岡野岬石の資料蔵

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南アルプス山麓だより

投稿日:2024-06-14 更新日:

南アルプス山麓だより

 

小渕沢だより2024年

◾️プロローグ

『画中日記』2024.05.31【6月3、4日と小渕沢行】

来週の月曜日の始発のバスで出発、3、4日と小渕沢に連泊して、太田直俊氏の庭を描きに行く。今年はまだ、風景のイーゼル画はまだ描いていないので、楽しみである。

太田氏とは、まだ会ったことはないのだが、3日に小渕沢駅に車で迎えにきてくれるとのこと。夕食は、私の泊まる旅館で、二人分を予約をしておいた。夕食時に、太田氏と、日本人の庭についての話ができることを楽しみにしている。4日は、太田氏は居ないので、私はタクシーを使って、行き来して、翌日の10時52分小渕沢駅発あずさ18号で帰柏する。以前とちがって、特急列車の自由席がなくなったので、緑の窓口で切符を買っておいた。

若い時の、行き当たりばったりの旅行が、嘘のようだ。しかし、若い時にさまざまのトラブルを独力でなんとか乗り切ってきた自信が、今の自分の自力になっているので、若い時の苦労は、今はもう良い思い出だ。

忘れずにICレコーダーを持っていって、二人の会話を録音してこようとおもっている。今回は、ゴープロは持っていかない。デジカメで撮った、フォトデータや短い動画は、帰ってきて、フェイスブックにアップするが、録音した会話は、動画にしてユーチューブにアップするかどうかは未定です。各種充電器を忘れないようにしなければ。

◾️本編

【小渕沢行(1)】2024.06.03

2024年6月3日、小渕沢の高原旅館に2泊予約して太田氏の庭でイーゼルを立てる予定で、始発のバスでアトリエを出る。新宿発の特急あずさには時間の余裕がタップリあるが、待ち時間に朝食やタバコで時間をつぶす考えだ。朝食は時間が早いので、駅構内の食堂の開いている店が少ない。開いている駅そばの店に入った。店は新しく、私はスイカとタッチパネルの券売機で注文しようとするのだが、タッチパネルの選択で、うまく目的の画面に進んでいかない。ちょうど、近くにいた店員に聞いて、そして、その店では券売機が2台並んでいて、買う人が少ないのでその店で食べたが、新式のタッチパネルをこなせない人や、外国人は便利さの恩恵は受けられないなぁ。新宿駅も、出口の多さと、京王線、小田急線、地下鉄と複雑怪奇で構内の看板を見なければ、目的のホームにたどりつけないだろう。スマホやパソコンで使いこなせない老人や、地方の人や外国人は、駅そばを食べて、一服して、指定した列車に乗る(これもみどりの窓口がない駅では券売機をつかう)ことは、付き添い人がなければ無理だろう。私は昔、泣きながら独力でぱパソコンを使いこなせるようになったので、現在の世間のシステムにもついていけるが、この現在のシステムを使いこなせるスキルを持たなければ、情報難民になるであろう。

【小渕沢行(2)】2024.06.03

今は、特急の自由席がない。だから、自分の未来の行動のすみずみまで指定されるし、その指定席をあらかじめ取っておかなければ、スムーズに、予定通り移動できない。その分、トラブルや、予定変更もないのだが、私の過去の、多くの忘れられない旅の体験の記憶は、そして、そのトラブルを乗り越えてきた自信は、老いた現在の私の身心を形作っている。しかし、人生はそもそも予定通りにはいかない。自分の都合だけで、人生上の良い指定席を手にいれることはできないのになぁ。

太田氏とは、小淵沢駅で初めて会う。10時頃小渕沢駅に着いて、チラッと改札付近を見たが、それらしき人物がみつからない。みつかれば、改札内からトイレにいくからと知らせたのだが、また、改札を出ると外のトイレの場所も知らないので、トイレをすませてから改札を出た。ナサケナイが年寄りはトイレが近い。

