御殿場-5 デジタルフォトデータ
◾️御殿場2013-4-17 一木塚
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富士(56)/S10号/油彩/2013年 |
◾️御殿場2013-4-25 一木塚(虹)
2013.04.25 【富士山麓風景(7)】
今回の御殿場は、昨日が終日雨。今日朝食前に、富士は雲に隠れているがかまわず一木塚の三角点でイーゼルを立てた。写真の左側は裾野市の方向だが「忠ちゃん牧場」は雨が降っているのだろう。立ち位置の背中は箱根側で陽が差しているのだが、「御厨(みくりや)の私雨(わたくしあめ)」で、低い雲が頭上を走る度に、細い雨が時折通り過ぎる。キャンバスやパレットが濡れると油絵具と水がハジいて描きにくいので途中で諦めかけたのだが、突然に虹が出た。おまけに、描いている画面の中の、まるで計ったような場所に虹が現われたのだ。急いでデジカメで写真を撮り、カーマインを持って来なかったので、コーラルレッドNo2をパレットにだして虹が消えないうちに速描した。イーゼル画で虹を描けるという、こんな幸運はこれはもう「天のオファー」としか考えられないので、雨に濡れても描き切ろうと腹を括ったのが天に通じたのかその後は雨に邪魔されずにすんだ。
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富士山麓風景(7,虹)/F15号/油彩/2013年 |
◾️御殿場2013-5-8 永塚 花 トンボ池
2013.05.02 【富士山麓風景(8)】
このところ御殿場では、毎週、富士山が早朝から雲に隠れて予定の場所にイーゼルを立てられない。今回も、5月1日は富士が顔を出さなかったので朝食前にもう何度かイーゼルを立てた、永塚のダブルトラックの農道で新緑の小径の絵(富士山麓風景-8)に手をつけた。写真の左手前の田圃には水が張ってあり、ここいら一帯は一斉に田植えの時期だ。描いている間中、カエルの声が四方から聞こえてくる。「日々是好日」である。「すべてこの世はこともなし」である。この日にここで描かなければ、田圃には苗が植えられ、新緑の木の葉の変化と重なり、一期一会のこの情景が変わってしまう。イーゼル画の完成された作品は、誰が描いても、2度と同じ画が再生産できない、画の良し悪しは別にしても世界で唯一の存在なのだ。だからこそ、この世の美しさを描写する行為は、こんなにも喜びがあるのだ。
朝食後、道路脇の無人の花売り場に矢車草があったので3束(1束100円)買って、久しぶりに花の絵(P6号2点)に手をつけた。
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富士山麓風景(8)/F10号/油彩/2013年 |
矢車草(1)/P8号/油彩/2013年 |
矢車草(2)/P8号/油彩/2013年 |
◾️御殿場2013-5-8 一木塚 トンボ池
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富士(57)/S20号/油彩/2013年 |
富士山麓風景(9)/F10号/油彩/2013年 |
◾️御殿場2013-5-15 一木塚
画中日記 2013.05.16 【富士(58)】
15日は、一木塚の三角点からの、別の道からの富士山をF15号の横構図で描いた。富士山頂の冠雪も次第に融け上がり、山頂の尾根筋も宝永火口も黒く地肌を出している。これからの季節の晴れた日は、黒い南斜面に陽があたると決まって雲が出るので、日の出後の数時間が勝負だ。今日も、描き終わる頃には、写真のようにすっかり雲に隠れてしまった。
去年の7月25日に富士(1)を描いているので、あと2か月で1年です。同じ季節になると、去年と同じ場所でイーゼルを立てたいと思っているのだが、同じ風景を描いて、この1年間の成果はどれだけ表われるのだろうか、楽しみだ。すでにもう周りの状況が変わった場所もあるし、天候を含めてモチーフも画家本人も去年とは違うのだから、イーゼル画は、同じモチーフを何点描こうが常に再生産できないこの世にⅠ点しかない新作なのです。だから、イーゼル絵画は、マンネリズムもスランプもない(絵がうまく出来ないのは、対象を見ることができない自分の目と描写力の不足のせい)、画家の修行、坐禅の場なのだ。
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富士(58)/F15号/油彩/2013年 |
◾️御殿場2013-5-22 太陽 御胎内清宏園
2013.05.23 【富士山麓風景(10)】
22日は、朝早く起きたのだが、晴れていても富士山は雲に隠れているため、朝食後御胎内温泉の近くにある「清宏園」のなかの小径でイーゼルを立てた。この園のなかにある溶岩洞窟が御胎内の語源で、白洲正子の樺山別荘での思い出の文章のなかにも出てくる。
