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『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

『生命の光』 712号

投稿日:2020-12-08 更新日:

『生命の光』 712号

■私たちは、果してモーセやキリストが祈られたほどに、祈っているかどうか。神の子イエスすらも、かく祈られた以上、生来の鈍根な私たちが、祈らずに霊性が向上したりするものですか。(『主イエスの祈り方』手島郁郎)(4頁)

■人間が言葉というものを最高度において語るのは、人に対してではなくして神に対して語っている時であろうとおもいます。「人がその友と語るようにも、主はモーセと顔を合わせて語られた」(『主イエスの祈り方』手島郁郎)(4頁)

■私は自分の机の前に、「人に語らずして、神に語れ!神学者に聴くことせずして、神に聴けよ!」と書いて座右の銘にしています。今年こそは、もっと徹底して神に聴いて生きたい、主の膝下にて祈りたいと願っています。(『主イエスの祈り方』手島郁郎)(5頁)

■私はスンダル・シングやアウグスチヌスのように、独創的な、人真似でない宗教思想を得たい。そのために、いかにしても神に深く祈るのでなければと、常々努めてきたことです。実にこと信仰に関する限り、他人の信仰論の借り物では役に立たぬ。神にじかに聴いた知恵でなければならぬと思います。(『主イエスの祈り方』手島郁郎)(6頁)

■神に聴く者は実に独創的な知恵をもつ者であります。人間のもつ言葉というものは、人間同士で語るためにしか使わないものだと思われるかもしれませんが、もし「人間の言葉は、神と対座して、神に語るためにも持ちいうるものだ」と悟られたら、これは皆さんにとって大発見だと思うのであります。いつも言葉が神に語るものとして、「内的言語」の習慣がつくまでに、常に祈り心地で生きてゆきたいものです。祈りとは、神と語ることにほかなりません。神に語ることが、私たちに第二の天性になるようにと願います。(『主イエスの祈り方』手島郁郎)(6頁)

■悪魔は上手に人を惑わすことを通して、恐れさせます。イエス・キリストが十字架を前にしてゲッセマネで祈られた時に、弟子たちに「汝ら誘惑(まどわし)に陥らぬように眼を覚まし、かつ祈れ」(マルコ伝14章)と言われたのは、このためです。常に霊を目覚ませて、今年は恐れなき歩みをしよう。いつも祈って神的自覚をもち、霊的な武装をしたい。

「悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めよ」(エペソ書6章)。神のご保護があり、神による使命感がある限り、私たちは怖さも忘れます。祈ることが習慣になるほどでありたい。祈らぬから、惑わされて真理を見失うのです。(『主イエスの祈り方』手島郁郎)(8頁)

■神に深く祈るのには、どうすればよいか。結論として、これは神と私たちの心とが正しい関係にあることがいちばん大事です。神様にやましい心で祈っても、祈りは叶えられません。

それから、我意を張るのではなく、神意に従うことを誓いつつ祈るとき、それが栄光の道であり、勝利の力を与えられます。(『主イエスの祈り方』手島郁郎)(15頁)

(2012年3月10日)

-『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

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