岡野岬石の資料蔵

岡野岬石の作品とテキスト等の情報ボックスとしてブログ形式で随時発信します。

山中湖村だより

山中湖村だより(2016年)

投稿日:2021-03-18 更新日:

(2013年) (2014年) (2015年) (2016年) (2017年)

山中湖村だより(2016年)

 2016.1.07 【新年に】

新年の山中湖行は、5日から今日(7日)まで山中湖村で過ごした。6日は調節池で紅富士を描こうと朝6時前に起床したのだが、曇りで諦め、今回は滞在中ずっとアトリエで過ごす。そのおかげで、2点完成させ、柏に持ち帰った。サインも入れたので、明日、最終チェックが終れば、最新作でFBに投稿します。

今回は、イーゼルを立てなかったので、日頃、どんな眼で画のモチーフを探しているか、今回撮った写真を載せます。

1枚目の冬枯の梢は、先日黄葉の作品を描いた同じ木で、5日の午後、アトリエの窓から撮りました。冬空の明度と高度の低い太陽が、幹に横からあたり、この時期、この時間ならではの美しさだ。翌日(6日)条件が良ければ、描く用意はしていたのだが、曇り空で陽が当たらず、次の、好条件に出会った時まで描く予定の作品にストックしておこう。

後の、数枚の写真は、帰柏に、一の橋バス停7時34分発(この時間のバスは必ず10分位遅れる)の御殿場行に10分位前に着き、毎回、湖畔の写真を撮っている場所で、こんな光景は初めて出遇った。こんな光景は、イーゼル画では、時間(太陽の位置と同じ状景の持続時間)と気象条件とで難しいだろうが、同じ場所で1点描いて、アトリエで写真を参考にして描けばなんとかなるだろう。

チャンスの神様は、後頭部が禿げているので前髪しか掴めないが、神様がやって来るコースは、偶然やデタラメではない。少ないモチーフから、絞り出すように画を描くと、すぐに泉は涸れてしまう。日頃から、描きたいモチーフのストックがオバーフローしている状態を保たなければならない。その状態を保持し、そして、チャンスの神様の来るコースを予想して待ち構えていれば、イーゼルを立てるチャンスにきっと出遇えるだろう。これは確実なことだ。だって、過去に私が、何度も経験しているんだもの。

 2016.1.14 【外光での初仕事】

今回の山中湖行は、12日から今日(14日)まで山中湖村で過ごした。着いた日の12日は小雪。翌13日は、ゴミ出しがあったので、朝食後、いつもの時間より遅く、調節池に行く。途中の山中の山神社の祠に、初詣をして、お賽銭(500円硬貨が小銭入れに無かったので、千円札を奮発した)をあげてから、お礼をいった(何せ、数々の美しい光景を、モデル料タダで用意してくれるんだよ)。調節池のいつもの現場で、一旦イーゼルをセットしたのだが、晴れていても山頂は隠れて顔をだしそうもない雲がでているので、富士山を描くのは諦める。このまま帰ろうとしたのだが、まだ1度も描いたことはないが、目を付けていた途中の道に寄ってみたら、前日の雪と、時間が遅いぶん道に光が当たり、十分に画になる予感で、あらためてF12号の縦構図でイーゼルを立てる。冬木立の間の空は、現場で追うのは無理なので、アトリエに帰ってから、埋めた。

終って一服して窓の外を見ると、先週写真を投稿した、冬木立に当たった光がベストなので、急ぎ、M6号のキャンバスを張って、描いた。こちらの絵も、細い枝先と空をどうやって描くかが問題だが、そのスキルには、いまや自信を持っている。完成への過程で、ちゃんと出来るだろう。

かくて、今年の外光での初仕事は終わり、新しい年が動き始めた。さて、今年の新作は何点できるかなあ。

 2016.1.21 【富士(194)】

今回の山中湖行は、19日から今日(21日)まで山中湖村で過ごした。着いた日の19日は、柏では前日大雨だったが、山中湖は大雪で、行帰り兼外での仕事用の軽登山靴に、滑り止めのソールを装着してアトリエに行く。歩道は、除雪した雪で狭くなり、路面はアイスバーンでスパイクの付いたソールでなければとても危なくて歩けない。2014年の12月29日に、帰柏の同じ道で滑って転んだので、今回は慎重に歩いた。

この冬はこれまで富士山頂の雪が少なかったので、翌日(20日)は、前日タップリと冠雪した富士山を描こうと、大きめのキャンバス(M25号)を張って、朝7時26分発のバスに乗るためにバス停で待つ。しかし、寒さのなか、1時間たってもバスが来ない。富士吉田の街を通って、山中湖に来るので、凍結した道路で渋滞しているようだ(今日の帰柏も1時間遅れた)。こういう時の、決断は迷う。折角待ったのだから、というのと、このまま待ち続けても予測(バス会社に電話しても駄目だった)がつかないので、1時間経ったら、諦めて帰ろうと決め、ちょうど、イーゼルを担ぎ直したところで、直線道路の遠くにバスが見えた。

平野で降りて、平野浜に行ったのだが、いつもの場所は、積雪と風でイーゼルが立てられず、しばらくウロウロと周りを捜して、やっと一カ所積雪の上だが、踏み固められた足跡の上にイーゼルを立てた。描画のセットをすれば、心が落ち着く。湖の前の雪のホワイトは想定外で、かえって、いい絵になるかもしれない。

出る時に、ウエストポーチを着け忘れたので、現場の写真が撮れなかったので、アトリエに帰って、塗り残しを埋めた作品の写真を、載せました(ケイタイで撮れることを後で気付く)。

朝出る時に、トイレの凍結と、給湯器系統の水が出ず、帰って色々手をつくしたのだが直らず、結局大家さん(水道関係の仕事)に電話をして復旧した。

今回は、雪と寒さの土地の、暮しにくさに心が少し萎えた。ゴッホもセザンヌもマチスもルノワールも南仏の陽光溢れる土地で過ごしていたし、富士山ももうすぐ200点を超えるので、今年の秋を過ぎたら、今度は伊豆の下田の方にアトリエを移そうかな。

 2016.1.28 【富士(195)】

今回の山中湖行は、26日から今日(28日)まで山中湖村で過ごした。昨日(27日)は、平野浜に出かける。最初、先週と同じ場所で描こうと思って行ったのだが、目の前に、除雪した汚れた雪の集積があるので諦め、いつもの、廃ボート横にM25号のキャンバスでイーゼルを立てる。この日は、天気も安定していて終始雲がかからず、風もなく、山中湖にしては暖かい一日だったので、ゴキゲンな描画だ。岸近くの水面は、一部碓氷が張り、湖面全体の階調及び、風景の写り込みに微妙な変化があったが、眼に沿って素直にヴァルールを追って、絵具を置いた。

帰りは、平野バス停で1時間以上の待ち時間があったので、朝昼兼用の食事を、11時頃から『マルタカ』で食べる(生ビールと餃子、ラーメンと半チャーハンの昼定食)。ここの、食事は美味しいし、店内でタバコが吸えるでありがたい(換気扇の下に席を移したが)。美味しいコーヒーもあって、飲みたいのだが、帰り道の途中の喫茶店の愛犬チョコが、私に気付くと「寄って、寄って!」とキャンキャン鳴いて素通りできないので、『ソレイユ』でコーヒーを飲んでアトリエに帰った。

こんな、穏やかで恵まれた情況で描画できれば、なんの不満もないのだが、タンペラマンの老化による減退か、夜明け前の紅富士を描きに行くのに、最近はついつい決断がつかず踏み切れない。夜明け前の寒さと、キャンバスとジュリアンボックスを担いで、現場まで雪道を歩くのが億劫なのだ。来週、天候の条件が合えば「行くぞ!」と気力を鼓舞し、昨日、アトリエに帰ってから、キャンバスを張った。

タンペラマン!タンペラマン!

