岡野岬石の資料蔵

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読書ノート

『宗教と人生』玉城 康四郎 春秋社

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『宗教と人生』玉城 康四郎 春秋社

■ 仏教では、釈尊以来、そうした転換の機縁になるものを、信という言葉であらわしております。釈尊の最も古い経典といわれております『スッタニパータ』にも、この信がわれわれの世界における最上の富であるといっておりますが、釈尊の原始仏教以来、この信が大乗仏教を通じて、非常に大きな宗教の世界への入口、あるいは宗教の世界に対してわれわれの全人格が門戸を開くそのモメント、機縁になっておるのであります。

この信は、信ずるということなのでありますけれども、いろいろの意味があります。だいたい、仏教でいっておるところの信とは、次の三つの意味を含んでおるようです。一つはいわゆる信ずる、英語で申しますとビリーフ、ドイツ語ではグラウベン、これは仏教の場合にもシュラッダーとかサッダーとかいう言葉を使っておりますが、信頼するという意味であります。

私どものヒューマン・リレーション、人間関係におきましても、相手を信ずるということの基盤には、やはり真実というか、誠実というか、そういうことがあり、それが基盤になってはじめて信用関係ができるのじゃないかと思います。仏教でも、仏は真実であり、仏は誠実であるといわれますが、その仏はしんじつであり、誠実であることから、おのずから信ずるという仏と人間の関係が起きてくるように思われるのであります。

ところが、仏教の信はそうした意味ももちろんありますが、それだけではなくて、この信は、池の水がずっと底の底まで澄みとおっておるように、徹頭徹尾、底の底まで澄浄である、澄みとおって清らかである、という意味をもっておるのであります。

つまり、仏の世界は最澄浄法界といわれておりますが、少しもにごりのない、混じりけのない、ずっと底の底まで――私どもの知性や、私どもの心は、すぐ途中でつきあたりますが――仏の知性、心はずっと果てしなく、底の底まで澄みとおっている。そうした仏の心が自分の上に流れてきて、かすかなながらも、そういう澄みとおっておる世界が感じられてくる。そういうことが、第二の信の特徴としてあげられると思うのであります。

それからもう一つは、これはアディムッティとかアディムクティという言葉で、信をあらわしておるのでありますが、それを信解というふうに申しております。信とは、なにがなんでも、わけのわからぬことでも、なんでも頭から信ずることではありませんが、最初はやはり、どうもそういうふうなところから、われわれは歩きだすわけでしょう。

わけはわからぬが、とにかく、ひとつ信じてみようじゃないかというところから、私どもは出発するわけであります。だが、ほんとうの信の味わいは、なにがなんでもじゃなくて、ちょうど反対に自分の心の中からひらけてくるものがある、だからおのずから信ぜざるをえない、こういう意味のことを信と申しておるのであります。(12~13頁)

■キリスト教の信仰は、たとえばテルトリアヌスという中世の著名な護教家がおりましたが、その人は「不合理だから信ずる」と言っています。これは、合理的に理解できるものは信ずる必要は。神さまはわれわれの頭にものらない、われわれの言葉にも、考えにも、心にも、なんにものってこない。合理性を全く越えておるからこそ神を信ずるのだ。不合理だからこそ信ずる、というのであります。

これはキリスト教全体の信仰ではもちろんありませんけれども、少なくとも、仏教のアディムクティー、信解という意味とは根本的に違ってくるのであります。ほんとうの合理性、ほんとうのラチオ、ほんとうの道理を仏教はこれまで追求してきたし、また私どもも、そういう真実の道理をどこまでも徹底的に明らかにしていかねばならないと思うのです。そこに、一つの自然の道理によって、おのずからひらけてくる性格を信が持っておるわけであります。

こういうふうに、いろいろの意味あいの信が渾然と一つになっていて、信とはかくかくのものであると、きれいさっぱりと理屈であらわしてしまえるものじゃなく、やはりわれわれの宗教の世界において生きたものです。だから、そういったいろいろの意味が渾然と一つになって、信が今日まで動いてきたのであります。私どもは、仏教の真清水の流れの中で、そうした意味あいの信の真清水を汲み取っていきたいと思うのであります。(13~14頁)

■インドでは、古い時代から責任を果たすという教えがたいへん強調されております。自分に与えられた責任を果たすという、そのことによって、悟りの世界に至るというのです。『バガヴァット・ギータ』というインドの古典がありまして、そこにカルマ・ヨーガ(実践のヨーガ)ということが説かれております。それは、自分のつとめを果たすことによって宇宙の大きな生命に目覚めるというのであります。人によっては神も仏も信ずることのできない人がおります。どうしても信じられない人は信じなくてもよろしい、ただ自分に与えられた仕事を、全身全霊それに打ち込んでいく、たといそのために自分に何の報いが得られなくても少しも意に介しない、貪著しないで、ひたすら自分の責任を果たしていくという、そのことだけによって、おのずから悟りが開けてくる、目が覚めてくる、宇宙の大生命と一体になるというのであります。これがすなわち大きな報いであります。(22頁)

■そのとき釈尊の心の中に浮かんできたかと申しますと、「自分が目覚めた真理は非常に深くて、とても一般の人々には理解することはむずかしい。それは寂静微妙な世界であって、分別の境地を越えておる。ところが世間の人々は、アーラヤを喜び、アーラヤをたのしんでいる。(このアーラヤということは、ここでは簡単に自我の根源というふうに解していいかと思うのであります。)そのアーラヤを喜び、アーラヤをたのしんでいる、こういう衆生にとっては、自我の目覚めた縁起の道理はなかなか理解することが困難であり、たとい自分が説法しても人々は理解してくれないから、私はただ疲労困憊するにすぎないであろう」――そういう感懐が釈尊の胸に浮かんでまいります。そして釈尊は、このまま沈黙の世界に入ろうとされるのであります。もし釈尊がそのまま沈黙してしまわれたら、仏教というものは、われわれには伝わってこない。いかに釈尊の悟りが深くて大きいものであっても、それはわれわれにとっては全く無関係なものになってしまったはずであります。ところがその時、梵天が現われて、どうかひとつその真理をお説きくださいと懇願し、釈尊は、その願いをいれて山を降りて行かれるのであります。この「出山の釈迦」というのは、皆さんもよくご承知と思います。昔からこれが、一つのモチーフになって、盛んに「出山の釈迦」がいろいろな画家によって描かれてきておるのであります。

ここで申し上げたいのは、目覚めた釈尊の心に映じた私どものすがたであります。私どもがアーラヤを喜び、アーラヤを楽しんでおるという点であります。釈尊の悟りの胸に描き出された私どもの心の実景というものは、自我を楽しみ、自我に執着し、自我にとらわれているという点であります。これがわれわれの偽らない心の姿であろうと思うのであります。

釈尊の言葉の中では、このアーラヤという言葉には別に説明がつけられていないのでありますが、釈尊がなくなられてのちに、この問題がいろいろにその後の仏教者によって展開されてまいります。そして、釈尊の滅後七百年ばかりたった時に、そのような人間の心の世界が徹底的に究明されてきたのであります。それは、三世紀から五世紀にかけてインドの仏教者、無著、世親の兄弟によって明らかにされたのであります。いまはどうか知りませんが、前には上野の博物館に運慶作の無著と世親の等身大よりも大きい説法の像が陳列してありました。片手に経典を持って説法しておられる像であります。

この無著と世親は、インドの多くの仏教者の中で非常にすぐれた、非常に内面的に問題を追求した人であります。無著によって『摂大乗論』という書物が出ております。それを弟の世親が注釈しておりますし、また世親は『唯識三十頌』という心の世界に関する短い頌を作っておりますが、その頌に対してインドの安慧という人が注釈し、また護法という人が有名な『成(じょう)唯識論』という書物を作っています。この『成唯識論』が中国に翻訳されて法相宗となり、それが日本にも伝わってきたのであります。そして、大和の法隆寺などで盛んに研究されたのであります。(32~34頁)

■この無著、世親によって究明されました心の世界というものを、ここで、ご一緒に考えてみたいと思うのであります。この心の世界をこの兄弟が明らかにしたということは、ただ研究したとか、あるいは観察したということではないのであって、深い禅定に入って、その禅定の世界の中で自分の心がどういうふうに映ってくるか、どういう姿をしているかということをそのまま記述していくのであります。インド、中国、日本では、西洋のいわゆる科学的な考え方の芽ばえはありましたけれども、とうとう結果としては科学の世界は展開しなかったのであります。しかし、この無著、世親のやり遂げた仕事の根本は、実に科学的精神に貫かれているのであります。禅定に映っている心の姿をそのまま記述しているのであります。

まず私どもの心について考えられますことは、心の一番先端にあるものは、いうまでもなく感覚の世界であります。これは東洋でも西洋でも同様でありますが、眼、耳、鼻、舌、皮膚感覚。それに相い対するものが、色、声、香、味、それから皮膚感覚の対象になるもの、これを蝕と言っております。目とか鼻とかに対応して、色とか声とかがその対象となって、それをわれわれは感覚の世界で受け取っておるわけであります。たとえば赤を赤として感覚するのは、もちろん目に映っているわけですが、赤を赤として気づくのは、もう一つ感覚の世界の奥にこれを統一している心によって感知されているのであります。つまり、五つの感官を統一している心があります。ここまでは私どもにもよくわかります。

フランスの感覚論者にコンディヤックという人がおりまして、この人は徹底的な感覚論者でありました。たとえば、デクノボウの人間をまず想定してみる。目も口も鼻も何も持っていない。ただ頭と体と手足だけがついているデクノボウです。このデクノボウに、まず目という感覚を与える。そうすると、このデクノボウは視覚の世界だけが与えられている。さらにそれに鼻をつけてやると、視覚プラス嗅覚で、においの世界がそれに加わる。これに口をつけてやると、味わいの世界がそれに加わる。それから耳をつけてやると、さらに音の世界がこれに加わる。最後に皮膚感覚をつけてやる。それで感覚の世界の全部がそなわったことになる。そしてこれ以上加えるものはない、と考えるのが感覚論の主張であります。つまり、芸術的な感情も、宗教的な感情も、哲学的な推理も、全部感覚で解釈できるという非常に徹底した感覚論であります。これがフランスでルネッサンス以後おこっておるのでありますが、よく考えてみると、なるほど、非常におもしろい見解であると思います。

ところが、この観念が心の一番究極のものであるかというと、そうではない。自我の観念というものをよく考えてみるというと、別に自我というものはどこにもないのです。自我というものはどこにもないにもかかわらず、必ずこの観念が起こっておるのであります。私どもは、それをよく自分で気づくわけであります。そうすると、この自我の観念が起こってくる、その容れものがなくてはならない。そういう容れものを、自我観念の奥に考えているのであります。それを無著、世親の言葉でもうしますとアラヤ識というのであります。

さきほど、釈尊が悟りを開かれた時に、私どもの心の姿を見抜いて、人々はみなアーラヤに執着し、アーラヤを楽しんでおるといわれた、そのアーラヤであります。これを縮めてアラヤ識と申すのであります。つまり心の問題は、自我観念と、その自我観念の起こっている容れもののアラヤ識との関係に根本の問題が伏在しているように思われるのであります。(34~37頁)

■少し話がむずかしくなりますが、このアラヤ識ということを、ひとつ一緒に考えてまいりましょう。アラヤ識という言葉ですが、ヒマラヤ山のことはヒマアラーヤというのでありますが、ヒマというのは雪という意味であり、アーラヤというのは貯蔵の意味であります。つまり年がら年じゅう雪を蓄えているという意味がこのヒマラヤであります。このアラヤ識というのは、そういうふうに、まず貯蔵ということ、それを漢字では蔵と訳しております。ヨーロッパの学者は、ストア・オブ・コンシャスネス、意識の蔵、すべての人間の意識が蔵の中に蓄えられている、そういう意味でこのように訳しております。

このアラヤ識には、いろいろな意味、いろいろな性格が説かれておるのであります。まず第一が、いま申しましたアラヤ識、つまり、すべてのものをその蔵の中にいれて待っている容れものということであります。

この蔵の意味について、三つの方向が考えられております。その一つは能蔵、つまりそのアラヤ識が一切を蓄えている。現実経験の私どもの世界は、すべてこのアラヤ識の中に蓄えられている。

ところが、第二の意味はそれと逆の所蔵といういうのであります。これはちょっとわかりにくいかと思うのですが、ちょうどその反対で、現実経験の世界の中にアラヤ識が逆に蓄えられている、つまり所蔵であります。いいかえれば、私どもが経験している世界は、すべて自分のアラヤ識のあらわれである。苦しもうと、楽しもうと、どんな目に会おうと、それは全部自分のアラヤ識、いいかえれば自分自身の責任である。つまり自分のアラヤ識は経験している世界の中に蓄えられている、そういう意味をあらわしているのであります。

それから第三番目には、こんどは執蔵と申すのであります。この執蔵というのが、要するに執着の源泉を蓄えているところの蔵であります。つまり一切の自分の執着が、このアラヤ識から発生している。いいかえれば、執着の源であります。

このように、能蔵と所蔵と執蔵の三つが蔵の意味だというのであります。これがまずアラヤ識の第一の意味であります。

第二には、同じアラヤ識を根本蔵と申しております。これはわかりやすい名前であります。根本蔵というのは、人間の意識の中で最も根源的な意識、これは当然であります。

第三には、一切種子識つまり現実経験の世界の種をここに含んでいるところの意識、これがアラヤ識の第三のいみであります。ここには非常に大切なことが説かれているのであります。それはどういうことかと申しますと、アラヤ識というものは、私どもの経験の世界を起こすところの種を持っている。だから、私どもがいろいろな経験をする。たとえば、こういう場所でこういうことを話している。これは私の現実の世界でもありますが、それはことごとく自分自身のアラヤ識から発生している。これを種子生現行(しゅじしょうげんぎょう)といいます。現行というのは、今日の言葉でいえば、現実経験の世界ということであります。だから、種子が常に現行を生じている、現実経験の世界を生じている。私がこういうことを話している、こういう場所にいるということは、自分のアラヤ識が常にそういうふうに繰り出していることである。ところが世界の実相は、この一面と同時にもう一つの面があります。それはちょうどその逆で、現行薫種子であります。線香の入っている箱は、線香を除いて空箱になっても、それをかぐと線香のにおいがする。これを仏教では薫習(くんじゅう)と申しております。それぞれの人間にはその人のにおいがある。薫ずるものがる。現行薫種子というのは、これは現実経験の世界が同時に自分のアラヤ識、つまり自分の人格の根源に影響を与えている、しかもこれが同時だというのです。ということは、私は自分のアラヤ識に基づいて、こういうふうに経験しながら、しかもその経験の世界が自分のアラヤ識に、いいかえれば自分の人格の根源に常に影響を与えている。これが世界の実相であるというのであります。

最後の第四に、アラヤ識は異熟識と申します。お米に水を入れて火にかけるとご飯になる、あるいはまた青い果物が赤く熟れる、それをといっております。ではこの異熟識という言葉はどういう意味かというと、というのは「いろいろさまざまな」ということであります。つまり異熟識というのは、いろいろさまざまな因縁によって、このアラヤ識、この人格の根源は熟しているということであります。自分の人格の根源でありながら、実は自分で始末がつかないのであります。というのは、ずっと無限の過去から年々歳々また一刹那一刹那に働き続けてきたその結果が、現在のアラヤ識として熟している。それが良かろうと悪かろうと、拙劣であろうと、どうであろうと、楽しかろうと醜かろうと、こういうぐあいに熟しておるわけであります。

では、どういう原因・事柄によってこれが熟しているかというと、これは無数の原因・事柄によって、つまり異、ほんとうにさまざまな因縁によって、無限の過去から現在のこの一刹那のこういう私として塾しているのであります。これをかりに私のアラヤ識といたしますと、この中にはこういうふうに――といっても、私にもまだ自分のことがどこまでわかっているかわかりませんけれども、しかも事実はこういう私として熟しているわけでありますが、これがずっと無限の過去から、決して同じものではなくて、年々歳々中身は変わりつつ熟して、現在にまできているわけであります。この無限のかこのどの刹那をとってみても、第三に申しましたように種子生現行、現行薫種子でありまして、その刹那のアラヤ識からその刹那の現実経験の世界が醸し出されて、しかも同時に、その世界がこのアラヤ識に影響を与えていく。つまり、醸し出すことと影響を与えることが同時で、それがずっと今日に来たって、いまもなお種子生現行、現行薫種子という働きを続けているのであります。ここが、いわゆる宿命論とか運命論とかいう問題と比較される点でありますが、現在の光景を過去のほうからながめて見た場合には徹底的な宿命論で、これはどうにもならないのであります。私の現在の人格というものの熟し方はずっと無限の過去から続いて今日に至っているのですから、自分の手先ではどうにもならない。この方面から見れば、徹底的な運命論であります。

