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『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

『カオス・シチリア物語』ルイジ・ピランデッロ 白水社

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『カオス・シチリア物語』ルイジ・ピランデッロ 白水社

■かわいそうなベッルーカが収容された保護施設に向う道すがら、私はひとりで考え続けました。

「ベッルーカのようにこれまで『ありえない』人生を送ってきた男にとっては、ふとぶつかった路傍の石のように、どんなに当たり前なもの、どんなにありふれた出来事であっても、途方のない結果を生むことがある。そして、その男の人生が『ありえない』ものだと考えないかぎり、だれにもその説明がつかない。こうしたありえない人生の条件に関連づけて説明しなければだめだ。それさえできれば自ずと単純で明解な説明が現われてくるだろう。尻尾しか見ず、その先の怪物本体を無視する者は、尻尾そのものを怪物と勘違いする。尻尾を怪物に付け直さなければならない。そうすればもはや怪物には見えず、『あるべき姿』に、つまりは怪物にくっついた尻尾に見えるだろう。きわめて自然な尻尾に」【列車が汽笛を鳴らした……】(161頁)

■2日まえの晩、かれはくたくたになって例のソファに身をなげだしましたが、おそらく疲れすぎていたためでしょう、いつものとうにすぐに寝付くことができませんでした。すると突然、夜の深い静寂(しじま)のなかで、遠くから、列車の汽笛が聞えてきました。

30年の歳月を経て、なぜだか突然両耳の詮が抜けてしまったようなのです。

あの列車の汽笛が、ぞってするほど狭苦しく惨めな暮らしを突然引き裂き、そこから彼を引っ張り出してくれたのです。それはまるで、上蓋の取れた墓から飛び出し、周囲に大きく開け放たれた世界の渺茫(びょうぼう)たる空間を、期待に息を切らしながら飛翔するかのようでした。

彼は毎晩かけている毛布に無意識にしがみつきながら、頭のなかでは、夜になると遠くへ出発するあの列車を走って追いかけるのでした。

ああ、あの胸くそ悪い家の外には、あの苦しみの外には、世界があるんだ!遠い世界がいくらでもいくらでもあるんだ!その世界にあの列車は向って行くんだ!……フィレンツェ、ボローニヤ、トリーノ、ヴェネツィア……若いときに行ったこともあるいろいろな町では、今晩もきっと地上でいろんな光が輝いているんだろうな。そう、おれは知っているんだ!あそこで人々がどんな暮らしをしてるか。おれだってあそこでしばらく暮したことがあるんだから!今でも続いてるんだろうなあ、あの暮らし。おれが目隠しされた動物のように粉ひき機の横木を回しているあいだにも、相変わらず続いているんだろう。考えたことさえなかった!おれの世界ときたら、家の責め苦と、窮屈で辛い帳簿付けに閉じ込められていたんだから……ところが今や、激しい溢血でも起ったかのように、世界がふたたび彼の精神のなかに入ってきたのです。この牢獄のなかにいる彼に向って突進してきた瞬間が、でんきショックのように全世界をびりびりと駆けめぐり、彼は、突如として目覚めた想像力ととともに、こうして、世界をあちらこちら辿ることができるようになったのです。有名無名の町といわず、荒野といわず、山といわず、森といわず、海といわず……この時間と同じ振動、同じ拍動。おれがこの「ありえない」人生を送っているあいだにも、地上に散らばった無数の人間は違う人生を送っているんだ。ここでおれがくるしんでいるまさに同じ瞬間にも、雪を頂いた孤高の山々は存在し、夜空に「青藍の勇姿」をもたげている……そうだ、そうだ、それが見える、そのままの姿で、海原がある……森がある……【列車が汽笛を鳴らした……】(163~164頁)