 2016.2.04【アトリエに籠って】

今回の山中湖行は、2日から今日(4日)まで山中湖村で過ごした。昨日(3日)は、日の出前の紅富士を描こうと思って、前日から完璧に準備をして、朝5時半に起床したのだが、富士山頂も、東の空(夕焼けと同じで、太陽の光が、東の雲に遮られると、冠雪が美しい紅色にならない)も雲が多く、現場に出かけるのを諦めた。天気予報は晴れなので、午後から、太陽が山裾に落ちる直前の富士山に予定を変えて、アトリエで溜まっている、完成途中の絵に手を入れていたのだが、結局、この日は終日外に描きに行けなかった。

今日の、一ノ橋のバス停で、小さな判断ミスをおかしたが、そのせいで冬の帰柏の、ベストルーティーンが決まる。冬のバスは道路の凍結などで、時間の遅れが常時生じるが、この日は、7時34分通過の「御殿場」行きのバスが20分遅れ、その前の7時26分通過の「道志小学校」行きのバスが7時40分頃通過した。その「道志小学校」行きをやり過ごしたが今朝の判断ミスなのだが、そのバスに乗っていれば、途中の「旭が丘」バスターミナルで下りて、そこの室内で、次に来て通過する「御殿場」行きのバスを待てば、椅子もトイレもあるし、到着のアナウンスもしてくれるので、寒い中を立って待つ必要もない。来週からの冬期の帰柏は、これで決まり。

どうだ、こんなことにも気が廻る私は、今年古希だが、頭は衰えてはいないゾ。

写真は、帰りの上り御殿場線の車窓から。撮った写真は、それぞれに、私には狙いがあるのだが、略します。

 2016.2.11 【富士(196)】

今回の山中湖行は、9日から今日(11日)まで山中湖村で過ごした。昨日(10日)は、先週描けなかった日の出前の紅富士をねらって、朝5時半に起床、天候の好条件を確かめて、現場に6時半頃セットした。何度同じような状景に出会っても、美しくて心が湧き立つ。

しかし、この状景を描くとなると大変ですよ。空の色も、冠雪のピンクも、手前の林の調子も、短時間に変わってゆく。こういう時(いつも)の描画のコツは、バタバタしないこと。圧倒的な自然災害に遭った時と同じで、パニクったり、美しさへの感動や、描写力の不安に、身体的に同調しないで、自我を放下して、描写にベストを尽くす。決して、画家の自我の要求を、画面に入れてはいけない。自分の眼に見えた通りに、色も調子も画面に筆を置く。自我を殺して、眼に殉ずる。

真理の前に、自分も自由も創造も無いように、美の前に、自我も、自由も、創造もないことを身体に言い聞かせなければ、イーゼル画は、現場で一(ひと)タッチも画面に置けませんよ。

 2016.2.18 【富士(197)】

今回の山中湖行は、16日から今日(18日)まで山中湖村で過ごした。昨日(17日)は、先週に続いて日の出前の紅富士をねらって、朝5時に起床、天候の好条件を確かめて、現場に6時15分頃セットする。私にとっての、この冬の紅富士の最後の作品になるだろうから、キャンバスのサイズはM25号で、イーゼル画では大きめのキャンバスを用意した。

紅富士を描き終わって、空の色も変わり、冠雪の紅色も白く反射して、冬空のなかの白い山頂がまだまだ美しいので、合せて持って行った、P20号のキャンバスで描こうかと、一瞬逡巡したが、齢だねえ……、アトリエに帰って、ストーブの前で、コーヒーとタバコを一服したい。折角、天がタダで美しい風景を用意してくれているのに、タンペラマンのない老画家で、ゴメンナサイ。

この欄には写真を載せますが、当日撮った紅富士の動画を3本、別枠に投稿します。

 2016.2.25 【今年最後の雪か】

今週の山中湖行は、23日から今日(25日)まで山中湖村で過ごした。昨日は調節池で冬晴れの富士を描こうとP20号のキャンバスを張って準備したのだが、小雪がちらつく曇り空で諦め、今回は滞在中ずっとアトリエで過ごす。そのおかげで、2点完成近くまで進め、柏に持ち帰った。サインも入れたので、近々、最終チェックが終れば、最新作でFBに投稿します。

昨日の小雪も夜になって、本格的な雪になっていたらしく、今朝は、道路上には消えていた雪が再び積もり、帰りに乗る御殿場行きのバスが1時間遅れた。50分遅れの一本前の道志小学校行きのバスで、旭丘バス停に行き、その後の御殿場行きのバスに乗ったのだが、その前に、新宿行きの高速バスが、旭丘のバス停から出発した。高速バスを使うルートは、予約電話、あるいは営業所で予約しなければ自由に乗車できないので、帰柏のオプションから外していたのだが、今朝のような雪や、冬の道路凍結の渋滞の時には、帰りのルートの一つに加えて考えようとおもう。

でも、今年の山中湖の雪は今日でもう最後だろう。御殿場線の松田では桜祭り(河津桜)、御殿場では梅の花も咲き、山北駅の線路脇の土手の水仙も咲き終わりました。季節は、着実に春に向っている。

写真は、先週手をつけた『富士(197)』に、パレット上の色のタッチを加えたもの。

 2016.3.03 【富士(198)】

今回の山中湖行は、1日から今日(3日)まで山中湖村で過ごした。着いた日(1日)の昼頃、富士山があまりにも好条件の視界なので、急ぎ調節池に出かける。この時間に、富士山を描くことは珍しいので、同じ所で描いても、新しい発見があって何度描いてもイーゼル画は楽しい。

青色は、緑に向う方向と、紫に向う方向ががあるのだが、この時の空の色は、青紫だから、バジターブルー+ホワイトで描く。冠雪は太陽の位置で、大沢崩れの影が、早朝の陰影と違ってほとんど見えない。裾野も、青紫のトーンでディテールがとび、手前の冬木立も逆光ぎみでディテールの調子が単調で描きやすい。なんだか、思いのほかいい絵になりそうだ。

翌日(2日)は、今回の山中湖行で、朝の富士山をM20号で描こうと、キャンバスを張って予定していたのだが、天気は晴れだが、山頂が雲に隠れ、一日アトリエで過ごす。前日、1点描いておいて良かった。

