラゴンにこう書き送っている。「私は象のような気分だ。つまり私は自分の運命の支配者であり、ここ数年の私の全ての仕事の結果以外に重要なことは何もないとみなしうる、そのように思える精神状態にあり、そしてこの仕事に関しては充分にやるべきことはやりつくしたと感じている」。(214㌻)

■「私の人生はアトリエの壁の中にある」。そして同じ月、彼はある友人に「私は私がいつも気に止めていること以外のことにはもはや向き合うことができない。つまり一生懸命仕事をしているときだけ自分が全く安全だと感じられるということだ」。

「できようができまいが、やり続ける。それが大事だ」と彼は一九四一年に語っている。「意思の力がつきたら、頑固さを奮い起こすんだ。それが秘けつさ。事の大小を問わずたいていはそれで充分だ」。(216㌻)

■この病気になる前、この手術の前に私のしたいっさいのことは過剰な努力の感じを与えます。以前は私は常に気を張って暮らしていたのです。病気の後私が創造したものは、自由で解放された本当の私を映し出しています…結局問題はたった一つのことです。仕事をするためには自分自身を捨てなければならない…そのときこそ仕事にすべてがはらまれるようになるのです。(224㌻)

■一九四七年のある友人との会話の中で、七十七歳のマチスは「人生はおかしいほど短い。今私は自分が為さなければならないことがわかる。もう一度最初からやり直せたらいいのに。しかし画家の生涯は決して充分に長いということはない。仕事半ばで終わるのだ」。(229㌻)

■若い芸術家たちに対するマチスの忠告は、世界を敏感に感じとり、自分自身に誠実でいなさいということだった。もし若い画家が「ごまかしや、自己満足することなく、自分のもっとも深い感情に忠実でいつづける方法を知ったなら、好奇心をうしなうことはないだろう。そしてつらい仕事に対する情熱、学ぶことの必要性も最後まで失うこともないだろう。これほどすばらしいことはない!」(239㌻)

『マチスの肖像』ハイデン・ヘレ-ラより 2006年6月27日

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――■あるいは、私たちが日常的に行なっている「ノンフィクションを書く」という行為も、本来は極めて古臭くフィクショナルなものとして印象されるストーリーを、いくつかの固有名詞、いくつかの数値で、危うくリアリティーを繋ぎ留めつつ述べていこうとする、虚実の上の綱渡りのような行為なのかもしれないという気がしてきた。そういえば、ノンフィクションとフィクションの世界を往き来したことのあるガルシア・マルケスにこんな台詞があった。

「たとえば、象が空を飛んでいるといっても、ひとは信じてくれないだろう。しかし、四千二百五十七頭の象が空を飛んでいるといえば、信じてもらえるかもしれない」

確かに、ただの象は空を飛ばないが、四千二百五十七頭の象は空を飛ぶかもしれないのだ。(276㌻)

■手紙には貧乏旅行者の喜怒哀楽は記されていても、行程や費用などについての細かいことは省略されています。ところが、いざ書く段になると、そうした細部こそが重要なものになってきます。その細部が何冊かのノートに残されていたのです。それは一種の金銭出納帳でした。(301㌻)

『象が空を』沢木耕太郎より 2006年7月2日

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――■「父と子供」

 あはれなる子供が、夢の中ですすり泣いて居た。

「皆が私を苛めるの、白痴(ばか)だって言うの」

 子供は実際に白痴であり、その上にも母が無かった。

「泣くな。お前は少しも白痴じゃない。ただ運の悪い、不幸な気の毒の子供なのだ」

「不幸って何?お父さん」

「過失のことを言うのだ」

「過失って何?」

「人間が、考えなしにしたすべてのこと、例えばそら、生まれたこと、生きていること、食ってること、結婚したこと。何もかも、皆過失なのだ」

『宿命』萩原朔太郎より2006年7月7日

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――■ケンブリッジの若い急進派は分析による哲学の改革に着手していたのに対して、ウィーンの実証主義者は科学理論においてその価値を既に立証しつつあった方法を一般化することによって、哲学を改革する決心をしていたのである。哲学は、「科学の確実な道筋」にすえられねばならない――本当に、物理学や生物学と一緒に、ただ一つの「統一科学」に統合されなければならない、というのである。実際問題としてはこれは、フレーゲの例が暗に示すように、哲学と科学の双方を公理論的、数学的学問の形式で再構成することを必然的に伴っていた。すなわち、経験的・帰納的学問を、そのすべての一般化と抽象的概念が、直接的に経験に訴えることによって正当化されるように再構成すること、あるいは理想的には(そして、ここで彼らは、ヘルツやウィトゲンシュタインが出会ったのと同じ問題に出会うのであるが)、経験的・帰納的科学を、その内的分節化が同時に、純粋数学の公理論的体系に基づく形式化となるように、再構成することである。(347㌻)

