岡野岬石の資料蔵

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(20)参照文「うなぎ(男が決断する時は…)」

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(20)参照文「うなぎ(男が決断する時は…)」(65頁)

現在(2004年)私は58歳だから、50年位前の話です。小学校の5年生前後の夏休みだっただろうか。その頃の夏休みは嬉しいのは休みの最初の頃だけで、1週間もするとたいくつで時間をもてあましてしまう。まだ家に電話もテレビもない時代だ。夏の夕方になると、母が表の小路に打ち水をしているのを、西日を遮るよしずの立て掛けた窓に腰掛けてぼんやりと見ているランニングシャツ姿のまっくろに日焼けした少年を想像してください。ラジオからは気象庁の気象情報が流れている。・・・ミナミトリシマ、ナントウノカゼ、フウリョク3、940ミリバール・・・・

瀬戸内の炎天下の日中は、さすがに表で遊んでいる子供達もほとんどいない。子供の私は毎日自転車(自分の自転車を持っている子供は少なかった)で小さな町(その頃は大きいと思っていた)を回遊した。コースもたいてい決まっていて、立ち寄る場所も主な場所が何箇所か自然に決まっていた。その中の一つは、町の経済を支えていた大企業の造船所のグラウンド(子供はグランドとよんでいた)。そのレフト側のコンクリートの観客席の楠の木の木陰で仕事をリタイヤした年寄り達がいつも将棋を指していた。その将棋を横から観戦するのだ。その時に、白髪のおじいさんが指した石田流戦法には、棒銀戦法しか知らない少年は観ていてビックリし感動した事をいまだに覚えている。おあつらえむきに、自転車の荷台に木の箱を載せて、鐘をならして売りに来るアイスキャンデー売りのおじいさんもいつも将棋を見ていて、勝って機嫌がいい時の石田流のおじいさんがときどき私にアイスキャンデーを奢ってくれた。もう一つの立ち寄り場所は(現在はもう排水溝のようになってしまっているが)少年の私に様々な貴重な経験を与えてくれた白砂川という小川の河口の小さな港。・・・という前振りで、この話は少年の私がその港でその後の人生上の貴重な教訓を得た話である。

小学5年の夏休みのある日、私は白砂川の河口の港に行った。港ではいつも誰かが釣りをしているので、それを見て夏休みのたいくつな時間をつぶそうという訳だ。その日そこに着いた時は上げ四分位の潮時で、これからが一番魚の釣れる時間だった。コンクリートの防波堤の川側は、低く花崗岩の割り石の波消しが組まれ、満潮時には潮をかぶるがそれまでは魚釣りの絶好のポイントなのだ。よく釣れる魚の種類は、ハゼ、ボラ、チヌ(黒鯛)、夏は特によく釣れたキンキラ(ひいらぎ)。潮時のせいか、いつもより多くの人がそこに降りて釣りをしていた。私もそこに降りて釣りを見ていた。釣りをしている人の中に、顔に見覚えのある町でただ一軒の本屋の息子の中学生がいた。私はずうずうしく彼からテグスと鉛と釣り針を、さらにゴカイもねだって1匹貰った。当時の釣り針は、今のように糸と針がすでに結ばれていないので、また正式な結び方を知らないので、タドタドしくダンゴ結び(2重堅結び)で結んで、ゴカイを数ミリづつ餌にして割り石の隙間にいた幼魚の小魚を釣って遊んでいた。しばらくして私はそこで驚くべき物を見付けた。割り石とコンクリートの間の、コンクリートの継ぎ目の隙間からなにか黒い物がでている。エラの張った黒い大きな頭、う・な・ぎ・だ~ぁ。以前のエッセイで書いたギンヤンマと同じで、まだ養殖や輸入の無い時代の貴重な天然の大きなうなぎは、少年にとっては海賊の隠した宝箱に匹敵する価値ある獲物だ。これを小学生が釣り上げれば少年の私は英雄だ。心臓はバクバク、アドレナリンは小さな身体を駆け巡った。さすがに、ウ-様のてまえ、数ミリのゴカイでは気がひけるので残りのゴカイを全部つけてうなぎの前に下ろした。ウー様は事も無げに、小さなデザートのお菓子を食べるように、パクリと一口で飲み込みそのまま穴の中に隠れてしまった。ソッとテグスを引いてみると、糸を通し少年の指とウー様は確かに繋がっている。ウ-様の肉体の気配が指先に伝わって来る。「ドーシタラエンナラ(どうしたらいいのか)」。そこから先、少年はビビってしまった。しゅんじゅうし、迷って糸を強く引けない。もし強く引っぱって失敗すると二度とウー様は穴から出て来ないかもしれない。迷いながらソッと糸を引いてみると、ア~手ごたえが無い。餌だけ取られた。もうゴカイは無い。少年は気がひけながら、あの中学生にゴカイをもう1匹貰いに行った。彼はいやな顔もしないでくれた。ゴカイを半分に切ると機会は2回、この2回にウ-様との勝負を決着させなければならない。1回目は、又餌だけ取られて少年の負け。餌がもう1回分残っているので、そのぶん決断がにぶって及び腰だったのだろう。いよいよこれが後の無い最後の勝負だ。ウー様は「今日はごちそうが何度も天から降ってくる。ツイている日だ」と、涼し気にまた穴から顔を出している。少年は「ビビるな!腹をくくれ!後が無い!」と自分を叱咤激励して最後の勝負に挑んだ。ウ-様が餌をくわえて穴に引きこもろうとする瞬間、乾坤一擲グイッと糸を引いた。・・・・・・アーッ、バカ、バカ、バカ。・・・・・少年の稚拙な糸の結び方で針がはずれてしまった。