その日(2日)、太陽が山頂の真上に来る頃(3時半頃)雲が消えたので、アトリエ裏の伐採地で、写真だけ撮っておいた。このシチュエーションの富士山を、調節池で描こうと思っているが、イーゼルを立てる機会が、前景が冬木立の間に、間に合うだろうか。この日も、一瞬、調節池に行くのが、頭をよぎったのだけれど、少し雲が消えた時間が遅すぎたのと、その前に、アトリエで途中の絵に集中していたので、現場に出かける気力が湧かなかった。

 2016.3.10 【富士(199)】

今回の山中湖行は、8日から今日(10日)まで山中湖村で過ごした。着いた日(8日)の3時頃、富士山の真上に太陽が位置する状景をねらって、急ぎ調節池に出かける。特殊な光で、冠雪の反射の位置が、刻々変わるので、F5号の小品のキャンバスで手早く描いた。画面に光源が入ると、実際の明暗の差に比べ、絵具では変換可能な明暗の幅が狭いので、全体になまぬるい感じの画面になってしまうが、キッチリ物感を描き切れば、なんとかなるだろう。翌日は雨で、今回は結局これ1点。

今回の往復の足は、3月から新しく運行され始めた、東京駅発中央道経由山中湖行の高速バスを使った。3月一杯は、期間限定キャンペーンで片道1000円なので、この足を使うが、4月になれば、元の御殿場線経由に戻します。いつもなら、柏のアトリエの日常空間のまま、山中湖のアトリエに行くのに、高速バスを使うと、他の客の、観光や出張や旅行気分に影響され、いつもの同じ空間が違ってみえる。美校生時代の東京の町と下宿住まいのモラトリアムな生活感覚によく似ていて、若いときの的外れな世界観と、勘違いの行動の思い出が湧き、悩まされる。

東京駅に着いて、東京ステーション美術館の『モランディー展』を観て柏に帰った。モランディーの絵は、1989年、鎌倉の神奈川県立近代美術館の『モランディー展』で初めて観てから、ズッと注目していたが、その当時の美術の世界を席巻していたイズムやその画家達の凋落ぶりに反して、モランディーの評価は、ますます上がるだろう。モランディーは静物画が有名だが、風景画はもっといい。いい絵を観ると、自分も頑張らなければ、と、生きる元気が湧いてくる。

 2016.3.17 【富士(200)、富士(201)、富士(202)】

今回の山中湖行は、15日から今日(17日)まで山中湖村で過ごした。着いた日(15日)は、晴れていたので、先週と同じく、3時頃富士山の真上に太陽が位置する状景をねらって、急ぎ調節池に出かける。特殊な光で、冠雪の反射の位置が、刻々変わるが、先週F5号のキャンバスで描いた記憶がまだハッキリあるので、今回は余裕がある。このまま、時間が経過すると太陽は富士山の向って右裾に落ちていって、それも絵になりそうだが、そうなると太陽の前後(奥行)の位置が、山の後になるため、山全体が逆光になり、冠雪と山裾の明暗の差がシルエットで青くつぶれてしまうため、画興がいまいち湧かない。富士の200点目は、P12号のキャンバスの縦構図で着手した。

翌日は薄曇りの空で、山頂が出たり隠れたりで、アヤシ気な天気だった。S4号とF5号のキャンバスを合せて、調節池の周りの、雪の残る(15日の雨は、山中湖では雪だった)道と富士をねらって、山頂が出なければ、その時はその時で、考えればいいやと出かけた。前日1点描いたので、余裕がある。S4号で描き始め、富士山頂の部分が、見え隠れしていたが、後半、雲が切れて全貌を現わす。描き終えても、まだ山頂が顔をだしているので、F5号のキャンバスも絵具で埋めた。

東伊豆でイーゼル画を始め、御殿場、山中湖と富士山も200点を超え、スキルの蓄積は多大で、どんなモチーフ、どんな状況も、私にはこれは描けないかもしれない、という怖れがなくなった。三昧の境地で、絵を描くことは楽しいよ。

冬の雪は、軽登山靴でも大丈夫だが、春の雪は長靴でないと濡れてしまう。15日も16日も、雪上で描くので、ホームセンターで買っていた、作業用のアリゲイターのゴム長靴を履いて現場に行ったのだが、やっと、この長靴の出番がきた。こんなことも、嬉しいことだ。

 2016.3.24 【富士(203)】

今回の山中湖行は、22日から今日(24日)まで山中湖村で過ごした。昨日(23日)は高曇りながら、富士山頂が隠れていなかったので、7時26分一の橋バス停通過の“道志小学校”行きのバスで平野浜に描きに行った。富士山の絵も200点を越えて、前もって狙いを持った状景はほとんど描き尽くしたので、今回は予断を持たず、現場でのインプロビゼーションで絵を描くつもりでいつもの平野浜に着いた。

現場に立って、興奮した。風が無く、湖面全体に逆さ富士が写っているのだ。嬉しくなって、P10号のキャンバスに急いで筆を走らせ、そして、写った逆さ富士の状態のいい時の、湖面の写真を撮っておく。なにしろ、湖面の状態は、風や舟の波紋ですぐに変化してしまう。私が山中湖の逆さ富士に出遇ったのは、昨日が初めてだったが、部分でなく湖面全体が鏡のような逆さ富士は、これはもう滅多にないできごとであろう。

対象を描き尽くした、なんて思ったことを反省し、これからも謙虚にイーゼルを立てることを富士山に誓願した。

 2016.3.31 【富士(204)】

今回の山中湖行は、29日から今日(31日)まで山中湖村で過ごした。昨日(30日)は先週と同じく、7時26分一の橋バス停通過の“道志小学校”行きのバスで平野浜に向かった。晴れてはいるが、春先の白っぽく霞んだ空で、それはそれで美しい。絵の後半から風が止み、時折逆さ富士が湖面に写る。P10号のキャンバスを持ってきたのだが、これならばもっと大きなキャンバスをもって来ればよかったと思ったのだが、近々(逆さ富士は、冠雪の白がポイントなので、雪融けで稜線が出る前に)来る時には、大きめの横長のキャンバスで、湖面が波立っていても、強引に逆さ富士が写った湖面を記憶で描こうとおもう。モネの睡蓮の絵と同じで、湖面より上の本体と、湖面に写った本体の像と、湖面の表面の空間が復層していて、描き甲斐のある状景だ。

9時半頃終わったので、その後は、旭ヶ丘のバスターミナルまで、湖の渚をビューボイントをさがしながら歩いた。写真はかなり撮ったが、富士の入った使えるポイントは一カ所しかなく、冬枯れの間は、平野浜に勝るポイントはなかなか無い。今のところの私の富士山の3大ビューポイントは、パノラマ台、調節池、平野浜で、これがイーゼル画の良いところで何度同じ場所で描いても、同じものは出来上がらないし、マンネリズムに落ち入らない。