一連の行動に、私は何も心配していない。だって、携帯もお互い持っているのだもの。改札付近にも、それらしき人がいないので、階段を下りたら、上ってくる太田氏と出会った。

太田氏は、私がナカナカ改札からでてこないので、かなり焦っていたようだ。顔つきにホッとした様子があらわれている。昭和生まれには、待ち合わせの場所や時間のズレは日常茶飯でトラブルとも認識していない。若い世代は、こんな些細なことにも、心配するのだなあ。

【小渕沢行(3)】2024.06.03

太田氏の車で、彼の自宅まで送ってもらう。駅からかなりの距離があって、特急は停まらない長坂駅がいちばん近い駅だ。着いてすぐに、イーゼルを立てる場所を探して写真を撮る。写真に日付と時間を写し込んだので、後のデータ保存に役立つ。フィルムカメラの時は、撮るのも保存も大変だったなぁ。10時半頃から1時間、庭を歩き廻り、11時25分、イーゼルをセットした。描写途中に、太田氏が私の写真を撮り、送ってもらったので、その中のいい写真(玉野で背中を痛めてから、姿勢が悪くなったので、なるべくそれが目立たない写真)を入れてアップします。

終わって、山国の驟雨の中、この日と翌日宿泊する、小渕沢駅近くの高原(こうげん)旅館に送ってもらい、夕食を共にした。食後、室にコーヒーを2つたのみ、太田氏と10時頃まで話し込む。いつものとおり、私の一方的な独演会だったが、老いると、話を聞いてくれるだけで、うれしくてマイアガるのです。

庭の小径(1)/F15号/油彩/2024年

【小渕沢行(4)】2024.06.04

2024年6月4日、旅館の朝食を7時に食べ、タクシーを呼んでもらって太田氏の家につく。ゴルフ場のそばの分譲別荘地の道は分かりにくく、しばらくタクシーでウロウロしたので、タクシーの名札をみて、帰りの迎えを予約しておく。

今日は、O氏はいない。麦茶が用意され、トイレや洗面所も使えるように、鍵も預かっている。

イーゼルをセットする場所を探す。庭も家も、斜面にあって、1階のベランダの基礎はかなり嵩上げしてある。庭を見おろすアングルで、ベランダの端にイーゼルを立て、9時14分から描き始めた。天気も良く、陽のあたる庭の光と、さまざまな野鳥のさえずりにつつまれて、無心に筆を走らせる、まさに三昧境だね。眼前の世界はこうなっているし、画家はそれをキャンバスの上に変換定着させる。歴戦の勇士の老画家は、眼前の美しさを成す構造〔光と空間〕を、キャンバスに変換定着させるスキルは磨き、持ち、衰えてはいない。むしろ、いまだ成長している。画家になってよかった。

庭の小径(2)/F15号/油彩/2024年

【小渕沢行(5)】2024.06.04

2024年6月4日、11時11分に一枚目のキャンバスを描き終えた。太田氏の用意されていた麦茶を室内でいただき、タバコを外で一服。時間はまだ、タップリある。しかし、年だねぇ、立ちっぱなしで、15号のキャンバスを埋めると、持ってきたもう1枚のキャンバスを埋める気力が湧いてこない。つい、「もういいか、ボクちゃんトシだもんネ」という、自分への甘えの言い訳が心に浮かぶ。

外だと、こんなとき休息場所がない。だが、今日は太田氏の居間が使える。居間のソファーで横になって、そのうちに、短時間だが眠って起きると、少し体力が復活、タンペラマン(画家魂)を振り絞って、2枚目の白いキャンバスに対面した。12時49分から描き始め14時23分にイーゼルをしまう。画面はまだ途中で、全てを埋められなかったが、アトリエで完成させればいいヤ。結果、いい絵になればいいのだから。この絵に手をつけ完成させなければ、この絵はこの世界に存在しないのだから。

