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『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

『沢木興道聞き書き』酒井得元著 講談社学術文庫

投稿日:2020-12-07 更新日:

『沢木興道聞き書き』酒井得元著 講談社学術文庫

■「半偈(はんげ)の真実の道を開くために身を捨てた雪山童子の話」――雪山童子が雪山に住したとき、天帝釈(てんたいしゃく)が化けて羅刹(悪鬼)となり、雪山童子の面前に現われて「諸行無常是れ生滅の法」と言った。童子はこの言葉を聞いて心に喜びを感じ、「どうかそのつづきを言ってほしい、言ってくれたら、自分はあなたの弟子になりましょう」と言った。すると羅刹は「つづきの半分(半偈)はよく知っているが、おなかがすいて、もう一口もしゃべれないよ」とうそぶいた。そのとき童子は、すこしもためらわず、「では、私の身をさしあげましょう。どうかあとの半分を言ってください、そしたらすぐ私を食べてください」。ここにおいて羅刹が、「生滅已寂(いじゃく)滅為楽(いらく)」と叫んだ。童子はこれを木や石に書きつけておいて、それからもう思い残すところなしと、高い木から身を投じた。その瞬間、羅刹に化けた天帝釈が童子の身体を受けて救った。この童子こそは、釈尊がこの世に生まれる前身だったというのである。(44頁)

■笛岡方丈は身体の弱い人だったので、時とすると一晩中方丈で頭を揉むようなことがあった。そんなとき、師はいろいろな話をしてくださった。あるときの話に、

「宗門の多くの人は、教外別伝や不立文字(ふりゅうもじ)ということを浅く解して、教相(仏教学一般)を勉強せぬ人が多い。しかし教相を知らぬようでは、宗門の最上乗禅を発揮することはできない。石川素童和尚がかって、東京の日ケ窪の曹洞(とう)宗大学林の講師をして、『従容録(しゅうようろく)』の提唱をしたときに、天台宗の坊さんが聴講に来て、自分(笛岡)に『あれが、あんたんところの宗乗(宗旨)ですか』と尋ねたから、『ええ、そうです』と答えたら、『では曹洞宗という宗旨は、別教の分際ですな』と言った。ところが、そのころの自分は別教ということが、どんなことだったたかわからなかった。それで、それからは広く仏教一般の教相を学ばねばならぬと思って比叡山へ行って勉強することにした。天台宗では教相判釈といって、仏教をその宗旨の浅深によって、蔵教、通教、別教、円教の4つに分けて、円教を最高最深の教えとした。すると別教は、円教より1だん低い教えということになる。そういう他宗の学問も広く勉強していないと、このように天台宗でいう円教にすら到達せぬ別教の坐禅を、とくとくとして、みずからもやり他人にも説いていることがある。外道も小乗の人も、権大乗の人も、実大乗の人もみな同じように坐禅して、外形は同じだ。ただ、その坐る内容がまったくちがうのである。それゆえ、広く仏教のいろいろな教相を勉強して知っていないと、自分のやっている坐禅が小乗か、大乗かさえわからず、道元禅師のお教えになる最も深い『只管打坐』(ただ坐る坐禅)もわからないであろう。

――只管打坐ということは、教相や学問を持ち込んで坐るのではないが、祖の『只管』という意味内容が納得できて、只管打坐するのでなければならぬ。それにはどうしても、深く教相を学んで修行を誤らないようにしなければだめだ。教相は、もの指しであり、秤(はかり)である。興道さんも、だから教相をうんと勉強しなければいけない」――

師はこんなふうに教えられた。後年になって、わしが法隆寺で教相を本腰になって勉強したのも、あのころの笛岡方丈の示唆によるものである。(87~88頁)

■実際、人間というものは一時の興奮で、他人との張り合いに命がけになって、なんでもやるものである。しかしどこまでも冷静に命がけで日々の行持(ぎょうじ)を守り通して、静かにやってゆくことはなかなかむずかしいことである。

だいたいこのわしという人間は、いつも命がけの名人であった。戦争中の武勇は、まったく法被がけに、豆絞りの手拭いのねじ鉢巻、尻まくりで、大暴れに暴れ回ってきたようなもんだ。そんなところが、前半生のわしというものである。