■「語りえぬものについては沈黙しなければならない」という形で表現されているのだが、ウィーンの仲間はこれを「形而上学者よ、汝の口を閉じよ」というような、実正主義的なスローガンに解釈したのである。こうして、論理実証主義という、あいの子の体系が生まれた。この体系は、すべての形而上学に終止符を打つと公言したが、むしろヒュームとマッハの形而上学をラッセルとホワイトヘッドの記号体系で書きなおすことになったのである。(338㌻)

■倫理と価値の問題に対するウィトゲンシュタインのアプローチは、『論考』においては、同じように超歴史的であった。彼自身が見いだした事実の領域(これは描写的な記述にかなう)と価値の領域(これについてはせいぜい詩的に語れるだけである)の間の対立は、キリスト教界やモラルコードの道徳性に関するキルケゴールの非難と同様に、限定的なものでも条件付きのものでもなく、歴史的に再考してみる余地などなにもない。それどころか、キルケゴールにとってと同じくウィトゲンシュタインにとっては、倫理の「超越的」な性格に無時間的(timeless)な基礎を与えることが大事だったのである。そうすれば倫理にはなんの疑いもなく、それ以上後退することもありえない。(398㌻)

■晩年ウィトゲンシュタインが与えていたといわれている、数少ない本物の道徳的アドヴァイスの一つは、「旅は軽装でしなければならない」という格言である。(399㌻)

■クラウス主義者は、事実の領域と価値の領域を混同すると両者はともに損なわれる、と繰り返し主張するが、この主張には、哲学的な広がりだけでなく、社会的な広がりもある。(434㌻)

■実際に存在した共同社会的な状況においては、本物の道徳的原理や美的価値は、理想的な抽象化によってわずかに達せられるにすぎない。そして、それらが現実に実現できるとしても、それは、このような抽象化を行うことができる小数の、二心のない、ピュ-リタン的な個人の生活においてのみであろう。…中略

このようにして確立された社会的、政治的な状況にとっては、原則やモラルの問題は、端的に無縁なものであった。したがって、原則やモラルに関する考察に対して圧倒的な忠誠心を抱く人々は、このようにして確立された社会と政治から、事実上「うとんじられ」たのである。(435㌻)

■すべてのヨーロッパ列強の中で、なぜオ-ストリア=ハンガリーは、第一次世界大戦によって課せられた緊張に、あれほど他に例を見ないような仕方で、打ち負かされたのであろうか。(同じ時にオスマン帝国を見舞った類似の運命を考えると、ここでは、「ヨーロッパ」列強という言葉をつかわねばならない。)そして、いったん力を失うや、ハプスブルグ家がその復興に必要な、勤王家のまじめな支持母体をなんら持たなかったのは、どうしてであろうか。(437㌻)

『ウィトゲンシュタインのウィーン』S.トゥールミン+A.ジャニクより

2006年7月7日

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――■「私」からの逃走と伝統の革新を標榜するエリオット的詩学とは逆行し、詩に「私」を発見した詩人達である。ロバート・ローウェル、ジョン・ベリマン、シルビア・プラース、アン・セクストン。これらの詩人達の「私」の切実さは、おそらく極私的と称することも可能で、それゆえに「告白派(コンフェッショナリスト)」とも、「究極主義者(エクストリーミスト)」とも称されるにいたったのである。エリオット的な特色の一部分、複雑な韻律、アイロニーの痛み、先行各学への言及、典雅なアフォリズムなどを保持しつつ、それらをすべて赤裸な「私」を語ることに費やしたが、結局、各自がそれぞれの方法で自殺してしまった「自殺派」とも呼びうる詩人たちだ。(116㌻)

