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(31)方法論(二)

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(31)方法論(二)(96頁)

問題は、その方法論が大事なのだ。ある事象に対して、内部というか下部というか、その現象の構造にどうアプローチをして解明するのかの方法が問題なのだ。

僕は子供のときの体験から、何の事象にもそのような方法論で対処する事を学んだ。コツをつかんだといってもいい。

僕が子供の時のそろばんの体験から、具体的にどう推論して行ったかの例を話そう。今の小学生は、そろばんを知っているのだろうか。僕は、小学校五年生の時に、学校で習った。そろばん自体が道具として面白いじゃないか。僕は別にそろばん塾で習っていなかったけれど、家に帰ってからも、パチパチとそろばんをはじいてみると面白い。そろばんのワークブックも持っていないので、とりあえず1から10まで足してみる。1+2+3…と一人でやった。1+2+3+4・・・と10までいくと55だ。何回かやると、間違いなく55。では同じように100まで足すと…。やってみた。一回め5050。二回め5049。三回め5050。四回めは、5050になる事を願ったが、5051。…僕はこの時、そろばんに興味を失った。

そろばんはワークブックのように答えが別に記されてないと、正解かどうか自分では分らない。あるいは、学校でやったように、何人かでやって「ゴメイサン」と多くの人が言わないと、その答えが合っているかどうか分らない。一人だけでやると、何度やっても答えの確信が持てない。

おまけに、どこで間違ったかが分らないので、最初から1から100までの作業を何度も繰り返さなければならない。

1から100までを足すと答えはいくつなのか。この設問に対して僕はどうアプローチすればいいのか。

たくさんの、メンコやビ-玉を数えるときはどうするのか。それには10個づつのブロックに分ければ、数えやすいし、間違いも気付きやすい。だから、1から100までの計算も、1から10、11から20、21から30・・・91から100と10個のブロックに分けて計算すれば、今度は僕一人でも正解に到達できるだろう。

やってみた。1から10までは、答え55。11から20までは、こたえ155。21から30まで、こたえ255。アレレ…。55、155、255…では31から40までの答えは355か?予想通り355。もうこれで後は計算しなくてもいい。答えを、表に書き分けると数列の美しい構造が立ち現れてきて嬉しくなった。最後に、その表をトータルすると、55が10回で550。1から9までを足して45、100の位だから4500。550+4500=5050。これが答えだ。

ここまで、自分ひとりで出来ると、大袈裟にいえば世界の不思議さと美しさに関わりあえるおもしろさに、やめられない。なぜ、下二桁がすべて55になり、100の位が0、1、2、3・・・8、9となるのだろう。この理由はすぐに分った。11、12、13・・・20とノートに書いてその数字をジッと見ていると、11は10と1、12は10と2、13は10と3・・・20は10と10に分けることを気付いた。だから、10が10回で100、1から10で55、100+55で155。21から30は、20が10回で200、1から10で55、だから255だ。…これでも、まだ終わらない。

1から10まで足すのにもっとよい方法はないのか。それは、思いがけなく偶然に見付かった。1、2、3・・・9、10と、数字を等間隔にテープに書いて、紙を半分に折ると、重なる2つの数字の和はすべて11。つまり1+10=11、2+9=11・・・5+6=11。11が5回だから55。1から100までの数を同じように計算すると、101が50回だから5050。この方法で、1から最後の数が偶数の場合はいくら数が大きくてもすぐに総和の計算できる。最後の数が奇数の場合はどうするか。数字を直線上に並べて半分に折ればいいのだから、重なりから余った数字を後で足せばいい。つまり、1から9の場合は、1から8までを計算して、9が4回だから9×4=36、36に残った9を足して45。1を残せば、2+9=11、11×4=44、44に残った1を足せば45。これで、完璧だ。これで、1から1000だろうと、963までだろうとその数の総和は、誰よりも早く正確に計算できる。翌日の学校で、この裏技を隠して、クラスで一番ソロバンの早い女の子に挑戦して、見事勝利を納め鼻高々だった。

これでも、まだ終わらない。奇数の場合と偶数の場合の方法の違いが、どうもおさまりが悪い。奇数の場合はいかにも、力技的で経験的でスッキリしない。きっと、奇数も偶数も同じ方法で解けるはずだ。それは、世界はそうなっているハズだという、幼い時からの経験からの予想だ。それは、中学生になって、またもや偶然に見付けた。こういう発想だ。1から10までの数字を等間隔にトレーシングペーパーのテープに書いたものを、二本作る。その一本を左右逆に裏返して他の一本に重ねると、重なった数字の和はすべて11だ。11が10個で110。すべての数字は二回使ったのだから、110割る2で55。1から9までだと、10が9個で90、90割る2で45。1000までだと、1001×1000÷2=500500。この方法だと、奇数も偶数も同じ方法だ。

絵の場合も同じで、そろばんの方法で絵を描いていると、駄目なのだ。どこがよくて、どこが悪いかという事が分らないし、偶然合っていたり、間違っていたりして、それが正しいのかどうかも判別できないような方法では駄目なのだ。絵は、そういう力技のような、経験オンリーで描いていたのでは駄目。絵だけではない。他の事象でもそうだ。そういう対処で物事にぶつかっていって、ただ練習して経験的に繰り返して上手くなろうとかいう考えは間違い。色々の方向から推論の糸口をみつけ、それを仮説演繹法で、つまり仮説と実験を繰り返していく。

絵を描いていると、そういうことが具体的にしょっちゅうあるのだ。たまたまいい絵が描けたりする。そうすると、もう一枚それと同じ絵を描くのだ。同じ絵を描いていって、同じ過程を踏んでも、良かったり悪かったり、結果は色々。そこで、そのまま放置しては駄目なんだ。何でこれは良いのか、なんでこれは悪くなったのかという、自分で自分の絵を見てそれを特定しなければ、いつまで経っても駄目なのだ。たまたま僕は、子供の時の経験から、名称も知らなかった仮説演繹法を実体験すべての事象に応用していったわけだ。

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