「空海が弘仁年中に開いた神仏並祀の社といわれ、江戸時代には天下の祈願所として富士山大別当や大修行の霊場だったが、明治時代の廃仏毀釈により、木花開耶姫命,猿田彦命を祀るようになり、安産守護神として年中崇拝者が数多い。」「樹齢100年余りといわれる〈なら〉の喬林は春は銀ねずみ色の若葉に萌え、夏は涼に富み、秋は錦に彩り、冬は雑木の美を放ち、四季を通じ自然の美しさに人びとは陶酔する。」「約70種類の野鳥が住んでいる園内一帯は、地元御殿場市立印野小学校の野鳥愛護林となっております。生徒達が毎年巣箱の手入れえをしたり、野鳥の生態を観察したりしています。野鳥の森の観察歩道は約1.6kmあります。ゆっくりと歩きながら、野鳥のさえずりに、そっと耳をかたむけてください。」(『御胎内清宏園』のサイトより引用転載)
しかし、今では、林の中なので富士山の展望がきかないことや、なんの遊具もなく食事処もないので、いつ行っても園内は閑散としている。こういう、別にこれといった目玉商品のない場所では、光や空間を味わうという高度な楽しみ方を知らなければ、足るを知らない貪欲で忙しい現代人にはとても時間は過せないだろう。それが却って、柵も無く、舗装されていない歩道、自然な樹形等、「あまだのトンボ池」と共に、私のような画家にとっては貴重な風景を見せてくれる。富士山が雲に隠れて描けない時に、ここにはあと何度か通うことになるだろう。
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林の小径(御胎内清宏園)/F12号/油彩/2015年 |
◾️御殿場2013-6-6 玉穂
2013.06.06 【富士山麓風景(11)】
6日は、晴れながら雲の多い天気で、富士山頂が出たり隠れたり。それでも、我慢できずに、初めての場所、高塚道の上方に向ったが、馬術スポーツセンターの十字路で自衛隊の検問に止められ、その日は演習をしていて私がイーゼルを立てようとしていた場所は使えないとのことだった。予定を変え、そこから少し下方の、以前描いた馬頭塚の松のある広場に向った。しかし、その場所もその日は、子供向けアクション物かなんかのテレビドラマの撮影があるらしく、多くの車と数十人のスタッフが広場に乗り込み、その場所も使えない。それにしても、道路から少し入ったところにあるこんな場所を、よく見付けるものだ。電柱や、遠景にビルや鉄塔が入らず、自然のままの道や広場をさがし出すのは大へんなことだろう。おまけに、撮影機材の駐車場、スタッフのなかには女性もいるので、トイレや水、時間が長引けば弁当など、それらをすべてクリアーできる場所は限られるだろう。もしかしたら、この場所はテレビ業界ではよく使われる場所かも知れない。建築工事用の簡易トイレが、私がこの場所を最初に見付けた時からあって、誰がなんの必要で使うのだろうと疑問に思っていたが、こういう時のためにあらかじめ設置しているのかも知れない。そんな場所に、吸い寄せられるように、探り当てる嗅覚も画家の才能の一つだろう。
そんなわけで、すぐにそこも諦め、イーゼルを背負って初めての道を歩くと、すぐに写真の場所に遭遇し、P20号で富士山麓風景(11)に手を付けた。まるで、運命の赤い糸のように、何かの因と縁で画家とモチーフが遭遇する。これでまた、この場所をモチーフにして数点作品が生まれるだろう。イーゼル絵画は価値があるね。芭蕉の俳句が吟行から生まれるように、世界と私の間に、視線を介してバーチャルでない本物の時間が流れるんだもの。
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富士山麓風景(11)/P20号/油彩/2013年 |
◾️御殿場2013-6-20 永塚 もんぺとももひき
2013.06.20 【富士山麓風景(12)、(13)】
今週の御殿場行は、昨日(19日)は曇り時々雨、夕方御胎内温泉の帰りに霧がでたので、今朝の霧を期待した。6時頃起きると、期待通りの霧で、朝食前に、急ぎもう何度か描いた永塚のもみじの里遊歩道の近くの農道にイーゼルを立てた。霧は、いつもは、陽が昇るとすぐに消えてしまうのだが、梅雨のためか、今日は終日、この辺りは霧に包まれた。1枚目を描き終わって道具を片付けかけたのだが、思い直し、2枚目に手を付ける。今日の霧は安定していて、モチーフは好条件なのだが、キャンバス、パレット、筆が霧雨に濡れ、描きにくい。こういう時は、途中の絵の良し悪しに連動して、絵がスムースに行かない場合には、気持が萎えてアトリエに戻りたくなるものだが、逡巡しないで、腹をくくって、とにかく描き切ることだ。そのうちにまた描けばいいや、と思っても、イーゼル絵画の場合、大抵、同じような条件で描く機会は2度とやってこない。