■「我々は自分の知っていることを書くのだが、問題なのは、人生の初期に、自分が何でも知っていると考えることだ。分りやすく言えば、我々は、自分の無知の構造、無知の領域を知らないということ。…知っている事を書く、それに加えて、さらに自分の無知に親しまねばならない。良き物語を破滅させる力を持つかもしれぬ無知に。(トマス・ピンチョン)」(154㌻)

■いい会社に就職して、いいマンションに住んで、いい愛人(異性とは限らない)と交際して、いいクレジットカードをポケットに忘れずに入れて、いいクルマに乗って、渋滞の高速道路から美しい青空をながめつづけていたい。いや、そうしていたいわけではないのだが、なぜか、ほかにしたいことを思いつくことができない。(170㌻)

『アイロンをかける青年』千石英世より2006年7月24日

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――■不死身の男―カムバック・キッド

2006年7月28日

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

■どうせやるなら徹底しようと決めた。小説一本に絞ってみようと思った。ほかのやり方では、めざすところの高い山を、形而下から形而上までを貫いている高峰を登攀することなど絶対に不可能だった。己れの苦情にいちいち耳を貸すことはやめた。(183㌻)

『生者へ』丸山健二より2006年8月1日

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

■そのエッセイの中で壇は、芸能の世界に身を投じた娘に対して、あなたは花のようにはかなくも困難な生き方を選んでしまったが、人は奮闘する者に対するひそやかな敬愛を持つものだ、と書いている。そして、それはどのような奮闘をする者に対してだと自問し、自分の幸福を捨てた魂に向かってだ、と自答する。(195㌻)

『壇』沢木耕太郎より2006年8月29日

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――■おしまいの断片

 たとえそれでも、君はやっぱり思うのかな、

 この人生における望みは果たしたのかと?

 果たしたとも。

 それで、君はいったい何を望んだのだろう?

 それは、自らを愛されるものと呼ぶこと、自らをこの世界にあって

 愛されるものと感じること。

  LATE FRAGMENT

 And did you get what 

 you wanted from life, even so ?

 I did.

 And what did you want ?

 To call myself beloved, to feel myself

 beloved on the earth.

(324㌻)

『カーヴァーズ・ダズン』レイモンド・カーヴァー(村上春樹編・訳)より

2006年9月4日

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――■お若いからこれから先遊んでおいでの時間もたんまりおありだが、私みたいな年寄りは遊んでる時間に月日をとられては、もう生きてる時間がなくなる。誘わないで下さい。お相手しないのはその為です。(243㌻)

『腕一本・巴里の横顔』藤田嗣治より2006年9月9日

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

■すべての他者のなかに、生きとし生けるもののなかに自分自身を認め、自己の生命を通じて生きとし生けるものと合流する者は、死に際して自己の存在のほんの一部をうしなうだけである。(ショーペンハウエル)(44㌻)

■人間は僕(しもべ)でなくてはならない。ただ誰の僕となるかの選択が問題である。もし自分の欲望の僕であれば、必ず人の僕となるし、もし自分の霊的本源の僕であれば、ただ神の僕となるにすぎない。

 誰にしても、より高貴な主人に仕えるほうがいいではないか。(45㌻)

■われわれの生活のあらゆる外面的変化は、われわれの思想に生ずる変化に比べれば、取るにも足りない。(70㌻)

■人間の運命を決定するものは、彼が自分自身をどんなふうに理解しているかということである。(ソロー)(71㌻)

■でたらめな思想は、われわれが一緒に住もうと呼んだでたらめな男が、われわれの家に対してするようなことと同じことを、われわれの心に対してするものである。(リュシー・マローリ)(72㌻)

■青年は、幼年時代の子供じみた夢想を棄て、壮年は、青年時代の無知と粗暴な血気を棄て、老人は壮年の我欲を棄てて、ますます全世界的精神を身につける。つまり彼は、より高くより強固な人生の基盤に立つことになる。外的関係ないし条件は徐々に滅び去り、ますます神に没入し、神もまた、彼のなかに入り込み、ついには我欲の最後の着物が脱げ落ちて神と一体になり、己の意思を神の意思に合流せしめて、神の偉大な御業(みわざ)に参画することになるのである。(エマスン)(74㌻)