しかし、いわゆる運命論と根本的に違うのは、無限の過去を全部ひき受けて立っている現在の自分が、現在の刹那もなお働いて、未来の熟にあずかっているということであります。その点では絶対自由であります。つまり、絶対必然を全部背負って、しかも絶対自由であります。迷いに向かおうが、解脱に向かおうが絶対自由なので、しかも現在私が働いている。これを仏教ではカルマ(業)といいます。現在もなお絶対必然の運命を背負って、その必然の中で絶対自由に働いている。この絶対自由の働きが、無限の過去から必然せしめられたそのアラヤ識をひき受けて、次の将来の自分の人格を必然ならしめ、結果していくものであります。だから、絶対必然を全部背負って絶対自由に働いている。これが、仏教のカルマであります。

インドにおいては、釈尊以前の非常に古い時代から、こうしたカルマには注目しておりました。古いじだいの『ウパニシャッド』に、この問題が当時の哲人たちによって論議されているのであります。このカルマの、そういう非常に奥の深い問題は、公の場で講義しておったのではなくて、先生と弟子との対坐の形で、この秘説が伝えられておったという記録が残っております。(39~43頁)

■ところで、親鸞は、このようなアラヤ識という奥の深い容れものの中で起こっている私どもの自我観念というものを、どのようにしてコントロールし、調伏し、解脱のほうへ向かわしめるか、であります。アラヤ識と自我観念の関係が存続する限りは、われわれはやはり迷わなくてはならない。苦悩から脱却することができない。ではどうしたらこの関係を転回して、ほんとうの目覚めの世界に達することができるか、これが、究極の問題になるのであります。

ここまで申しあげますと、もうお気づきかと思うのでありますが、結局のところは、自分の力ではどうにもならないということであります。というのは自分の力は、いま申しましたアラヤ識と自我観念の関係において発生しているからであります。ところが問題は、その関係を転回せしめねばならない。無著、世親は、さきほど申しましたように禅定をずっと深めて、禅定の世界に映じてくる自分の心の姿を記述してまいりました。ではいったい、どうしたら最後のアラヤ識を方向転回させることができるか。という最後の問題に突き当たって、いくら禅定を深めていっても、このアラヤ識はどうにもならない。ここでは、自分の小さな禅定から、その自分をも限りなく包むところの大禅定への転換が必要になってくる。それは何かというと、最清浄法界より流れてくるところの響きに触れなければならない。そうすることによって、自分の人格の根源を貫いているところの、その〈いのち〉に直接触れなければならない。そうすることによって、自分の人格の根源を貫いているところの大禅定の世界が存すると思うのであります。

この最清浄法界につきましては、何も説明されていないのでありますが、これはおすらくどこか天空の一角であるとか、あるいは、われわれ人間の世界とは別のところの、全然独立した世界であるとかいうことではないのであります。実は、われわれの心の世界の裏と表の関係のように思われるのであります。つまり、アラヤ識と自我観念の方向からいえば、そうではない最清浄の世界というものがあるわけでありますけれども、アラヤ識と自我観念の動いているままが、実はそういう実体はどこにもないのであって、ただわれわれの固執観念にすぎないのであるから、そのままで、最清浄世界の響きがそこに充ちわたっているのであります。ですから、私どもは気がつけば、いつでも、どこでも、その〈いのち〉に触れることができるのであります。

以上申し上げましたように、はじめは五つの感官、それから心、次に自我観念、最後にアラヤ識、こういう心の系列が、最清浄法界の〈いのち〉に触れることによって、われわれの人格的世界は根本的に転回して真実の智慧を獲得することができる。これを転識得智というのであります。識を転じて智を得る、というのであります。では、どのような智慧が得られるか。

まず五つの感官は、成所作智という智慧を得ることができる。つまり、目とか耳とかいうものが完全にその役目を果たす、その働きを完成することができる。

それから、その五官を統一している心は、妙観察智を得ることができる。妙観察智というのは、ものを観察する心の働きがきわめて微妙であるという智である。そういう妙観察智を得ることができる。それから、もう一つ奥にあるマナ識、つまり自我観念の意識は、その自我という観念が解消して自他平等の智慧、すなわち平等性智を獲得することができる。

最後のアラヤ識、これは、その転回にによって大円鏡智を獲得することができる。大いなる円かな鏡のような智慧、ちょうど大海原がしずまって一つの大きな鏡のようになる、そのような大円鏡智を獲得することができるというふうに説かれているのであります。

私どもがそこまで至るということは、現実の問題としては、なかなかたいへんなことでありましょうが、このように心の底の底まで見抜かれているわれわれの心の世界というものを、よく反省し、よく観察して、そしていいかげんなところで――ああ、これで悟りはひらかれた、というふうな慢心を起こさないで、どこまでも正直に自分の心の姿を反省し観察して、最清浄法界の〈いのち〉に直接触れていきたいと思うのであります。(43~46頁)

■【2『華厳経』とビルシャナ仏】ところで『華厳経』の精神、その世界観、人生観とはどういうことなのでしょうか。それは、いうまでもなく釈尊の悟りの内容になるのですが、この経典における表現が、多くの大乗経典の中で最も雄大なスケールを持っているものであります。『華厳経』における根本のブッダはビルシャナ仏です。ビルシャナというのは、原語でヴァイローチャナであり、光を意味しています。このビルシャナ仏はこの経典の根本仏でありながら、実は一度も説法しておりません。ただ黙然としているだけであります。あるいはむしろ、根本仏それ自体は説き得ないというのが適切でありましょう。

そして、このブッダをとりまく多くのボサツたちが、入れかわりたちかえり説法を行なっております。これらのボサツたちの説法をとりまとめたものが『華厳経』にほかなりません。ボサツは説法を始めるに当たって、まず禅定に入ります。禅定とは、姿勢を正し、足を組んで、身心を統一することです。この禅定に入ることによって、ボサツは深い宗教の世界に融没することができるのであります。

ところがボサツの入定(禅定に入ること)は、ボサツ一人で、自分の力でそうしているかというと決してそうではありません。彼の入定は、全くビルシャナ仏の意志力に基づくのであります。だから、ボサツの方からいうと、彼は入定によってビルシャナ仏の無限の力に触れているということができます。

かくして始められた説法は、ビルシャナ仏自体は一度も口を開くことはないのに、ビルシャナ仏が多くのボサツたちの口を借りて法を説いたともいえますし、あるいは、ボサツたちがビルシャナ仏の無限の力に動かされて口を開いたともいえます。『華厳経』の世界観・人生観を論ずるに当たっては、このような仕組みが考えられるのです。

ところでビルシャナ仏とは、いったい何でありましょうか。それは前に述べた如く光を意味しており、太陽の如く赫赫(かくかく)として照り輝いているものです。そしてその光は、この空間に行きわたらない所はありません。ビルシャナ仏の内容は、実はこの宇宙そのものなのです。われわれの肉眼に見え、われわれの意識に描けるところの宇宙ではなく、宇宙そのもの、宇宙の本体であります。宇宙の本体は、いかなる意味においても知ることも描くこともできません。だから、ビルシャナ仏は最後まで黙然としているだけなのです。一語も口を開くことはないのであります。

では、遂にそれはわれわれにとっては知り得ない、無縁のものになり終わるのでしょうか。否、否、決してそうではありません。それどころか、ビルシャナ仏は最もわれわれに近いもの、あらゆる近いもの以上に近いものなのです。なぜならそれは、宇宙の本体であると同時に、またそれなればこそ、われわれの本体であるからなのです。われわれ自身だからです。ビルシャナ仏は、まさにわれわれ自身なのです。

しかし、それはもとよりわれわれが意識しているところの自己ではありません。そのような自己はビルシャナ仏どころか、単なる煩悩の影にすぎません。自己の中の煩悩の影をすべて払い落としてみれば、自己意識というものがなくなって、自己と宇宙とがそのまま通じあっているのを感知することができます。いったい、自己そのもの、宇宙そのものとは何か、いいかえればビルシャナ仏とは何か。それについては、永遠にわれわれは知ることができません。しかし自己意識が消えて、自己がそのまま宇宙と通ずる時に、われわれはビルシャナ仏をうなずくことができるのであります。

このように、ビルシャナ仏はわれわれ自身の本体であり、また本来の故郷であり、実は本質的にわれわれ自身なのです。このビルシャナ仏に坐りを置いて世界の情景を描いたものが『華厳経』の世界観であり、われわれ自身の生きるべき道を説いたのがその人生観であります。(48~50頁)

■3『華厳経』の世界観

まず世界観はどうでしょうか。世界はどのような光景を呈しているのでしょうか。すでに明らかにした点からいえば、世界のあらゆる事象はビルシャナ仏の顕現であり、その働きであるということができます。ここに、ビルシャナ仏の智慧の眼に映ずる世界の光景と、われわれの凡眼にうつる光景とが全く相違していることが知られます。われわれの眼には万象が互いに差別しており、対立しているように見えます。しかし私の慧眼(けいがん)には、その差別しているままが互いに通じあっており、対立しているままが実は一つなのです。なぜなら、万象はことごとく仏のあらわれだからです。それが実相です。ここでは、万象は互いに何の障りや隔てもなく、自由に交流し、流通しあっているのです。この光景について『華厳経』は、いろいろな角度から説き明かそうとします。その一、二の例をここに述べてみましょう。

ビルシャナ仏は、いま大三昧に入っておられます。あたかも大海原が静まりかえっているが如くであります。それは限りない静寂の中にあります。同時に大海原には、ありとあらゆるものが姿を宿しています。一事も一物も、ここに映じていないものはありません。つまり、海原に映じているものが現実世界の事象なのです。現実世界の事象は、各個ばらばらぼように見えていて、実はビルシャナ仏の大三昧の海原の中に親しく映りあっているわけです。これは『華厳経』の世界観の一つの譬えであります。

ところで、この譬えをさらに身近につきつめて見るとどうなるでしょうか。世界の事象が海原に映じているということは、逆にいえば、この自分がいま経験していること、たとえば仕事の計画が思うようにすらすらとはかどっていること、あるいは病気がなかなか直らずに心あせっていること、等々、このように現実を経験しているということが、海原に映じているいることを意味するのです。ここから、『華厳経』における人生観の一つの深い意味が発生してきます。その点については後に触れましょう。

世界における一つの事象は、他の事象と交流しております。交流しあったものが、また他の事象と交流します。かくして無限であります。しかもそれは、順序を追って交流するのではなく、あちらからもこちらからも同時に行われますから、その様相の複雑さは想像を絶しています。静かな池の面に一つの小石を投ずるとします。始めは小さな波紋が、次第に大きく広がっていきます。別の石を投じます。前の波紋の広がりと新しい広がりとがぶつかりあい、かみあいして、いろいろ異なった波の形を示していきます。さらに次から次へと小石を投じていくと、無数の波紋が無数の異様な波の光景を呈します。一人一人が水に投じた小石なのです。しかもそれは絶えず波紋を起こしています。また逆に、一人一人が水に投じた小石なのです。しかもそれは絶えず波紋を起こしています。また逆に、一人一人は無数の波紋のぶつかりあいから生じた一波形にすぎないともいえます。そしてその一波形が、また波紋を呼び起こしていくのです。

一人の人間は無数の波紋のぶつかり合いから生じた一波形にすぎない、という点を考察してみましょう。たとえば、自分の一存在を中心に考えてみますと、自分には父母があります。その父母にはそれぞれの父母があります。またその父母には同じように父母があって、このようにして自分から逆に何代かをさかのぼって父母の総数を数えてみると、実に予想外の多きに達します。つまり、自分の現実の活動を少しく内面からながめてみると、このような無数の父母の血液がここに動いているということができるのです。しかしこれは、自分の存在をただ父母という角度から見たものにすぎません。実際は、そのほかの無数の角度が一つにみられて、自分の存在は活動しているに違いありません。

また、自分の投ずる波紋が他に無限の影響を与える光景は、次のような譬でも示されます。鏡の間があるとします。四方八方鏡で出来た部屋です。部屋の中心に立って右手を挙げます。しかしよく見ると、四方八方だけではありません。互いに他を無限に映し合っており、したがって無数の右手が同時に挙がっております。こんどはニッと笑ってみます。すると、無数の自己の影が同時にニッと笑います。間一髪を容れません。このように、自己の投じた一石の波紋が、限りなく宇宙にその影響を広げていくのです。

右に述べたいくつかの説喩からも推察できるように、『華厳経』に描かれている世界像は、一即一切、一切即一、互いに相い交じり、貫きあい、融けあいして尽きるところがありません。しかもこのような貫きあい、融けあいは、まさにビルシャナ仏そのものに基づいているのです。しかもビルシャナ仏は、われわれの本来の故郷であり、まさにわれわれ自身であるとしますと、融合無尽のこの華厳経的世界像は、実はわれわれ自身の内包する世界像にほかなりません。この点に、『華厳経』における世界観と人生観との最も深い帰一処が存するのであります。(50~53頁)

■4『華厳経』の精神

人生いかに生くべきか、ということは宗教の最大問題であります。『華厳経』が最も深い意味において宗教的であるとすれば、この経典は、当然、いかに生くべきかということを問題にしているはずです。

人生いかに生くべきかということは、生き方であり、生きる方法であります。方法は目的から生まれてこなければなりません。目的が明確であってこそ、方法はそこから考察されてくるものです。『華厳経』における目的はビルシャナ仏であり、ビルシャナ仏としてすでに実現されているものであります。一般には、目的をめざして方法に従って進む、その結果、目的は達成されるものです。しかるに、『華厳経』においては、目的はビルシャナ仏としてすでに実現され終わっています。その実現され終わっている中で、われわれは、最も的確な方法を究めようとするのです。

しかし一方から考えると、すでに目的は達成されているのにいまさら方法でもない、ともいえるでしょう。にもかかわらず方法を検討するのは、いかなる意味を認めようとするのか。この点に、実は『華厳経』における人生観の意味の深さを汲みとることができるのであります。すなわちそれは、華厳という文字そのものが如実に表示しているところのものであります。華厳とは「華(はな)をもって厳(かざ)る」ということです。華とはわれわれ一人一人のことであり、一人一人がビルシャナ仏の大法界をかざるのです。われもまた、この悟りの大殿堂に金の一鋲を打ちこむのです。その打ち込み方、かざり方が、すなわち『華厳経』における人生観にほかなりません。

ところで、この人生観を考察するには、まずその最も基本的な性格を明示しておく必要があります。それは、前に示した大海原に映ずる万象の譬えであります。これは世界観の根基でもあり、同時にまた人生観の根基ともなるものです。人生観からいえば、自分の現実経験はまさにこの大海原、すなわちビルシャナ仏の大三昧に映ずる影にほかなりません。いかに激しい喜びに満ちていようとも、また逆に、苦悩そのもののような経験でも、そのままがビルシャナ仏に映ずる影にすぎないとすれば、喜びも悲しみも全くわれ一個のものではないということが納得されるでしょう。喜びも喜びに執せず、悲しみも悲しみに執せず、われなる固執の源泉が打ちくだかれて、ビルシャナ仏の大三昧に融け入るのです。喜びは喜びのままで無住であり、悲しみは悲しみのままで無住であり、その無住のままがビルシャナ仏における大安住なのです。これが無住の住といわれるものであります。

『華厳経』における人生観は、まさにこの無住の住たるの根本性格から出発します。これは華厳経だけではなく、大乗経典の全体を貫く空観の思想につらなるものでありましょう。

さて、この無住の住に基づきながら、どのような人生観が描き出されるのでしょうか。これについてもいろいろな視点からの展望が許されると思います。たとえば、ビルシャナ仏を人生の根基として、その代表的な二つの性格を具現せしめたものに文殊と普賢(ふげん)とがあります。文殊は大智であり、普賢は大悲である、文殊は大解(だいげ)であり、普賢は大行(だいぎょう)であるといわれます。つまり、大智と大悲、大解と大行が、ビルシャナ仏が人生に顕現する際の根本性格なのです。したがって、われわれがビルシャナ仏の法界の進運に参加するところの人生観の根基は、大智と大悲、大解と大行ということになるでしょう。大智とは、世界の深い道理に限りなく透徹することであり、大悲とは、道理に透徹した純粋な心が間清水のようなヒューマニズムを漲(みなぎ)らせることであり、大解とは、世界の事象を誤りなく判断し判別することであり、大行とは、判断も判別も乗り越えて働きから働きへと出ることであります。しかもそのいずれもが、ビルシャナ仏の大法界に帰入し、またそこから発出していく意味において、これらの諸性格は根源的に一体です。

『華厳経』の終末、入法界品には善財という一少年の求道の姿が描かれています。少年は、智慧の代表者である文殊に励まされ、五十三人の人々を訪れて、いっそう深く真実の法を体現しようと努めるのです。そして最後に訪れたのが普賢でした。経典はなぜ、求道者として少年をここに登場させたのでしょうか大人でなく少年をです。思うに、世智にたけた大人は、出世間の道を尋ねるのに適しないのでしょうか。大人の思慮分別は、かえって真実の法を求める能力を欠いているのでしょうか。少年のように純粋な心でなければ大法を求めることは不可能でしょう。われわれ大人もまた、方に向かうためには少年の心に帰らなければならないのです。