また、イーゼル画の宣伝をしてしまった……ゴメンチャイ。

 2016.4.07 【富士(205)】

今回の山中湖行は、5日から今日(7日)まで山中湖村で過ごした。昨日(6日)は、早朝山中湖は霧に包まれていたが、先週と同じく、7時26分一の橋バス停通過の“道志小学校”行きのバスで平野浜に向かった。持って行ったP25号と大きめのキャンバスでは、強風が大敵だが、霧の日は風が弱く、朝霧は時間が経てば消えるだろうから、逆さ富士を描くのに絶好の条件が揃った。水面に写った逆さ富士は、記憶で描くつもりだったが、描画の後半には弱い風も止み、時折湖面に逆さ富士も出現、高曇りの空も、青空が広がってきた。希望的観測がピッタリ当たって、こんな時は、描いている時、思わず口笛がでるネ。

今回は、行きも帰りも、従来の御殿場廻りを予定していたのだが、今朝は雨で、描いたキャンバスを持っていたので、旭ヶ丘バス停から、東京駅行きの高速バスで帰柏した。予約なしでも空席があれば旭ヶ丘でチケットが買えて、帰りの選択肢が増えたので助かる(行きは、予約しておかないと乗れないのでダメ)。もし、高速バスのチケットが買えない場合は、御殿場行きの路線バスがすぐ後に通過するので、それに乗ればいい。

 2016.4.14【アトリエに籠って】

今回の山中湖行は、12日から今日(14日)まで山中湖村で過ごした。昨日(13日)は、曇り、夜になって雨なので、アトリエで溜まっている、完成途中の絵に手を入れて過ごした。この時の作品は、「イーゼル画の技法」で投稿している作品なので別枠で投稿します。

今回の、柏から山中湖の往路は地下鉄千代田線、代々木上原から小田急で新松田、御殿場線に乗り換えて松田から御殿場、御殿場から河口湖行きの路線バスで山中湖一の橋のルートで行った。途中、東海大の新学期が始まったため小田急の混雑がひどく、座れないのはかまわないが、本が読めないのが辛かったので、やはり、来週から東京駅発中央高速道経由の高速バスで往復することに決めた。

今までの、往復のルートは、特に御殿場線には楽しませて貰った。熱海から丹那トンネルを開通して東海道本線が小田原、熱海、三島経由に変更する前は、国府津、御殿場、三島経由の、今の御殿場線が、日本の東西の大動脈、かっての東海道本線だったんだよ。特に山北、谷峨、駿河小山駅の区間は、重機やテクノロジーの満足ではない明治の時代に、このルートを完成させた、かっての日本人の物造りの優秀さと美意識に、いつも感動し楽しませて貰った。

今の御殿場線は単線だが、当然、当時は複線である。だから。鉄橋もトンネルも2つずつあるし、線路も2本あった。その遺構は今も所々に残っていて、電車の車窓から、それらを見つけるのは楽しい。

何度か、通っているのに、2本ずつあるトンネルが、どうしても1本見付からない。それが、今年になって偶然見付かり、1月28日の帰柏の車窓からデジカメで写した。駿河小山駅から谷峨駅に向かって最後のトンネルで、このトンネルの駿河小山向きの口が、離れたところにあり、上りの方向から一瞬しか見えないし、谷峨寄りの口が今のトンネルの隣りにあって、おまけに、それがコンクリートの目隠しがされてあるのだ(ネットで検索してみると、戦時中重要な通信基地が廃トンネル内に設置されていたためらしい)。そして、そのトンネルを谷峨駅から駿河小山駅に向かって出て酒匂川の対岸に別れ、再び離れた橋台の跡を渡って、同じルートに合流していたのだ。これを、見付けた時は、スっとした。心の中で小さなガッツポーズがでたネ。

来週からの高速バスのルートも、今日の帰柏に、昭文社の山梨県の地図を持っていったので、車中は面白かった。徒歩の時代の甲州街道をネットで調べれておけば面白そう。

 2016.4.21 【富士(206)】

今回の山中湖行は、19日から今日(21日)まで山中湖村で過ごした。高速バスで山中湖に来る時に、途中通過する忍野村の桜が見頃だったので、アトリエ近くの、フジ桜(マメ桜)を描く予定を変更して、昨日(20日)は、ふじっこ2号のバスで忍野村に行き、イーゼルを立てた。以前、一度、自転車でロケハンに来ていたので描く場所の見当はついていて、往きはよかったが、忍野八海の周りの道は複雑で、帰りには迷ってしまった。今日の上りの高速バス(高速バスとふじっこ号の路線が少し違う)の車窓から、忍野村でもう2個所ビューポイントを見かけたので、来週桜が散ってなく(散っていれば、葉桜になってから)、天気がよければ、地図を持って描きに来よう。条件が悪ければ、アトリエの近くのフジ桜(マメ桜)を描けばいいヤ。

 2016.4.28 【富士(207)】

今回の山中湖行は、26日から今日(28日)まで山中湖村で過ごした。アトリエに着く途中のバスの車窓からの忍野村の桜は、今回がラストチャンス、もう1カ所のアトリエの近くの林の中のマメザクラは、散っていた。

翌27日の朝は薄曇り、午後から天気予報はますます下り坂だけど、幸い、富士山は雲に隠れていないし、忍野村の桜が今年最後なので、バスで出かけた。観光地なのと、イーゼルを立てた所が、川沿いの散策路の上だったので、横を観光客が通って行く。観光地でイーゼルを立てるのは、描きにくいが、観光地だから、護岸工事がされていない、昔ながらの土手の、清流の川を維持しているのであろう。川面を魚の波紋が時々浮かび、燕も、虫がいるのだろう、川沿いをしきりに飛び交っていて、子供の時の玉野の白砂川(しらさがわ)を思い出す。

空は、花曇りの真白い色で、地味な配色だが、絵の中に桜のピンクが入ると、画面が華やぐ。散り残った桜の花びらは、酒や食べ物の上に落ちるのは、そのまま飲んだり、食べたりして風情があるが、パレット上に落ちるのは、いちいち取り除かなくては描きにくく面倒なのだが、それも贅沢な不満だなァ。

世界にも個人にも、良い事ばかりではない、色んな事が振りかかってくるが、やはり、世界は「真・善・美」の方向に「現成公按」しているということを、イーゼルを立てる度に感じる。

 2016.5.05 【ゴールデンウィーク中】

今回の山中湖行は、3日から今日(5日)まで山中湖村で過ごした。行きは、連休の初日で高速バスは満席、中央高速道は渋滞で、いつもは12時前に山中湖郵便局前に着くのに、2時間遅れて午後2時頃到着した。高速バスの中にトイレはあるが、なるべくなら使いたくないし、道路が渋滞の時は、以前、東伊豆からの帰りに困ったことがあるので、事前の準備は怠りない。高速道路をノロノロ走るバスの中も、途中の跨線橋やトンネルの名前(通常の走行では以前から出来るだけメモしていた)が読み取りやすいので、ネットの『パパが歩く甲州道中』から落とした地図を見ながら、書き入れていっていると、退屈する暇がない。従来の道は、大抵高速道路の下をくぐっているのだが、跨線橋はその前後にもとからあったか、渡すのにどうしても必要な道に違いない(無名の跨線橋が少数あったが、それがそうか)。甲州街道の鶴川宿と野田尻宿の間は、藤ケ崎橋でいったん南に渡り、新栗原橋で北に渡り返すが、途中路端に石碑がある。今回は、渋滞でノロノロ運転だったので、「長峰砦跡」の文字がはっきり読めた。『パパが歩く甲州道中』から落とした地図にも、載っているので、こんなことも嬉しい。誰の辞世の句か知らないが(後でネットで検索します)『面白き、事も無き世を、面白く』だね。

