デジタルフォトデータ山中湖村-10
「山中湖村だより」 2017.08.03【山麓の朝】
今回の山中湖行は、8月1日(火)から今日(3日、木)まで山中湖村で過ごした。
2日朝は、天気は曇りだが7月6日に高速バス停に行く道を変えて見つけたビューポイントだ。描いている背中側を馬車道が通っていて、もう何度も通っているのだが、太陽が木立の背景に入る朝歩かないとチョット気付きにくい。アトリエから近いので、今後もう何点か描けるだろう。この日は、太陽が雲に隠れていたけれど、今後太陽を入れた絵を描くのが楽しみだ。それと、満月の日も、チェックしておこうとおもう。この日は、手前の草原(くさはら)に花期の最後のシオンが群生して咲いていて、山中湖村内では昔から開けた場所なのに、エアーポケットのような空き地の風景に、現在なっている。
来週は、「イーゼル画会」のメンバーの北氏が、常滑から車で山中湖まで来て、一緒に絵を描きたい、という。富士山頂が顔を出せば、パノラマ台を予定しているのだが、どうなりますか。来週の「山中湖だより」にアップします。
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山中湖村風景/P10号/油彩/2017年 |
「山中湖村だより」 2017.08.11【富士(239)】
今回の山中湖行は、8月8日(火)から今日(11日、金)まで山中湖村で過ごした。
9日は、今回山中湖滞在中唯一、台風一過の晴れた日で、常滑からイーゼル画会のメンバーの北君が、早朝山中湖のアトリエに車で到着、すぐにパノラマ台に向かった。途中、平野浜でのイーゼルを立てるポイントを案内しながら現場に立ったので、すでに富士山頂は雲がかかり始め、ここで初めてイーゼルを立てた北君には難しい条件になってしまった。山頂の様子は、私が過去の写真を探して、渡そうとおもう。描き終えて、アトリエに帰ってコンビニで買ってきた食事をして、描いた絵に手を入れながら、イーゼル画の技法の話をする。録音したので、近く編集してユーチューブに投稿します。デッサンの重要性やイーゼル画の技法等、聞いたこともやったこともない、若い画家達にぜひ聞いて貰いたい。そして、世界に稀有な(日本の美術以外ではバルビゾン派と印象派の一時期だけ)日本人の全元論的世界観のイーゼル画(直接描画)を伝承していってほしい。
北君は2時頃アトリエを出発、前夜から休みなしの1日だったろう。
「たとい人は弱いものであるにしても、ある人々はそれをなし遂げたのである。我々のみがその道を踏み得ないわけはない。もとよりこの道は困難である。が、本来仏法そのものが釈迦の難行苦行によって得られたものではないか。本源すでにしかりとすれば流末において難行難解であることは当然であろう。古人大力量を有するものさえも、なお行じ難しと言った。その古人に比すれば今人は9牛の1毛にだも及ばない。今ひとがその小根薄織もってたとい力を励まして難行するとも、なお古人の易行には及ばないのである。その今人が易行をもってどうして深大な仏の真理を解し得るか。困難であるゆえをもって避け得られる道ならば、それは仏の真理ではない。」(道元『学道用心集』第6)
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富士(239)/F25号/油彩/2018年 |
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山中湖村だより」 2017.08.18【外に出られず】
今回の山中湖行は、8月15日(火)から今日(18日、金)まで山中湖村で過ごした。
今年の夏は、ずっと曇りや雨で外に描きに出られない。そのせいで、溜まっていた絵も少なくなってきた。今回は、6月23日に描いた『山麓の道(P30号)』をほぼ仕上げて、今日持ち帰った。柏のアトリエで見ると、数カ所気になるところがあるので、手を入れて近々「最新作」でアップします。9月に開催する『イーゼル画会』展の出品作は既に決めているのだが、「山麓の道(P30号)」の出来いかんで、この作品と、既に決めている『富士(219)』を差し替えて出品するかもしれない。
という訳で、今回は載せる写真がないので、今朝の山中湖の写真をアップします。
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「山中湖村だより」 2017.08.25【空地の朝陽(1)、道志村の夏、空地の朝陽(2)】
今回の山中湖行は、8月22日(火)から今日(25日、金)まで山中湖村で過ごした。