少年の心は純粋なだけではありません。それは、一途に求めてやまない激しさを包んでおります。五十三人の人々を訪ね終わり、普賢に至って少年の求道はやんだかというと、決してそうではありません。普賢は少年に向かって、汝の純粋な心を持って弛みなく法を求め続けよ、といい放っているのです。すなわち、少年は求道の無限精神をあらわしているといえるのです。このように、一途に限りなく求めてやまないものが少年の心で、大人は右顧左眄(うこさべん)とつまづきとが多いのでありましょう。

ところで、少年が教えを乞うた五十三人の中には、いろいろな階級の人間が含めれています。ボサツや僧侶や尼僧はいうまでもなく、王、王子、商人、長者、婦人、大工などもあり、また、バラモン、賎業の婦人も含まれています。仏教の中で当然師とすべき人々ばかりではなく、仏教以外の宗教人にも、また卑しまれている人々にまでも教えを受けております。これは何を意味しているのか。それはつまり、求道の前には、道に達している人か否かということだけが問題であり、宗教の相違、貴賤の差別は全く問うに足らないということです。このことは当然であり、至極あたりまえのことでしょう。しかし、この当然なことを平気で敢行しうるのは、やはり少年の心なのでしょう。

かくしてビルシャナ仏は善財という一少年に具現して、求道の永遠の旅に出るのであります。それが永遠であればこそ、豊かな希望の光りに胸がふくらむのです。われわれは少年の心に帰ろうではありませんか。そこからは、法の限りない宝の山を展望することができるのであります。(53~57頁)

■原始経典を見ますと、ご承知のように釈尊が菩提樹のもとに坐禅を組まれ、それまでのすべての苦行を捨ててひたすら禅定に入られた。そして、十二月八日のあけぼのに豁然として大悟されたのであります。大悟された釈尊は、そのまま立ちあがって説法のためにでかけられたかというとそうではなくて、その菩提樹のもとで坐禅を組んだまま、静かにいま自分が開いた悟りを観察しておられます。その時間が一週間、一週間といえばずいぶん長い時間でありますが、その一週間の間、じっと坐ったままでその悟りを深めておられるのであります。一週間たちますと、その菩提樹のもとを立ちあがって、こんどは別の木のもとでさらにまた一週間、静かにその悟りを味わっておられます。それがすむと、その木のもとを立ちあがってまた別のところへ行ってさらに一週間、こういうぐあいにして数週間、釈尊は雨が降ろうが、風が吹こうが、その悟りを静かに観察しておられます。その間に、経典の描くところによりますと、いろいろな魔軍、悪魔の軍隊があらわれては釈尊を苦しめる。しかし釈尊は、微動だもしないでその魔軍を静かに撃退しておられます。そうして、あたかも太陽が虚空にのぼるがごとくに釈尊の精神がすっきりと確立してしまって、もはや何も疑うところのないというところまで、釈尊の悟りが深められてきているのであります。

別の経典によりますと、釈尊がいったい何をそこで観察しておられたかが問題になってまいります。経典では、釈尊がその数週間、何をみておられたかと申しますと、いわゆる十二因縁といわれているものであります。われわれ人間の現実の世界が、根本の無智に始まって、いろいろの働きを起こして、その働きにわれわれは執着してついには死んでいかなければならない、そういう私たちの現実の姿を、釈尊が静かに観察されているのであります。

さらにはかの経典によりますと、釈尊はその禅定に入っておられる間に人間の無限の過去の世界、私たちが生まれたり死んだり、無限の生死を続けてきた過去の世界に思いを馳せておられます。それからまた、現在の人間の、しあわせに暮らしているもの、不幸なもの、顔の醜いもの、端正なもの、そういう苦しみや楽しみというものを限りなく観察しておられます。それが釈尊の悟りの内容であると、これらの経典が伝えているのであります。

別の経典によりますと、釈尊がいったい何をそこで観察しておられたかが問題になってまいります。経典では、釈尊がその数週間、何をみておられたかと申しますと、いわゆる十二因縁といわれているものであります。われわれ人間の現実の世界が、根本の無智に始まって、いろいろの働きを起こして、その働きにわれわれは執着してついに死んでいかねばならない、そういう私たちの現実の姿を、釈尊が静かに観察されているのであります。

ところが、釈尊が悟りを開かれたということは、歴史的に釈迦牟尼世尊が初めてそういう大悟をなされたかというとそうではないので、釈尊の生まれる以前においてすでにある。経典では七人の仏さまが、別の経典では二十五人の仏さまがそれぞれ大悟徹底されて、当時の衆生に対して教えを説いていることが見えているのであります。つまり、釈迦牟尼世尊は最初の悟った人ではなくて、それ以前にたくさんの先輩である仏さまがおられる。そういたしますと、釈尊の悟った世界は、釈尊が、初めて発見した真理ではなくて、すでにもろもろの先輩諸仏によって発見されてあった真理を、同じように釈尊が見いだされたということになるのであります。これらの仏さまは、あるいは九十一劫前の仏であるといったり、あるいは四阿僧祇劫、十万劫といったり、ともかく、とほうもない昔に、こういう仏さまたちが出て大悟し、かつ衆生に説いたということになっているのであります。さらに大乗経典の『法華経』によりますと、ここではもはや数としては数えることのできない久遠の昔、無限の過去に大通智勝如来という仏さまが出られ、すでに大悟徹底され、しかもこの久遠の仏は、いまもなお衆生に向かって休みなく教えを説いている、というふうなことが見えているのであります。(59~60頁)

■ このように見てまいりますと、仏の悟りそのものは、私たちには窺い知ることはできませんけれどもだいたい次のような、三つの悟りの方面を考えてみることができると思うのであります。この仏の悟りの三つの方面が、二千何百年の間展開してまいりました仏教という大きな教えの世界観の基礎になっているように思えるのであります。

第一に、仏の悟りは、仏さまが何かインスピレーションをうけて、この世界を超越して、別の世界を悟られたというようなことではなくして、もとよりこのわれらわれの世間を全くとびぬけられたのではありますが、同時にわれわれ一切衆生にに、そのままかかわりを持っているのであります。つまり、現実の自己の姿、われわれ一人一人の現実のありのままの姿が、実は仏の悟りの内容であり、その一部であるということができるのであります。

仏の悟りに映されている自分の姿はどういうものであるか。これは、私がいま自分の目で自分の姿を見ている、その自分ではなくて、どこまでも仏の智慧の眼、慧眼(けいがん)に映しだされている私の姿なのであります。経典の説いているところに耳をかたむけてみますと、われわれは、いまこうしていろいろな環境に育ち、いろいろな能力を持ち、いろいろな社会的なポストについて、それぞれ働いているけれども、これが息をひきとってしまえばそれきりだと思っているのが、われわれ凡眼の自分の姿であります。あらためて人に聞かれると、いやそうじゃない、死んでからなんとかほかの世界に行くだろうとか、あるいは仏さまに救われるだろうとか、そういう理屈は申します。けれども、われわれの現在働いている生活態度を見ますと、いろいろな欲望に走ったり、自分のためになることだけを考えようとしたり、そういう自分の現在の態度を見ますと、ともかく、死んだら野となれ山となれ、というのがどうもわれわれの本音のようであります。ところが、釈尊の慧眼に映し出されている自分の姿は、実は無始劫以来、無限の過去から迷いに迷い、生まれかわり死にかわり、おそらく未来永劫にその輪廻を続けてであろう姿なのであります。

無始劫と申しますと、始めがない、いつ始まったかというその限界がない、無限の過去といっては漠としておりますから、少し注釈を加えますと、劫というのは梵語では kalpa ともうします。kalpa というのは、いろいろに計算されておりますが、たとえば一つの譬えとして、縦、横、高さ八十里の立方体の岩石に、三年に一度天女が現れて、天女の衣の裾でサッと一回なでる。そうしてその八十里の立方体の岩石が全部摩滅してしまう、これを一劫と数えます。それが無始劫、無限の劫でありますから、ともかくある程度の想像がついて、その想像を絶する計算であります。その一つの kalpa の時間のなかで、われわれが生まれかわり死にかわりして、おかあさんの乳を飲んだその乳の量が四大海水よりもなお多し。これは人間のおかあさんばかりじゃありませんでしょう。犬にも猫にも経めぐってきたわけではありましょうから。ともかくその飲んだ乳の量が四大海水よりもなお多し、また一劫の中で、われわれの築きあげた白骨が毘富羅山―王舎城の近傍にある山――よりもなお高しと申してあります。これは昔の話ではなくて、いまこうしてしゃべっている私自身がそういう無始劫を経てこの演壇に立っているわけなんで、考えてみると、一個の人間も実に雄大な背景を持っているのであります。迷うということも、これほど雄大な迷いであったならば痛快というほかないと思うのであります。短期を起こして、よく二十歳前後の人が自殺をしますけれども、そういうことに思いをいたせば、もっと別の世界観が生まれてくるに違いないと思います。(61~62頁)

■ 第二の悟りの方面は、われわれ衆生は、一人残らず仏さまになりうる可能性をもっているという点であります。釈尊の在世当時、アングリマーラというたいへん残忍な凶賊が悪事を働いておりました。そのアングリマーラはただの追剝ではなくて、人を殺してその着物をはぎとるという悪事をさんざん続けておった凶悪な賊であります。しゃくそんとの間に、いろいろないきさつがありますが、結局最後に、このアングリマーラが釈尊に帰依して、その弟子となっております。

悪事に強いものは善事にも強いと申しますが、ひとたびこのアングリマーラが弟子になりますと、一所懸命修行を積み、とうとう最後には、釈尊と同じ悟りに達したのであります。「わが生はすでに尽き、なすべきことはすでになされ、もはや後有を受けない」。これは釈尊について語られている悟りでありますが、同じ言葉がアングリマーラの口をついて出ているのであります。「わが生はすでに尽き、なすべきことはすでになされ、もはや後有を受けない」。このアングリマーラがあるとき行乞に出かけまして、町々を歩いておりますと――この人はむかし盗人でしたから、いろいろな人々からたいへん恨みをうけている――かつて怨みをうけた人々が石を投げつけたり棒を投げつけたりして、この賊であったものをさかんに懲らしめる。とうとう、彼は自分の持っている鉢はこわされ、また、着ている衣は破られ、身体からは血をふいて、さんざんな目に会って釈尊のもとに帰ってきたのであります。そのとき釈尊はなんと仰られたか。「汝静かに忍従せよ。汝の受けた罪業は地獄の中で報われなければならないのに、その汝の大きな罪行がいまここで報われている。汝静かに忍従せよ」、そう釈尊はおっしゃっております。アングリマーラは、釈尊の言葉をただ頭をさげて聞いているだけであります。その時の彼の心境を、経典は、「ちょうど雲を離れた十五夜の月のごとく、アングリマーラの心が世界を照らした」と描いているのであります。つまり、たといアングリマーラといえども、釈尊に帰依し、釈尊の弟子となり、遂に悟りを開いてみると、もはや釈尊のつっかい棒はいらなくて、釈尊と全く同格の世界に生きぬいているのであります。(62~63頁)

■ 第三に、仏教の世界の根拠は、光明に始まって遂に一切衆生はその光明に包まれる、これが、仏教世界観の源泉であると思います。『大無量寿経』にある法蔵菩薩の修行はご承知のとおりでありますが、法蔵菩薩の修行の前に、五十三の先輩の仏が出ておられます。その五十三の先輩の一番まっ先の仏さまを錠光如来、あるいは燃燈仏と申します。これは、もとの言葉ではともしびです。Kara というのは、それをつくりだす――ともしびを、光をつくりだす仏さま、これは『大無量寿経』に限ったことではなく、すでに原始経典のなかに Dipamikara の仏さまは、第一等にあらわれております。つまり、久遠の過去に生まれ出た仏の最初の姿は、光明であります。『大無量寿経』では、五十三の仏を経て本願の教えが説かれているのでありますが、最後のくだりになって、仏の智慧の眼に映じているわれわれ人間の姿のあくたもくた、すざましい凡夫の姿が描き出されております。これを説き終わった世尊は、静かに禅定に入られて、遂に三千大千世界が光明の渦に巻き込まれてしまっております。

『華厳経』や『大日経』の本尊はビルシャナ仏と申します。ビルシャナとは、もとの言葉では Vairocana というので、これも光の仏であります。『華厳経』では、この微盧遮那仏、光の仏さまが3千大千世界、宇宙の中心の仏になるのでありまして、仏の真体というものは、いったい何かというと、宇宙そのものが仏の真体なのであります。それが仏の光なのであります。この経典では、いろいろの菩薩が現われ、いろいろの天人が現われて、仏の悟りの世界を讃嘆しておりますけれども、その本尊である大毘盧遮那仏はついに一言も発しない、最後まで沈黙を守ったままであります。それはわれわれの目にも見えず、また耳にも聞こえず、形もない法身であり、宇宙そのものがこの大毘盧遮那仏でありますが、よく考えてみますと、私もまたこの大宇宙の一片なのであります。つまり、大毘盧遮那仏はみずからは一言も説かれませんけれども、私が知ると知らざるとを問わず、私の背後にあり、根底にあって、常にこの私を育てている大宇宙の法身が毘盧遮那仏なのであります。(63~65頁)

■『華厳経』では、多くの菩薩があらわれますが、この大毘盧遮那仏を代表している二人の菩薩があげられます。一人は文殊菩薩、もう一人は普賢菩薩であります。文殊は、文殊の智慧として親しまれておりますが、これは智慧の代表者、毘盧遮那仏を智慧として代表する菩薩であります。これに対して、普賢菩薩は慈悲を代表する菩薩であります。また、普賢菩薩は大行の菩薩であるとも申されております。

まず、文殊の智慧によって映されているこの世界の姿はどうであるか。これはわれわれの凡眼に映っている世界の姿とは違っております。われわれの凡眼には、われはわれ、おまえはおまえ、それぞれ別々であります。これはこれ、あれはあれ、これも別々であります。ところが、文殊の智慧に映されているこの世界の姿は、われとなんじとが別々のものでありながら、そのまま一つになっているのであります。この世界における対立のままが、根本において融合しているのであります。これを物にたとえてみますと、広い水の面に小石を投げると、その小石の波紋がずっと遠くまで続いてまいります。別の小石を投げると、また別の波紋が起こってまいります。そうして前の波紋とぶつかりあい、また交流しあって複雑な姿を呈します。次々に小石を投げこみますと、次々に複雑な様相を呈します。その小石というのが、われわれ一人一人なのであり、その波紋が生活の動きをあらわしているのでありまして、われわれが互いに小石となって水に投じて波紋を描きながら融合しているのが、この世界の実相なのであります。大毘盧遮那仏はこの宇宙そのものとして、常に大三昧、大禅定に入っておられるのであります。つまり、われわれが現実の社会でいろいろに対立したり、いさかいあったり、あるいは泣いたり笑ったりしている姿は、そのまま大毘盧遮那仏の大禅定の中で起こっているそれぞれの影にすぎないのであります。坐禅をして仏の世界に触れると申しますが、それは、自分が自分の力で禅定に入っているように思っていても、実は大宇宙の毘盧遮那仏が大三昧に入っておられるその力によって、われわれがそれぞれ三昧に入っているのであって、そこではじめて自分を越えた大きな仏の力を、その禅定の中で感得することができるわけであります。

もう一人の普賢菩薩は、文殊の大きな智慧に対して大行と申してあります。これは言葉をかえて申しますと、大いなる人生であります。つまり、人生はいかに生くべきであるかをこの普賢菩薩が教えているのであります。人生はいかに生くべきであるかということは、けだし、宗教の最大の問題であると思います。華厳という言葉がその人生の生き方ということを教えていることばであり、華厳は花でかざると書いてありますが、われわれ一人一人がその花で、われわれ一人一人が毘盧遮那仏の真理の世界をかざっていくのであります。(66頁)

■ 我と無我

無我は仏教のたてまえですが、実は仏教よりもずっと古い時代に、インドにおいてアートマンという思想が起こっており、「真実の我」あるいは「我の本性」といわれているのであります。このアートマンに目覚めることがインド思想の目的になっています。これに対して、仏教は無我を主張します。無我をわきまえ、無我になっていくことが仏教の最後の目標になるのであります。

日常生活でよく、自分は我が強すぎて人づきあいがうまくいかないというようにいったりします。ところが、一方では逆に、我がなくなったら何もできないではないか、自分というものがあればこそわれわれの生活をよくしていこうという努力も起こってくるわけだ、第一、生きていくことがすでに我がある証拠ではないか、という主張もありうるわけです。こういう問題を念頭において、無我が仏教の思想史の中でどんな形であらわれているかを考えてみたいと思います。