■家族的エゴイズムは個人的エゴイズムよりずっと強烈である。自分一個のために他人の幸福を犠牲にすることを恥じる人も、家族のためには人々の不幸や困窮をも利用しなければならないと考えるものである。

 自分の悪しき行為を弁解するために、最もよく持ちだされる間違った口実はー家族の幸福のため、という口実である。

 吝嗇、収賄、労働者の弾圧、不正な商売―これらはみんな家族に対する愛情の名において弁解されるのである。(158㌻)

■ある者告げて、「汝の母と兄弟、汝に会わんとて外に立てリ」と。イエスこれに答えて、「神の御言葉を聴きかつ行なう者、これわが母、わが兄弟なり」。(「ルカ伝」第十章三七節)(159㌻)

■われわれよりも父もしくは母を愛する者は、われにふさわしからず。われよりも息子もしくは娘を愛する者は、われにふさわしからず。(「マタイ伝」第十章三七節)(159㌻)

■われわれが己れの“我”を感ずるあいだは、われわれは限られた存在であり、自愛的な囚われた存在である。それに反して世界の生命と融合して神の声に応えるとき、われわれの“我”は消滅する。(アミエル)(193㌻)

■もしわれわれがほんの一瞬でも己れの小さな“我”を離れ、悪を想わず、光を反映する澄明な鏡となるならばーわれわれの映しえない何があろうか!万有はたちまち輝かしい光となってわれわれの周囲に展開するであろう。(ソロー)(194㌻)

■人間は、幸福であるためには二つの信仰が必要である。一つは人生の意味の説明があるはずだという信仰であり、もう一つは、その最もよき人生の説明を発見することである。(226㌻)

■神は各人に、真実と泰平無事の二者択一を命じている。どちらか一つを択べ、両方ともというわけにはゆかない、というわけである。人間は両者のあいだを振り子のように揺れ動いている。より多く泰平無事を願う人々は、自分が最初に出会った信仰や哲学や政治綱領を受け入れ、ことに多くの場合、自分の父が信じていたものを受け入れる。その結果彼は、泰平無事な境遇と、便利な生活と世間の尊敬とを得るけれども、その代わり真理に対して扉を閉じることになる。(エマスン)(237㌻)

■…されどわが心のままにはあらで、御旨(みむね)のままになれかし。(「ルカ伝」第二十二章四二節)

…されどわが望みのままにあらで御旨のままに。(「マルコ伝」第十四章三六節)

…されどわが意のままにとはあらず、御旨のままに。(「マタイ伝」第二十六章三九節)

■われわれの生命の中心は、われわれが思索し、感じ、意思するかぎりにおける、その思想や感情や意思のなかにも、それらのいしきのなかにさえも、ない。なぜなら道徳的真理は、そうしたいろんなものによっていったん獲得されるけれど、それでもすぐにまたわれわれから逃げてゆくからである。われわれの意識よりもっと奥深くに、われわれの本質はある。われわれの本質こそ、われわれの真の根源である。その根源的領域に、まさにわれわれ自体となって、ふと思いがけなく、無意識的・本能的に入り込んでくる真理、そうした真理のみが、実質的なわれわれの生命、換言すれば、真の私である。われわれが真理とわれわれのあいだになんらかの距離を認めるかぎり、われわれは真理の外にあるのである。思想、感情、意思、生命の意識―それらはまだ生命自体ではない。本質的にはわれわれは、ただ生命のなかにのみ、永遠の生命のなかにのみ、平和と安静を発見することができる。(アミエル)(263㌻)

■言わねばよかったと後悔することが千遍あるのに対して、言えばよかったと後悔することは一度あるかないかである。(267㌻)

■真に有益なもの、真に善きもの、したがって偉大なものは、常に単純である。(272㌻)

■生活がそれと一致していないならば、信仰も信仰とは言えない。(297㌻)

■天の扉は君のために、ちょうど君に必要なだけ開かれている。さまざまの煩労(はんろう)や心の動揺を離れて、君の霊を精神的なものへ向けるがよい。君の行動を律するものは君自身であるべきで、決して身辺に生ずるできごとであってはならない。また君の行為の目的が報酬であってはいけない。常に注意深く身を処し、己の義務を果たし、物事が君にとって快い結果になろうと、不快な結果になろうと、どうでもいい、といった気持ちで、いっさい結果のことを考えぬようにするがよい。(インドのバガワータ)(298㌻)