23日は、夜明け前から星空が見えて快晴の様子、8月2日に描いた、近くの空地に、日の出の太陽を入れた風景を描きに出かけた。太陽がどこから上るか分からないが、大体の見当で日の出前の5時15分頃(甲府の日の出、5時11分)から描き始める。思った所より、向かって右よりに太陽が登ったが、それはそれでかまわずP12号のキャンバスで描き上げた。木の枝の間の広さによって、太陽の光の大きさが大きく異なり、もう少し待った方が良かったかもしれないが、待った方が悪い場合もあるので、それはそれで翌日描けばいいやと思い、無心に筆を走らせる。結果的に、手前の草地を走る一条の木の間越の光や、画面左の木の葉に真横から当たる光は、一期一会だろうから、満足する。
6時18分に描き終えて、一旦アトリエに帰り、キャンバスを換えて、7時24分発の道志小学校行きのバスに乗る。今回は、ロケハンを兼ねた初めての場所なので、PとFの8号のキャンバスを用意した。道志村は、神奈川県の津久井湖の方から山伏峠に向うのが表コースで、山中湖から山伏峠を越えて道志村に行く人はほとんどいない。この日も路線バスは行きも、帰りの旭ヶ丘(山中湖)行きのバスも私一人(道志村に入って、地元の中学生が4、5人乗って来たが)。いかにも山峡の淋しい村だが、表コースを行けば、夏は道志道のサイクリングやバイクのツーリング、道志川沿いのキャンプ、オートキャンプ、北の道志山系、南の足柄山系の軽登山等で夏休みは大賑わいだ。
以前バスの車窓からおおよその目安をつけていた場所で、コンビニのあった白井平のバス停で降りて、朝食を買おうとするが、品揃えが少なく、サンドイッチもおにぎりもない。仕方なく、ビールとナッツのおつまみと、ワサビマヨネーズとソーセージをはさんだあやしげな菓子パンで朝食にする。レジで店主のおばあさんに座って食べるに適当な場所はないかと聞いたら、表の灰皿のある場所のビールケースを使ってくれと言われる。しかしそこは、日射しがまともに当たっているので、店の横の日影の外階段に座って朝食にした。その横は、駐車場にもなっているので、店に車で来た主婦と、目があってギョッとされ、“私はアヤシい者ではありません”、と目礼をした。こんな侘びしい朝食も、朝すでに一点描いているので、余裕で過ごせる。漂泊の老イーゼル画家の映画を撮るとしたら、1シーンに使えるね。
余裕のお蔭か、すぐ近くでイーゼルを立てる場所に当たった。9時38分に描き終え、11時4分の帰りのバスまで、板橋のバス停に画材を置いて、道志川を渡り、向う岸の道を歩き、下流の橋を渡って、グルっと一周してバス停に戻った。途中、板橋バス停の近くの『おばアの台所』という食堂があったので、時間がないのでカンビールと芋ケンピ、ここでようやく一服。店の人が、サービスで冷えた、トマトを切ってくれたし、タバコも吸えるしで、開店時間を聞いたら朝9時からだという。次からは、描き終えたら、ここでゆっくりと朝食とビールが飲める。
24日は、前日の近くの空地に、上る太陽の位置を遅らせてP15号で描く。曇りがちの空だったが、日の出から描くまでの間だけ、太陽が雲に隠れずにいて、停滞なく描ききった。朝食後は、久しぶりに調節池で富士を描こうとおもっていたが、雲に隠れていたので諦め、この日と前日描いた空地の絵に、ファン筆でハッチングを入れた。
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山麓朝暘/P12号/油彩/2017年 |
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道志風景/F8号/油彩/2017年 |
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山麓朝暘/F15号/油彩/2017年 |
「山中湖村だより」 2017.09.15【山峡の田(道志川1)、山峡の田(道志川2)】
今回の山中湖行は、9月12日(火)から今日(9月15日、金)まで山中湖村で過ごした。先週は『イーゼル画会』展(9月5日~9月16日)があったので、山中湖に行けなかった。今週はまだ展覧会期中だが、初日から11日まで毎日画廊に出たので我慢出来ずに行って来た。美しい風景を前にして、日の光を浴びて筆を走らせると、身心(しんじん)が浄化される気がする。何年後かの死は決して免れえないが、このまま老いて、筆を握ってイーゼルの前で死にたい。