霧が出たら、描きたいポイントがもう一過所あるのだが、準備をととのえ、こういう態度で待っていれば、もう一箇所の霧の絵は、天がそのうちに用意してくれるだろう。
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富士山麓風景(12)/F10号/油彩/2013年 |
富士山麓風景(13)/P10号/油彩/2013年 |
◾️御殿場2013-6-20 みくりやのくらし
2013.06.08 【『みくりやのくらし』池谷貞一著】⑴
先日、御殿場のかとう書店で購入した本の中の一冊を紹介します。
著者の池谷貞一氏は、御胎内温泉の近くの『清宏園』の初代園長。地元の因野で生れ育ち、地元に住み、この本は平成7年の米寿記念に私家版で出版されています。
装丁や、題名から郷土史的な内容を予想していたのですが、本を開いてみると1作目から予想に反して面白く、すばらしい。1話1話は著者自身の体験が、私が中学生時代に夢中になって読んだ国木田独歩や徳富蘆花をおもわせる自然主義的な小説仕立てで、時系列に並んでいる。1話1話は短編小説のように独立しているので、各話の初出はいつ何に書いたのだろうか。
こんな本に出あうと、日本のすばらしさをつくづく実感する。ネットで検索しても出てこない、一生を地方で過した全国的には無名な人が、金銭には換算できない、これだけの人品、デリカシー、そして文章表現力を持っているんだよ。たまたま偶然に知ったけれど、さがせばそういう人が全国にゴロゴロいるんだよ。
日本は心配ありません。こういう人たちがそれぞれのセクションで日本全体のディテールを支えているのです。
御胎内温泉のレストラン「利顧」の店長勝間田氏は、著者の池谷氏と同じ因野に住んでいるので、先週聞いたところ、著者の他の本があるかもしれないとのことで、来週の御殿場行が楽しみだ。
2013.06.13 【『みくりやのくらし』池谷貞一著】⑵
今週の御殿場行は、昨日、今日ともに雨。外に出られなかったので溜まっている作品に手を入れて過した。
昨日の夕方、恒例の御胎内温泉に行くと、レストラン「利顧」の店長勝間田政徳氏が先週の約束通り写真の3冊を探し、貸してもらった。右の『郷土誌』上卷は御殿場の「かとう書店」で買った本のなかの何冊かの著者でもある勝間田二郎氏の本で、ちょうどこの上巻はなかった。『もんぺとももひき』の2冊は、これが私が手に入れた『みくりやのくらし』の元本で、1冊目は池谷貞一氏が中心になって月に1回、印野の老人クラブで集まっての昔語りを、池谷氏の文章で1話完結にまとめたものだ。当時の村内や関係者だけに配られた本が、池谷氏の筆力で、好評をはくし周りのリクエストもあって、第2集、池谷氏の米寿記念の総集編と全巻私家版で出版されたらしい。全巻、本の値段は印刷されてなく、私が買った総集編は後に1500円の別刷りのシールが張ってあった。好評なので、残った少部数を地元の書店に置いたのだろう。
なぜ、これだけの面白い素材を、地方新聞社や大新聞の地方版で連載しなかったのだろうか。今からでも遅くない、もしこの文や写真が誰かの目にとまって、廻り廻って新聞社の担当者の耳に入ったら、ご一考ください。つまらない新聞の連載小説よりも絶対に評判になりますよ。そして周りの集落がヤキモチを焼けば、次々と集落を移して話を連載すれば新聞も売れるでしょう。私は、画が忙しいので言うだけですが。
本を探して貸してくれた勝間田政徳氏は父親である勝間田政文氏の書棚から探し出したそうだ。池谷氏の奥さんの実家は勝間田姓だし、勝間田姓の話者の話もある。印野村の人にとっては自分史の一部であるのでこの本を大事におもうのは当然だが、日本全国のすべての各町村の人が、同じようなディテールを生きて来、生きているのだから、このような情報を拾い上げ、文章や写真で公開し、いつでも、どこでも、だれでもその情報にたどり着けるように保存しておけば、いつか何処かで必ず、芽を出すでしょう。
2013.06.21【『もんぺとももひき』池谷貞一著】
先週、御胎内温泉のレストラン『利顧』の勝間田氏から借りた『もんぺとももひき』を読み終わった。これが私が手に入れた『みくりやのくらし』の元本で、池谷貞一氏が中心になって月に1回、印野の老人クラブで集まっての昔語りを、池谷氏の文章で1話完結にまとめたものだ。当時の村内や関係者だけに配られた本が、池谷氏の筆力で、好評をはくし周りのリクエストもあって、第2集、池谷氏の米寿記念の総集編と全巻私家版で出版されたらしい。全巻、本の値段は印刷されてなく、私が買った総集編は後に1500円の別刷りのシールが張ってあった。好評なので、残った少部数を地元の書店に置いたのだろう。
あまりにも面白かったので、それに、ネットで検索してもこの本は出てこないので、せめてここで紹介しておきます。
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