仏教の古い経典には、『スッタニバータ』とか『ダンマパダ』というものがありますが、こういう古い経典では無我という言葉はなく、ただ、執着を離れるということが強調されています。たとえば『スッタニパータ』には、「常によく自分に執着する見解をうち破り、世界を空であると観ぜよ。そうすれば、迷いの海を渡ることができるであろう」とか、あるいは「いかなる執着も離れているということがともしびであり、涅槃である」とあります。涅槃は、仏教の最後の悟りの境地ですが、むしろ執着を離れるというのは自分がそうするのであり、したがって、自分ということがたいへん強調されます。

『ダンマパダ』には、自分に関する一章が設けられていて、その章の中に「自分こそ自分のよりどころである。自分のほかにいったい誰がよりどころになろうか。すなわち、自分がよく調えられることによって、そのよりどころを獲得することができる」とあります。よく調えられるということは、私どもも道理はよくわかっていても実行はなかなかできない。自分というものがなかなかいうことを聞かない。それが次第に訓練を積むことによって、いうことを聞くようになる。これが調えられるという意味なのであります。要するに自分こそが真理をわきまえていくよりどころである。そのためには自分がよく訓練され、よくいうことを聞くようになることによって、自分のよりどころを獲得することができるというのであります。

釈尊の言葉として、「自分をともしびとし、自分をよりどころとしてその他のものをよりどころとするな。また真理をよりどころとしてその他のものをよりどころとするな」というのはよく知られております。真理が現れてくるのは自分よりほかにないということで、現代の言葉では、主体性を持つ、あるいは自主性を持つということになろうかと思います。キェルケゴールが「主体性こそ真理であり、主体性こそ真実である」といっていますが、この経典の気持ちもそれに通ずるかと思います。要するに釈尊の教えは、執着を離れるように自分が努力をする、ただ耳に聞くだけではなしに、みずからそれを実践していくことであって、自分がなくなってしまうどころか、実は自分こそが実践の主体であることを教えておられるのであります。

そこで執着の中心になるものは、結局は自分に対する執着、我執に帰すると思われますが、しかし自分をよく観察してみると、その執着すべき我のかたまり、自我のかたまりはどこにも見あたりません。これが経典の中に無我として用いられ、定まった形になっています。たとえば色・受・想・行・識の五蘊(ごうん)が無我であるという。色というのは私どもの肉体、それから受・想・行・識というのは、その肉体に対して、さまざまな心の働き、あるいは心の主体を指しています。つまり自分の肉体をいろいろ観察してみても、あるいは、感覚とか心の働きについて詳細に観察してみても、どこにも我のかたまりは存在しない。いいかえれば、執着すべき我はどこにもない、そのことが、この経典の中で無我という定まった言葉でいわれているのであります。

ここで、無我について二つの方向が出てきました。一つは執着を離れること、もう一つは執着すべき我のかたまりがないということであります。この二つの方向が、大乗仏教ではどのように動いてきたでしょうか。(68~71頁)

■ 無我の二面

執着を離れるということは、有名なあの『般若経』の中によく説かれています。般若は智慧のことであります。つまり、執着を離れることがわれわれの最も尊い智慧、人生の智慧を獲得することになるのであります。そして、私どものさまざまな生き方、あるいは人生観、世界観が説かれます。宗教的、道徳的な生き方として、これはもう、誰もが守らなければならない生き方として、生きものを殺さない、盗みをしない、嘘をつかない、腹をたてない、怠惰な心を離れる、乱れた心をしずめる、というふうに、そこからあらゆる真理を究めつくそうとする生き方が説かれます。

それから、貧しい人に富を与える、裸の人には着物を与える、餓えている人、渇いている人には飲食物を与える、病気の人を癒してやる、心に煩悶のある人を安らかにしてやる、というようにして、人のためにつくし、お互いに助け合っていかなくてはならないことも説かれます。

そのほか世界観としては、先の五蘊と十二処・十八界ということがいわれており、十二処・十八界は世界の組み立て、構造を明らかにしたものであります。

このようにいろいろ説かれていますが、最も大切なことは、私どもがどんな生き方をするにしても、また、どんな世界観を持つにしても、少しもそれに執着をしないことであります。執着をしないから、私どもの生命は限りなく発展していくことができる。無執着に基づく生命の無限の発展、それが『般若経』でいう人生の最も大切な智慧なのであります。すなわち、無我とは、自分がなにもかもなくなってしまうこととは反対に、自分の人生が限りなく発展していくということであり、それはもっぱら無執着によることになるのであります。

次に、無我は執着すべき我のかたまりがないということが問題であります。

いったい我のかたまりとは何かと考えてみると、これはもともとないのですから、結局そのかたまりは、私どもが執着しているところの我という観念、自我観念なのであります。

では、その自我観念がどうして起こってきたかを徹底的に明らかにしたのが、唯識という学問であります。この唯識は、私どもの意識の世界を深く掘りさげていったもので、私どもが外界に触れていく場合に一番先端にあるものは、いうまでもなく目・耳・鼻などの五つの感覚器官であり、この感覚器官のもう一つ奥にあって感覚を統一しているのが私どもの心であります。赤いものが目の感覚として赤く映っているが、それを赤いと知るのは感覚のもう一つ奥にあって感覚を統一している心によるのですが、その心のもう一つ奥に、実は自我観念の起こってくるもとがあります。それをマナ識といいます。マナとは考えるという意味ですが、このマナ識が、二六時中たえまなく自我観念の働きをしているものであります。心は誰でも経験で知っているように、熟睡の時とか、なにかの病気で気を失った時には働かない。ところが、このマナ識という自我観念の働きは、たとい熟睡の時でも、気を失った時でもなお働いています。これは唯識学派の人々が禅定に入って深く体験をしながら、人間の意識の状態を観察しているであります。現代の深層心理学でも、こういう自我の深い姿、日常の意識ではそれを知ることのできない潜在的な自我の深い姿を観察しています。

こういうマナ識、自我の働きがなくなってしまうのはどういう時か。それは」滅尽定であります。身も心も滅しつくしてしまうという禅定で、この滅尽定では働かない。しかし、その滅尽定から出ると、また自我の働きが起こってくるわけであります。

それから、悟りの究極に達した人(阿羅漢)では、もはやこのマナ識は働かないといわれております。

その自我観念をさらに探求していくと、実はマナ識のもう一つの奥のところにアラヤ識というものがあり、これが私どもの最後の意識であります。また意識というだけではなしに、外界の世界の起こってくる根本でもあるわけですが、このアラヤ識に基づいてマナ識が起こっていながら、しかもこのマナ識は、自分の起こってきているもとのアラヤ識を自分だとまちがえて認識している。これはたいへん微妙な心の奥の奥の働きになってくるのですが、とにかく非常に深いマナ識と、それよりもなお深いアラヤ識との相互の関係から、われわれの自我という観念が起こってきているのであります。だから、一口に執着を離れるといっても容易なことではなく、長い間の仏教の修行、訓練が必要になってきます。

先にいったように、自分は我が強くて困ると思っている人だけが我執があるのではなしに、そう思っていない人も、生きとし生けるものみな我執にとらわれているのであって、むしろ我が強いと困っている人のほうが実は宗教の問題に一歩近づいているともいえるのであります。

唯識の学問は、私どもの世界を私どもの迷いのほうからながめたものであり、アラヤ識といっても、マナ識といっても、そういうものの実物、実体というものはもともとないのであります。(71~74頁)

■ 無我の実現

そこでもう一歩すすんで、最後の涅槃に達した仏のほうからながめてみると、もう悟りとか迷いとかいう区別はなくなってしまい、全世界がそのまま仏の世界であるのです。仏といっては漠然としているかと思いますが、限りのない〈いのちの世界〉といってもいいかと思います。全世界がそのまま、そうである。『華厳経』とか『法華経』とか『無量寿経』に説かれてあるのがそういう世界なのであります。だから、私どもが迷ったり執着したりしているのは、実はそうした仏の世界の中で迷ったり執着したりしておることになるのであります。もっとつきつめていうならば、仏の性質、仏性というものが迷って私どもとなっているともいわれております。迷っているそのもとが、実は仏の世界であるということになるのであります。

こういう大乗仏教の世界の中で、私どもがどういう態度をとるべきであるか、無我をわきまえていくには、どういう態度をとるべきであるか、その最も代表的な問題について二、三申し上げてみたいと思います。

まず第一に、私どもは仏の世界にいるということに自分の心を安定させ、そこに心を安んずる。これが仏教でいうところの信であります。小さな我執の自分を離れて、大きな仏の生命を受け入れるのが信でありますから、この信がすなわち無我なのであります。

信にはいろいろな意味があります。それから、なんでもかんでも盲滅法に信ずるのとはちょうど反対に、実は自分の心の内から心の扉が開かれてくるという意味もあります。こういういろいろな意味が渾然として一つになっているのが仏教の信なのであります。西洋中世にテルトリアヌスという人がいて、その人の言葉として、不合理だからこそ神を信ずる、ということがいわれております。もちろん、キリスト教の信仰が全部そうであるといういうわけではないが、仏教の信はそういう信ではなくして、小さな我執がなくなって、ほんとうの道理が自分の内から開かれてくる、智慧の泉が湧いてくるのが仏教の信の特色であります。

次には禅定であります。禅定は、自分の身体も心も統一し、しずめていって、限りない大きな生命に合致していく。この禅定は仏教のすべてのものの基本になっているもので、禅定からほんとうの智慧が生まれてくるのであります。禅定三昧を実践することによって、私どもの乱れた心をしずめ、その心の本性、ついには仏のほんとうの精神を体現していくことができるのです。

それから慈悲の問題があります。私どもが我執にとらわれている限りは、慈悲は決して現れてこない。もともと、生きとし生けるものすべてが大きな生命の流れに包まれているのだし、その生命を一つにしているのですから、私どもの現実の世界ではお互いに相い別れて生きてはいても、同じ生命がそこに通じあっているというのが慈悲なのであります。ちょうど、水がすべての物にしみわたって、一つの水の流れとなっていくように、慈悲は一切のものを一つにしようとする働きです。だから、限りない大きな生命は、無我の大慈悲といわれるのです。こういう大きな生命に私どもが基づきながら、無我の大慈悲に参加しつつ、それぞれの慈悲を実現していきたいと思うのであります。

このようにみていくと、信も、智慧も、それから禅定も、慈悲も、実は一つの限りない生命のそれぞれ異なった方面なのであって、その実体は一つなのです。そして、いずれも方面も無我という点で共通の性格を持っています。その中で、信を強調したのがわが国の浄土教であり、また禅定を純粋化して、禅定一本に決定したのが禅宗であります。浄土教と禅宗では両極端のように思われたり、時に相い反するかのように考えられているむきもあるけれども、決してそうではなく、いずれも同じ一つの生命の中のそれぞれのほうめんであり、結局は無我の実現をめざしていることになるのであります。(74~76頁)

■ 仏教と倫理

仏教と倫理という問題につきまして、私はこれを三つの方面から考えることができるのではないかと思います、第一には、宗教<倫理<法律。宗教と倫理と法律というふうに三つ並べて考えてみますというと、これは一般に申されておることでありますが、法律的には何も罪を犯さない立派な人であっても、道徳的な鏡に照らしてみるとなかなかそうはいかない。常に完全であるとはいえない。したがって精神的には、道徳的世界のほうが法律的な世界よりもいっそう高い段階にあるということができるかと思います。さらに、道徳的には立派な人であっても、宗教的な眼をもってこれを観察してみると、道徳的には必ずしも悪い悪いことではないという場合でもなおこれは不完全である、あるいは罪悪であるというふうに見られる場合も起きてくるのであります。この点から考えてみますと、宗教の世界の方が道徳的な世界よりもさらに高い境地であるということができるとおもいます。これはやはり、仏教の場合にもそういう面があるのであります。仏教は宗教として、道徳的な世界よりも、もた法律の世界よりも、最も深い世界をめざしておるというふうに考えることができるのであります。

第二番目の見方といたしまして、仏教と倫理もしくは道徳という関係を考えていきます場合に、仏教の中に、実は道徳的な生活、倫理的な生活が仕組まれておるのであります。仏教の中で宗教もあれば、あるいは道徳や倫理も行なわれておるという場合がございます。この第二の見方をもう少し分けて考えていきますと、なおいろいろな場合が起こるかと思います。たとえば道徳的な生活は、仏教の目的を達成していくための準備的な段階、方便としての段階、その道徳生活を完成していくことによってついには仏教のめざすところの悟り、あるいは涅槃というものを完成していくことによってついには仏教のめざすところの悟り、あるいは涅槃というものを完成することができると、こういうふうに倫理と仏教の目的というものを段階的に考えていく場合もありましょうし、あるいはまた、仏教の中でどうとくせいかつと宗教生活とが並行して、相い伴って、ついには仏教の目標を成し遂げていくという場合も起こってくるのであり、いろいろな場合がありますので、これを後にもう少し組織だてて考えてみたいと思っています。

第三番目には、倫理という言葉を考えてみますと、われわれ人間仲間の生活を規定しているところの道理、根本の道ということになります。ところが、仏教も結局は、人間生活の根本の道理を実現していくことをめざしているのでありますから、その点からいえば、倫理のままが仏教である、こういう見方も成立するのであります。いまここに三つの方面から、この問題を少しく立ち入って考察してみたいと思います。(77~79頁)

■ 仏教の超越性

まず第一に、仏教は倫理や法律というような、ごくわれわれの一般的な人間生活よりも一段とすぐれたものである、という考え方から述べていきたいと思います。このことは、実は仏教の一番根幹になる立場でありまして、ある面からいえば最も重要な問題であろうかと思います。それは、仏教の目的としておりますところの涅槃、あるいは迷いから目覚めるという目的のためには、この究極の問題のためには、一切の人間生活を切り捨てて少しもいとわない、こういう最もきびしい面が仏教には厳然として存在しておりましても、もうその生命は消滅しておる、死んでおる、と申しても過言ではないのであります。その点からややもすれば、仏教には人生否定的な面がうかがえてくるのでありますが、実は最も重要な仏教の生命でありまして、ここから、はじめて人生を肯定し、人生を絶対に受け入れていく力が生まれてくるのであります。

釈尊の説法の中には、人生を切り捨てて顧みないという釈尊の言葉は、至るところにあらわれているのでありますが、その一つの例として、『スッタニパータ』というたいへん古い文献の中に、次のようにいわれております。「世の栄枯盛衰を超越したところの修行者は、この世とあの世とをともに捨てる。ちょうど蛇が古い皮をぬぎ捨てるようなものである」。あの世というのは来世のことでありますが、当時のインドの考え方として、この世でよいことをすれば、次の来世にはいいところへ生まれていく。したがってわれわれはこの世でよいことをしよう、というのでありますが、そういうこの世も捨て、あの世も捨てる、つまり人生のすべてを切り捨ててしまうというのであります。あるいは「一切のものは虚妄であると知ってむさぼりを離れた修行者は、この世と、かの世とをともに捨てる。あたかも蛇が古い皮をぬいで捨てるようなものである」。したがってそこには、究極の目的である涅槃のためには何もかも捨てていとはないというようなきびしい精神がみなぎっておるのであります。これは釈尊以来、インドにおきましても、また中国におきましても、ずっとこの伝統は守り通されてきておるのでありまして(岡野注;世界中で日本だけがこの伝統を現代にまで守り通している)、わが日本仏教の先覚者であられる聖徳太子のお言葉として、これはよく皆さんもご承知かと思いますが、おそらく太子がへいぜい仏教に帰依しながら、日常の間でつぶやかれたのではないかと思われるお言葉として、「世間虚仮、唯仏是真」というのがあります。世間のことはみな虚仮である、かりのものであり、むなしいものである、ただ仏だけが真実である。太子は、この人生の全体を捨てて、その一番確かな仏の世界に眼を向けていかれたのであります。

これは聖徳太子にはじまって、わが国の仏教の伝統的な精神になってきておるのでありますが、人生を捨てて顧みないということは、単なる人生否定ではなくして、人生全体を一まるめににして、なおそれよりも確かなもの、真実なものをはっきりとつかもうとした、これが仏教者の伝統的精神であります。釈尊の言葉の中に「いかなる所有もなく執着もないこと、これが人間のともしびであり、それが涅槃である。このことをよくわきまえて、現世においてわずらいを離れた人々は、悪魔に克服されることがない」ということを申しておられます。執着のないということは、一見、人生を放棄してしまったように思われるのでありますけれども、実はそうではなく、その心の底には悪魔にも克服されない、いかなるものによっても打ち負かされないだけの確固とした悟りの世界というものが開かれておるためであります。

