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進水式の父

投稿日:2022-03-21 更新日:

『進水式の父』①

 前日の夕飯時、父から「コウジ、明日の進水式にけえ(来い)」と言われた。私は「うん」と答えたが、父から進水式に来いと言われたのは初めてだ。

 数年前から、造船所は世界のエネルギー事情の変化からタンカー船の受注で、造船国日本に世界から受注は集まった。三井造船所も、ブラジルのメルクス社から、何隻かのタンカーを受注していた。今までの、小さな貨客船と違って、タンカー船は巨大で、鉄板も多く使う。まだその頃は、鉄板と鉄板を継いでいくのに、リベットを使っていた。騒音がでるが、その音を迷惑がる人はいない。むしろ、活気があって、その景気に生活の恩恵を受けている社員の家族も町の人にも、むしろ頼もしく、明るい気分が満ちていた。外が暗くなると、残業のリベットの火花が花火のようだ。小6の同じクラスの、赤松君は、社宅が白砂川(しらさがわ)沿いにあったので、2階の窓から、タンカーの絵を描き、その絵が教室に張り出された。その絵柄も私の記憶にある。(2022年3月18日)

『進水式の父』②

 進水式の日は、何曜日だったか、写真の裏の父が記した日にちをネットで調べると、大安の日なので、そして、進水の時間は、満潮の時間なので、船によって曜日も時間も違うようだ。タンカー船クイーン メルクスの進水式には、お昼ごろ一人で行った。時間を合わせて行った訳ではないので、進水式のセレモニーの時間にはまだ早く観客は、まだ空(す)いている。多くの職工はそれぞれの受け持ちエリアで受け持った仕事に立ち働いている。

 造船所での仕事がどんなものか、小学校6年生の私は知らないので、父親を見つけることができるとはおもわなかったが、観客席の一番前にいた私の前を、偶然父親が小太りの同僚と二人で船首の方に通りかかった。おもわず「父ちゃん」と声をかけると、「やぁ、きとるんかぁ、よう見ていけーよ」と言っただけでそのまま二人で通り過ぎる。

 式典の当事者たちは、一時の暇もなく、急がしく立ち振るまうが、観客の待ち時間はかなりある。だから、時間つぶしに色々観察する。船は満艦飾で、船首から船尾まで万国旗で飾られている。ブラジルの国旗の緑色と地球儀のデザインが目立つ(ネットで調べると、地球儀だとおもっていたのは、星座だった)。メルクス社のタンカーの造船で、ブラジル国旗は当時の玉ではすっかり馴染みだ。船首には大きなくす玉がついている。地上から見上げると、船台の上の鉄でできた船は、とにかく巨大だ。こんな、船底の平でない巨大で重い物体が、うまく海に進水するのか。タンカー船で、急激に大きくなった船を設計し、造り、そして今日進水させるのも、造船所の職工たちのチームワークで自らが考え、実行に移すのだ。どうやるのか、子供の私は興味津々(しんしん)で見ていた。(2022年3月19日)

『進水式の父』③

 船のクライアントと造船所のエライさんの席も船首近くに、櫓を組んで、紅白の幕で飾られて用意されている。

 式が始まれば、流れるようにアッという間に進んでいく。まず、クレーンに吊るされたブランコに、父と同僚の二人が乗って、船首近くに引き上げられる。命綱やガードの網もない裸のブランコなので、下から見るだけで恐ろしい。クライアントの中年の着飾った外人女性が、式典用の銀色の手斧で台の上の綱を一叩きで切ると、ぶら下がったシャンペンの瓶が、船首に当たり割れて、同時にくす玉が割れる。

 それを確認すると、父は笛(ホイッスル)を吹いた。その合図で、何箇所も船台に固定していた、ジャッキのパッキンの材木をハンマーで叩いて外すと、スルスルと船台のレールを滑り下りて、入水した。巨大な船は、そのままでは前の島にぶち当たってしまう。古タイヤをクッションにしたタグボートが何隻かで、進水した船を引き止める。タグボートの中には、奥玉の母方の従兄弟の、三兄弟のうちの二人が乗っているはずだ。

 この一連の進行が、私の目の前を流れるように過ぎてゆく。固くて巨大な鉄の船は、スルスルというよりも、ヌルリと、まるで水に毛皮を濡らした海獣が入水する時のように、角(かど)のない、丸やかな動きで海に進水したのだった。このときの、船とレールの間の滑り材に使った大量のロウの入った混合物は、船を持っている港の子供が、海上から拾っている。

 タンカー船の受注から、船の設計、造船、進水まで、全ての工程をミスなくやりとげていく日本の労働者の、自分の仕事へのモラルの高さと誇りと能力は、他の分野でもおなじだろう。今や、三井造船所玉野工場も他の会社に買収されてなくなり、クイーン メルクスの進水式も、憶え知っている人は私一人だろうなぁ。

 その日のことは、特に父とは話したことはない。父が生きているうちに、この文章を書いて読ませたかったが、それは所詮無理。私自身が後期高齢者になって、父親が子供に見せたかった、見てもらいたかった気持ちが痛いように分かる年齢になってきたからで、セラヴィ(玉にあった、上級船員向けのバーの名前)それが人生さ。(おわり)(2022年3月20日)

 

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