■富は厩肥(うまやごえ)と同じように、一箇所に積んであると悪臭を放つが、撒布されると土地を肥やす。(328㌻)

■一見恥知らずや、ほら吹きや、狡猾漢や不当な誹謗を事とするものや、厚顔不遜なものや、やくざ者の暮らしは楽で、絶えず清浄な生活を目指して精進し、常に温和で、思慮深くて、無欲な者の暮らしは苦しいように見える。しかし、それはただそう見えるだけである。前者は常に不安動揺のなかにあり、後者は常に平安である。(仏陀の金言)(336㌻)

■多くの人々は、もし自分の人生から個我とそれへの愛とを除いたら、何一つ残らないと思っている。彼らは、個我がなければ生命もないと思っているのだ。しかしそれは、自己棄却の喜びを味わったことのない人々だけに、そう思われるのである。個我の生活を離れ、それを棄却しさえすれば、君はよりよき生の幸福を―愛を知るであろう。(340㌻)

■真の生活は、自己棄却が始まったときやっと始まるのである。(カーライル)(340㌻)

■われわれが自己棄却と呼んでいるものは、己の動物的我から精神的な“われ”へと意識を移す結果にすぎない。この意識の移動が行われさえすれば、それまでは棄却と思われていたものが、別に棄却というほどのものではなく、ただ不要なものからの当然の離脱にすぎない、と見えるようになる。(341㌻)

■一人で力んでみても、誰も驚かない。(諺)(352㌻)

■われわれが、動いている船のなかで船のなかのものを見る場合、われわれには自分たちが動いていることがわからない。しかし、われわれが船の外の、自分たちと一緒に動いていないもの、たとえば海岸などを見れば、われわれわすぐに自分たちが動いていることがわかる。人生においても同じである。みんなが正しい生活をしていないと、誰もそのことに気づかないけれど、ただの一人でもはっと目が覚めて神の掟に従って暮らしはじめたら、たちまちほかの人々がいかに邪悪な生活をしているかがはっきりし、そのため彼らはその人を迫害するのである。(パスカル)(378㌻)

■宗教は、聖人がそれを説いたから真理なのではなく、それが真理だから聖人が説いたのである。(レッシング)(392㌻)

■本当の善とは神への奉仕である。そして奉仕は、光が燃料の消費を伴うように、常に己の動物的生命の消費を伴うものである。(398㌻)

■本当に大事な仕事をしている人々の生活は、いつも単純である。なぜなら彼らにはよけいなことを考える暇がないからである。(399㌻)

■さまざまな欲望でわが身を囲めばかこむほど、君はますます奴隷状態に陥るようになる。なぜなら、君の欲望が大きくなればなるほど、君の自由は減少するからである。完全な自由は、何一つ欲しがらないことのなかにあるが、次善の自由は少ししか欲しないことである。(金口ヨハネ)(400㌻)

■羊は羊同士で暮らすほうが、狼の世話になるより幸福だ。(ジェファーソン)(455㌻)

■より善き人になること以外は何も望まない人々にとっては、どんな学問もやさしい。なぜならば、彼らはどんな学問の分野においても、万人に必要なものだけしか知ろうとしないからである。(ソクラテス)(423㌻)

■世界創造の目的は人間の知りうることではなく、人間は己れを律するに外面的目的をもってせず、わが心の内なる神の御旨の指示に従わなければならない。

 あたかも航海士が、その船の正しい進路を選ぶために沿岸の光景を指標にしうるのは、その光景が肉眼で見えるとき、たとえば河を通るようなときだけであって、大洋を航行する場合は、羅針盤に頼らなければならないように、キリスト教徒としても、日常の茶飯事においては外面的目的に従って行動していいけれども、普遍妥当的な人生の意義の探究の場合は、真理の道を逸脱するや否や、さらには逸脱しそうになるや否や、いつもはっきり聞こえるように警告する良心の声に従わなければならない。(フョードル・ストラーホフ)(474㌻)

■われわれの内に奥深く存在するものは、みんな神の反映にほかならない。(マルチノ)(499㌻)