庭の小径(3)/P15号/油彩/2024年

【小渕沢行(6)】2024.06.04

旅館まで、帰りのタクシーの中からの風景が目に入る。車窓左手に南アルプス山脈では有名な甲斐駒ヶ岳が見える。手前に田んぼがあるので、稲が黄色くなる頃に、描きに来ようかなぁ。この風景は、児島善三郎の『アルプスへの道』の絵を思いだす。アトリエに帰ったら、ネットで検索してみよう。

旅館での夕食は、夏は日本酒のオンザロック、冬はお燗して一合飲むのだが、この日は、ビールを一本追加した。

(写真は、ネットで検索し、キャプチャーした児島善三郎の『アルプスへの道』)

【小渕沢行(7)】2024.06.05

2024年6月5日、今日の予約しているJR小渕沢駅発の特急あずさの時間は、10時52分。朝食後、画材を梱包して玄関の隅におき、着払い宅急便の集荷を旅館のご主人にお願いしておく。集荷の依頼とラベルはすでにアトリエを出る前に、運送会社にパソコンで集荷依頼をしてある。こんなことも、何度かの、取材旅行の経験で身につけた。

部屋で、ICレコーダーにメモ代わりの総括の録音をして、時間は早いが、10時頃旅館を出た。小渕沢駅の周りを散策すると、本屋があった。地方の本屋は、その地元だけのゆかりの歴史や写真集があるので興味がある。今回は店には入らないが、次回来る時にさがしてみよう。坂を少し下ると、途中からすぐに田園風景になり、遠くに駒ヶ岳が見える。この付近もゆっくり取材してみたい。これは、もう一度ここに来ることになるなぁ。

小渕沢駅のホームから、富士山も見えた。

◾️エピローグ

『画中日記』2024.06.05【小渕沢行より帰柏】

今日の、10時52分小淵沢駅で特急あずさに乗り帰柏、アトリエでまず太田氏にお礼のメッセージを送った。

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今、柏に帰りました。昨日は2点描きました。午前中1点描いて、もう1点どうしようかと逡巡しましたが、貴方の置いていてくれた鍵のおかげで、ソファーで短時間休息、ウトウトもして、午後からもう1枚にも手をつけました。歳のせいで、画面を全部埋めるまではいきませんでしたが、まあ、こちらで完成させるのには支障はないでしょう。

明日から、『小渕沢行』の題名でこの2泊3日のデータを、フェイスブックにアップしていきます。絵が完成すれば、撮したフォトデータ全部と、テキストデータと完成作までの作品データを、テキストデータに【岡野岬石の資料蔵】にアップします。

とりあえず、とにかく、ありがとうございました。

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明日から、こちらでのルーティンに戻ります。明日は、旅館から発送した荷物の整理と、7月1日から始まる、『第8回イーゼル画会展』のDMの発送。

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南アルプス山麓だより2025年

◾️2025-9-17小渕沢町本村

『画中日記』2025.09.26【南アルプス山麓だより①】

「南アルプス山麓だより①」の第一稿をとりあえず、書いておこうと思ってとりかかる。

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一昨年、フェイスブックで知り合い、彼の庭にイーゼルを立て、3点描いた時に、小渕沢の旅館と彼の庭に通うタクシーの車窓からの風景に、絵心が湧いた。昨年の初秋、同じ旅館に予約がとれず、諦めたのだが、今年は早めに連絡したのだが、連泊ができないとのこと。昔はこれで諦めるのだが、今は便利だねえ。パソコンで検索すると、小渕沢の2つ手前の日野春駅の前の『画家の宿 志満屋』に9月16日から22日まで予約、9月16日の朝、柏のアトリエを出て、新宿から特急で甲府まで、甲府から普通電車で日野春駅に着いた。旅館は駅のすぐ前、以前、日展系の美術団体の画家連中が弟子とともに連泊繁盛していたらしく、アトリエもあって、使わせてもらった。

