(70)エスキースで試行錯誤(247頁)
僕の絵には、タブローの制作の前にエスキースがある。発想から完成図の予測はあっても現実というのは、その通りにはいかない。今まで、すんなりと予想通りにいったためしがない。絵は具体物であるのだから、イメージを現実に作品にするためにはテクネー(技術)の問題が出てくる。
たとえば『Horizon』(1994年)の制作の場合で説明すると、青と黄色の2つの色を縦に並べるとする。Horizonの画面の下半分は水だ。その設定だから、紙は和紙を使って、画面の下半分に水を引いて、紙に水を含ませる。その画面に青色と黄色を、ざーっと一刷毛で塗ると、上は滲まない。下は滲む。すると、黄と青だから2色の滲みが重なった部分は緑になる。何と美しいイメージなんだろうと思う。
発想では美しいイメージでも、現実にやってみるとすんなりといった試しは無い。だから、エスキースを作るのだ。エスキースも、最初はたとえば滲みをどうするかという事で、それを重点的に試みる。やってみると、イメージどおりに美しく滲んでくれない。
墨ではうまく滲むのだが、色を使う場合は墨のように滲みが広がってくれない。その問題をどうクリアーするか、なかなか上手くいかなかった。
エスキースの段階では、油絵を描ときの実際を考えてはいない。きっとそういうふうになるだろうという程度だ。試行錯誤を繰り返してもイメージどおりうまくいかずに、悩みに悩んで、その結論が「じゃあ、滲んだように描けばいいや」という考えに行き着いた。そういうふうに描いてやろうじゃないかと思った。
(この時の偶然の「描けばいいや」という思い付きが、後に僕の絵画のコンセプトの重大な絵画上の発見であったとは、その時点では気付かなかった。つまり、太陽のような光そのものは、光ったように描くしか表現できないのだ。これをきっかけに、対象の物から光への変換の技法がどんどん見付かった)
現実に描かなければ、僕のイメージ通りには出来ないのだ。滲んだように描くと決めて、現実にそう描く。実際に溶剤が色の顔料を引っ張って、構想どおりに滲んでくれても、そこが必ずしも美しいグリーンにならない。だから、最終的には滲んだように油絵で描くという事にした。
物ごとを実行して現実化するというのは、僕の場合はそういうふうにするんだ。だから、最初から油絵で描くということはほとんど無い。紙でどんどんやってみて、いけそうな画面になったら油絵でやる。発想から直接タブローになるなんて、僕には考えられない。