13日は道志小学校行きのバスで道志村唐沢橋で降り、先日来描いている田んぼの稲穂の黄色く色づいている風景を見越して行ったのだがまだ緑のまま。それならばと、近くの道志川の土手の上にイーゼルを立てた。真正面に朝の太陽が入り、ちょうどPの20号のキャンバスを持って行ったので、縦構図で太陽を入れて描いた。この時間の太陽は初めてで、青空と逆光の雲とでどんな絵になるのか楽しみだ。現場の写真は、前の週、イーゼル画会展の会場の動画を撮ったので、蓄電池の電気切れで撮れず、持ち帰ってアトリエでタッチの隙間を埋めた絵の写真のみをアップしました。
14日は、13日と同じく道志村に行って、板橋(いたはし)のバス停の横にイーゼルを立てた。こんな所で、ビューポイントを見付ける画家は私しかいないだろう。
いよいよ、11月一杯で、山中湖のアトリエを引き払う決断をする。残りの日々はいつも通り毎週通うつもりだが、道志村で何回かイーゼルを立てようと思う。借家を引き払えば、もう2度と、今まで山中湖村周辺で出遇った風景を描くことはないだろうから。時は過ぎて行く。
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山峡の田(1)/P20号/油彩/2018年 |
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山峡の田(2)/F15号/油彩/2018年 |
「山中湖村だより」 2017.09.23【山峡の田(道志村)3、富士(240)】
今回の山中湖行は、9月19日(火)から今日(9月22日、金)まで山中湖村で過ごした。20日(水)は『おばぁの台所』が木曜日定休日なので、店が開いている日に合せて道志村に出かけた。板橋の次の停留所で降りて、道志川に下りる道の途中でイーゼルを立てる。遠くに道志川を跨ぐ白い橋桁が見えるし、手前の木が風景のちょうどいいポイントになっている。休耕田を稲刈り前の田んぼに変えて、絵の具を埋めた。描き終えて、帰りのバスの時間まで1時間あるので、今回は、ビールと食事とタバコを一服、『おばぁの台所』でゆったりと過ごした。
翌21日は、朝から快晴、8月11日の『富士(239)』から久しぶりの富士山を描きに調節池に出かけた。雲一つない秋空の中の富士山を前にして、存在そのものと、ダイレクトに向き合い、存在の光と空間に包まれて筆を走らせていると、100年以上前のモネや、セザンヌと同じ画材、同じ方法、同じ条件で絵を描いているのだと実感する。ノッキングや停滞なく筆を走らすことが出来れば、まるで三昧境である。
作日は、大倉山のギャラリー仁屋での『イーゼル画会』展のオープニング。藤屋画廊で、浜田さんと北君の小品が売れたので、明日、常滑から上京する北君には大きな励みになるだろう。
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山峡の田(3)/P15号/油彩/2018年 |
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富士(240)/P20号/油彩/2018年 |
「山中湖村だより」 2017.09.28【道志村風景(道志川)】
今回の山中湖行は、9月26日(火)から今日(9月28日、木)まで山中湖村で過ごした。27日(水)は、先週と同じく道志村に出かけた。道志道の近くの先週描いた場所を下りて、道志川沿いに少し下った、川を跨ぐ無名の橋の上にイーゼルを立てる。F15号とS15号のキャンバスを持っていって、現場でチョット迷ったが、結局S15号に決め、やはりそれが正解で、画面にうまく収まった。10時8分に描き終え、10時半頃『おばァの台所』に行く。この日は、11時4分の山中湖旭ヶ丘行きのバスの時間までゆっくりできないので慌ただしく、ビールとサラダうどんとタバコを一服する。途中、女性の本格的な装備のサイクリストが一人お客として入ってきたが、道志道のサイクリングの途中でいつも気になっていたお店だとのこと、またテレビでも紹介されていたということだ。11月の末の、山中湖を引き払う前まで、あと数回道志村に来ることになるだろうが、この店と出会って、現場で描き終わっての満足感を引き続いて、いい気分にして貰った。描く現場と店が近く、帰りの板橋のバス停が近いのも、まるで計ったみたいだ。
11月の末に、山中湖村の借家を引き払うが、新しい場所に引っ越すのと違って、老いと秋の季節とあいまって、喪失感に時々襲われ、切なく淋しくなる。2016年12月24日にコピペした、道元の本の中の文章をもう一度転載して、自分に鞭を入れよう。
松風がより高く鳴り響く夏の末の宵、秋の初めのころ、
竹も響き、竹葉の露もしきりに落ちて物寂しい暁の時分、移ろいゆく気配に無常を感じて涙が頬を伝う、
そのようなときであるからこそ、松風・竹響の見聞声色(けんもんしょうしき)にとらわれず、心を発動せねばならなぬ。
