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(72)塗り重ねても光る方法

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(72)塗り重ねても光る方法(251頁)

晩年のマチスは一九三五年あたりから、絵を直す場合に塗り重ねて直すのではなく、一旦塗った絵具を拭き取ってから新たに初めからやり直すという技法で描いている。何故、全部拭き取っているのか。一発で描くために、一度描いてそれをきれいに拭き取って描き直すという、めんどうな技法を使うその理由とは何か。

マチスのその技法は、一九八一年の東京国立近代美術館でのマチス展の図録を見ているときに僕は気付いた。二〇九ページに『ばら色の裸婦』の4枚の制作過程の写真が載っている。正確には一九三三年五月三日から一〇月三〇日までの二二枚の記録写真のうちの四枚である。その写真を見ていると、花瓶の花やシーツのチェック模様の変化の前後を見比べていると、上塗りして直しているようには見えない。それに気付いて以後、マチスのほかの画集を注意して捜して研究した。

色んな写真を総合すると、色々な事が分ってきた。画集を見ると、写真に日付が入っている。これは、写真を撮った後、その日に描いた絵を拭き取ったに違いない。これは、元の絵に上塗りして直しているのではなく、直す部分を拭き取ってから描き直している。ナディアというモデル、兼恋人、兼秘書、兼助手のような立場のきれいな人がいて(ピカソが当時一緒に暮らしていたジローの書いた本の中にもたびたび登場します)、ナディアがその写真を撮っていた。消してしまうなんてもったいないと思って記録したのだろう。もし上塗りして直したら、下の画面がどうしても出てくる。

何回も拭き取っていると、当然キャンバスはゆるむはずである。実際、昨年のマチス展(二〇〇四年九月一〇日~一二月一二日、於:国立西洋美術館)でキャンバスを注意して見ていたら、カブリのない額装の作品で何度も張り直した釘(キャンバスタックス)の跡がたくさんあるのを見付けた。またほかの画集には、マチスが写したナディアの写真に、脚立の上で大作の画面を拭き取っている所や、たぶん拭き取るための、なかみの液体はシンナーであろうワインの瓶をかかえてイーゼルの前にいる写真もあるので、彼女がマチスの指示で拭き取っていたのだろう。

マチスは何故そんなめんどうで、ある意味もったいない描き方をわざわざしたのだろう。その理由とは、マチスは光の加算混合と絵具の減算混合のベクトルの違いに気付いたからだと僕は思う。絵具はキャンバスの白の上にできるだけ少ない回数、できれば一度だけ塗るのが、光量が落ちずに美しく発色する。ナチュラルに塗り重ねたのでは、画面は光らない。キャンバスの上に、一色だけのせた方が美しくなるという理由で拭いた。一発で決まれば、それが一番いい。だけど、一発で決まらない。だから、画面を拭き取ったのだ。

僕は、塗り重ねても光る方法に、いま取り組んでいる。これまで僕はエスキースで準備して、なるべく画面の上では汚さないようにしてきた。しかし、塗り重ねても画面が光れば、また一歩僕の未到の世界が広がるだろう。それは白いパートを入れなくても絵を描けるという事にも関わるし、何故エスキースをやるかという事にも関わるし、決して意味のない偶然を頼って絵を作らないという事にも関わる。その挑戦のきっかけは、塗り重ねても光っている絵があるのだ。アンフォルメルの技法で描かれた画の何点かと、平塗りではゴーキー(アーシル・ゴーキー、1904~1948、アルメニア→米)の絵が光っている。

ピカソは完全に不透明な絵具で絵を描いている。どういう絵具を使っているのかは分らないけれど『ミステリアス、ピカソ天才の秘密』(監督:アンリ=ジョルジュ クルーゾ 1956)という映画がある。長い映画ではないが、映画のなかでピカソが描いている画面を撮っていて、その画面がどんどん変化していくのだ。

ペンキのように完全に不透明な絵具でないと、どうしても下の画面が出てしまう。色が濁るし、完全に絵具を乾かしても、完璧に不透明というわけにはいかない。ところが、その映画では、本当に下の画面があとかたもなくどんどん変化しているから、よっぽど不透明で速乾性の絵具を使ったのだろう。

だから、マチスのように塗り重ねないで一発で描くか、塗り重ねる場合はピカソのように完全に不透明に下の絵具を覆うか、そうでなければ下の色が透過して、減算混合で濁ってしまう。濁ってくるし、光の量も落ちる。

 色を平塗りでキャンバスに塗るには、結局、ピカソやマチスのように色を併置する、色を横に横に塗り拡げていく、つまり「横の空間」しか無いのかというと、それがそうではない。キャンバスの前後に、つまり塗り重ねて、下の色も活かしながら(ピカソのように完全に不透明でなく)それでも光っている、いわば「縦の空間」もあるのだ。フォートリエやゴーキーの作品がそうで、塗り重ねてあのような美しい空間を作っている。筆のタッチを残しながら、不透明な絵具で下の色を少し透過させて「縦の空間」を作っている。僕は、いまこの縦の空間作りに取り組んでいる。アプローチの糸口は見付けたので、白のパートのない絵と共に、近々作品化できるだろう。

 ピカソの最晩年の、一見グズグズになった絵があるが、あれは、こういう「縦の空間」を試みたのだろう。結局、ピカソの挑戦は時間切れで、完全にはうまくいってないように思えるけれど。ゴーキーの空間もアンフォルメルの空間も「縦の空間」だけれど、塗り重ねなんだ。晩年のピカソは、そういう空間にインスパイヤーされたのだと思う。

 ピカソの最晩年の作品は、生前からすこぶる評判が悪い。晩年で何か衰えたという印象だ。しかし、ピカソはこの「縦の空間」に、自分の中で挑戦していたのだと思う。過去と同じことだったら、繰り返す必要はないのである。ああいう空間は、ピカソのそれ以前の空間とは違う。ピカソはああいう人だから、自分の事をそのうち死ぬとは考えていなかったのだろう。

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