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(24)世界観をきれいにする

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(24)世界観をきれいにする(113頁)

しかし経済から何から、世界はそのもとに経済活動し、そのもとに芸術活動をするのだから、大元の人間の「世界観」そのものをきれいにすれば、仏教的全元論の世界観を世界中の人に解ってもらえたら、世の中が悪くなるはずがない。絵描きは当然、美しいものを目指すだろう。美は、ありありと現成公案しているのだ。秘密も何もない。

公案というのはいろんな解釈があるが、いずれにしても公だから、差別なく、誰にも平等に隠し事無く、オールオーバーにアリアリと現成しているというような意味である。たぶんこの世界はモネの絵のように、セザンヌの絵のようになっているのだ。芭蕉の句のようになっているのだ。その世界を、道元は『正法眼蔵』で繰り返し、丁寧に語っているのだ。

全体として日本では心配は要らない。ホリエモンのように、自分だけ儲けようとしたり、自分の欲望を生きる意味にしたりする人が少ない。卑しい行為、恥ずべき行為をしたらきちんとペナルティーがつく。しかしもし皆が皆卑しければ、卑しい行為も責められない。「あいつ、うまいことやったな」というくらいで、海外では酷い、卑しい行為の歴史が山ほどある。

全体としてはそういうことだ。「全元論」という言葉が、世の中で少しでも使ってもらえればといいなと思っている。意味が理解されて、全元論がいろんな所に使われればいい。全元論が解れば、間違いなく道元も無門関も解る。

ランダムなドットしか見えていないから複雑になっている。ランダムなドットを、西洋では要素還元的に分けていって、根元的な1を見つけようする。根元的な1で成り立つ一元論では、物と精神、人間では肉体と心、数学的真理のような抽象的イデア界が互いに、どちらが本家本元の1かで相争う。西洋では言語も主語と述語がないということはないし、主観と客観とか、二元論的対立に捉えている。それで二元論ができてきたが、そもそも二元論はおかしい。2がもとなんてそもそもおかしいのだ。どう考えても矛盾がある。そこで両サイドをかっこに閉じて、真ん中の現象だけを見る「現象学」というのができたのだ。主観と客観とを一旦はエポケーして、スイッチを切って、棚上げにして、現象のところだけを見ていこうというのが現象学。

フッサールの現象学から、ハイデッガーの実存主義が生まれてきた。イギリスの経験論とドイツ、フランスの観念論とが争い、結局は分けていくとどうしても問題になる。ハイデッガーも、人間のことは『存在と時間』で30代の若い頃に実存で説明した。その後存在一般を、世界や物をきちんと哲学的に進めていくという予定だったが、杣径という草稿はあるが、現実には纏まらなかった。

全元論を知ったらハイデッガーどころではない。分けていく考え方では世界は説明できない。一に一にと分けていく思考では、世界の存在を説明できない。世界がそうでないのだから矛盾を孕む。驚くべきことに、全元論的世界が、今まで孤立して単独に成立していると考えられていた、最先端の数学の世界や物理の世界にも言えるようになってきている。

これから全元論という言葉を「あれ?」と気に留める人が増えてきたら、しめたものだと僕は思う。現状はハイデッガー等の西洋哲学を本流として東洋哲学が貶められているが、とんでもない。お釈迦さまや道元の世界観の方が、哲学的にも西洋哲学よりはるかに正しく、優っている。日本人は数学なども元来、優れているのだ。世界観の大元が正しく素晴らしいからである。何せ日本人に任せると、何ごともきちんとするのだ。自分の仕事に対する情熱とモラルが凄い。スポーツもきちんとイチローが出るし、イチローの言うことはとても東洋的で、修証一等だ。記録だけが凄いのではない。イチローのバットやグラブを作る無名の職人たちの仕事から、イチロー本人や、元愛媛県知事の加戸氏や安倍首相まで、日本人の全元論的世界観持って行為すれば、世界は良くなる。僕の画だって、道元の全元論で良くなったのだから、ましてや世界が良くならない訳がない。

かつて東北大学にドイツからオイゲン・ヘリゲルという哲学者が来て、日本の弓術を学んで『日本の弓術』(岩波文庫)という本を書くのだが、その本によると、全元論的世界が最初はどうしても分からなかったという。禅は日本の武士階級に広まった。仏教は最初のうち、最澄や空海によって貴族階級に広めたが、その後武士階級に、鎌倉仏教となって広まっていく。武道にも禅的要素がある。武道でも茶道でも中身はたいへん禅的である。

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