誰が、古仏の辿った仏祖道を忘れ、初秋のもの悲しき無常世界に身をゆだねていられよう。(『道元「永平広録 真賛・自賛・偈頌」大谷哲夫全訳注 講談社学術文庫、204~205頁)
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山峡の田(道志川)/S15号/油彩/2018年 |
「山中湖村だより」 2017.10.05【道志風景】
今回の山中湖行は、10月3日(火)から今日(10月5日、木)まで山中湖村で過ごした。4日(水)は、先週と同じく道志村に出かけたが、これで5週連続道志村に通ったことになる。まだ、もう少し描きたい場所があるので、来週も行くことになるだろう。
この日は朝起きると雨、天気予報は日中は晴れるとのことで、バスの時間まで逡巡したが、雨がかすかな霧雨に変わったので折り畳みの傘を持って、7時26分「道志小学校」行きのバスに、一ノ橋のバス停から乗車した。板橋のバス停で降り、予定していた、坂道に着いたが、この場所は雲の通り道なのか、周りよりも霧雨が強い。しばらくウロウロと、イーゼルを立てる他の場所を探したが、思わしい所がなく、傘をさして描くことを決断した。キャンバスは立てているので濡れるのは少なく、豚毛の硬い筆でこすりつけて描くのでまだ何とかなるが、パレットの上の水滴は、絵の具の混色の時にハジイて描きにくい。8時半から30分位傘をさして描いたが、小雨が上がったので残りの30分間は傘を置いて描きあげた。対象が比較的単調なので時間が短くて済んだためで、雨で端折った訳ではありません。
この日も、『おばァの台所』で煮卵でビール、掻き揚げソバで朝昼兼用の食事をし一服して、11時4分の山中湖(旭ヶ丘)行きのバスで帰る。山中湖での残り少ない時間は、少しでも外で描いていたいので、この日も充足した。
今日はお昼に、Oギャラリーの住谷重光氏(イーゼル画会のメンバー)の個展に寄ってから帰拍した。同じ方向を向いた画を描いている画家の、常に負荷をかけた仕事を観るのは、こちらが嬉しく元気になる。みんな、頑張ろう。私も頑張るぞ。
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道志村風景(雨後)/F15号/油彩/2018年 |
「山中湖村だより」 2017.10.19【富士(241)】
今回の山中湖行は、10月17日(火)から今日(10月19日、木)まで山中湖村で過ごした。19日(水)は、このところの秋の長雨(すすき梅雨、秋霖)のなかの、たった一日の晴れで、それも夜明け前から東の空も晴れているので、赤富士を期待して6時前に調節池でイーゼルを立てた。
この日は、常滑から北君が山中湖のアトリエに来ることになっていたので、前夜の雨から、富士山を描くのはほぼ諦めていたのだが、日頃の美神への信心と修行せいで、奇跡的に朝から快晴だし、描いている間中天気は安定していた。私は山中湖でもう何度も似たような富士を見た事はあるが、北君にとっては、これからも見る事はない、一生に一度の経験だろう。彼が用意してきたキャンバスに適当な号数のものがなかったので、私の張っておいた、M30号のキャンバスを彼に提供、私はF25号のキャンバスで筆を走らせた。
こういう、圧倒的な存在そのものを目の前にして、時空の切断面に立ち、光と空間に含まれて、描画という行為を経験すると、世界観は、実存主義や欲望が行動原理の此岸(しがん)の世界から脱け出る。11月末の引っ越しまでに、北君はもう一度来たいそうだが、彼には、この日の描画の経験は、彼の今後の芸術の進路にとって、重大なポイントになるだろう。引っ越しまでの少ない機会のなかで、各種条件に恵まれる幸運に出遇えてよかった。
その日は、デニーズで朝食後、アトリエで、現場の絵に手を入れながら、いつもながら、絵画について私が一方的に話す。この話の録音は、近日中にユーチューブに岡野岬石『イーゼル画(直接描画)の技法』-(8)という動画でアップします。(下記URL)
| https://www.youtube.com/watch?v=948aSOyEZ0o |
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富士(241)/F25号/油彩/2018年 |
「山中湖村だより」 2017.10.26【富士は初冠雪】
今回の山中湖行は、10月24日(火)から今日(10月26日、木)まで山中湖村で過ごした。25日は前後が晴れの日の間の雨で、一日アトリエで過ごす。外での写真がないので、今溜まっている途中の作品の写真を撮って載せます。11月末の引っ越しまでに、このうち何点柏に持ち帰ることができるだろうか。そして、残りの日で実質描ける日は最大あと4週4回。それが過ぎれば、もう2度と山中湖周辺でイーゼルを立てることはないだろう。時は過ぎてゆく。