釈尊と同じような意味の言葉が、日本の仏教者の中からも窺えるのでありまして、たとえば親鸞聖人の言葉の中に「信心の行者には天神地祇(てんじんちぎ)も敬伏し、魔界外道も障礙(しょうげ、しょうがい)することなし」というのは、非常に放胆な言い方のようでありますが、やはり行者の奥底には、何ものによっても打ち負かされることのない、いかなる境遇にも動じないところの仏教の目的が実現されておるためであります。その同じ親鸞聖人に、自分は善も悪も二つともわからない。何が本当の善なのか、また、本当の悪なのか、要するにわからない。「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもてそらごとたはごとまことにあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」という言葉も見えております。これも先ほど申しました太子の「世間虚仮(こけ)、唯仏是真」に通ずるものでありまして、その奥には何ものにもかえられらい確固とした世界が裏づけられておるためであります。こういうところから考えてみますと、仏教の根本には法律であろうと、道徳であろうと、いかなる世界にも立ちまさったところの、究極の涅槃ということが最後の目的になるわけであります。(79~81頁)

■ 仏教と倫理の共存

次に第二の問題は、仏教の中に宗教も倫理も並び行われておる、倫理がその中に含まれておるという見方であります。これは私の考察するところによりますと、だいたい四つの場合が考えられるのではないかと思います。

1倫理から宗教へ

まず一つは、「倫理→宗教」。道徳的、倫理的な生活の仕方が宗教の目的、仏教の目的を貫徹していくための準備の段階であるという立場であります。これにつきましては、いろいろな釈尊の教えや大衆の仏教が示しておるのでありますが、たとえば原始仏教の中で八正道、八つの正しい道ということがいわれております。これは、もうあるいは皆さんご存じかと思いますが、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定、この八つの道を踏み行なっていくことによりまして、最後に涅槃に達する。われわれの身体からも精神からも火のように吹き出ておる煩悩が、プッと吹き消されて、安らかな境地に達するのであります。ニルヴァーナ(涅槃)とは、そういうように、煩悩の火の吹き消された安穏の世界をいうのであります。そういう涅槃に達するために、八つの道が説かれているのであります。

正見とは、正しい見解、正思惟は正しい考え方、正語は正しい言葉を語ること、正業は正しい活動、正命は正しい生活、正精進は正しい努力、正念は正しい思い、正定は正しい禅定であります。これらがみなわれわれの生き方を規定しているのでありまして、そこに八つの道が述べられているのでありますが、問題は、いったい正しさということがどういう意味か、ただ自分勝手に正しい言葉をはき、正しい生活をやっておると思うだけでは、ほんとうの正しさというものはわからないのでありまして、どこにその正しさの根拠があるかという点であります。

釈尊、すなわちブッダは、迷いから目覚めた人であります。目覚めた人の教えはもとより正しいといえるでありましょう。したがってまず第一に、目覚めた人の教えをよく聞くことであります。しかし、ただ聞くだけではだめなんでありまして、それを自分の心でよく味わってよく思う。ただしかし、思うだけではまだ不徹底でありまして、聞いて味わって、心によく思ったことを自分の身体の上に実現していくのであります。それを修(しゅ)と申します。聞いて、思って、修する、この聞思修(もんししゅ)ということが仏道の正しさ、確かさを身につけていく基本的な方法になっているのであります。

それから、この聞思修(もんししゅ)という訓練の仕方とあわせて、仏教ではこの八正道が示しておりますように最初に正見、正しい見解、これは智慧をあらわす。最後に正しい禅定、これは禅定三昧をあらわす。最初と最後が智慧と禅定になっているのでありますが、智慧と禅定が、離れることのできない密接な関係にあることは、原始仏教以来、仏道の大切な伝統になっているのであります。智慧はともしび、禅定は油にたとえられますように、必ず禅定(岡野注;画家はイーゼル画)に伴われて、光を放つのであります。この点が、西洋哲学における理性と、性格を異にしているのであろうとおもわれます。この智慧と禅定を互いに深めていくことによって、そこにおのずから出てくるところの人生の智慧、人生の分別というものが規範になって、それに基づいて、これは正しい、これは間違っておるということが、おのずから明らかになってくるのであります。この八正道を踏み行うことによりまして、やがては、その目的である涅槃に達することができる。すなわち、この道徳的な生活が準備となって、目的を貫徹していくという仕方になっておるのであります。(82~84頁)

■ 2 倫理と宗教との相補性

次は、倫理と宗教とが互いに補足しあう、相い補いあっていく行き方であります。これにもいろいろな例をあげることができると思いますが、たとえばその一例といたしまして、原始仏教の経典の長阿含の中に、『ソーナダンダ・スッタ』というのがあります。これはソーナダンダという波羅門に向かって、釈尊がいろいろのことを説法されておる経典であります。その中で、戒と慧の関係を釈尊が説いておられます。戒というのは戒律、慧というのは智慧であります。この智慧というのは、さきほど申しましたように、禅定がその基盤になっておるのであります。したがって仏教全体を大別する場合に、戒定慧の三学と申します。これは伝統的な分け方になっておるのでありますが、戒律の方面からと、禅定、智慧のこの三つの方面から分けまして、これを戒定慧の三学と申すのであります。

戒というのは、仏教生活、ことに原始仏教の場合には、僧侶の共同生活を規定した規則が戒律であります。したがって、狭い意味においてはこれが道徳的生活、倫理的生活といえるわけであります。この戒定慧の三学が互いに並び行なわれて、最後の目的を達成していくということになるのであります。戒は智慧によって清められ、また智慧は戒によって清められる、道徳は人生の智慧によって清められ、また人生の智慧は道徳によって清められる、こういうことを釈尊は説いておられます。つまり、宗教的な智慧と道徳的な実践とは、互いに働きあい、補いあって目的に向かって進んでいくのであります。

話が少しく横道にそれますが、これについて昔からたいへん有名な言葉が『涅槃経』の中に見えております。忍耐というのは、じっと耐え忍ぶという一つの道徳的な規範でありますが、この忍耐によって最後に人生の智慧、いいかえますと仏教の涅槃が得られるという意味の言葉を伝えております。『雪山(せつせん)に草あり、名づけて忍辱(にんにく)となす。牛もし之(これ)を食めば、即ち醍醐を生ず」。雪山というのはヒマラヤ山のことであります。ヒマは雪、アーラヤはそれをたくわえておること、つまり雪の蔵というのがヒマラヤの意味であります。昔の人は雪山と申しております。雪山に草がはえておる。どういう草かというと忍辱という草である。これは臭いニンニクのことではない。これは忍耐であります。これに近いように思われる言葉で、実は全く意味の違った言葉に我慢というのがあります。我慢するというのは、非常に近いようで、実は反対の概念であります。我慢というのは、自我意識が強くて、何くそと思いながらも、じっとそれをおさえるのでありますが、この忍辱というのは、そうじゃなくて、忍ぶ、じっとそれに耐える、これが忍辱の行であります。忍辱というのは、六波羅蜜の一つであります。

雪山に忍辱という草が草がはえておる。その草を牛がムシャムシャ食べるとついには醍醐を生じた。醍醐というのは皆さんご承知と思いますが、牛からまず乳を出す、乳から酪ができる、酪から生酥(しょうそ)ができる、生酥から熟酥ができる、最後に醍醐を生ずる。これは譬え話でありまして、実は仏教全体を低い教えから高い教えへと五つに分けて、この譬えをあてはめているのでありまして、その最も高い教えが、すなわち醍醐であり、究極の涅槃であります。

日本人の名前にも醍醐という人があり、また五つありますから五つの味、五味、これも日本人の名前になっておるほどに、醍醐や五味は私どもに親しまれております。このように、醍醐というのは究極の悟りの境地、究極の教えをいうのであります。私どもの日常の諺に、「石の上にも三年」といことがいわれます。この世の中で、苦しい目にあい痛い目にあって、それを避けないで、じっとそれに耐え忍んでおるうちに、いつの間にか、自分の腹の底から開けてくるものがある。それを大事に育てていくと、それがほんとうの智慧に変わってくる。ここで牛というのは、われわれのことでありますが、ちょうど牛が忍辱という草をムシャムシャ食っていくうちに、それがだんだん牛の血となり、肉となって、ついに、ほんとうのおいしい醍醐の味が出てくるように、石の上にも三年、五年、十年と、じっとわが人生に耐えていくうちに、何か知らぬが自分の心の底から明るいものが開けてくる。何か言葉では言えないけれども、内から放たれていく気持ちというか、開かれていくものがにじみ出てくる。それを一所懸命、大切に育てていくわけであります。それがやがては人生の大道に達する、ほんとうに公明な開かれた世界、自由な世界に生まれていくことができる、こういう意味のことを表しているのであります。

では、もとへ帰りまして、『ソーナダンダ・スッタ』の中で釈尊が説かれておりますところの戒とは何か。これは初歩的と申しますか、最も原本的な道徳の規範であります。たとい仏教者であろうと、キリスト者であろうと、儒教のひとであろうと、老荘の人であろうと、あるいはまた宗教に全く関係のない人であろうとも、誰でもがこれを守らなくてはならぬ、人間にとって最も基本的な道徳、これを釈尊は説いておられます。

たとえば次のように禅定の四つの段階が説かれているのであります。すなわち、われわれの心は平常たいへん乱れておる。水にたとえますと、ちょうど水面に波が立っておるように絶えず動いておる。自分では静かだと思っておっても、よく観察してみると、われわれの心の面がいつも波立っておるのでありますが、まずいろいろな欲望を離れ、またいろいろな不善を離れる、そうするとわれわれの心は分別はまだ残っておるけれども、なんともいえない喜び、なんともいえない楽しみが起こってくる。これがまず第一の禅定であります。それから次に、その禅定をだんだん深めていきますと、今度は分別もなくなってくる。そうして心は静かにやすらかなものとなって、その境地から生まれてくる喜びあるいは楽しみ、それをわれわれは味わうことができます。これが第二の禅定であります。それからその禅定を深めてまいりますと、次に喜びもなくなってくる。そうして楽しみだけが残ってくる。そうしてわれわれの思いは正しいものとなる。これを正念、さきほど八正道に出てまいりました正念、これが第三禅定であります。さらにこの禅定をいよいよ最後までおし進めていきますと、もはや苦しみもなく楽しみもなく、ただ心は清浄となり、この清浄となった心の中に真実の智慧が生まれてくるのであります。心の騒ぎや心の波立ちが全く静まり果てた心の中に、ほんとうの智慧のともしびがともってくる、これが第四禅定であります。

このように、戒定慧の三学が並び行なわれていくのであります。つまり、道徳生活を訓練していくことによって宗教生活が浄(きよ)められ、また反対に、われわれの心を深めていくことによって道徳的生活が完成していく、このように宗教と道徳が、互いに働きあい、補いあっていく行き方であります。(84~87頁)

■ それから第三には、いままでは宗教、道徳というものを段階的にかんがえたり、あるいは並び行なわれておるように見たりしてきたのでありますが、ここには、われわれの人間生活の中に一本はっきりした筋が通っておる。その筋というのは智慧であります。これにつきまして、釈尊がこういうことを申しておられます。「この世の中で人間の最高の富は何であるか」。この問題に対して釈尊は、「この世の中では信仰が最高の富である」といわれております。信仰については、また後に触れるかと思います。

それから次の問題は、「どのように生きることが最高の生活であるか」ということでありますが、これに対して釈尊は「智慧によって生きるのが最高の生活である」と答えておられるのであります。

ところで、智慧によって生きるということが、もう少し大衆仏教の中で味わってみたいと思います。『般若経』という経典があります。これは「智慧という経典」の意味であります。これにはいろいろの系統の経典が存在しており、大きいのでは、『大品般若経』六〇〇巻、小さいのでは私どもが常に親しんでおる、わずか二百何十字というごく短な『般若波羅蜜多心経』に至るまで、さまざまの『般若経』があります。般若というのはご承知かと思いますが、サンスクリットでは prajna 、パーリ語では panna と申します。これが智慧の意味でありまして、般若という漢文の音訳になったのであります。その『大品般若経』の一節に、智慧を中心にしていろいろな倫理生活が描かれておるのであります。そのいろいろな倫理生活の中枢を貫いて、一本筋金が通っておるのが、この智慧、般若なのであります。

たとえば次のようなことが説かれております。まず、自利と利他に分けて、その自利についてであります。自利というのは、自分の利益だけを考えるという意味でがないのでありまして、自分がまず個人的に道徳を守り、宗教の目的を貫徹するように努力する、これを仏教では自利と申しておるのであります。その自利的なものといたしまして、たとえば、瞋(いか)りの心を離れる、怠惰な心を離れる、それから散乱心を静める。そこから煩悩とか業障を離れて、われわれの心が障りのないものになる。業障というのは、働いても働いてもわが暮らしが豊かにならない。努力しても努力しても、人づきあいがうまくいかないこれをわれわれは宿業として感じてきたのでありますが、そういう業の障りや煩悩を離れて、心が自由になる。あるいはまた過去、現在、未来の無数の真理をきわめていく。あるいはまた六波羅蜜、すなわち布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧などを行じていく。この六波羅蜜は、仏教における大切な徳目になっております。まだそのほかにいろいろな徳目が説かれております。

以上は自利行でありますが、これに対して利他行、すなわち他人のためにつくすことが説かれています。たとえば、盲の人を見えるようにしてあげる、つんぼの人を聞こえるようにしてあげる、口のきけない人をきけるようにしてあげる。それから、狂者、精神に異常のある人を平静にしてあげる、心の乱れておる人を静めてあげる。貧しい人には施しものをする、裸の人には着物を与える、飢えておる人には食事を与える、のどの渇いておる人には水を与える。病んでおる人には病気を治療してあげる、迷悶者には心の迷いを解いてあげる。そうしてわれわれは、一切の悪をやめて一切の善を行じていく。このようにして、あたかも互いに父母、兄弟、姉妹のように助けあっていく。これが利他的な方面の徳目であります。ここでは、倫理的な問題に関するものだけをあげてみたのでありますが、そのほかにいろいろな世界観や人生観が説かれております。

つまり、ここには人間のいろいろな道徳的な生き方、あるいは人生観や世界観が述べられているが、結局、その根本は般若であり、真実の智慧であることを強調するのであります。その智慧から、さまざまな倫理的、個人的あるいは社会的な道徳生活や人生観が建設されていく、ということを説いているのであります。これは、いったいどういうことであるかと申しますと、どんな世界観、人生観を持つにしても、またどんな道徳的な生き方を実行するにしても、その人生観や生き方に全く執着しない、それに少しもとらわれない。これが『般若経』が求めてやまなかった、また説いてやまなかった人生の智慧なのであります。そしてこれが、さきほど述べました釈尊の精神にただちに通じていくのであります。

インドの大乗仏教の先覚者として有名な人に、竜樹菩薩、ナーガールジュナがおります。この人は西暦一五〇年から二五〇年ごろの間にインドに出た大乗仏教の先覚者で、その後、インド、中国、日本に発達した大乗仏教の源泉になる人でありますから、その思想は、非常に広い範囲にわたっておりますけれども、その基づくところは、般若の空にきわまるということができましょう。その竜樹の弟子にダイバという人がある。このダイバがどれだけ空の教えを体得しておるかということをテストするために、鉢にいっぱい水を張って、竜樹は木陰に隠れて見ておったのであります。そこへダイバがつかつかとやってきました。ものかげから竜樹は、いったいどういう動作をするだろうかと、それを見つめておったのでありますが、ダイバがその水を張ってあります鉢のところへやってきて、いきなり一本の針を取り出して、スッとこの水のなかに投げ入れ、そのまま立ち去っていったのであります。それを見ておった竜樹が非常に感嘆しまして、「ダイバはこれほどまでに空を体得しているか」といって喜んだというのであります。

つまりその針というのは、実はこの自分のことでありまして、いま自分は、いっぱい張ってある人生という水の中を懸命に泳いでおるのでありますが、どんな境遇に出会っても、ちょうど針が水の中をスッと通っていくように、ちっともベタつかない、とりもちのようにくっつかない。スッとどこまでも限りなく智慧が展開していく。それは、その根本の動力が執着を離れている智慧の力に存するからであります。その智慧の力というものが一本スッと通っておりまして、それを中心にわれわれの人間生活、あるいは、さまざまの世界観、唯物論にせよ、唯心論にせよ、観念論にせよ、論となったらそこに執着しておることになるかもしれませんが、ともかく、われわれの生活や世界観が無限に展開していく、そういうふうな積極的な力の展開ということを、この『般若経』は教えておるのであります。(91~91頁)

■ 4 倫理と宗教との一体性

それから次に、第四の見方といたしまして、宗教と倫理とというものが一つの全体性、あるいは一つの社会性となって働いてくるという場合であります。これにつきまして、多少話がむずかしくなってくるかと思いますが、大乗の戒律に三聚浄戒(さんじゅじょうかい)ということがいわれております。一つには摂律儀戒(しょうりつぎかい)、二つには摂衆生戒(しょうしゅじょうかい)、三つには摂善法戒(しょうぜんほうかい)。摂律儀戒は一切の戒律を守っていくこと、これは従来の戒律であります。摂衆生戒は衆生のために尽くすという戒律、摂善法戒は、一切の善を実現していくという戒律で、最後には仏教の根本の目的であるところの真理を実現していくのであります。(92頁)

