岡野岬石の資料蔵

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鵜原行(テキスト、写真)

投稿日:2024-05-27 更新日:

鵜原行(2016-10-12~2016-11-2)

【画中日記】2016.10.11「鵜原行(1)」

明日は、朝5時半過ぎの柏駅行きのバスに乗って、外房の鵜原に絵を描きに行く。千正氏は、体調不良で同行できず、私一人で行くことになった。今回は、駐車場から、イーゼルを背負ってかなり歩くので、大病後の氏にとって、計画がハード過ぎたので、医者に止められたようだ。氏の体調が回復して、再び同行する機会があれば、今度は、移動にやさしい場所を計画して実行しよう。

これから、一眠りして、帰ってきたら、結果と写真を投稿します。

【画中日記】2016.10.13「鵜原行(2)」

先日の鵜原行は、感傷旅行だった。

千葉駅から1時間に1本の外房線の鴨川行きの電車に乗り、高校の通学に使った本千葉駅(ちょうど、通学時間だったので、気分がシンクロした)、ほんの短期間だが別荘を持っていた太東駅を通過し、勝浦の先の鵜原駅に着く。茂原までは、電車内も、車窓からの風景も、東京の近郊都市の風景と変わりはないが、茂原駅を過ぎると、昔と変わらない、いや、リゾートで賑わっていた頃よりさびれた様子の駅周辺のたたずまいに、時代の推移を感じる。

観光や旅行の形態が、変わってしまったせいかもしれないなぁ。ツアーの客は団体だし、個人の客は車だし、民宿や旅館に泊まる客はほとんどいないのかも知れない。私が、一人旅で、ほとんど予約なしに、日本中を旅して廻った、またそれが可能だった昔が、嘘みたいだ。

鵜原には、過去何回か取材で来たことがあるし、鵜原理想郷入口にある『鵜原館』にも泊まったことがある。何度来ても、家を改修しているだけで、景色はほとんど変わっていない。

描いている時は、絵に集中するが、イーゼルを立てるポイントに行く途中の気分は、私が、同じ風景を見たその時々の、自分の生活状態が走馬灯(古い譬喩だね)のように連なって浮かんでくる。「国破れて山河在り、城、春にして草木深し」とか「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」だね。まったく、古人は、こんなときの気分を、ドンピシャリと言い当てているなぁ。

早朝5時半のバスに乗って、アトリエに午後5時頃帰ってくる。描き終えて、帰りの電車の待ち時間に、食堂もコンビニもないので、千葉駅の駅蕎麦まで我慢をする。次からは、行きの途中で用意していこう。鵜原から千葉までの電車のなかでは、だらしない顔で(今、自分は、口を開けてだらしない顔で寝ていると、判っているのだが、どうしようもない)寝っぱなし、情けないけど、齢だなァ。

まだ、数カ所描くポイントがあるので、来週も行こうかな。

鵜原風景(1)/F12号/油彩/2016年

【画中日記】2016.10.14「鵜原行その後」

12日の鵜原行は、私の脳内の、最近使っていない部位に、刺激を与えたらしい。

昨日は、倉庫に入れっぱなしの、昔撮った風景写真を入れたダンボール箱を引っぱり出して、午後いっぱい、見て過ごした。その中に、以前、私の作品のポジフィルムをパソコンのデータに保存したときに、見つからなくて出てこなかったボックスがあった。これは、めんどうだがデータを保存しながら、フェイスブックに順次アップしていこうと思う。「今やらなければいつやる、お前がやらなければ誰がやる」、だよ。

それにしても、取材旅行した、様々の場所といい、新たに出てきた過去の作品のポジといい、人生上の絵以外のところでは反省と後悔が多少あるが、まあ、天から与えられた存在の使命に対する努力と修行は、目一杯果してきたとの、満足感がある。

「年たけて また越ゆべしと思ひきや 命なりけり 小夜(さや)の中山」

(注;西行法師『山家集』にある「年たけて又こゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山の下の句。「年とってまた越えることができるとは思わなかった、命があったればこそできたのである」との意。「小夜の中山」は静岡県掛川市にある坂路。箱根路に次ぐ東海道の難所として知られた。〈講談社学術文庫『善の研究』28頁〉)