2012年6月27日の『片瀬白田だより』の最終回と、2013年1月10日の『御殿場だより』の最終回を下記にコピペします。ちょっと前の、同じような出来事だが、文章が若いね。ここへ来て落ち入りがちな、老人のセンチメンタルな気分を払拭して、もうひと踏ん張り、制作に負荷を掛けて生きてゆこう。
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『片瀬白田だより』2012.06.27【最終回】
2010年の5月から始めた、「片瀬白田だより」も今日で最終回です。7月からはこのページのキャプションは【御殿場だより】になります。引っ越しは、少し手違いはありましたが、なんとかクリアでき来週行って荷物の整理をし、再来週からいよいよ、富士山に対峙します。これから御殿場で出来た作品は「富士(1)」から通し番号を打ち、とりあえず2年間で100点を目標に私の晩年の具象画の集大成を目論んでいます。
東伊豆の風景も溜まっているキャンバスを完成させれば、たぶんこれで描くことはないだろうが、この2年間のイーゼル絵画への試みは私の絵画上の大きなエポックでした。片瀬白田で描いた作品の上で、気付き、試みた数々の絵画上の問題は、新たな富士山の絵で引き続き試され、生かされることでしょう。東伊豆の自然、知りあいお世話になった人たち、ありがとうございました。
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『御殿場だより』2013.11.21【最終回】
2012年の7月から始めた、「御殿場だより」も今日で最終回です。来週からはこのページのキャプションは【山中湖村だより】になります。来週引っ越しをして荷物の整理をし、再来週から山中湖からの富士山に対峙します。御殿場で出来た作品は「富士(1)」から「富士(80)」まで描きましたが、「富士(81)」からは山中湖側からの富士山になります。
御殿場側からの富士は、溜まっているキャンバスを完成させれば、たぶんこれで描くことはないでしょうが、イーゼル絵画は1点1点が、現場での真実の裸眼の記録なので、忘れられません。御殿場で描いた作品の上で、気付き、試みた数々の絵画上の問題は、新たな山中湖村での富士山の絵に引き続き試され、生かされることでしょう。御殿場の自然、知りあいお世話になった人たち、ありがとうございました。
今週の御殿場行は、来週の引っ越しの準備で、描くのはあきらめた。昨日(13日)は片付けが早めに終ったので、午後から御胎内温泉に出かけた。山中湖村に引っ越すことは、レストラン『利顧』の店長勝間田氏には先月末に伝えてあったので、最後もやはりメニューにはない料理をサービスしてくれた。別荘とはいっても、ほとんどの時間を絵を描くことに使っているので、水曜日の夕方温泉にはいり、レストラン『利顧』のおいしい料理で1杯やって帰るのが、御殿場での唯一の楽しみであり骨休みでした。店長の勝間田氏をはじめ、従業員の方々も顔を覚えてくれ、よくしてもらって、ありがとうございました。
たまたま、引っ越しの連絡にケイタイを持っていたので、掲載写真は店長勝間田氏と副店長児玉さんと私の『利顧』店内での写真をアップしました。この、ページには写真が1枚しか載らないので、このとき休憩中でいなかった黒木さんとの写真はフェイスブックに載せます。
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「山中湖村だより」 2017.11.02【道志風景(錦秋)】
今回の山中湖行は、10月30日(火)から今日(11月2日、木)まで山中湖村で過ごした。今回は、先週の初冠雪が融けていなければ富士を描こうと思っていたのだが、山頂に雪はなく、11月1日は道志村に出かけた。今回は、板橋のバス停で降車せず、長又のバス停で降りて道志道の対岸の道を板橋まで下る。前から気になっていた道で、この日歩いて気が済んだ。いい風景がなければ、板橋の橋の上からの風景を描けばいいやと思って写真を撮りながら歩くと、結局板橋近くで好ポイントに出遇った。ここは前に一度見ていたのだが、黄葉の風景はまったく印象が変わる。帰りのバスの時間が11時4分なので、朝時間を使った分、途中までしか描けなかったが、残りはアトリエで埋めた。今年の黄葉は、山中湖周辺でもここ数年より美しく、普段の色使いとは違った絵で楽しかったし、この作品を完成に進めていくのが楽しみだ。来週、イーゼル画会のメンバーの浜田さんと道志道の駅で落ち合って、絵を描く予定なので、ここで、描こうと思う。この場所の少し下に、もう一カ所イーゼルを立てるポイントがあるので、来週私はそこで描くつもりだ。それまで、黄葉が散らないで保ってくれればいいが。
