『東葛流山研究 第17号』 流山市立博物館友の会
■「精華幼稚園(野田市)園歌」 作詞 三越左千夫、作曲 横山太郎
さいたはなはな チューリップ
きれいなコップの せいくらべ
ちょうちょう ひらひら
みつばち ぶんぶん
すずめもはとも きているきている
みんなのー みんなの ようちえん
せいか ようちえん
ぴいぷう ぴゅんぴゅん はしってく
かぜと かけっこ まけないぞ
ボールが ポンポン
からだも ぴょんぴょんぴょん
じめんを けってー はずむよはずむ
みんなのー みんなの ようちえん
せいか ようちえん
うたが とぶとぶ にぎやかに
まどから かわいい こえがとぶ
ひーとみ きらきら のびのびすくすくと
なかよく げんきで あそぼう あそぼう
みんなのー みんなの ようちえん
せいか ようちえん(16頁)
■道造(岡野注:立原道造)と同じ新川小学校に学んだ伊藤氏によると、恩師の布留川賢良教諭が新川小学校に赴任して間もない昭和4、5年頃、校舎の見回りをしていた時、誰が書いたのかわからないが、校舎の裏手の下見坂に白墨で書かれた妙な落書きが見つかり、それを記憶に留めていたというのである。それは、次のようなものであった。
十六はかなしき年ぞ灰色の
壁にもたれて泣くことを知る
この話を聞いて30年も経て、道造と旧新川村との関係を知った伊藤氏は、はたと気がついた。あれは道造の歌で、書いたのも彼自身ではないかと。(「立原道造と流山」辻野弥生)(29~30頁)
■流山は江戸川に添ふて長く悠々閑々たる町だ。酒屋のおかみさんに屋号のことを訪ねると、「先祖が古着屋だったのでせう」と笑った。酒と目刺を買って、川べりに出て火を焚いて飲んだ。
春の水をガシャガシャと外輪船が掻き廻して行く。対岸は埼玉県、見渡すところ真っ平な野だ。足許には土筆が群生している。焚火のわきでこんがり焦げた土筆を採って食って見たりする。
船頭さんのゆったりした動き。その船に干した赤ンぼのもの。どての上を行く馬士の腕組み、其のあとから随いてゆく車輪の音、家並の間の桃の花。
流山の町を歩いて行くのは春の風ばかり萬物悉く春風に融け込んでいる。〈添田知道〉(『利根川随歩』を書いた反骨の作家 添田知道 山本鉱太郎 より)(57~58頁)
2009年6月14日