そんな旅館に泊まって翌朝、7時に朝食、8時にタクシーを呼んで、出かけた。はっきりとした場所の記憶もなかったが、行けばなんとかなるの、瀬戸内の向日性の気性は老いても衰えない。しかし、幹線の道を入ると、細い昔の道が、地形に沿って、クネクネと曲がって、分岐ごとに、方向感覚が混乱する。タクシーの運転手は、ナビがあるので、私の言っている場所をなんとか探そうとしてくれている。すると、突然に、予定外の美しい田園風景に出遭った。映画『七人の侍』に出てくるような、田園風景だ。おまけに、正面に南アルプスの山並みが見える。詳しくはないが、それに山頂は雲に隠れているので、あやふやだが、甲斐駒ヶ岳なのではないか。すぐに、描く予定の場所を変更、タクシーを降りた。

この日は、P15号を横構図で、F15号を縦構図で2点手をつけた。

雲中南アルプス(1)/P15号/油彩/2025年

 

雲中南アルプス(2)/F15号/油彩/2025年

 

◾️2025-9-18小渕沢町本村

『画中日記』2025.09.28【南アルプス山麓だより②】

2025年9月18日、出発のタクシーを8時に予約していたので、前日の運転手か、別の運転手がくるならば、前日の場所の連絡がついているものだと思っていたら、この日は別人で場所も知らなかった。昨日の帰りに通った道はウロ覚えだが、とにかく車を走らせた。分岐の記憶が的確で、迷わず、目的地に着いた。記憶力の経年劣化と、小さな行き違いの処理能力は、歴戦の老戦士はまだ大丈夫。

この日は、前日描いた場所の農道を少し上がった場所の田んぼと里山の境にイーゼルを立てた。天気は薄曇りで、山頂は今日も見えない。イーゼル画では、かまわず筆を走らせる。

2点描き終えて、小雨が降ってきた。13時半に、迎えの車を、行きの運転手に頼んでいて、待っていたのだが、雨でたまらず、13時頃タクシー会社に電話したら、現地に着くまで20分くらいかかるので、結局13時半に迎えにきた。行きと同じ運転手だったが、タクシー会社は正式に予約は受けていないという。だから、雨でやむおえず電話したが、電話しなければ、いつまでも待っているハメになっていた。違う運転手だと、迎えの場所が説明できないのでは、と運転手に言うと、それは、運転手が受付電話交換に道順のメモを残すという。なるほど、そういうことだったら、8時の予約も含めて、全ての予約をキャンセルして、明日から、そのつど電話することにした。

南アルプス山麓風景(1)/P15号/油彩/2025年

南アルプス山麓風景(2)/F15号/油彩/2025年

◾️2025-9-19 小渕沢町本村

『画中日記』2025.09.19【南アルプス山麓だより③】

2025年9月19日、今日のタクシーは、前日、予約をキャンセルしていたので、電話をかけ、昨日下見して決めてあった、前日描いた場所のすぐ上の里山の端にイーゼルを立てた。道端と一部斜面は草刈りがしてあって、場所を探すのもイーゼルを立てるのも、好都合だ。田んぼと里山の境にいい枝ぶりの樹があって、その枝を画面の端に入れれば、画面の空間に変化がつくのでまず予定通り1点目を10時20分に画面を埋め終えた。

2点目は、同じ場所を、縦構図で描く予定だったが、うまく画面におさまらず、視点を大きく右に振って、里山と農道の5叉路を描いた。同じ樹は左端に枝の一部が入る。

描き終えて一服後、目の前の樹を見ると、枝に小ぶりな実が成っている。アトリエに帰ったら、パソコンで検索してみよう。(結果は、ヤマナシだった。今回の最終日描いた、北杜高校の実践農園で、もう一度出遭う)

