『ジョルジョ・モランディ展』 神奈川県立美術館カタログ(1989年)
■最後のモランディ,彼の制作の宿命(ヴィターリ)は,存在の探究が極限にまで達した後,非存在や無の表現にかくも近づいたのである。今やモランディは,存在と非在の対立物として現れない対立を通して,この哲学的叡智に到達し,そしてあらゆる物について,一時的な違いよりもその等しさに気づくのである。
存在することも存在しないことも,もはや同一であるように思われる。今では,もはや「トゥ・ビー」か「ノット・トゥ・ビー」の間の根本的な選択という,西洋文明がいつも新たにしてきた,シェイクスピアの問いの問題ではないのだ。今問題なのは,二つの対立物をともに結びつけることであり,存在するものと存在しないものを分けるものはほとんどない,ということを(柔順な紙や水彩を通して,油彩とカンヴァスを通して,そしていつも知性と視覚の叡智を通して)発見することなのである。(『ジョルジュ・モランディ――抽象と実在』メルチェデス・ガルベーリ)(17頁)
■「モランディは画布の塵をはらう。『死ぬ前に2点の絵を完成させたい。重要なことは,根底に,事物の本質にふれることである』。本質といっているが存在を意味しているように感ぜられる。見え方ではなく存在。われわれは,本質を,古典主義者の声高な宣言にむなしく追究されるあの客観主義の告白となる」。
このインタヴューそのものをジュゼッペ・メルシカはヴェネツィアのアルコバレーノ画廊でおこなわれたモランディ展の評(「エンポリウム」,1938年7月)に借用しているようで,芸術家のモノグラフがないことを嘆いたあと,モランディは「事物の本質に倦むことなく触れようとしている」と再言。(『言葉と視覚 バッケッリからアルカンジェリにいたる主要なモランディ解釈のテーマと方向(1918-64年)』エレーナ・ポンティッジャ)(179頁)
(2012年3月5日)