翌日は休日、北富士演習場は山神社の横のゲートが開いて、生業者のみ開放されるので、ロケハンに出かけた。平野浜からはっきり見える、広いカヤトは焼いた後の緑の新芽が、まだ短い。カヤトの原の一面の緑や、枯れ色のイエローオーカーの上の富士山が、ねらい目かな。しかし、近景が単調になるので、道が入るポイントが一カ所なのと、休日しか大っぴらには入れないのと、絵具箱を背負ってかなり歩くのが、チョット辛いが、まだ今のところ体力も気力も大丈夫なので、今年中に何点かは描く機会があるだろう。

今回もかなり写真を撮ったのだが、ホームページもフェイスブックにも写真や動画がアップ出来ない理由が分かったので、いよいよ、近いうちに8年間使ったiマックを買い替えて、その時は、保存している写真をまとめて載せます。

 2016.5.12 【富士(208)、新緑の梢】

今回の山中湖行は、10日から、いつもより1日延ばして、今日(13日)まで山中湖村に居た。季節も良くなったので、来週から移動日も入れて4日間、山中湖で過ごそうとおもう。11日は大雨で、山中湖交流プラザ“きらら”のグラウンドの中にある、白い花咲くズミの木と富士、を描こうと予定していたのだが、出られず、翌日(12日)の天気に期待して滞在を延ばした。

翌日は、朝から快晴で風も穏やか、気分もウキウキとに現地に着いたのだが、肝心のズミの花はまだ蕾で、それならばと、いつもの平野浜でイーゼルを立てた。浜には、東京の私立の小学生の修学旅行の一行が、貸し切りバス2台で到着、富士山をバックに記念写真を撮って、すぐに出発していった。ここに、バスで入ってきて駐車し、記念写真の位置も、手なれていたので、以前からこの学校の修学旅行のコースになっているのだろう。快晴の富士と湖を背景に、修学旅行の記念写真を撮るのは、幸運なことだが、場所の設定と、おそらく朝一番でここに来たのだろう、時間設定(富士山は10時頃から雲が出始める)が的確なので、この旅行のコースをコーディネイトした先生の能力は高い。ズミの花は来週また来よう。

アトリエに帰って、2階の窓からの、新緑の浅い緑の木立と、空と、白い雲が美しいので、P4号のキャンバスを張って描いた。この木を描くのは3枚目(冬木立と茶色く黄葉)だが、あと2枚、盛夏の緑の濃い梢と、黄色く黄葉した梢。空の変化を組み合わせ、画家本人の変化を加えると、一期一会のイーゼル絵画は描く対象が尽きるということがないし、スランプもマンネリズムも無縁である。

今日は、久しぶりに御殿場廻りで帰った。朝のバス停で、今年初めてのホトトギス(トッキョキョカキョク)の鳴き声を聴いた。前日も、平野浜でヨシキリ(ケケチ、ケケチ)の声を聴いたので、山中湖も「夏は来ぬ」だ。

 2016.5.18 【富士(209)、新緑の窓外風景、富士(210)、富士(211)】

今回の山中湖行は、17日から、先週と同じく1日延ばして、今日(20日)まで山中湖村に居た。18日は、先週、花の時期が早かったズミの白い花と、富士山を描きに山中湖交流プラザ“きらら”のグラウンドに出かけた。広場に着くと、珍しく何かイベントがあるらしく、その準備で、機材や人が動き回っていて、イーゼルを立てる場所が有るかどうかに、ヒヤッとしたが、幸い私の描く場所は、グラウンドの外れにあり、カメラマンが数人、三脚を立てて撮影していたので、その端にイーゼルを立てた。遠景の富士山と、近景のズミの木を同じ画面に入れようとするとどうしてもポイントが狭くなるのは仕方ない。絵は写真より時間がかかるので、描画の後半には周りに誰もいなくなり、天気も良く、風も穏やかなので、気持ちのよい時間を過ごした。午後は、2階の窓の外の木々の新緑と、緑陰の階調が美しく、S4号のキャンバスで、描画した。

翌19日は、朝食を食べ、ゴミ出しをしてから調節池に出かけた。近くに歩いて行ける、有力なポイントがあるのは有難い。F6号で「富士(210)」を、F5号で「富士(211)」を、描いた。今年の3月に、同じ場所で、ほぼ同じ大きさのキャンバスで、雪の道と冬木立と富士山(『富士(201)』、『富士(202)』)を描いているので、構図も安心して進められる。マッピング(地図作り)もシッカリと間違いなく作り、何度も通い慣れた道は、鼻歌を歌いながら制作できるし、おまけに、イーゼル画は、現場の状況が一期一会なので、何度同じ場所で描いても、マンネリズムから無縁である。

 2016.5.26 【野の花(F4号、F3号、0号)】

今回の山中湖行は、24日から今日(26日)まで山中湖村に居た。メインの25日は、前日の天気予報は下り坂、朝も、富士山山頂は出ているが、太陽は出ていないので、庭に咲いている野草を切って、久しぶりに静物画を描いた。後で花の名を、調べるが(キンポウゲだった)、園芸種と違って、ヒッソリとチラホラと咲いている野の花も、こうやって沢山切って花瓶に差すと、風雅な美しさを見せてくれる。秋の虫の音を、日本人以外の人は、雑音(ノイズ)の範疇で耳に入るらしいが、「侘び寂び」の感性を持たなければこんな小さな、ジミな花は、絵のモチーフにはしないだろう。全存在が「現成公按」していて、部分(ディテール)にも漏れなく、公平に、行きわたっていることを認識でき、対象と確認し合える、日本人の感性とオリジナリティーには、もっと自信を持っていい。

これから、まだ描いていない花で、近くで見かける花は、シオン、ヒトリシズカ、ドクダミ。こんなモノがモチーフとして、眼に入りだすと、モチーフは無限にあり、いつもキョロキョロと周りを見て忙しい。

 2016.6.02 【朝の雑木林(S15号)、野の花(F4号、F3号、サムホール、0号)】

今回の山中湖行は、5月31日から今日(6月2日)まで山中湖村に居た。昨日(1日)は、朝の太陽が画面に入った絵を描きに、近くの雑木林に出かけた。9月の『イーゼル画会』展の、会場の画廊の窓側に掛ける作品は、逆光になるため、画面を光らせないと、後ろのスクリーン越しの光に負けてしまう。具象では、太陽を画面に入れるのが一番だが、太陽の光が直接眼に入ると、光の前の物は、色が消えてしまう。

