岡野岬石の資料蔵

岡野岬石の作品とテキスト等の情報ボックスとしてブログ形式で随時発信します。

テキストデータ 芸術の杣径 著書、作品集、図録

(75)絵を描くのは具体的

投稿日:

(75)絵を描くのは具体的(261頁)

何度も強調しているけれど、画家は漁師だから具体的に考えなければいけない。いい絵に感動したら、その感動に対して具体的にアプローチしなければ自分の作品に取り込めない。具体的に魚を釣るには、具体的な物でやらなければ釣れない。いくら念じたって釣れやしない。だから僕は、すべて具体的にどうするかと考えている。絵描きは漁師と同じ方法論でやらなければ、特に若い人で絵描きを志す人は、絶対に具体的に考えなければいけない。

たとえば、こういうふうに考えるとよい。自分が一番感動する絵描きがいるだろう。「いいなぁ」と感動すると、こんな絵を描きたいと思うだろう。そうしたら、その画家のいい絵と、駄目な絵を探すのだ。いい絵と駄目な絵を並べて、いい絵を上に駄目な絵を下にピッタリと頭の中で重ね合わせて、引き算すると絵の良さを成り立たせているものだけが残る。作者も同じ、道具も同じ、絵具も同じ、モチーフも同じ等々、同じものを引いていくのだ。この絵は何故いいのか、一方、こちらの絵は何故駄目なのか、そういう事を突き合わせると何故いいかが見えてくる。

そういう方法で、ロスコの絵を精査して、僕は彼の絵の良し悪しを発見した。そのあたりを気づかないとロスコのような絵は描けない。同じすぐれた作者でも、首をかしげざるをえない作品もたくさんあるのだ。そういう作品は、光も空間も良くない。ロスコといえども。

タブローでも失敗作があるんだ。失敗作というと怒られるけれど、僕には失敗に見える。失敗だと思うし、首をかしげる。そういう作品は、お金を持っていざロスコの絵を買うとなったら、買わない。おなじ人が描いているのに、そんなにも違うのだ。

何故こちらの絵は僕にはよく見えて、こちらはあんまり感じないのかなという事を、具体的につき合わせていくと、分ってくる。このブルーは、ボーっときれいに全部が光っている。しかし、この部分は光っていない。絵具が残っているし、この間が全然うまくいっていない。では、これを自分ならどうするかというように考える。

セザンヌでも、ゴッホでもそうだ。ゴッホの、あのオランダ時代の茶色っぽい作品は僕なら要らない。それと、セザンヌの初期のころの絵は駄目である。

ロスコの、水彩のエスキースの中で、こういうのも全然駄目である。一方、こっちのはよくて、光になっている。しかし、こっちは全然光っていなくて、汚れている。こことここが重なり合っているから…。こうやって画集や展覧会の図録などで、突き合わせる。そうすると具体的に見えてくる。

-テキストデータ, 芸術の杣径, 著書、作品集、図録
-

執筆者:

関連記事

岡野岬石画歴

岡野岬石画歴(131頁)  1946年 3月1日、岡山県玉野市玉にて岡野国輝、マサ子の二男(兄、姉、本人、弟)として生まれる。戌年、魚座、AB型。  1951年 幼稚園のお絵かきの時間で、太陽を黄色く …

(36)哲学への興味

(36)哲学への興味(112頁) 四〇代になって、急激に哲学が面白くなってきた。 僕は、一〇代の後半から、実存主義によって救われ、その後の生き方のフオームを実存主義と決めていたので(【参照】『続・夢の …

(46)実存的時空(水晶の山)

(46)実存的時空(水晶の山)(171頁) 今度の出来事は小学2年のころのこと。これは、記憶を辿ると同じ社宅に住んでいた櫃本君が小3の時同じクラスで、彼が大きなグレーの水晶を持っていた。その水晶を見た …

『般若心経 金剛般若経』中村 元・紀野 一義 訳注 岩波文庫

『般若心経 金剛般若経』中村 元・紀野 一義 訳注 岩波文庫 般若心経 ■全知者である覚った人に礼したてまつる。 求道者にして聖なる観音は、深遠な智慧の完成を実践していたときに、存在するものには五つの …

(54)記憶の総体としての自分

(54)記憶の総体としての自分(195頁) こういった記憶の総体が、今の僕の世界観になっている。一つひとつが特にどう影響しているとは言えないけれど、それらの全体から、もし一つひとつを外していって何もな …