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道志村風景(御正体山)/F15号/油彩/2018年 |
「山中湖村だより」 2017.11.09【道志風景(道志川錦秋)】
今回の山中湖行は、11月7日(火)から今日(11月9日、木)まで山中湖村で過ごした。今回は曇り時々小雨の中、道志道の駅でイーゼル画会のメンバーの浜田さんと待ち合わせて、道志村の風景を一緒に描いた。天気が良ければ、陽にあたる錦秋の御正体山を入れた風景を予定していたのだが、この日のこの場所は、9月28日に描いた無名の橋の上からの、水量が増えた道志川の風景で、黄葉が美しい。天気予報は時間とともに雨は止むというのに、小雨は描いている間中続いて、傘をさしながら描き終える。今まで、何度か悪条件の中で描いたことがあるが、その時に描いた絵が良い絵になれば、途中がどうであれ全てが正解になるので、少し描き急いだが、持ち帰ってなんとか完成にまでもっていきたい。描き終えて、道の駅の食堂で昼食(私はソーセージパイとポテトパイとビール)後山中湖のアトリエに浜田さんの車で送ってもらい、私は持ち帰った絵に手を入れた。浜田さんは、その時の私をスケッチして、4時頃御殿場乙女峠経由で箱根のお母さんの家に向かった。
山中湖も描けるのはあと2回。北氏は休みがとれず山中湖には来れないとメールがあり、最後は一人で山中湖の絵を描き、一人で山中湖を離れることになる。あと2回のうち、1回は調節池か平野浜で富士を描きたいと思う。30号のキャンバスを張ってあるので、それを、最後の富士にしたい。「犀の角のようにただ独り歩め」(スッタニバータ)である。淋しさを紛らわすカラ元気かなぁ。
描き終えての写真は、雨で急いで現場では撮り忘れたので代わりに9月28日の同じ場所での写真を載せました。
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道志川錦秋/S10号/油彩/2018年 |
「山中湖村だより」 2017.11.16【川口の秋(一ノ砂川)】
今回の山中湖行は、11月14日(火)から今日(11月16日、木)まで山中湖村で過ごした。15日は朝から曇り空で富士は顔を見せず。それならば道志村に行こうと思ったが、バスに乗ってから急遽平野浜の一ノ砂川の川口に予定を変え、平野のバス停で降りた。イーゼルを立てた場所は、2016年12月7日に一度『橋のある風景』の題名で描いた場所で、今回は川幅が広がって、橋はみえないし川端の木立の黄葉の色も前回とは違う。キャンバスを立てた時に、逆方向の富士山頂が一瞬顔を出したので描き終わってから、もう1枚のキャンバスに富士を描くことを期待したのだが、結局この日は雲に隠れたままだった。
これで、山中湖で描ける日は来週の1回を残すのみ。富士が見えれば調節池、見えなければ、道志村に行こうと思う。
11月13日は私の父親の命日なので墓参りをし、今日は、柏でよく買っていた古本屋に、蔵書やCDの一括処分をお願いする。山中湖の借家の荷物の処分を含めて、もうそろそろ自分自身の身辺整理をしておかないといけない年齢になってきた。ほとんどの物は持主の手から離れるとゴミになる。私の作品を、天は残してくれるだろうか。ともあれ、美術に関する以外の物は、極力整理していこうとおもう。
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水辺(一ノ砂川)/P10号/油彩/2018年 |
「山中湖村だより」 2017.11.23【御正体山(みしょうたいさん)】
今回の山中湖行は、11月21日(火)から今日(11月23日、木)まで山中湖村で過ごした。来週いよいよ山中湖の借家を引き払うので、22日は、ここで描く最後の作品になる。富士山か道志村か迷ったが、張ってあるF30号のキャンバスに合せて道志村にする。前にチェックしていた、11月2日に描いた場所の、少し下の風景は、木立の葉が落ち、木立の後ろの別荘がジャマなので諦める。それではと、今いい感じにその絵が仕上がりつつある、10月12日に描いた場所にイーゼルを立てた。視角の広い風景を大きな画面で描くのは気分がいい。描き終えて、昼頃アトリエに帰り着いてから天気は下り坂、今朝まで山中湖は大雨だった。ラストチャンスを、間一髪叶えてくれた天に感謝します。