この日は薄曇りで、太陽は輝きはイマイチだが、その分前面の林の緑の階調は美しく出ている。翌日(6月1日、今日)、朝6時前に、快晴だったので、写真だけ撮りに同じ場所に出かけたが、昨日も今日も、どちらの光も一期一会の美しさだ。何度も、通うことになるだろう。

朝食後、その日いっぱいを、林の中で切ってきた、ヒトリシズカをサムホール、3号、0号、アヤメとムシトリナデシコとシオンをF4号で描いた。

 2016.6.09 【新作は無し】

今回の山中湖行は、6月7日から今日(6月9日)まで山中湖村に居た。梅雨空で、天気がイマイチなのと、個展の直前なので、今回はズッとアトリエで、溜まっている作品に手を入れて過ごした。そのせいで、アップする写真がないので、近くの雑木林の中で見付けた(私が見たのは初めて)、自然に生えている和製ミントのハッカを写真に撮って載せようと思って現場に行ったのだが、デジカメの充電した電池が入ってなくて撮れなかった。写真は次の機会に、今回は、先週の帰りの途中山中湖で撮った写真を載せました。

今日の帰りは、中央高速道が調布付近の集中工事で渋滞のため、一時ノロノロ運転。通常では読めないが、ゆっくり走るせいで、バスの車窓から、高速道路にも橋の名前が付いていることを発見した。高速道路の跨線橋や、道路自体の橋(高速道路の橋は、どこからどこまでが名付けられた橋なのだろう。連続する高架の道路は橋だらけになってしまうが)、トンネルの全てに名前が付いていることに、またその名前が吟味されていることに、そういうことを疎かにしない、きめ細かい日本人の感性に感心する。三角点や、送電線等は、よくこんなところまでという所にも人知れず設置、点検を行なっている。無名の、末端の仕事師の職業モラルの高さが、日本を支えているのだと安心する。

進歩的文化人の自虐史観の跋扈していたマスコミの情報から、ネットの情報に移り、日本では当たり前のことが、外国では珍しいことだと、最近判ってきたので、日本人は、自信をもっていい。ひるがえって、私自身も美しく、善き仕事(作品)をこの世に現成したい。画家が、聞かれてもいない実存の表現を、大声で叫んでどうするのだ。画家が、美しい作品を描かなくて、何になるのだ。

写真は、先週の『ヒトリシズカ』を描いているアトリエ内。

「山中湖村だより」 2016.6.30 【個展後】

今回の山中湖行は、6月28日から今日(6月30日)まで山中湖村に居た。藤屋画廊での個展が6月14日~6月25日だったので、3週間ぶりの山中湖行だ。梅雨空で滞在中は、外に描きに出かけなかったが、自然の中で過ごすと、もとのルーティンの生活に戻れて、やはり心が落ち着く。来週から、9月の『イーゼル画』展開催まで毎週、いつもの通りに山中湖に通うことになるだろう。

6月2日に描きに行った雑木林は、草が生長して薮になり、同じ場所ではイーゼルが立てられない。朝陽を入れて、もう何点かは描きたかったのだが、草が枯れる冬まで待つしかないのかなァ。

イーゼル画は一期一会の因と縁の出会いで、現成するので、その時の絵は二度とこの世界に存在しない。セザンヌのサントヴィクトワールの絵は、ゴッホのひまわりの絵は、セザンヌやゴッホがいても、サントヴィクトワールやひまわりが存在しても、一期一会の因と縁を描き逃せば、その作品はこの世界に存在していないのだ。だから、天のオファーを、身に感じると忙しい。

「山中湖村だより」 2016.7.07【富士(212)】

今回の山中湖行は、7月5日から今日(7月7日)まで山中湖村に居た。着いた日(5日)と翌日(6日)の朝まで梅雨空で、アトリエに籠って絵を描いていたが、午前10時頃から晴れてきて、日が射し始めたので、イソイソと外に行く準備を始めた。6月2日にイーゼルを立てた『朝の雑木林(S15号)』から約1ヵ月ぶりの外光でのイーゼル画だ。朝起きてから、予定していた描画ではないので、F6号で軽く流した分、楽しさはいや増して、いやー、スッキリした。

来週は、梅雨も終わるだろうから、少し長めに山中湖にいて、外光の中で、三昧境に浸ろうかなぁ。

「山中湖村だより」 2016.7.07【高速バスの車窓から】

今朝の山中湖からの東京駅行高速バスの車窓から撮った写真を、柏に帰ってからパソコンの検索で調べた。場所の説明は、写真に付けました。

大月市にある1997年に開発された山上の分譲地「パストラルびゅう桂台」。

「山中湖村だより」 2016.7.19【富士(213)】

今回の山中湖行は、変則で、7月13日から今日(7月19日)まで山中湖村に居た。着いた日の翌朝(14日)、梅雨空の間の青空なので、いつもの調節池に出かける。ここでの、青空の夏富士は初めてかなぁ。

おあつらえむきに、白い雲が山頂下に出ていて、夏富士の冠雪がない分、雲にホワイトが使えて、画面には都合が良い。結局、外で描いたのはこの1点だけ。翌日から梅雨空に戻り、帰柏まで2階のアトリエに籠りっきりだった。

もっとも、着いた日から、鼻の奥に風邪のウイルスをもらったらしく、イソジンとルゴールも患部に届かず、鼻水と咳で久しぶりに体調が悪い。薬箱をさがしたら、アスピリンがあったので、とりあえず食事の後服薬すると、これがピッタリ当たった。たまにひく風邪は、鼻水と咳に何日も悩まされて苦しむのだが、これからは、この薬に決まりだ。梅雨空で外に出られなかったのも、反って良かった。

「山中湖村だより」 2016.7.26【富士(214)】

今回の山中湖行は、先週とおなじく変則で、7月22日から今日(7月26日)まで山中湖村に居た。23日(日)の朝、ようやく陽が射しているので、この日はバスで忍野(おしの)村に出かける。最近の、高速バスの車窓から目を付けていたポイントは、予想に違わず、迷いも逡巡もなく決まった。ここには、何度か通うことになるだろう。

学校は夏休みに入り、山中湖は運動部の合宿や、別荘族、外国からの観光客でにぎわう。そんななか外でイーゼルを立てると、周囲の、ガチャガチャした空氣が伝わって、なんとなく描きにくい。お盆過ぎの、晩夏の、こころセツない季節までは、仕様がないか。……世界は私(画家)のためにあるわけではないからなぁ。

「山中湖村だより」 2016.8.04【新作無し】

今回の山中湖行は、8月2日から今日(8月4日)まで山中湖村に居た。着いた日の翌朝(14日)、このところの不安定な天気なので、外に描きに出なかった。アップする写真がないので、燃えるゴミのポリ容器を取りに出た時に、何度か描いた近くの雑木林に写真を撮りに出かける。この場所は林の向こうに朝の太陽が入り、このところそれをネラっているのだが、夏の草薮であきらめていたのだ。雑草が背丈以上に生い茂り当分描けないと思っていたのだが、着いた日(2日)に一部草刈りがしてあったので、イーゼルを立てられる場所があるかどうかの下見を兼ねて入ってみた。