この三つの方向から人間生活を規定しておるのでありまして、この三つで人間生活の全体性、あるいは社会性という問題を考えていくことができると思うのであります。この三聚浄戒(さんじゅじょうかい)につきましては、いろいろな経典や論の中に見えておるのでありますが、ここでは聖徳太子に親しみのある『勝鬘経(しょうまんぎょう)』から拝見してみたいと思うのであります。その中で、勝鬘夫人が仏に対して自分のわきまえておりますところの三聚浄戒を申し上げておる箇所があるのであります。それをちょっとここで御披露しましょう。

勝鬘夫人が、まず摂律儀戒(しょうりつぎかい)につきまして、たいへん幽遠な人生観を述べているのであります。すなわち、今日ただいまから悟りを開くまで、戒律をおかそうという心を起こさない、あるいは他の人々の環境や持ち物に対して慢心を起こさない、あるいは衆生に対して腹を立てない、あるいは他の人々の環境や持ち物に対して嫉妬心を起こさない、こういうことを夫人が語っております。これは主として自分の個人生活に関係のある事柄であります。したがって、これは自利、太子のお言葉では自行であります。

次の摂衆生戒(しょうしゅじょうかい)、これは大志のお言葉では化他、他の人々を教え導く、すなわち利他であります。これにつきまして勝鬘(しょうまん)夫人は次のように申します。私は今日から悟りを開くまで、自分のために財物をたくわえることをしない。貧しく苦しんでおる衆生を救うために財物を用いる。また、今日から悟りを開くまで、自分のために四摂法(ししょうぼう)、これは布施、施しものをする。愛語、穏和な言葉を語る。利行、他人のために利益になることを行なう。同事、他人のやっているおることに同化して、それと一つになる。これが四摂法でありますが、この四摂法を自分のために行ずることをしない。必ず一切衆生のために、むさぼり、はらだち、愚痴の心を離れて、衆生を受け入れる。あるいは、一切の衆生が孤独でさびしがっておったり、病気で苦しんでおったり、その他さまざまな困難や苦痛を受けておる場合には、しばらくも捨てないで必ずこの人々を安らかにしてあげる、これが摂衆生戒(しょうしゅじょうかい)であります。

最後に摂善法戒(しょうぜんぼうかい)と申しますのは、これは太子のお言葉にもありますように、正法を摂受(しょうじゅ)する、正しい道を受け取っていくことであります。すなわち、今日から悟りを開くまで、正しい道を受け取って、ついに忘失しない。正法を忘れないで大切に育てていくうちに、ついに永久に凡夫地を超えることができる。凡夫地というのは、われわれの現在の状況のように心の迷っておる境地であります。その心の惑うておる境地を、永遠にスパッと超えていくことができる。ただ忘失するようではだめ、またときどき思い出すようでもだめでありまして、毎日毎日この正法を受け取ってこれを大事に育てていく。そうすれば必ず凡夫地を超えることができる。このような三聚浄戒によって仏教全体の行き方というものをまとめておるのでありまして、ここに、自分も他人も、あるいは個人も社会も、その全体がこの倫理、宗教によって規定されていくのであります。

以上、この項目で四つの場合を考えてみたのであります(92~94頁)

■ 四 倫理すなわち仏教

最後に、人倫のおのずからなる道理を実現していくことが、そのまま宗教であり、そのまま仏教であるという見方であります。いいかえれば、倫理がすなわち仏教であるという立場であります。これは、実はいままでお話ししてきました釈尊の仏教や、あるいは大乗仏教が、根本からいえばそうなっておるのでありまして、人間として踏み行なうべき道がそのまま仏教である、あるいは、私どもの社会生活の中に、本来のものとしてあらわになってくる道理が、実は仏教であるといえるのであります。

たとえば、中国の大乗仏教として独自の立場を開きましたものに天台宗、華厳宗がありますが、その天台宗では、私どもの生活の真実の姿を追求していくことが、その根本の目的になっております。そして、その真実の姿を十分に明らかにしてみれば、目に触れるもの、耳に聞こえるもの、これすべて中道でないものはない。中道というものは、根本中心の大道であり、仏の道であります。また、資生産業ことごとく仏道でないものはない、といわれております。つまり、私どもが、毎日毎日、電車にゆられて会社にゆく、会社で仕事をする、家に帰ってみんなと楽しむ、それが一つ一つみな中道であるということに徹していくのであります。

また、もう一つの華厳宗では、事事無碍法界(じじむげほっかい)ということを申します。事というのは、これも私どもの生活経験の一つ一つ、あるいは、いろいろな事柄の一つ一つのことで、その一つ一つが互いに無限に関係しあって、世界全体が流動していく、これが事事無碍法界であります。この道理を生活経験の一つ一つに照らしてよくのみこみ、心の底から納得していくのであります。そして、わが生活の全生命を限りなく展開していくのであります。これが華厳における仏道であります。したがって、いま申しました天台や華厳という立場から見ますと、人間相互の生活の道理、すなわち倫理が、そのまま仏教であるということができるのであります。

では、この人倫の道を実現していくことが、このまま仏教であるという場合に、どこにわれわれの心のすわりを置いたらいいのであるか、これもいままで述べてまいりました。

たとえば『般若経』におけるところの般若波羅蜜、人生の智慧、あるいはまた、いまお話いたしました『勝鬘経(しょうまんきょう)』におけるところの摂受正法(しょうじゅしょうぼう)、正しい真理を受け取っていく、その般若とか摂受正法ということで十分なのであります。それで十分なのでありますが、ただ私は、ここにあらためてわれわれの心のすわりとして「信」と「行」ということを立ててみたいのであります。

さきほど申しましたように、釈尊が『スッタニバータ』の中で、人生の最上の富は信仰である、信であるということを申しておられるのでありますが、信ということは原始仏教以来大乗仏教に至るまで、たいへん重要な仏教の根本になっておる問題であります。しかしまたそれだけに、信よいうことはいろいろな意味を含んでおるのであります。けれども、よく用いられておる信の意味を一応区別してみますと、だいたい次のような三つの意味にまとめられると思います。

その一つは、パーリではサッダー、サンスクリットではシュラッダー。これが、普通われわれが言っております信頼、英語でいいますと faith とか belief とかいう言葉になるかと思います。私どもの人間関係で申しましても、信頼ということがヒューマン・リレーションの根本になっておることに気づくのであります。私どもの経験から申しますと、この信頼の基本には誠実ということがあるのではないかと思います。人間の誠実がお互いに通じあって、そこに信頼という関係が生まれてくるのであろうと思います。人間の誠実がお互いに通じあって、そこに信頼という関係が生まれてくるのであろうと思います。それに比類して考えてみましても、仏は真実であり、仏法は真実であるから、その真実の上に立って、われわれはおのずからそれに信頼するということになるのではないかと思います。これはやはり、一般の宗教で申しますところのいわゆる信仰、信ずるという意味に近いのであろうと思います。ところが仏教の信の意味は、決してこれだけに限るのではないのであります。

第二は、パーリでがパサーダ、サンスクリットではプラサーダ。これは古来、伝統になっている信のいみであります。すなわち「信トハ澄浄ノ義ナリ」といわれております。信とは、底の底までスッと澄みとおり、澄みきっている。この境地が、伝統的に伝えてきた信の性格であります。その性格は原始仏教の中にも生まれておるのであります。どこまでも澄みきって、裏表なしに澄みとおっておる、それは、無我の心であるからそうなっているのであります。純粋無垢というか、清浄第一というか、これが信の第二の意味であります。

そこで信の第三の意味は、これがたいへん重要な仏教の信の特徴をあらわしておるものでありまして、パーリではアディムッティ、サンスクリットでは、アディムクティであります。これは、内から開かれてくる心の智慧でありまして、それがそのまま信なのであります。したがって、信が必ず智慧につながっております。これも原始仏教以来、信をあげる場合には必ず智慧がそれにくっついて出てくるのでありまして、信と智とは離れえないものになっています。なにがなんでも信ずる、とにかく自分ではわからぬが盲目的に信ずるというのとは、根本的に性質を異にするのであります。そうではなくて、そうならずにはおれずに、自分の心の内側からその世界がひらけてきて、おのずからそうなってしまった、こういう性格が信に存しているのであります。これは仏教の心の底からの合理性ともいえるもので、今後、仏教思想が世界的に発展していく場合のエネルギーは、この辺から生まれてくるのではないかと思います。普通いうところの合理主義も、ここまで徹することによって、はじめて生きてくると思われます。自分の心の世界におけるおのずからうなずいてくるところのラチオ、道理、いわば合理性のこんかんというものが、仏教の基本に流れておるのであります。そこから信が生まれてくる。

これは少し極端な比較かもしれませんが、中世初期のキリスト教の護教家に、テリトリアヌスという人がおりましたが、その人の見解として「不合理であるからこそ私は信ずる」ということがいわれております。合理的なものは信ずる必要はない。合理は合理のままだから信ずることはいらない。神は、われわれの道理にはのらない。不合理そのものであるからこそ、私は神を信ずる、というのであります。これは、もとよりキリスト教全体の信を代表しているとはいえませんけれども、少なくとも仏教の信は、そういう性質のものとは根本的に異なっているのであります。仏教の信は、そうではなくて、おのずから自分がうなずいてくる、いいかえれば、内から開かれてくる智慧、という意味を持っているのであります。(94~98頁)

■ ちなみに、ここに信につきまして、『華厳経』の賢首品(げんじゅぼん)という一章がありますが、この一章は、ほとんどを全編にわたって信について語っておるのであります。要点は、信ということにわれわれの人生態度が始まって、その信を育て、信を養い、信によって貫いていくことによって、とうとうその究極の大目的までそのまま行きつくことができるということを、この賢首品の一章は強調しておるのであります。

ここに現代語訳でご紹介いたしますのは、そのほんの一節であります。

「菩薩が菩提心を起こすには、次のようなもろもろの理由がある。仏法僧の三宝に対して深い清浄の信心を有するがゆえに、菩提心を起こす。仏の正法を打ち立て、無上の悟りを得ようと思い、すべての智慧を修するために、菩提心を起こす。深い清浄の信心は、堅固にしてこわれることがない。すべての仏を敬い、正法および聖僧を尊ぶがゆえに、菩提心を起こす。信心は仏道の根本で、功徳の母である。すべての善を増進し、すべての疑いを除いて、無上の仏の道を開き示す。信心は、垢も濁りもなく、たかぶりの心を除き、敬いとつつしみの根本である。信心は第一の宝の蔵であり、清浄な手となって――この手がなければ、せっかく宝の山に入っても、また手ぶらで帰ってこなくちゃならない。竜樹も、信ということを手にたとえております。両手があればこそ、真理の山へ入って十分にその真理を自分のものにつかんでくることができるというわけでありますが――もろもろの行を受ける。信心の人は、すべての執着を離れ、深くて妙なる仏の法を悟り、ありとあらゆる善を行ない、ついには仏の国に至るであろう。もし、信心堅固にして動ずることなければ、身心ともに明るく、ことごとく清浄となるであろう。ことごとく清浄となれば、すべての悪友を離れて善友と親しむであろう。善友に親しめば、はかり知れない多くの功徳をおさめるであろう。功徳をおさめれば、もろもろの因果を学び、その道理を悟るであろう。その道理を悟れば、一切の諸仏に守られ、無上の菩提心を生ずるであろう。無上の菩提心を生ずれば、諸仏の家に生まれ、一切の執着を離れるであろう。一切の執着を離れれば、深い清浄の心が得られ、すべての菩薩行を実践し、大乗の法をそなえるに至るであろう。大乗の法をそなえれば、すべての諸仏に供養し、念仏三昧が絶えないであろう――」

まだずっと続いて、この経典は、信心の力を説いてやまないのであります。ともかく、これだけここに経典を引用いたしますと、皆さま方には、何か信心というものの力がお感じになれたかと思うのであります。

これに対し、行というのは、これはもう引用するにいとまのないほどに、いろいろな方面から仏教は説いておるのでありますが、押しつめていえば結局、生活、生きるということがそのまま仏教の行でありたいと思うのであります。この信と行とは、ちょうど、ものの表と裏の関係でありまして、信を育てていくことによって、われわれの心がますます仏の道に親しいものとなり、それによって、行、つまり生活が導かれて自分の身体にそなわったものとなり、身についたものとなってくると思うのであります。信と行は、ちょうど裏と表で、どっちを離すわけにもいかないのであります。

ところで、日本の仏教には、私どもの生活を統一しているところの根本の大行が伝えられておるのであります。たとえば、念仏あるいは坐禅であります。これは、非常に簡素な、最も単純な形で、われわれの全生活をまとめていくところの行の中の行、大行というものであります。これは、簡素で単純ではありますけれども、われわれの全生活をまとめていく無限の力が宿っているのであります。簡素で単純というもは、東洋人の生活の特徴でもあり、また芸術にも窺えるのではありますまいか。お茶の一服をたてる、謡曲の仕舞、そういうものは非常に簡素ではありますが、むしろ簡素でありますだけに、無限の力、はてしない世界を包んでいるように思われるのであります。このような、簡素にして単純な念仏や坐禅を、毎日毎日繰り返す、この繰り返しが大切なのであります。簡素であるからこそ、繰り返しができるのです。この繰り返しが行の〈かなめ〉なのであります。毎日毎日繰り返すことによって、その行が、自分の身についたものとなってくるのであります。

最後に、現代仏教的倫理の構えというものを、ちょっと申し上げてみたいと思います。つまり、仏教者としてどういう人倫の道理を実現していくべきであるかという問題であります。私はこの原理を同じく『華厳経』の浄行品の中から選びだしてみたいのであります。ところが実は、これは皆様がよくご存知の経典の言葉であります。「みずから仏に帰依したてまつる、まさに願わくは衆生ととまに大道を体解して無上意をおこさん。みずから法に帰依したてまつる、まさに願わくは衆生とともに深く経蔵に入りて智慧、海のごとくならん。みずから僧に帰依したてまつる、まさに願わくは衆生とともに大衆を統理して一切無碍ならん」。これが、現代における仏教的人倫の道理を実現していくための根本の原理になろうかと思うのであります。

つまり衆生とともに、これは聖徳太子の大精神でありますが、衆生とともにまず仏に帰依して、人生の大道を明らかにし、無上の悟りを実現していく、第二には、衆生とともに深く経蔵に入って智慧、海のごとくなる。仏は決して量見の狭いものではございません。自分の経典だけをわがものとする考え方ではありません。それについて申し上げる時間がありませんけれども、仏教の経典はいうに及ばず、キリスト教であろうが、論語であろうが、老荘であろうが、あるいは今日は科学をおいてわれわれの生活は成り立たないので、その科学であろうが、あるいは広く西洋の思想であろうが、そういう経蔵に深く入って、海のような智慧をたくわえていこう。この海のような智慧というのが大切であります。第三には、みずから僧に帰依したてまつる、この僧はサンガ(団体)でありまして、今日の観念でいえば、生きとし生けるものの団体ということになりましょう。原始教団ではお坊さんの集まりをサンガと申しましたが、サンガというのは結び、集まりなのですから、生きとし生けるもの、しばらくネコとか犬もわれわれの仲間でありますが、せいぜい人間だけはこの大サンガに参加して、そうして互いに一切無碍となっていこう。唯仏論者であろうが、精神主義者であろうが、それぞれ人間の生き方であり、考え方であり、そういうものが互いに障りなく融通しあって、この大道を実現していこうではないかというのが、この三帰依文の現代的な根本精神であろうと思います。そしてこれが、将来の仏教的倫理の社会を打ち立てていく根本原理になろうかと思うのであります。(98~102頁)

■ 第五章 インドの宗教と思想

2 インドの伝統

インドの思想の根本問題と申しますと、一口にいえばアートマンの自覚ということに帰するかと思うのであります。アートマンということは、自我の本性、ほんとうの自己という意味でありますが、インドでは、紀元前数世紀からすでにほんとうの自我に目覚めていくという思想が起こっておるのであります。かりにヨーロッパ、あるいはまた同じいんどにおきましても。われわれに関係の深い仏教、ことに大衆仏教の場合と比較して考えてみますと、ヨーロッパにおいてはご承知のように一五、六世紀から、中世の神中心の思想にプロテストしてルネッサンスが起こってきたのでありますが、その中心思想には、自我の発見ということがあります。