■諸行無常の理(ことわり)を悟ったとき、汝は初めて常住不変のものを発見するであろう。(仏陀の言葉)(507㌻)

■狭き門より入れ。けだし滅びに至る門は広く、その道は幅広くして、これより入る者多し。げに命に至る門は狭く、その道は狭くして、これを見出す者少なし。(「マタイ伝」第七章一三、一四節)(512㌻)

■絶えずそれに心がけている人だけが、善き生活を送ることができる。(513㌻)

■人は善意に基づいて行為しなければならないということを理解するためには、特別深い思想など必要ではない。私は全世界のことを知るわけにはゆかず、そこで行われるすべての出来事を理解しこれを説明する能力もないけれど、ただ一つ自分自身に向かって、私の行為の格率が万人にとって普遍妥当な法則たりうるかどうかを問うてみる。もしそうでないならば、私の行為の格率は不正なもの、それもその格率から私や他の人々に害悪が生ずるかもしれないからというのではなく、それが万人に妥当する根本的法則たりえないゆえに、不正ななのである。ところが理性は私に向かって、端的にそのような法則を尊重するよう求める。私はまだその尊重が何に基づいているかを理解できないけれど、自分がその法則のなかに、その価値において私の傾向性が私に教唆するいっさいをはるかに超えた何ものかを尊重しているのだということや、ただそのような道徳律への尊重から生ずる行為のみが、その他のいっさいの格率に沈黙を命ずる人間としての義務であることは理解できるのである。(カント)(542㌻)

■人々には必要とされるけれど、自分は人々を必要としない者は幸福である。(596㌻)

■罪深い人間は人生において常に他の人々と結びついているけれども、彼が罪深ければ深いほど、心中孤独を感ずるものである。それに反して善良で聡明な人間は、人々のあいだにあってしばしば孤独を感ずるものであるが、その代わり、孤独裏にあっても絶えざる人類との合一を意識するものである。(596㌻)

『文読む月日』(中)トルストイより2006年12月19日

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――■しかし、かいた絵は(私)です。私そのもので、自然ではありません。私は一生絵をかいて生きてきたことを、しあわせに思っています。(90㌻)

■物の存在を認める事に依って、自分も始めて存在する。(131㌻)

■小生自身は制作につき人の言葉を要求した事がないので、恐らく神様の言葉でも聞き入れないでしょう。制作は自分の状態それ丈けが全部ですから。(133㌻)

■絵画に於ける物感は凡そ画である限り何程かは必ず裏付いて居るに相違ないが、人によりて物感の厚薄は甚しい相違がある、中には殆んど物感など無視されたものもある、しかし其いかによき色彩の趣味性であり、明確らしい線条が引かれてあるとしても、それに物感の裏付いて居るものがないならば、それ丈け物足らぬものであり作家の趣味又は主観的意志以上の生活感は希薄となる、(略)物感はそれだけ画家個人的生活感の実証が裏付いて居る、時代思想や趣味やを超越て、尚且つ今日の人にも働きかゝるものをもつ古代作品の如きは作家の偉らかつた本能物感の働いて居る力に因るところが深いのである。永遠性の如きは物感の裏にあるものとも云へるであろう。(「硲君について」昭和五年)(133㌻)

■新しいと云ふ事それ自体、明日は旧くなる約束にある。平面的に新しいのである斗りでは意味をなさない。本質的の高度深度、即ち永遠性が具はる事によりて、新しさも意味をなす。(「当面ヒ語」昭和二一年)(133㌻)

■それから作家の理性の問題であるが、ピカソの如き露骨なのは別として、西洋流は概して理知的であるところから、歩み方だけは尤も至極に道理に叶って居り、究学としては一応西洋流はよいと思ふ。東洋流の神韻幽玄は具体的に掴み処がはかり難く研学に不便である。然し芸術の行きつくところは東洋流の方が必然であると思う、何処迄も理を伴ふ西洋流は折角高度な作品でありながら、冷たい理知に反発されて東洋流の心にぴったりしないものが多い。理は何処迄往つたところで理以上にはあり得ない。芸術と科学は違う。(同前)(133㌻)

『坂本繁二郎』画集 集英社より2006年12月20日

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