ところがその後、道元禅師の前に出て、もじもじしながら尻まくりをおろし、ねじ鉢巻をそっと解いて、腰をかがめて、おとなしく、小さくなって、ひざまずいた、というのが現在のわしというものである。

道元禅師の『学道用心集』にいわく。

――「その骨をくじき髄を砕くを観るに亦(また)難(かた)からざらんや、心操を調(ととの)ふるのこと尤(もっと)も難し。長斎梵行(ちょうさいぼんぎょう)も亦難(かた)からざらんや。身行を(しんぎょう)を調(ととの)ふるのこと尤(もっと)も難し。若し粉骨貴(とうと)ぶべくんば、之(これ)を忍ぶ者昔より多しと雖(いえど)も得法の者惟(こ)れ少なし。斎行の者貴(とうと)ぶべくんば、昔より多しと雖(いえど)も悟道の者惟(こ)れ少なし。是(こ)れ乃(すなわ)ち調心甚(はなは)だ難きが故なり。聡明を先きとせず。学解を先きとせず、心意識を先きとせず。念想観を先きとせず。向来(きょうらい)都(すべ)て之(これ)を用(もち)ひずして身心を調へて以(もつ)て仏道に入(い)るなり」

わしなども道元禅師の家風に入ったからこそ、修行もさせてもらえたので、もしそうでなかったとしたら、わしなどは非常にずるい性質で、商売をやろうと、何をやろうと一人前以上やり、相当に悪辣なことをやってのけたことであろう。非常に腹を立てやすい人間だったから、人の一人や二人は殺していたかもしれない。

しかしそんなことをいっさいやめて、神妙にして、目立たないようにして、一向にご利益のない坐禅に安住することのできたのは、じつに永平高祖のおかげである。

身心(しんしん)を調(ととの)え――どんなことに出会っても、乱れない、乱されない。自己の本心を見失わない。これは真の勇者でなければ、できることではない。これぞ大丈夫の仕事であり、仏法行であるのだ。(120~121頁)

■ところがある日、「学問の為に寝食を忘れる者はあれど、行法の為に寝食を忘れるものは珍らし」という文章を読んで、得意な鼻がペシャンコに押しつぶされた。一ぺんに、ペシャンコになってしまった。相手があっての頑張り合いのために、すなわち名利のためには、我々は容易に熱狂し、寝食を忘れることができるが、冷静透明に行法のために命を投げ出すことは容易なことではないのである。(130頁)

■ 実際、真実の道はいつも社会性をもつとはかぎらず、流行るとはきまってはいない。社会性があり流行るものに、必ずしも真実のものがあるとはかぎらない。人間の五官の欲望を満足させるようなものには、かえって真実のものがないのだ。だから我々はどこまでも、ひたすら真実のところに向って、真の自覚をもち、人間の欲情を相手にすることなく、仏祖のみを相手にして精進するのでなければならない。

こういうしっかりした自己を持っていないと、もし自分の行道(ぎょうどう)に随喜するものがなく、弟子もできず、同行者もないということになると、ただ一人の淋しさに堪えかねて、自信を失い、さらに時分のしていることが、果してよいことであるかどうかもわからなくなる。だれもやるものがなくて、自分一人だけ馬鹿正直にやっていることが、いかにも馬鹿馬鹿しく思われて、ついに中絶することもあるであろう。(176~177頁)