今日の帰柏は、いつもの高速バスに東京まで乗ったのだが、車窓からの景色も多分もう見ることはないだろうから、感傷的になってしまった。2016年の3月から御殿場線廻りから、東京⇄山中湖の高速バスに切り換えたのだが、来週、引っ越し荷物を出した後は、予約のいらない御殿場廻りで帰るつもりだ。御殿場線廻りも、高速バスに変える前に何度も通った道なので、一層感傷的になるだろう。2010年の5月、東伊豆の片瀬白田に家を借りて始めたイーゼル絵画も、御殿場そして山中湖と、2017年11月30日に終える。この間、多くの物を得、自分自身の気力体力を含めて多くの物を失った。
誰でも若い頃から喪失感は何度も経験することで、何かを得、何かを失うのだが、老人の相転移は、自然にまかせるとどんどん「昔は良かった、あの頃は良かった」式の感傷に落ち入ってしまう。この、感傷のメカニズムの因って立つところは、一応自分の中では分析しているので、近く『画中日記』で文章にまとめたらアップします。『山中湖村だより』は来週が最終回です。
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御正体山/F30号/油彩/2018年 |
「山中湖村だより」 2017.11.29【写真のみ】
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岡野岬石「山中湖村だより」 2017.12.01【最終回】
今回の山中湖行は、11月28日(火)から昨日(11月30日、木)まで山中湖村で過ごした。2010年の5月、東伊豆の片瀬白田から始まり、御殿場、山中湖と7年半の借家と柏のアトリエとの往復の生活も昨日の引っ越しでピリオドを打った。少しづつ揃えていった生活用品と絵の道具は、半分は廃棄処分しても、柏のアトリエに運ぶ品物は思いのほか量がある。ひとつひとつ揃えていった思い出の品も、大半はゴミになった。若い時と違って、残り時間の少ない老人の今回の引っ越しは、感じ気付く処が多々あった。残ったのは作品だが、この間の絵を含めて、地下の倉庫にほぼ満杯の私の絵は、ゴミにならないことを願うがどうだろうか。
今日は、柏のアトリエに荷物が届くが、ここ当分片付けと整理に追われる。その後は、アトリエの中の物を、大幅に廃棄して行こうとおもう。64歳でイーゼル画を始め今年で71歳、この間は楽しく充実した時間を過ごした。ひとつの時代が終わったということで、今後は、私自身が相転移しなければならない。相転移がうまくいかなければ、「昔は良かった、あの頃は良かった」という老いの感傷の、淋しさと切なさに襲われるだろう。さて、次の私の相はどのように展開するのだろうか。
という訳で、本日で『山中湖村だより』は最終回です。
【あとがき】
『画中日記』2017.12.03【『山中湖村だより』を終えて】
11月30日に山中湖の借家を引き払い、12月1日に引っ越し荷物がアトリエに到着、今日やっと、片付けの目星がついてきた。
今回の引っ越しの経験で、多くの事に気付かされた。そのため、このタイミングで、先先週から柏でよく古書を買っていた「太平書林」に、約半世紀にわたって、読んだ本をほとんど引き取ってもらった。本好きの人間にとって、読んだ本を廃棄することは出来ない。貰ってもらって、どこかで再利用してもらうことは反ってありがたいので、助かった。つい近々に古書店を引き継いだ若い店主が、買い取りのお金を出そうとしたが断る。その代わりに、これも大量にあるCDやLP、LPプレイヤー、カセットテーププレイヤー、SDプレイヤー、アンプ、スピーカーのステレオコンポーネントセットも持っていってもらった。全部で3回に分けて、毎週1回きてもらって、昨日終了、終わってみると、スッキリ清々しい気分だ。
最近は、音楽もユーチューブで聴くので、CDを含め、FMラジオも付けることもなくじゃまであった。あとは、テレビからの録画や、ビデオデッキを2台買ってダビングして集めた名画が中心のビデオテープ(アダルトビデオは以前に既に捨てた)、FMラジオから録音して長年集めていたカセットテープはゴミの日に出すとしよう。
物は捨てだすとクセになるなぁ。次々と捨てるべき物が目につく。それにしても今の日本は有難い。自分でやれば大変な作業を、引っ越しから、廃棄、ゴミは出せば持って行って処理してくれる。
『画中日記』2017.12.04【相転移】