大きな切り株の上に乗れば、ほんの少しだが、視点が上がる(目の前の草が視線を遮る)ため、一カ所だけ、かろうじてイーゼルが立てられる場所があり、あとは昇る太陽の位置だけ。今朝、帰柏の途中寄ると、晴れて陽が射し、まさに理想的な位置に太陽があったので、写真に撮っておいた。

あとは、イーゼルを立てるだけである。

「山中湖村だより」 2016.8.12【朝の雑木林(1)】

今回の山中湖行は、8月10日から今日(8月12日)まで山中湖村に居た。着いた日の翌日は祭日(山の日)で、自衛隊の演習地のゲートが、生業の人だけに開放されるので予定していたのだが、スッキリ晴れず、それではと、近くの雑木林でイーゼルを立てた。今回は、富士山が描けない時は、こちらに廻ろうと、前日から心づもりをしていたので、逡巡はない。

この場所では、薄曇りの白い空の作品はすでに描いている。今回は、快晴の空と朝陽と雑木林を描くつもりだが、初めての試みで、林や叢の状況を先に描いて絵具を乾かし、空の状態が理想的な時に、現場で、朝陽と空と逆光の雑木林と木漏れ日にあたった叢をイッキに描こうという予定を立てた。太陽が画面に入ると、光が、太陽の位置によって刻々と変化するので、メチャクチャに忙しい。F25号と大きめのキャンバスを用意したので、そのせいもあって、2回に分けて描こうということだ。どんな方法をとっても、必ず完成させ得る、という自信が、長年の描画の実践と近年のイーゼル画の経験から、一段とアップしているので、難しいモチーフの前に立つほど、心が躍る。

「山中湖村だより」 2016.8.19【朝の雑木林(2)】

今回の山中湖行は、8月16日から今日(8月19日)まで山中湖村に居た。着いた日の翌日は、早朝晴れているので、先週描いた場所にイーゼルを再び立てる。天候は理想的だし、太陽の位置も予定している位置になるまで、時間的に余裕があったので、落ち着いて、焦らず筆を走らせた。先週雑木林と叢(くさむら)の部分の形象は描いていて、また絵具は乾いているので、あとは、光を追っていけばいい。

先週の写真と比べれば判るが、同じ場所でも、まったく光と色が違う。太陽の光が直接目に入ると、対象の調子は白く飛んでしまうし、影は暗く潰れてしまう。しかし、太陽から目を移せば、対象の色も調子も立ち上がってくる。空の青さも同じだ。現場ではこれまでだが、これからアトリエで、組作品ではない単一の平面の完成にまで、もっていかなければならない。

この過程で、イーゼル画の現場での経験が生きてくる。事件は現場で起っているのだから、現場の証拠と記憶に沿って描き進めればいいのだから、完成の方向に迷いはない。(タッチの忘備録のため、数枚の写真は撮りますが、決して、写真の方向に絵を進めてはいけない)

「山中湖村だより」 2016.8.26【富士(214)、(215)】

今回の山中湖行は、8月23日から今日(8月26日)まで山中湖村に居た。このところ天気が悪く富士山の絵が描けなかったが、25日は朝から晴れて、富士山頂も姿を出していたので、忍野村の桂川までバスで出かけた。夏は、晴れて太陽が昇ると、すぐに山頂が広大な富士の裾野に湧いた雲に隠れるのだが、一瞬山頂が顔を出した時を逃さず、かろうじて描写した。忍野村のこの場所は、富士山の見えるポイントは狭いが、桂川沿いの水辺の風景は、富士山が見えなくても何カ所か絵になるポイントがあるので、富士山が雲に隠れても、カラ振りはない。「富士(214)」、「富士(215)」と描き、木々が緑のあいだにもう1枚、Fサイズのキャンバスの縦構図で描きたいのだがどうなるでしょうか。9月には6日から『イーゼル画会』展があって来れないので、来週しか今年のチャンスは残されていない。

この日、帰る時、数本の筆を現場に忘れた。来週行ければ、チビた油絵の筆など、他人が拾っても再利用できないのでまだあるだろうから、来週は、晴れれば富士山を、富士山が駄目なら、水辺の風景を描きにこよう。

「山中湖村だより」 2016.9.02【富士(216)】

今回の山中湖行は、8月31日から今日(9月2日)まで山中湖村に居た。昨日(9月1日)は朝から天気が良く、先週に続いて、忍野村に出かけた。着いて、一番に、先週忘れた筆を探したけれど、残念ながら見つからない。

F12号で縦構図で、描きはじめは山頂がはっきりと顔を出しているので、最初に、富士山から描いていったが、画面の下部を描く頃には、空は晴れているのに、いつの間にか写真のようにすっかり雲に隠れてしまっている。今年は、今月から3ヵ月間、借家の改修工事のため使えないので、ラストチャンスを逃さず、掴まえられて、満足、満足…。

5日の月曜日は、銀座藤屋画廊での『イーゼル画会』展の搬入、飾り付けで、17日の会期中は、できるだけ画廊に顔を出すので、今年のイーゼル画は12月までお預けかな。「山中湖村だより」も再び山中湖に通い出すまで、当分の間休載しますが、その分は、「画中日記」で補うつもりです。

「山中湖村だより」 2016.11.25【借家改修のかたづけ】

今回の山中湖行は、11月23日から今日(11月25日)まで山中湖村にいた。前回の「山中湖だより」が9月2日だったから、約3ヵ月弱ぶりの山中湖だ。今回は、最初から、改修後の室内の後片付けで、絵を描くつもりはなかったので、天候は気にはならなかったのだが、昨日は大雪で、どっちにしても、家の中に閉じ込められていた。

山中湖に行けない間は、鵜原で描いて、外で描くフラストレーションは解消したのだが、来週から、また、富士山を描けることは、やはり嬉しい。おまけに、昨夜の大雪で、冠雪部分が下がり、美しさが増している。鵜原の描画から、ジュリアンボックスをアトリエ用にも揃えたので、「只管打描(しかんたびょう、禅宗の只管打坐からの私の造語)」の三昧境の日々である。

写真は、アトリエの窓から今朝撮ったもの。

「山中湖村だより」 2016.12.02【富士(217)】

今回の山中湖行は、11月30日から今日(12月2日)まで山中湖村にいた。今回は、久しぶりの山中湖でのイーゼル画なので、なんとしても外で描きたいとおもっていた。12月1日は雨で、家で去年描いた洋梨の絵に手を入れて過ごし、夕方から晴れ間が出て、富士も顔を出し、夜も星が出ていたので、今朝は5時に起床していつもの調節池に「紅富士」をねらって出かけた。 先週の雪と、前日の雨(山頂は雪だったろう)で山頂の冠雪は広くて白く、今年のこの時期の富士山は美しい。