■「今度の講習の7日間は、みなさんのご努力のお蔭で、本当に理想的な共同生活をすることができました。それにつけても思い出すのは、私が大和におったころ、わが国の学校教育がみな西洋の学校教育の模倣にすぎず、何1つ西洋にまさるところがない。それでも何か1つぐらい昔からの日本の教育制度に採るべきよい点はないかと、文部省で方々へ人を派して各宗の学校及び叡山、高野山などを視察させたことがありました。ところが、そのどちらもが、現代の学校制度のまねばかりで、しかもそれが東京の多くの学校より劣っているというのです。そして私のいた法隆寺勧学院にもその視察がやってきましたが、そのとき私も何らよい具体案をもっていませんでした。しかし、いまにして思えば、わが宗門の叢林生活、僧堂生活こそ、現代の学校教育に大いに取り入れらるべき、すぐれてよいものをもっていると思います。叢林には、配役ということがあります。この配役の制度がよく行なわれるときにのみ、はじめて共同生活というものは理想的に営めるのです。今度の講習会にしても、典坐をやる人などは数多い人の食事をつくらなければならないのだから、お袈裟の講習に出席しているとはいいながら、7日間1度も法益を聞かずに、大衆のため次の食事の用意をしなくてはならない。しかもその人たちは私のお膳でもさがってきて、お膳の皿などがきれいになっているのを見て『まあ、よく召しあがってくだされた』と言って、それで満足するくらいなものであります。広い社会で、みんながみんな花形になれるわけはない。――

獅子舞の太鼓たたかず笛吹かず、後ろ足となる人もあるなり

だれか縁の下の力持ちにならなければ、社会は成り立たぬわけであります。配役にはもちろん、花形の役もあれば、縁の下の力持ちの役もある。元来、配役に高下のあるべきものではない。ただ、これを尽くす人の態度にあるのであります。――

後ろ足となっても、不平も言わず、文句も言わず、その後ろ足に成り切って、その後ろ足を十全に果たす、そのときに人間の深い悦びが自覚されるのであります。この自覚された人間の深い悦びというのは、表立って多くのものを支配したり、所有したりする誇らしい喜びではありません。つまり、外目にはどんなつまらぬことにせよ、力一ぱい働くところに本当の浄(きよ)らかな悦びがあるのであります。この浄らかな悦びには敵するものなく、競争もなく、永遠に失望することもありません。これほど偉大な悦びは、またとあるまいと思います。こんなところに、本当の実物の仏法、正味の仏法があるのであります。――

仏法僧の三宝と言いまして、僧宝が1つかけてはならないことは言うまでもないことであります。僧宝は僧伽(そうか)と言うことで、理想的な共同生活のことであります。この共同生活は仏法の具体的な活動でありまして、この共同生活を円成させるもの以上に淨らかな悦びはほかにはありません。この浄らかな競争のない悦びのなかには、自分の権利だとか、何だとかいう、とかく生活をぎこちなくするものは存在しないのでありましょう」(240~241頁)

■これまでのわしの生活は、これといって仕事といったものをもたず、それかといって遊んでいるというのでもなかった。衣食住のことは、ほとんど念頭になかった。食わされれば食う、食わされなければ食わぬ。衣類も着せられれば着るが、自分では着ぬ。一切生活を追い求めることはしないというのが、わしという人間の日常である。「ただ真っ直ぐにむこうを向いて行くばかり」というのが、これまでのわしの一生であったが、今後もそうであろう。「嬶(かか)をもつことはあっても寺はもたぬ」と発心し、寺をうかがうことを放棄してある。そうでなければ、「ただ真っ直ぐにむこうを向いて行くばかり」ということはできない。

また出世しようということも断念して、出世しないように努力しなければ、やはり「ただ真っ直ぐにむこうを向いて行くばかり」なんていうことはできることではない。そのわすが、昭和10年(56歳)に、どういう都合か、どういう風の吹き回しか、駒沢大学に就職しなければならなくなってしまった。(258頁)

■経済生活を追い求めたら道は求められないと決まっている以上、仏道の行者にとっては、宗門の規則や資格というようなものは別に益するところはあるまい。これらのものは仏道のことでなくて、人間娑婆世界の生活上のことである。仏道の行者が修道を捨てて娑婆と関係をもとうとするとき、規則と資格によらなければならなくなるのであろう。

娑婆世界のことは、そのときどきのご都合次第だけのことであるから、猫の眼のように変わるのが当たり前である。真実に生きんとするものは、こちらからその都度これに応ずるには及ばない。次から次へと変わってゆくものを追っかけて一生ふらふらしていたのでは、それこそ一生を空しくしてしまうものである。(263頁)

(2013年10月12日)

-『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

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