それから仏教の場合を考えてみますと、仏教では自我というよりはむしろ無我ということがたてまえになっておるのでありますが、紀元後三、四世紀ごろになりますと、インドにおいて自我の意識、自己意識の問題について、大乗仏教が非常に深い考察をやっております。それは、すなわち唯識思想であります。これは、現代の深層心理学がめざしておる同じ問題領域を、インドでは三、四世紀ごろから世親とか無著(むじゃく)とかいうようなすぐれた思想家たちが追求したものであります。

ところで、ルネッサンス以来起こってまいりましたこういう自我とか、あるいは仏教の唯識において明らかになっておりますところの自己意識を。アートマンと比較してみますと、そこには大きな違いがあることを知るのであります。この問題は、たいへんむずかしい問題になってきますが、自己の本性、自我の本性というこのアートマンは、たとえばデカルトにおける自己意識とか、あるいは仏教の唯識で唱えられましたマナ識、つまり自我意識というものとは根本的に違うのでありまして、少なくとも自己あるいは自我という意識がある限りにおいて、それはアートマンとは全く違うものである。つまりアートマンというものは、いかなる意味においても、自我とか自己とかいうような意識ではないのであります。

紀元前数世紀に、すでにインドにおいて瞑想的な文献としてあらわれておりますところの『ウパニシャッド』の中で、アートマンはそれ自身全く純粋無垢である。またアートマンそれ自身、決して死ぬことまなく、また生まれたこともない、不生不滅である。これがアートマンの本性であるということを、種々の形で『ウパニシャッド』は主張しておるのであります。決して自己意識ではなくて、目覚めており、純粋無垢であり、不生不滅であり、そのままがすなわち自分である。ここに目覚めるということが、古代以来現代に至るまで、インド人が追求してきたところの窮極の目標でありまして、そういうアートマンに目覚め、自分に気がついてみれば、そのままが絶対者ブラフマンであります。いいかえれば宇宙全体である。ラーマクリシュナも、ヴィヴェーカーナンダも、オーロビンドも、血みどろになってそれを真実の上において、ガンジーは自分の活動している社会において、実現しようと努力してきたのであります。

たくさんの『ウパニシャッド』の文献の中でも。ウッダーラカとヤージニャヴァルキヤはすぐれた誓人といわれておりますが、その一人のウッダーラカが自分の子供のシュヴェータケートに向かって、アートマンを一つの譬えによって説明しております。ニヤグローダというのは亭々としてそびえ立つ非常に大きな樹木の名前でありますが、そのニヤグローダの小さな実をシュヴェータケートに持ってこさせまして、「おまえその実を割ってみろ」と申します。シュヴェータケートは、お父さんの前でニヤグローダの実を割ってみますと、中から小さな実が出てきたのであります。お父さんはさらに、「もう一つそれを割ってみよ」といいますので、子供がまた小さな実を割ってみますと、さらに中から目に見えるか見えないほどの芽が出てきたのであります。そこでお父さんの(ウッダーラカは、それがアートマンである、汝がそれである、といってアートマンを説明しておるのであります。つまり、亭々として天を摩するような大木になるニヤグローダも、そのもとはといえば、目に見えるか見えないほどの小さな芽でありまして、それがやがて大きな樹木になるのでありますが、その小さな芽こそ実はアートマンである。しかもそれが汝それ自身である。先生と弟子とひざづめで真理の説明を伝えておる光景を、このように描写しておるのであります。

このような、自己の本性であるアートマンをほんとうに自分が自覚し、ほんとうに自分がそれによって生活していくということが実現いたしますと、そのままがすなわちブラフマンであり、絶対者であり、世界全体である。ありとあらゆるものがアートマンでないものはない。見たり聞いたり、また経験したりすることすべてがアートマンであり、またブラフマンである。そういう自覚に達することを述べておるのであります。

また別の『ウパニシャッド』では、アートマンを五つの段階に分けて、第一の段階から第二の段階、第二の段階から第三、第四、第五の段階というふうに次第にアートマンの意味が深まっていく、そのプロセスを述べておるのであります。

まず最初の段階のアートマンは、食事から成り立っているアートマンであります。われわれは、生きている限りにおいて食事をとらなくてはならない。われわれは霞を食ったり露を吸ったりする仙人ではなくて、具体的に生きておる人間である以上、われわれの身体も、あるいはその精神も食事によって養われておる。つまり食事から成り立っておるところのアートマンが、最初の段階のアートマンなのであります。

それから少し意味が深まってまいりまして、次は、呼吸から成り立っているアートマンであります。呼吸ということは、インドにおいては非常に古くから注目されておるところの重要な人格訓練の方法になるものでありまして、これは仏教においても受け継がれ、中国でも、わが国でも、禅定の作法において、呼吸を統制していくことは非常に重要な要目になっておるのであります。また中国では、インドとは別に古くから呼吸法が行われております。

呼吸をととのえることによって、われわれの人格を訓練し、向上させていくという方法は、インド、中国、日本において発達しました独特なものでありまして、おそらく西洋には見られないものではないかと思います。有名なドイツの実存哲学者であるカール・ヤスパースが、第二次大戦後、『真理について』という大部な書物を書きまして、その中で東洋人の呼吸というものに注目いたしまして、これは東洋独特なものであると賞讃しております。

このような呼吸は、実際にはわれわれが吸ったり吐いたりしている呼吸でありますが、これが深められてきて、生理的、物理的な呼吸から次第に内面的な生命というほうにまで、つながっていくのであります。

第三のアートマンは、心から成り立っておるところのアートマンであります。これは第一、第二の段階のアートマンに比べてみますと、第一の段階のアートマンはわれわれの身心を養っておるところの食事に着目しており、第二の段階のアートマンでは、呼吸はついには命につながるわけでありますから、第一よりもさらに内面的になっており、それから第三の心から成り立ってアートマンは、さらに内面化して、われわれの精神自体、心自体というものに目をつけて、そこにアートマンの実体を見ているのであります。

ところで、第一、第二、第三のアートマンは、われわれがアートマンを自覚しようと、自覚しまいと、これは誰しもそういう生き方をしておるわけでありまして、食事をとっており、呼吸をしており、そしてまた、われわれは心を持って活動しております。これは、悟ろうと迷っていとうと、等しくこのアートマンはそういう形で動いておるわけであります。ところが、第四の段階になりましてはじめてアートマン自体を自覚していく。もともとアートマンは目覚めており、解脱しているのであるが、しかしそれをわれわれは知らない。第四の段階において、はじめて自己自身に目覚めて、気がつくのであります。これは、智慧から成り立っているアートマンといわれるものでありまして、智慧とは、人生いかにして生くべきか、という智慧であり、結局は、アートマンの自覚であります。

その真実の自己に目覚めてみれば、われわれはただ歓喜だけである、ただ喜びだけであるということに気がつくのでありまして、これが第五の段階の歓喜から成り立っているアートマンであります。

こういうふうに『ウパニシャッド』では五つの段階のアートマンを描いておるのであります。最初は物質的、外形的、具体的なアートマンから、次第に精神的、内面的、無形的なアートマンのほうへ深まって、最後には真実の智慧、真実の歓喜のアートマンに達しておるのであります。

ここでわれわれが気をつけておかなけければならないことは、いま申しましたように物質的なものから精神的なものへ、外形的なものから内面的なものへと次第に深まっていくのではありますけれども、実は食事から成り立っておるアートマンについても『ウパニシャッド』の哲人たちは、食事というものを単に物質的なものというだけではなくて、絶対者ブラフマンとしてこれを礼讃しそれにぬかずいているのであります。また呼吸についても、その呼吸を絶対者として、ブラフマンとして讃えているのであります。ということは、一面からみれば、物的・外的なものから内的なほうへアートマンが次第に深まってはいきますけれども、また他面からみれば、実は食事は食事で絶対である、呼吸は呼吸で絶対である、われわれの心は心で絶対である、また目覚めた智慧、目覚めた喜びはそれ自身としてぜったいである、ということを『ウパニシャッド』の哲人たちは主張しております。しかも食事をとる時に、食事は単に物質ではなくて、絶対者として讃えてこれをいただく、という態度に、彼らの深い宗教性が見られるのであります。

われわれの人生の航路を振り返ってみますと、二十代のわれというものは、三十代のわれに向かって次第に前進していく。また四十代のわれは五十代のわれに向かってさらに人格が向上し、われわれの精神が深まっていくわけでありますが、しかしまた一面からみれば、二十代の現在は二十代として絶対であり、三十代の現在は三十代として絶対である。四十代のわれまた、四十代われとして絶対であります。また小学生は、単に中学生の予備段階ではない。中学生は、高等学校、大学の予備校ではない。それぞれの時代は、それぞれとしてかけがえのないものであり、われわれは、現在、現在を絶対的なものとして大切にしていかねばならない、ということを教えているようであります。(113頁)(2 インドの伝統、おわり)

■ 3 近代インドの復活

こういうふうなアートマンを具体的に実現していく方法が、古代インドから行われてきましたヨーガであります。ヨーガという言葉はいろいろな意味を持っておるのでありまして、実践、実修、修練、あるいはその方法、あるいはその道、あるいはまた精神統一、というように、多義にわたっているのでありますが、もともと結合、ユニオンの意味を持っております。ヴィヴェーカーナンダは、このヨーガの問題を四つに分けて述べております。第一はカルマ・ヨーガ、第二はバクティ・ヨーガ、第三はラージャ・ヨーガであります。

簡単に申し上げますと、第一のカルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)は、筋骨たくましい体力的な人、あるいは、自分の立てた理論をすぐ実践に移していく活動的な人にふさわしいヨーガである。そのたてまえは、たとい結果がどうなろうと、成功しようと失敗しようと、そういうことには全く無頓着に自分に与えられた義務を全身全霊をもって遂行していく。その遂行していくという実践の中で、おのずから自分の精神が内から開けてくる、解脱に達する。たとえば、肉体労働にたずさわる人であるとか、会社の仕事に明け暮れしている人などは、ゆっくり思索し、瞑想するひまがない。農夫は大地を耕していく一鍬一鍬のうちに、会社の経営に当たるひとは、その経営に専心していくうちに、おのずから自分の心が開けてくる。これが、カルマ・ヨーガのめざす方法であります。

第二のパクティ・ヨーガ、これは信愛のヨーガ、信仰のヨーガといわれているものでありますが、この方法にふさわしい人は感情が豊かで、美しいもの、崇高なものに対して大きなあこがれを持っている。たとえばすぐれた音楽に自分を忘れて聞きほれるとか、自然の絶景にわれを忘れて陶酔するとか、情緒の豊かな人がパクティ・ヨーガを遂行していくというのであります。これは理屈もなにもない。とにかく、ブラフマン、すなわち絶対者に対して全身全霊を捧げて、その絶対者にまかせ、信頼しきっていく。絶対者にただまかせきっていくことによっておのずから自分の道が開けてくる、解脱の道がうなずかれてくるというのであります。

第三がラージャ・ヨーガ、ラージャというのは王さまという意味でありまして、ヨーガの中心的な構成をなすという意味でラージャ・ヨーガと申しておりますが、これは精神統一の方法であります。呼吸を調節したり、感情や心を統制していく方法を明らかにしております。このラージャ・ヨーガは、人間のタイプとしては自分の精神を分析し、自分の心理状態に深く注意していくような傾向の人がこのヨーガを遂行することによって、やはり同じ最後の解脱に達するというのであります。

第四のジニャーナ・ヨーガ、これは智慧のヨーガといわれているものでありまして、この類型に属する人間は、哲学的、瞑想的で人生の根本問題を深く思索していく人であります。

こういうぐあいに、それぞれの人々の性格、環境、あるいは好みによりまして、自分に最も適切なヨーガを選んでこれを実行していく。たといその方法は違いましても、結局は最後の目覚め、最後の悟りの世界に達することがヨーガの目的であります。ヴィヴェーカーナンダは、きわめて天才的な人物でありまして、この四つのヨーガを自分一人でほとんど理想的な形において実現した人のように思うのであります。(113~115)

■この教えが次第に大きくなり、真実の智慧となってあらわれてくるのであって、彼(岡野注;オーロビンド)はこれを蓮華の花にたとえておるのであります。大きく開いた蓮華の姿、これが完全な真実の智慧であるというのでありますが、現在われわれの心の中にあるものは、開いた蓮華ではなくて、まだつぼんだままの、まだ芽のままの蓮華である。それがヨーガの訓練によって、ある人はすみやかに、またある人はゆっくりと、蓮華が一ひら一ひらと花を咲かせて、ついにいっぱい開ききったのが智慧の完全な姿であります。つまり、アートマンが完全な姿で実現しておる状態であります。そういう教えの原型は、たとえていえば蓮華の芽のようなもので、その芽がわれわれの心の中にしまい込まれておるのであって、決して外から教えをもち込むのではない。その蓮華の芽をできるだけ丁寧に、できるだけ完全に、一ひら一ひらと花を咲かせていく、これが教育の根本であると申しておるのであります。(117頁)

■ 一つにはティーチング(Teaching)、すなわち教導でありますが、これが第一の資格である。これはどういうことかというと、先生が相手に向かって教え込むということではない。むしろ相手を目覚めさせる、これが教導の根本趣旨であります。教師は相手の内部にあるところの真理の芽を萌え出さしめるに必要なものだけを相手の中に投げ入れて、その神聖な光に目覚めさせるのであります。ギリシャのソクラテスは、産婆術ということを教育の根本と考えております。先生は産婆のようなもので、すべての人々は自分のおなかの中に真理の子供を宿している、産婆は真理をつくり出すものではなくて、手がもげたり、足がきれたりしては、産婆の役はつとまらない。それが教育の根本であるということをソクラテスは申しておりますが、ちょうどそれに似たようなことがここで考えられておるのであります。

二つにはエグザンプル(Example)、すなわち模範でありますが、これはティーチングよりもさらに重要な教師の資格であるということであります。このエグザンプルというのは、教師が自分の弟子に向かって模範を示すということではなくて、教師が生活しているそのまま、あるいは教師の全生活を支配している真理の活動が、そのまま人々に対してエグザンプルとなる、そういう意味をあらわしているのであります。これはティーチングよりもいっそう内的な、いっそう人格と人格との交流しあう教師の資格であります。

三つにはインフルエンス(Influence)、すなわち感化であります。これは第二のエグザンプルよりもさらに重要な教師の資格であると申しております。ここになりますと、教師が一人の人格としてそこに現在していること、ただそれだけで、おのずから人々を感化するというのであります。つまり、その人と接していること、自分の魂がその人の魂と隣接しておるという感じだけで、そこにおのずからわれわれの人格というものが変質してくる、感化を受けてくる。これが教師の最後の、しかも最も重要な資格であるというのであります。

 以上は、教師の資格でありますが、しかし問題は、そのような理想的な先生はなかなか得られない、また、かりに得られたとしても、結局は、先生は目的実現のための手段であり、補助であり、水路であるにすぎない。したがって重要なことは、自分の内なる教師を発見して、その偉大な力に従っていくことであります。

 第三のヨーガの要素はウトサーハ(Utsaha)、専心であります。これはわれわれがヨーガを実修していく場合にきわめて重要な要素でありまして、絶対者を求めていくことに専心し熱中する、そして全身全霊の努力を傾けるということであります。

このウトサーハに関連して、一つには必須の信仰、二つにはゆるぎのない忍耐、この二項目が特に強調されるのであります。この二つを欠いたならば、結局ヨーガの目的は実現することはできない。かなり長い間ヨーガを実修したひとでも、時によると、われわれの人生行路にはいろいろな出来事が起こってきて、われわれの心は曇ることもあるし、よろめくこともある、たといいかなる曇りやよろめきが起こってきても、それを乗り越えていくところの信仰と忍耐、この二つがことに強調されるのであります。オーロビンドは、この信仰ということにつきまして、ともかく最初は、盲目的でもいいから信仰を堅持せよ、いかなることがあっても信仰につまずくな、ということをいうのであります。そのような信仰の堅持が、たがては盲目のヴェールをほどき、真実の智慧を開かしめるのであります。

最後に第四の要素として、カーラ(Kala)、これは時、時間であります。これまでのヨーガの構成要素、シャーストラ、グル、ウトサーハは、実践の問題では非常に深い意味を持っておりますけれども、一応われわれが説明を聞くと納得することができる。ところが、この第四の構成要素であるカーラに対しては、オーロビンドは非常に深い思索を集中しておるのでありまして、なかなかわかりにくいのでありますが、その深い思索を踏み分けてこれを味わっていきますと、いろいろな問題がそれぞれの人生経験の中であじわわれてくるのではないかと思います。

このカーラ、時というのは、一番最初の問題はわれわれの人格の内容であります。われわれは人によりまして環境も違い、性格も違い、能力も違い、社会的な地位も違い、それぞれ異なっておりますが、とにかく自分というものには、無限の過去から行ない続けてきましたところの現在の人格の内容というものをそれぞれ包んでおります。それを彼はフィールド(field)、人格の場と申しております。これがカーラの第一に着目される要点でありまして、この人格内容のフィールドが進行していく、つまり時間的に進んでいく、これが第二のカーラの要素になるのであります。いいかえれば、われわれはいま人生を経験している、この経験の進行が第二の要素であります。