寒さと、風と、朝陽を遮る雲などの、天候の条件はベストで、おまけに、家でパレットに絵具を出しておいたので、落ちついて、短時間に変化の激しい紅富士の、大きな自然のシンフォニーに堪能した。紅富士ももう何点か描いているので、色や調子に混乱することなく筆がサバけて、三昧境、極楽極楽、ああ楽しかった。

6時15分頃から7時半頃まで現場で過ごし、お昼頃山中湖の借家を出た。

「山中湖村だより」 2016.12.09【橋のある風景、富士(218)】

今回の山中湖行は、12月6日から今日(12月9日)まで山中湖村にいた。

今回は、平野浜を描く心づもりをしていたので、7日の朝7時26分一の橋バス停発の「道志小学校」行きのバスで平野に行く。天気は、雲海の下の様子の曇り空で富士山は見えないが、雲海は、朝だけで、陽が上ればそのうち晴れるだろうと予想して、いつもの場所でイーゼルをセットした。一旦セットしたが、雲の様子はなかなかとれそうもないので、富士山を描くのは諦め、すぐ近くの山中湖にそそぐ小川(石割山が水源の「一ノ砂川」)のほとりにイーゼルを移した。

富士山にばかり気が取られ、方向違いのこの景色を見逃していた。富士が見えないので、急遽この時出遇ったことは、とんだ拾い物だ。水面の空の写り込みや、小さな橋や、川面から少し出ていた川霧など、変化に富んだ、いいポイントで、今回は、事前のロケハン無しの、「掘り出し物」だった。富士山が雲に隠れた時の、キープだけでなく、今後、四季折々に何点か描いてみよう。

描き終えるころ、ようやく晴れてきて、富士山も顔を出したが、以前なら、合せて持っていったもう1枚のキャンバスに手をつけるのだが、最近は、1枚描くともう余力がない。2010年に東伊豆にアトリエを借りた時は、一日に4枚描いた時もあったのに、さすがに、古希を過ぎると齢のせいか。

左端の、建物は公衆トイレなので画面から外し、実際に瞬間飛び出した野鳥の群と、描き終わって少し出てきた青空は、記憶でアトリエで描き足した。

 

翌日(8日)は朝から快晴、この日も、前日と同じ、パターンで平野浜へ行く。一旦荷物を置き、前日描いたポイントへ、晴れた空の下の様子を写真に撮る。そして、ふり返って、富士山を見ると、一ノ砂川の川口の浅い水面に富士山が写っているではないか。広い湖面全体の逆さ富士は、水面の波の関係で滅多に見られないが、ここでは、頻度が高く見られるだろう。これも、前日の幸運の続きである。

「山中湖村だより」 2016.12.16【山中湖朝陽】

今回の山中湖行は、12月14日から今日(12月16日)まで山中湖村にいた。

山中湖では、朝陽を画面に入れるのは、富士山と反対側の向きなので、先々週下見をしておいた、湖畔の重郎渕で日の出前にイーゼルをセットした。

いや……凄かった。ほぼ、真横からの光りで、立てたキャンバスの裏から光りと木枠の影が画面に映り描きにくいので、かなり変則の向きに角度を変えた。そして、稜線から太陽が完全に顔を出すと真横からの太陽の光りと、湖の波に反射する光が私の全空間を充たした。光が直接裸眼に射し込むと、まぶしくて、対象の映像が白く飛んでしまう。それを、そのまま、描いていく。対象の描写ではないので、いつもより短時間に描き終える。

林の日の出と違って、画面の下半分も、波にあたった太陽の反射の光源になるので、画面の前後、左右、奥行、画面から画家の目ん玉、そして画家の立ち位置の後ろの空間まで、オールオーバーに光の粒が充満している。ああ、これが描けたらなあ。…描けるはずだ、…描くのだ。

やってやろうじゃないの、私にまかせなさい!!

「山中湖村だより」 2016.12.24【冬木立朝陽】

今回の山中湖行は、12月21日から今日(12月24日)まで山中湖村にいた。

22日は朝曇り昼から雨、23日は朝から快晴。このところ、画面に太陽を入れることに、凝っているので、22日の午前中、太陽の位置を下見をしておいた近くの、落葉松(カラマツ)や樅(モミ)の雑木林にイーゼルを立てる。夏に描いた雑木林は、昇る太陽の位置が違うので、今回初めてのポイントだ。

日の出の、少し前からスタンバイして、描き始めていたが、先週の湖の朝陽と同じく、ほぼ水平方向から、網膜に直接光が射し込んでくると、まぶしくて調子(明暗の階調)が飛んでしまうし、固有色もつぶれてしまう。

この、状景を写真から絵にしたのでは、全く別のものになるだろう。ワン絞り、ワン視点、で物の大きさと、明暗が全く肉眼と異なっている。光が眼に入ると、視界全体は、眩しくて、白っぽくなるのに、写真では周りが真っ黒につぶれて、全体はむしろ暗くなる。こんなことも、現場で描かなければ気付かない。イーゼル絵画は面白いね。今年も随分描いてきたが、来年も描くべきことがいっぱいあって、老人の、無常感に浸っている暇はない。

ちょうど、行帰りに読んでいる、道元の本の中に、グッとくる文章かあった。

松風がより高く鳴り響く夏の末の宵、秋の初めのころ、

竹も響き、竹葉の露もしきりに落ちて物寂しい暁の時分、移ろいゆく気配に無常を感じて涙が頬を伝う、

そのようなときであるからこそ、松風・竹響の見聞声色(けんもんしょうしき)にとらわれず、心を発動せねばならなぬ。

誰が、古仏の辿った仏祖道を忘れ、初秋のもの悲しき無常世界に身をゆだねていられよう。(『道元「永平広録 真賛・自賛・偈頌」大谷哲夫全訳注 講談社学術文庫、204~205頁)

「山中湖村だより」 2016.12.29【冬木立朝陽(2)】

今回の山中湖行は、12月27日から今日(12月29日)まで山中湖村にいた。

今回の山中湖行は、今年最後の現場で描ける機会なのだが、私でも、やはり年末のあわただしい感じに影響されて落ちつかないので、先週と同じ場所で、P8号のキャンバスで軽く仕事納めにした。

年末は柏のアトリエで完成作品のダン箱作り。それが終わったら、三栖さんから回ってきた、4本の2m×2mの木枠の2本目の(1本目は去年使った)キャンバス張りだ。

イーゼル画用の大きさの木枠も注文したし、さて、来年はどんな絵が出来るだろうか。抽象画のアイデアもあるし、半具象の作品も描きたいし、「初秋のもの悲しき無常世界に身をゆだねていられよう」(道元)、だ。

-山中湖村だより
-

執筆者:

関連記事

山中湖村だより(2017年)

(2013年) (2014年) (2015年) (2016年) (2017年) 山中湖村だより(2017年) 「山中湖村だより」 2017.01.10【富士(219)、富士(220)、湖畔の朝陽(霧) …