この歌は、昨日思い浮かんで、過去の、私の「読書ノート」で調べた(西田幾多郎の『善の研究』のなかで出会った。パソコンは便利だね)西行の歌。

来週も鵜原に行く。

【画中日記】2016.10.19「鵜原行(3)」

今日は、鵜原での2作目の作品を、描きに行ってきた。山中湖への行き来は、ほぼルーティン化しているが、鵜原への行き来の行動は、まだベストだとはいえない。来週も、描きに行こうと思っているので、改良した案を試そうと思う。

移動日なしに、一日のうちに日帰りで柏と鵜原を往復すると、世界が電話帳のようになっていると子供の時に感じたことを、改めて確認する。今日の午前中に描いていた場所は、アトリエでこの文章をキーボードでパソコンにうちこんでいる今も、鵜原で日が暮れて存在している。鵜原も、山中湖も、玉野も、北海道も、私が出遇ったすべての場所も、まだ出遇っていない世界中のすべての場所も、この同じ時間に、分厚い電話帳のように、薄い紙のページに分かれて過ぎていっているのだ。

カタツムリのように、自我の狭い時空を引きずって生きてはいけないし、ラスコールニコフやムルソーのように、自我を肥大させてはいけない。池より大きな魚はいない。自我意識を小さく(理想的には無くする)すれば、各人が今住んで生きている小さな世界は、天地一杯と等しくなるのだ。

鵜原風景(3)/P12号/油彩/2016年

【画中日記】2016.10.25「鵜原行(4)」

今日は、鵜原での3作目の作品を、描きに行ってきた。前2作を描いた、鵜原理想郷の中の手弱女(たおやめ)平から、毛戸岬への分岐を通って、白鳳岬の小高い、名前はたぶん観光用に付けたのだろう、「黄昏(たそがれ)の丘」でイーゼルを立てた。手弱女平からの距離は大したことはない。

午前中は天気が良かったので、海の色と、鵜原の湾をはさんだ守谷側の崖との対比が美しい。ここは、風の通りがよいので、条件が悪いと、風に悩まされそうな場所だったが、この日は手で押さえながら描くということはなく、助かった。

描き終えて、道具を片づけて、周りを取材がてら歩いたが、安井曾太郎の『鵜原風景』の描いたであろうポイントも見付けた。その絵では、手弱女平には松が何本か生えていたように記憶するが、今はもうない。

ハイキングコースで手が入って、草刈りや、眺望を邪魔する枝をはらっているので、以前には気付かなかった、ビューポイントもあり、ここでは近日中に、もう1枚描く事になるだろう。それと、この岬は南を向いているので、晴れた日は海が光り、以前何点か描いた『光る海』の作品をイーゼル画で描けるだろう。

このあたりの石は、砂岩で柔らかく加工しやすいのか、手掘りのトンネルや崖下の岩場には、カツオ漁等に使ったイワシの、手掘りの生け簀跡がそこここにある。白鳳岬の下には浜がないので、昔は漁師が使った道を、今は釣り人が使っているのだろう、まだ生きている、崖下に降りる道があった。5年前なら行ける所までチャレンジしただろうが、大変な割に、絵にはならないし、ポイントがあってもイーゼルを背負って降りられないので、はなから諦める。「どうせ、あのブドウはすっぱい」、さ。

鵜原風景(3)/P12号/油彩/2016年

【画中日記】2016.11.02「鵜原行(5)」

今日は、鵜原での4作目の作品を、描きに行ってきた。鵜原行も、毎週通うと、ルーティン化して、苦にならない。

昨日は、一日の後半晴れたので、今日も続いて晴れると思って、早朝曇ってはいたが、予定通り朝始発のバスに乗った。結局、今日は一日中曇り。以前と違って、別に天候は、どのようにでも天の差配におまかせしますが、海の色が、グレーなのは、画面が少々寒々しいかな。

でも絵は完成するまでわからない。水平線の見える海と、崖上からの厳しい風景は、何度か取材旅行に行って、結局は絵にできなかった、北海道の天売島の崖が連想された。北海道には1972年から1975年まで、札幌市西区手稲に転居して、北海道中旅行して描いてきたのだが、天売島の取材の時も、海の色も、崖や、植物の色も、全て寒々しくて、いい写真が撮れず、取材はカラ振りに終わった。

でも、今は違うよ。長年の描写スキルの積み重ねと、なんといっても、近年のイーゼル画のおかげで、どんな状況でも、自分に描けるだろうかというおびえはない。

楽しいので、今はやはり、1週間に1度は、外で描かないと、気がそわそわして落ち着かない。

鵜原風景(5)/F12号/油彩/2016年

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