■「それにしても、私になんの関係があるのでしょうね?ツグミがさえずろうと、あなたの小さなお庭でバラが咲き誇ろうと。あのツグミに口枷をかけていただいても、あんなバラ、引きむしっていただいてもかまいませんよ!もしもお出来になれば、ですけどね。だって、小鳥たちがおとなしく口枷をかけられるとは思えないし、この5月のバラを、どこの庭からも残らず根こそぎにするなんて、そう簡単ではないでしょうから……。私を窓からほうり出したいのですか?けっこうですとも、また別の窓から入らせていただきましょう。あなたの戦争が、私にとって、それから小鳥たちやバラや噴水にとって、なにか意味がないといけないのですか?ツグミを、あのアカシアの木から追い払ってごらんなさいな。隣の庭に飛んでいって別の木にとまって、そこでまた同じように、おだやかにたのしげに歌い続けるでしょうよ。あなた、私たちには戦争なんかどうでもよいのです。もしも私の言うことに耳を傾けて、そんな新聞なんかぜんぶ蹴散らしてやる気になれば、そうしておいてよかったと思うときが、きっといつか訪れますよ。なぜって、なにもかも、うつろいゆくものだからです。痕跡くらいはなにか残すかもしれないけれど、でも、ほとんど気づかないていどのものです。だって、春は、いつだってまた同じようにめぐってくるんですもの。いいですか、バラが3本多いとか2本すくないとかいうことはあるかもしれないけれど、いつでも春は春です。人間は、眠ったり食べたり、泣いたり笑ったり、殺したり愛したりするものです。きのう笑ったことに今日は泣き、今日死にゆく者たちをいとおしむ。レトリックだとおっしゃりたいのですね?しかし、レトリックでしかお話しできません。あなたが、今のところはこうも無邪気に、戦争という現実の出来事によってすべてが変わるはずだと信じておられるからです。どう変わってほしいのですか?現実がなんだっていうんです。いかになみはずれていようと、現実は現実にすぎません。うつろいゆくものです。それを超えることのできなかった個々の人間を巻き込んで過ぎ去っていきます。しかし、生命(いのち)は、つねに変わらぬ欲求、変わらぬ情熱、変わらぬ本能とともに留まります。いつも同じだから、まるでなんでもないかのようにね。理性を欠いた盲目的な生命の場合はには、ちょっと厄介ですけれど。この世は過酷なもの。この生命(いのち)はこの世のものです。戦争だろうが地震だろうが、ひとつ天変地異なり大惨事が起れば、生命(いのち)なんてあっという間にふっとんでしまいます。しかし、ほどなくすればまたもどってくる、なにごともなかったかのように。それは、生命(いのち)が、いかに過酷ではあってもこの世のものだからです。自らのおるべき場所を、ほかのどこでもないここなのだと、ずっと前から決めているからです。あの世も、いろいろな理由で必要でしょう。しかし、あの世が必要なのは、とりわけこの世で安らぎを得るためですよ。あなたは今、動揺しておられる、わなないておられる、自分と同じように感じない人間、行動を起こさない人間に怒りをおぼえておられる。声をあげて、すべての人間に同じ思いを共有させようとしておられる。しかし、もしもほかの人にそんな気がなかったら?なにもかもおしまいだとお考えなのでしょう。おそらく、あなたにとってはなにもかも台無しなのかもしれない……しかし、それはいつまでのことです?あなただって、そのために、まさか死にたくはないでしょう。いいですか、空気をあなたは吸っておられる、あなたが空気を吸っても、空気はあなたに、生きていますね、と言っていない。5月という季節に花の咲きみだれる庭で生まれた小鳥たちのさえずりをあなたは聞いておられる。しかし、さえずりや芳香を楽しんでいるときに、小鳥たちも庭も、あなたは生きていると言ってはいない。思考というつまらないものが、小鳥や庭の声を吸い込んでしまうのです。開かれた五感をとおしてあなたのなかに入ってくるこれだけの生命(いのち)に、あなたは気がつかない。そして不平をたれる。なにかご不満なのでしょうか?思考というあのつまらないもの、過去が思いどおりにならず、夢が叶わなかったことへの不満なのですよ。ぶつくさ言っているうちに、人性のすばらしいものがなにもかも、あなたのもとから逃げ去っていくのです!いや、そうではありません。あなたの意識から逃げ去っていくのであって、心の深奥そのままから逃げていくわけではありません。あなたは、そうとは気づかずに、心の奥ではほんとうは生きていて、えも言われぬ人生の喜びを味わっておられるのです。逆境はどれも、思考などするから耐えがたいものとなるのだけれど、それを受け入れられるようにあなたを支えてくれているのは、こうした、人生の喜びなのです。ほんとうに大事なのはこれですよ。大勢の死者を出したあとで、目下のこの混乱がすべて終結したと想定してごらんなさい。明日には、利益を得た者と損害を受けた者、勝利と敗北の歴史が作られることでしょう……正義が勝利するとよいのですが……しかし、それが無理なら?今から1世紀の後に、正義は鬨(かちどき)をあげるでしょう……歴史は、肺活量が大きい。いったん呼吸が止まっても、すぐにまた別のものになっているかもしれません。信じられるものなんてありません。大切なのは、いいですか、そんなことではないのです。ほんとうに大切なのは、無限にちいさくて、かつ無限に大きななにかなのです。嘆きや笑い、そういったものをあなたが、あるいはあなたでないだれかほかの人が、時間を超えて、つまり、今のあなたのかりそめの苦悩を超えたところに、創り出してきたはずです。嘆きや笑いからしたら、この戦争だろうがほかの戦争だろうが、そんなことはどうでもよいのです。戦争なんて、どれもこれもけっきょく同じです。戦争がもたらす嘆きはひとつだし、笑いもひとつでしょうからね」【登場人物との対話――母との対話】(255~257頁)

■私の内で、母のささやく声が聞える。しかし、なんて遠い声なのだろう、

「ものごとを、それをもう見なくなった人たちの目でも、見るようにしてごらん!きっと辛いだろうけれどもね、おまえ。でもそうすれば、めにするものが、もっと神々しく、もっと美しく見えてくるはずだよ」【登場人物との対話――母との対話】(270頁)

(2013年4月21日)

-『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

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