そうしてカーラの第三の、しかも最後の要素は、この全人格をもって我々が経験し、動いておるうちに、おのずから人格の全体の流れを則定するものが感ぜられてくる。それが神聖なるものに、いいかえれば絶対者である。神聖なるもの、すなわち、絶対者というものがカーラの本性であります。

ところが、時とすると、神聖なるものの代わりに、エーゴ、自我がわれわれの人生の測定者としてあらわれてくることがある。このエーゴが、神聖なるものをのけものにして人生の測定者となる時に、われわれの人生経験は常に反撥しあい、融合することができない。これに対して、エーゴではなくて、人生全体を見通し、人生全体を測定するものが神聖なるものである時に、われわれの人生経験はおのずから融合し、おのずから偉大なものに目が向けられその偉大な世界というものを、われわれの人生の中に実現していくということが望まれるのであります。(121~122頁)

■ ⑶ 不二一元論

不二一元論の立場は、人間の思索が最も深い境地に達したものであり、最も高い表現に至ったものであります。それは、哲学と宗教の世界の最も美しい花であります。したがって、ヴェーダンタ哲学の精髄であるといえます。しかしそれはあまりにも深遠であり、高度であるために、大衆の立場とはなりえません。彼によれば、不二一元論は、制限不二論と同じように、神は宇宙の動力因でもあり、質量因でもでもあります。神は創造者であるばかりではなく、創造されたものであります。ここまでは、制限不二論も不二一元論も同じ見解に立つのですが、不二一元論はさらに、この宇宙の神なる唯一の実在である、という考え方に全力を傾けていきます。

この立場では、全宇宙は唯一のじつざいであり、無限なものであり、常に祝福された一者であります。この実在の中で、われわれは種々の夢をみていますが、その夢みている主体こそ、実はこの実在なのであり、無限なのであり、いわゆるアートマン(真の自己)であります。それはあらゆるものを超え、知られるもの、知り得べきものの一切を超えており、われわれはその中で、またそれを通して宇宙を見ているのです。

このような不二一元論は、思想としてきわめてむずかしいものであります。なぜかというと、われわれの理解が、どこまでも主体そのものに立たねばならないからです。その主体がいかなる意味においても対象化できないという点に、そのむずかしさがあります。たとえば、ここにテーブルがある、壁がある、眼の前に群衆があるとします。実はそれらがすべてアートマンであり、唯一の実在なのです。なぜかというと、そのテーブルからその形態と名目をとり去る、また、壁や群衆から同じようにその形態と名目をとり去る、そして残ったものが「それ」(tat)であり、アートマンだからです。ヴェーダーンダではこれを、かれとか、かの女とかは呼ばない。アートマンにはいかなる性もなく、アートマンは純粋であり、常に祝福されたものだからです。したがって、ここでは「あなた」と「わたし」とは一つです。神に対する自然もなく、自然に対する神もなく、また宇宙もなく、唯一の無限な実在が存するのみです。そしてその実在から、形態と名目によって、すべてのものが顕現しているのです。

このように考えてくると、ヴィヴェーカーナンダの思想の中心的な主題は、アートマンの自覚にあるということができます。そして、これが、ヴェーダーンダ哲学の伝統的な課題であります。この目的のために、ヴィヴェーカーナンダはまず自己自身の生命に信頼を持つことを教えます。従来の宗教において無神論とは神を信じないことでしたが、彼は、自己の魂の光景を信じないのを無神論と呼ぶのです。この自己信頼こそ、全宇宙は一体であるという理想を実現するための最大の手助けとなるのです。

ヴィヴェーカーナンダの宗教と思想とについては、なお多くのことを語るべきですが、制限の枚数に達したので、すべてを割愛します。最後に、自己信頼の実践的意味について、彼の言葉を聞きたいと思います。

「まず、このアートマンが聞かるべきである。あなたは、その大霊であるということを、昼も夜も聞け。それがあなたの脈の中に、そして血液の一滴に浸透するまで、またあなたの肉となり、骨となるまで、昼も夜もあなた自身にそれをくりかえせ。《わたしは大霊である。生もなく死もなく、常に祝福され、全智全能にして、しかも栄光にみちている》と。

わたしは、自分の生涯でこのような経験を続けてきた。そしていまもなお経験しつつある。わたしが年をとればとるほど、その信頼はますます強くなってくる。」(138~140頁)

■ それから仏教においても同様で、『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』の中の釈尊の遺言として、「真理をともしびとし、よりどころとして他をよりどころとするな。自己をともしびとし、よりどころとして他をよりどころとするな」といわれている。つまり、真理が開かれるのは、結局、自己自信をよりどころとすることである。私(釈尊)のようなものをよりどころとしたらお前たちはだめだぞ、そうではなくて真理をよりどころとし、自己をよりどころとして、その他のものをよりどころとするな、ということである。ここに、非常にはっきりした釈尊の態度があらわれている。

その後、部派仏教においてはこの観点があまり表面に出ていまくて、大乗仏教になって強く押し出されてくるのである。特にその唯識、これは人間の根本意識、これを強く追求している。また、如来蔵思想、これは人間の中に包まれている仏の性格とというものを追求している。そういうインド仏教、いんどの大乗仏教の展開が、中国にきて華厳、天台、真言という大乗仏教としてあらわれてきて、いちいちはここで触れないが、やはりそこに共通的に見られる態度であるところの主体性の問題がある。(180頁)

第八章 鈴木大拙論

■ 大拙(岡野注;鈴木大拙)はまた、『華厳経』全体に流れているところの根本思想に深い思いをよせている。その思想とは、宇宙におけるあらゆる現象が互いに限りなく関係しあっているということであり、しかもいかなる一つの現象をとりあげても、たといそれが心の小さな動きであっても、また一つのかすかな塵であっても、その中に宇宙全体の影像が宿っている、ということである。「絶対の一点に三千大世界界を含み、絶対の現在に永遠の過去と永遠の未来を含む」(「選集」第8巻)のである。そして「いちいちの塵の中へ、仏はみなことごとく入っていって、あまねく衆生のために不思議をおこす」(同上)のである」(226頁)

■ 2 日本文化・禅・浄土

鈴木大拙は世界人であるとともに、根っからの日本人である。日本の文化を心から愛好し、日本人の精神的能力を深く讃美している。ところで彼は、どういう方面から日本の文化に興味を持ちはじめたのであろうか。前にに下手ように、西洋の思想の中にも禅と同類の世界があらわれているのを、彼は情熱をもって感じとっていた。

その同じ目を日本に向けたとき、大拙のいわゆる禅が日本人の伝統的な文化の中に、思想・芸術・生活のあらゆる方面にわたって、広く深く浸透しているのに気づいた。

この問題を、彼は『禅と日本文化』(正・続)の中にまとめている。この書はもともと英文で書かれたもので、後に邦訳(第九巻)されたが、内外に大きな反響を及ぼしている。ここでは種々の問題が取り扱われているが、ことに禅に関係の深いものとして、美術、武士道、剣道、儒教、茶道、俳句、能などを取りあげており、日本人の自然観を、西行、道灌、良寛などに託して述べている。こうしてみると、禅が日本文化の中にしみこんでいる状況には驚くべきものがある。

ところが大拙は、さらに一歩を進めて、右の考え方を裏返しにしてみようとするのである。それが日本的霊性の問題である。つまり、「禅が日本的霊性をあらわしているというのは、禅が日本人の生活の中に根深くくいこんでいるという意味ではない。それよりもむしろ、日本人の生活そのものが禅的である」(第一巻)というのである。霊性は、心霊の本性が目覚めることによって気づかれるのであるから、日本的な霊性は、日本民族の中に培(つちか)われてきている能力が個人の超越的経験を通してあらわれるのをさしている。

それがすなわち禅の体験に通ずるのであるが、大拙は、そうした能力が日本民族には豊かに恵まれている、と考えている。大拙は、この中で最も純粋に霊性の発現しているものを禅と浄土思想において見ている。

禅と浄土信仰とは、もともと同じ仏教でありながら、これまでの実情は互いに相い反目し、あるいはまた無関心の態度であった。他力信仰を主張する浄土系からいえば、禅は自分の力を頼みとしており、とうてい成仏の可能性はない、また禅から見ると、浄土信仰は、自分の外にアミダという宝を求めるだけで主体性を持っていない、というのである。互いに自分の立場から相手にそう決めているだけで、相手の真相を知ろうとしないのである。

このような事情の中で大拙は、一見対立しあっているように見える禅と浄土の、その内面に活動している日本的霊性を発見し、日本仏教における両者の同一の根源を明らかにしようとした。これによって禅宗の人も浄土に関心を持ち、浄土の人も禅を無視しえないことになって、両者の接近する傾向が生じている。このような着想は大拙自身の大きな開眼であり、実践的仏教の双璧である禅と浄土を内面的に結びつけたという意味で、これを大拙流にみれば、そのこと自体が日本的霊性のきわだった展開であるといいうるであろう。

大拙は、日本浄土教における霊性の完全な発現者を親鸞に見るのである。親鸞の根本思想は、大拙によれば、絶対他力であり、ただひたすら仏の無辺の大慈悲に身をまかせ、その光につつまれていることである、という。

だから、この世の苦しみを厭うて、あの世の浄土に生まれることを願う平安朝の浄土教とは全く質が違う。浄土往生ということは、親鸞にとって単なる方便にすぎない。目的は、無辺の光に包まれているという自覚であり、悟りである。

「つぎの世は極楽でも地獄でもよいのである。親鸞は、歎異鈔でそういっている。これが本当の宗教である。」(第一巻)大拙のいわゆる大地性の宗教である。自分自身は大地から出ており、大地の中にしっかりと根をおろしている、という自覚である。ものの感じ方、考え方が大地的であり、大地そのものが感じ、かつ考える。そこに大悲の光がひらめく、というのである。人間の宗教思想、ことに仏教が親鸞の世界にまで達するには、長い間の道中が必要であった。その親鸞を右のような形で掘り起こしたのは大地の卓見であり、彼の強靭な霊性にまつといってよい。

ここで大拙の仏教観に、ちょっと触れておかねばならない。仏教は、時代的には原始仏教、小乗、大乗となっており、その大乗が各派に分かれていて、互いに全く違った教義を持っている。きわめて複雑である。過去にも仏教統一論が叫ばれたが、事実上それは不可能であった。このような仏教をひとまとめにして大拙はどうみているか。

一九四六年(昭和二十一年)四月二十三日と二十四日の両日に、大拙は『仏教の大意』(第十一巻)と題して、宮中で進講の役をつとめている。そのときの内容が、大智と大悲である。これは、複雑きわまりない仏教の、そのものずばりの裁断である。しかもその裁断の仕方がいかにも大拙らしい。いやむしろ、いかにも日本人的であるといったほうがよい。なぜなら、大智は禅によって代表され、大悲は日本浄土教においてその絶頂に達したからである。彼は、さきに述べた華厳哲学における無限相関の思想にもとづいて、大智と大悲の根源的に一体となることを説きつつ、この二方面から仏教全体をつかまえた。(228~231頁)

■ 3 禅と無心

ここで、大智を代表する禅の思想に触れてみよう。禅は、いうまでもなく大拙の中心思想である。『選集』二十六巻が、ことごとく彼の禅思想のあらわれであるといえる。わけても禅の専門に関する論争が、その中でも十五巻以上はある。これについて詳説することはとうていできないが、彼の禅思想のいくつかの特徴を考えてみよう。

第一に、根本的に重要なことは、これまでも触れたように、禅体験がなければならない、悟りが経験されていなければならない、ということである。われわれの分別的な意識が破れて、超越的な智慧が明らかに獲得されることである。彼自身は二十五歳のときに見性しているが、悟りの要請は、彼の禅思想の大前提であり、終始一貫して変わらない。しかしこのことが、後に述べるように外国人からの批判を生ぜしめるのである。

それでは、悟り(禅)の事実とはどういうことであろうか。彼によれば、禅の事実と禅の哲学とは厳しく区別されている。世の多くの禅学者は、この二つを混同しており、そのために禅の生命を見失っている、という(第二十五巻)。

この点から第二に、禅の事実というのは、生活そのものをさしている。日々の経験そのものである。手を動かし、足を運ぶ、そのことである(第二巻、第二十五巻)。これに対して、手を動かすのは自分である、足を運ぶのは自分である、という意識が出てくると、たちどころに禅の事実は消える。それは分別の世界にすぎないからである。禅の事実は、分別のかかわらない行為そのものである。だから、感覚の世界のほかに超感覚の領域があるといっても、また、相対我を超えて絶対我が存在すると説いても、それはすべて哲学にすぎない、禅の事実ではないことになる。

しかるに、われわれの日常生活は、常に分別にとらわれているから、その分別を突き破るところの禅体験が要請されたのであった。

ところで第三に、このような禅の事実をわれわれの心構えから押していくと、無心という態度が出てくる。彼はこの無心ということに異常な情熱をよせ、常にこの無心の世界にあることにたゆみない精進を重ねていったと思われる。無心の代表的な表現として、彼は好んで次の句を引く。

「竹影、階(きざはし)を払って塵動かず、月、潭底(たんてい)をうがって水に痕(あと)なし」(第十巻)。竹の葉がそよいで、その影を石段の上にゆるがすが、段の上の塵は少しも動かない。また、月がふちの底をうがって影を落としているが、水にはそのあとかたもない。これはいかにも詩的であるが、そのまま無心の世界をあらわしている、そしてこの無心こそ宗教の極致である、というのである。

ここには、もはや無心という態度さえもない。われわれのいかなる態度も消滅してしまって、あたかも木石のごとき観がある。第三者から見れば、とりとめなく茫漠としているが、その人自身にとっては、これ以上確かな世界はなく、これ以上安全の世界はない。それは自分のいかなる態度でもないから、ただ絶対受動的であり、すべてのことがそのまま受け入れられるところの、最もやわらかい心である。道元のいわゆる柔軟心である。

第四に、そのような無心が最も端的に、最も具体的に自覚されるものは、人格そのものである。人格といえば哲学的・倫理学的な観念のように聞こえるが、禅においてはそうではなく、現在、刹那刹那の端的な自己である。禅ではこれを人(にん)という。大拙はこの人(にん)を『臨済録』の中に、まざまざと看取することができた。

たとえば、「赤肉団(しゃくにくだん)上に一無位の真人(しんにん)あり。常に汝等諸人の面門より出入す」。われわれの肉体の上に一無位の真人があって、われわれの五官から自由自在に出入している。というのである。このような人(にん)が明白に認得さるべきである。臨済にいたって、はじめて明らかにこの人(にん)が強調されたのは、さすがであるといえるが、同時に臨済の中にこの人(にん)を発見したのもまた、さすがに大拙の卓見であると考えられる。

彼はまた、徳川時代の禅僧盤珪(ばんけい)の不生禅に深いあこがれをいだいている。盤珪はこれまで一部の人には気づかれていたが、一般に知られるようになったのは彼の紹介による。誰にでもわかる話で不生の仏心を説いたところに盤珪の特徴があり、最も日本人的な禅僧の一人である。

スズメがチュウと鳴けばチュウと聞き、カラスがカーと鳴けばカーと聞く、それが不生の仏心であり、生まれついたままの不生であれば万事解決する、という。ここにもまた、最も端的な現在刹那の人が踊っている。

第五に、これまで述べたような禅の事実を大拙は、どのような形において論理化しようとしているのか。論理は事実をいかに的確にあらわしていても、要するにそれは分別の世界からながめたものにすぎないのであるが、分別の世界にあるわれわれにとっては、論理もまた必要となってくる。無知の知、無分別の分別、無行の行という表現(第二巻)も、知的であり、一つの論理であるが、もう少しまとまった形として、加rのいう論理(第七巻)がある。

これは、いわゆる神秘主義から区別されtるものである。神秘主義は、ごく一般的には、相対的な現実の自己と絶対者(神)に融合するという体験上の思想をさしている。ところが、禅はそうではない。相対的な自己と絶対的な神とが二つあって、それが一つになるというのではなく、相対的な自己のままが絶対的であり、絶対者のままが相対的な自己である。彼は、相対的な現実の自己を個一者と言い、絶対的なものを超個者という。すなわち、個一者のままで超個者が自覚されている。個一者と超個者との二つのままで一つであり、一つのままで二つである。一つのところが即、二つのところが非である。即のままで非、非のままで即、これが即非の論理である。

西田幾多郎は、ただ禅の趣旨だけを論じていく大拙に向かって「もっと論理的に、もっと論理的に」と注意していたが、そうした忠告も手伝って、彼の論理がここまで発展してきたのだろう。後期の西田哲学における絶対矛盾的自己同一の思想に通ずるものがある。(234頁)

(2022年11月22日、了)

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