不用になった物の処理は、自分がやらなくてもゴミ置き場に出せば行政がやってくれる。しかし自分の内なる煩悩の残滓の処理は、いくら無視しようとしても自身で自我意識を脱落しなければいつまでも残る。道元の師の如浄(にょじょう)は「身塵脱落(しんじんだつらく)」といい、道元は「身心脱落(しんじんだつらく)」といった。慧可(えか)が達磨(だるま)に、「修行しても修行しても、心が揺れて証(さとり)の世界に入れません」と聞くと、達磨は「その心をここに持って来なさい」と答えた。(その後のストーリーは自分でネットで調べてください)
いくら自分にとって価値ある物や人や事であっても、関係が切れれば、ゴミや、タダの人や、そんな事もあったなぁ、ということになってしまう。諸行無常、すべての物はゴミになる。関係は切れているのに、いつまでも過去の世界に執着していると、ノスタルジーの感傷に悩まされる。
時間空間の、周りの世界が相転移したのならば、私も当然相転移しなければならない。相転移できなければ、私自身が世界のゴミになってしまうだろう。
『画中日記』2017.12.13【一段落】
山中湖からの荷物の整理と合せて、柏のアトリエにあった以前からの不用品の処分が一段落した。処分すべき物はまだまだあるが、それらは今後徐々にやっていけばよいだろう。
同時に、来年1月の個展のDMの宛名を、9年間、今も使っているマックのパソコンのラベル印刷がうまくいかないので、ネット専用に使っているもう一台の富士通のウィンドーズ10のパソコンで印刷しようと試みた。おっくうなので、グズグズと先延ばしにしていたのだが、これも、因と縁だろう、数日前にドッコイショと腰を上げた。まず、エクセルでの住所録作りと、その住所録をワードで読込んでのラベル印刷のプロセスは、マックのパソコンに、ネットで検索した画面を見ながら、なんとかクリアした。住所録作りも、ラベル印刷も、それが載っているサイトのアドレスさえ保存しておけば、安心だ。昔は大変だったなぁ。本に栞をはさんでいても、必要な情報が時系列では繋がりにくいので、身体に慣れるまで毎回手間がかかった。地図と磁石があっても、自分の現在地が判らなければ迷ってしまう。そのてん、スクロールで変わる画面は、時間的な前後があるパソコンの操作には合っていて理解しやすい。というわけで、なんとかDMの住所録のラベル印刷をクリアして今日DMを発送した。
パソコンの思考回路は、私の考え方に似ている。「真」と「偽」がハッキリと存在する、という考え方だ。目的に向うプロセスのひとつひとつの手順の正しいコマンドが、物事を完遂するのだ。「真・善・美」は実存を超えて存在する。人間(実存)が決めたり、創造したり、ましてやアドリブや、偶然出来たりするものではない。この「全元論」的世界観は、日本人だけのものだ。この世界観は、世界の中で奇跡的に日本に残り伝承されてきた。この世界観を日本人一人一人が持つかぎり、日本は不滅で、またそれだからこそこうやって二千数百年一国で変わらず存在している。現在にも伝承されていることは、先の三陸大地震の後証明されている。周りの他の仕事は、安心して、それぞれの分野の専門家にまかせてもキッチリ仕事をしてくれているので、自分の持ち分の仕事で、正しく、美しく、善き仕事を成していこう。
『画中日記』2017.12.19【全元論の生き方】
私の世界観が、2010年からのイーゼル画の参究、そしてその頃から読み始めた道元との邂逅(かいこう)によって、それまでの実存主義の世界観から180度方向が変わった。そのことによる変化は、画家としての物の見え方にかぎらず、半世紀以上読み続けた本の種類(実存に関するアレコレを書いた小説類、実存主義的哲学、心理学は興味がなくなった)や、自分の生き方のベクトルを決める人生の価値観まで変わってしまった。先日の、本やCD、多くの捨てられないで執著(しゅうじゃく)していた物を処分したり、貰ってもらったりして、スッキリした。今後、いっそうこの態度を押し進めていこうとおもう。
昨日フェイスブックに投稿した、『道元禅師語録』の抜き書きの、注に書いた私の文章を、もう一度ここに記します。
「『全元論』では、世界の全存在がフラクタルな形態、構造なのだから、そうなっているのだから、全体から部分を分けられない。内と外、主観と客観、我と汝(なんじ)、物と心とイデア界、超越と内在、神と人間、全ての名の付く存在は、境界をもって分けられない。だから、〈在る〉といっても〈無い〉といってもどちらも正しく、またどちらも間違っている。部分、要素、本質、自我、超越は世界存在の全体から境界をもって分けられない。在るのは而今(にこん)に相転移しながら現成公案している一(いつ)なる全、世界存在なのだから」。













































