少年はここに至って勝負をあきらめた。もう一度中学生に針と餌を貰いに行くのはいくらなんでもズウズウしい。それならば、今まで嫌な顔もしないで、釣り道具や餌をくれた彼にうなぎの居る場所を教えてやろう。

彼は、穴から頭を出しているうなぎを見ると、今まで釣っていた継ぎ竿の穂先きを抜きその先の糸を持ってうなぎの前に餌を下ろした。うなぎが餌に食い付いた瞬間グイッと糸を引いた。うなぎは穴に逃げ込もうとする。・・・・・ここから先が少年に忘れられない体験をインプリントした。彼は、右手で糸を引っ張ったまま、左手をザブッと水の中につっこみ、穴にもぐろうとするうなぎの首を掴み、右手の糸を張ったまま左手でズルズルと引き抜いた。彼は、釣り上げたうなぎを木製の釣り道具の箱の中に、中身が散らかるのもおかまいなしにうなぎを放り込み蓋をしめ、それから箱から出ているうなぎを釣ったしかけのテグスを切った(ソーだよナー。うなぎを針からはずしたり、道具箱の整理などは家に帰ってからゆっくりとやればいいことなんだヨ)。周りの釣り人が集まって来てあれこれ話かけるが、彼はサッサッと道具箱を自転車の荷台に積んで帰ってしまった。少年のことなど、もはや彼の視界にはひとかけらも入っていなかった。少年はその後ろ姿をうらめしそうに見つめて佇んでいた。「ワイガオセーテヤッタノニ。チッターワイノオカゲジャーユーテクレテモエエジャローガ。ツッタヨロコビヲヒトリジメニセンデモヨカローニ。(僕が教えてやったのに。少しは僕のおかげだと言ってくれても良いではないか。釣った喜びを一人じめにしなくてもいいじゃあないか)」

しかし、この体験は以後の私の人生に大きく影響した。人生の大きな岐路に立った時は、条件のアレコレや結果の心配を先にしないで、どんなに大きく見える対象にも、臆せずグイッと一歩踏み出して行動せよ。・・・という訳で、うなぎが芸術に変わって、高校2年生の時の画家になろうという決断になったのだ。

(2004年7月23日)

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