南アルプス山麓風景(3)/P15号/油彩/2025年

南アルプス山麓風景(4)/F15号/油彩/2025年

◾️2025-9-20 日野春

『画中日記』2025.10.09【南アルプス山麓だより④】

2025年9月20日、この日は小淵沢本村から場所を変え日野春駅前の宿泊先の旅館の近くの予備取材のない場所で、旅館のご主人の車で送ってもらい下りた。天気は小雨。傘をさし写真を撮りながら付近をしばらく歩く。

晴れれば、南アルプスが視界に入るはずだが、雲で山麓も見えない。結局、農道から県道に出る上り道の途中でイーゼルを立てた。農家の車が通れば、そのつどイーゼルをずらすつもりだったが、一度だけだった。もう一枚のキャンバスと、イーゼルのリュックやポーチなど描画に必要のないものは、近くにとたん屋根の資材を置いてある小屋に置けたので雨に濡れずに助かった。

この場所に決めたのは、近景の道の、右側の草むらに咲いているキクイモの花が咲いていたから。キクイモは室蘭でも描いたことがあって、やはり、グレーの空だった。単独では、花弁が下がっていて貧相だが、群落で咲くと、赤味がかった黄色が、稲の黄色と色味が違うので、絵の中では美しい。縦横と2枚描いて、雨で、かなりハショッたが、宿で画面をうめた。写真は、今日アトリエで撮ったもので、完成ではありません。

南アルプス山麓風景(5)/P15号/油彩/2025年

南アルプス山麓風景(6)/F15号/油彩/2025年

◾️2025-09-21北杜高校裏の

『画中日記』2025.10.10【南アルプス山麓だより⑤】

2025年9月21日。キャンバスはF15号を5枚、P15号を5枚合わせて10枚宅急便で送ってあったので、1日2枚づつ描いて今日が最後の2枚。イーゼルを立てる場所は、昨日の描後に下見しておいたので不安はなかった。むしろ今日は、晴れて遠景の南アルプスと、方向が反対の八ヶ岳も見えそうなエリアなので期待の方が大きい。旅館のご主人に北杜高校の裏門に車で送ってもらった。

1作目は、方向のせいか遠景の雲で隠れているのか分からないが、南アルプスの山並みは見えず、左前方のヤマナシの木々と田んぼにおちるその影を描いた。田んぼの上に飛んでいる赤トンボが、かつていろんな場所で見た赤トンボの情景が思い出され、ノスタルジックな感傷の方に引き込まれそうになる。老いたせいか、イカン、イカン!

1作目を、9時半頃終え、八ヶ岳の見える方向で、左手前の木の枝を画面に入れて2作目に手をつける。

13時頃、宿に帰り、画面をウめて16時から18時の宅急便の集荷にそなえて荷造りをする。

南アルプス山麓風景(7)15P2025

八ヶ岳遠望/F15号/油彩/2025年

◾️2025-09-22日野春

『画中日記』2025.10.11【南アルプス山麓だより⑥(最終回)】

2025年9月22日。今日はアトリエに帰る日。日野春駅8時34分高尾行きの電車に乗る予定だ。結果として、この日の、高尾駅で特別快速東京行きの電車に乗り換え、神田駅で乗り換え、上野まで行き、上野から柏まで帰ったのは正解だった。事前に特急指定券を予約し、新宿駅や甲府駅での時間待ちをかんがえれば、思いったったら、何度か描きに行った鵜原のように、日帰りででも描きに行けるだろう。

昔は、夜行列車があったので、汽車の中で夜をすごしたりした。寝るときは、二人掛けの座席の下に、缶ビール(昔は鉄製)の空き缶で高さをあわせ、通路側の肘掛けを枕にして寝た。高速バスの夜行があれば、オプションはさらに、ひろがるだろう。以前、三陸海岸の取材旅行で高速バスの夜行を調べたことがあるが、高速バスの行き帰りを2泊の車中泊にすれば、簡単にイーゼル画を描きにでかけられる。あとは、気力体力の経年劣化をどう克服するかだが、こんなことをいまだに考えていることが楽しい。

 

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