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『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

光を意識し始めたころ

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●光を意識し始めたころ

 実際に絵を描いていると、何かを描こうという最初の発想を動機にはするけれど、いざ描きだすと、ほとんどが「美しさ」の方に行ってしまう。より美しい方向にどんどん自分の判断基準が傾く。

このモティーフを描写しようとか、こういう造形をしようとかという最初の段階を過ぎると、描画の段階ではほとんど、美しい方へ美しい方へ「より美しければすべて良し」の方向へと、仕事は進んでいく。

料理にたとえると、カレーライスを作ろうと思うけれど、それは決めるけれど、いざ作る段階になったらもう、美味しい物を作るのが目的で、もし「これではカレーではない」と言われても、以前に作ったカレーよりも美味しければこちらが正解。カレーを作るという発想をきっかけに、そういうベクトルで仕事を進めて行くという事なのだ。

(この言説は、今では修正します。2010年にイーゼル画を始めた、対象を前にした描写絵画では、対象の実在、空間から離れられない。だから、カレーとか自分の好みとかの個別の問題から脱して、「美味しさ」という超越、絵画でいえば「美」という超越に向かわなければならない。2021年8月7日記)

光を意識し始めたのはいつからかというと、僕の絵は無意識的にはいつも光に反応している。そういう絵に一〇代の頃からずっと惹かれてきたけれど、解釈力の未熟さでその理由が分らなかった。しかし、絵は光っている画面が美しいという事に気付いたのは、つまり光は美の一つの要素であるという事が分ったのは、一九八一年ころから色々な技法を試行錯誤している時期であった。だから、まだ完全ではないけれど、僕の絵がドラスティックに変化していころに、少しずつ光の表現の技術が分ってきた。

最初は、画面が光らなければ駄目だと思った。画面が発光しなければ駄目だ。あの頃から、画面を光らせるためにはどうしたらいいか、自らが光るもの(金箔や銀箔や蛍光塗料)を使わずに不透明な油絵具を使ってあたかも画面が光っているかのように見えるにはどうしたらいいのか、そういう具体的な設問をはっきりと意識していた。その頃の技法は、完全ではなかったし一時的なものだったけれど、しかし、目標というかゴールというか、今も将来にも続く重要なテーマはそのころに意識化されたのだ。

リアリズムで海や岬を描いていた頃の絵も、ハッチングなどで光を意識したのかと聞かれるけれど、あのころはまだ、画面を思うように出来たり出来なかったり、意味を言語化できていなかったので偶然性の関わりが大きい。当時の意識は、波を描くとか草を描くとか、草の1本1本の描写の意識が強くて、それが偶然に光になったりならなかったりであって、無自覚だった。

今では描き初めから光をターゲットにして描いているけれど、当時はばらつきがあって、自分では意味が分っていなかったので、意識して描画できなかった。

草などの描き方を見たら、やっぱり草を描いている。草を描くのではなく、草を描くようにタッチとタッチが点描の代りに線が交錯すれば光るという(ゴッホやセザンヌの絵)、そういう点に目が行っていなかったのだ。1本1本を描いているあの描き方の意識を続けていれば、今でもハードルを乗り越えられなかっただろう。

やっぱり光というと印象派で、印象派の絵の分析と解釈が最も光の技術に役立つ。それも、印象派以前の画家で、ある意味印象派の先駆者といってもよいベラスケスの絵は、ずいぶん勉強になった。ベラスケスの描いた『王女マルガリータ』(1659)などの絵の、装飾品や豪華な衣装の描き方こそ、印象派の技法の真骨頂なのだ。あの技法が分れば、光の関係で対象を描写するということが理解できるのだが、当時は未だきっちりと分析できていなかった。いや、分析はできていたのだが、描画のスキルが未熟だった。リアリズムの技法で描く人にとっては、レース模様の着衣なんて、もういやになってしまう。だから、細密描写の画家は写真やプロジェクターを使ったり、色々な工夫をしているけれど、それはむしろ逆なのだ。きっちりと描いては駄目。逆に、ベラスケスのように、あのようなディテールで描けなければ駄目なんだ。

フェルメールの絵も、絞りを絞ってピントをきっちりと合せて対象を描画するとあのような美しい画面にはならない。きっちりと、針の先ほどの光にピントを合わせると、光が物に張りついて発光していかない。そうでなく、ピントをソフトフォーカスにするから、宝石や金属のピカッと光った所などが物から浮き上がって離れ、光るのだ。(2005年記)

-『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

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